聖魔獣編

 結局のところ、シャフィアラが他との交流を避けているという事など、表向きにしかすぎない。でなければ、なぜこの船に世界地図と航海図があるのだろうか。最新の。
「儲かっていたの」
「……それは、当主様のお力を考えれば自ずと……」
「あれで?」
「口にされたのですか!?」
「不本意だけどね」
 でなければ、身体の不調は取れなかった。どうあがいたところで、私がシャフィアラの民でその地の毒を体内に持っているのは事実だった。例え、一般の島人とは違い、いくつかの治療と中和を施されてはいても。実験者は、被験者には回らない。常に高みに、――そして、安全であった。と、しても。
「でしたら、向こうの物より売れることはお解かりでしょう。まして、エアリアスの名であれば」
 それはそうでしょうよ。同じ薬草でも毒草でも、シャフィアラに生息しているのはあっちの大陸では生息しない。まったく違う治療法になっていたようなものだ。それに、広く大衆に配るため効果を弱くして、長くその薬を必要とするようにしてあったし。
「どうするつもり?」
「どうも。簡単なことです、あちらからこちらに来る事はできないのですから」
「……」
 そうやって、小父上がばら撒いた薬で生きながらえている人間(ひと)は死んでいくのね。
「……」
 甲板の上で風に吹かれる。後ろでは世話しなくばたつく船員や、鳥達。
「いい天気だな」
「そうね」
 消えるように現れた気配。二人分。
「珍しいわね」
「どういう意味だ?」
「そのままじゃない――ねぇ?」
「……」
 護衛は、あえて真実を黙認した。
「ほら」
「……帰れ」
「先にエルディスに寄ってもらえば?」
「それもいい」
「……」
 それでも、護衛は黙っていた。何か言えば悪化するとよく知っている。
 手すりに腕をのせあごをのせるリールと、手すりに寄りかかるカイル。それに、立ち尽くすレラン。……再び、三人。
 海はおとなしかった。わけでもない。リールが、身体が鈍るとぼやかなくていい程度に。
「はぁ!」
「……!」
「――」
 船を襲う怪物――まるで、ただの肉塊。うごめく腐敗した部分と、浮き出た青白い血管。この船と同じ大きさはあろうかと言うほどの巨体。
 これで、二度目。
グゲギャァァア!
 波を青く汚しながら。暴れる怪物。
「よく似た怪物に襲われた事あるわ」
「――エルディスで?」
「そう」
「報告書を読んだ事はあるが……」
 と、カイルが振った剣が、そこに心臓があると伝えるように波打つ肉の一部に突き刺さった。
「こんなのばかりなら、少し深刻になっていくな」
「少し?」
 またもなんだかよくわからない悲鳴を上げて海の藻くずとなる肉塊を見送りながら、リールは問いかけた。
「ウィディア様!」
「なーによ」
 問の答えをもらうことなく、どうやら別の用事に借り出されるようだった。

「元気そうだな」
「そうですね」
「ニクロケイルだと」
「……」
「丁度いい。参考になりそうでならない報告の現状を知るにはいい機会だ」
「連絡を取りましょうか?」
「必要ない。――どうせ、お前達の中で連絡の取り合いは行なっているだろう」
「……」
 核心のある言葉。事実だけにレランは黙った。

 かつて、バーミリオン大陸は一つだった。キリングタイムで沈んだエルン大陸の影響で荒れ狂った海流に影響されるまでは。今では真ん中に亀裂が入り、二つの大陸となっていると言っても過言ではない。東は、各国をまとめ上げるエルディス。そして西は、水の終結地ニクロケイル。亀裂が入った影響は特に西にひどく、所々陥没した地面は水を呼び、あふれさせた。今をつなぐように浮いた城。発達した海路。人は誰しも船を漕ぎ、今日も、一日がはじまる。

「うわ……」
 まるで、海から海に移動したような感覚。港から見える景色ですら。
「ここがニクロケイル」
 そして、最後の獣王。しらず、リールはネックレスを握り締めた。
「ここが南地区だ」
「南?」
「ニクロケイルは四つの地区に分かれていて、人々は唯一残った地表と海の上に居住している。そして四地区に囲まれるように真ん中に浮いているのがこの国の城さ」
 名をウィルディア城。各地区から伸びた橋が、その城までの道を作る。しかし、城から橋が下りる時間は定められていて、いつでも、誰でも城に向かえるわけではない。怪しい船は近づけば攻撃され、沈む。長い橋はそこにあるだけで、移動は船である。家庭では少なくとも二つの小船を持っている。
「ふぅん(ま、私は城にようないし)」
 あるとしたら、そう“エルディスの王子”――
「お気をつけて」
「ありがとう」
「また、いつかお会いできますか?」
「そうまでして、どうして私に会いたいと思うのよ」
 セナも、ユナも、そしてあのジオラスでさえ――
「……わかりません」
「は?」
「なぜでしょうか、あなたを、引き止めなければならないような気がするのは……」
「……」
 あの島の人々、狭い中で生まれた同属意識。
「だから嫌なのよ」
「ウィディア様?」
「だから……」
「話は終わったのか?」
「……そうね」
 甲板に上がってきたカイルが声をかけてくる。頷(うなず)いて振り返り、梯子に近づく。
「ありがとう」
 振り返って皆に伝える言葉――そのまま船から下りた。
 誰も、私のことなんて、気にかけなければよかったのに――

「で?」
「で?」
 同じように繰り返す。前者は問いかけ、後者は疑問。しばし沈黙してカイルは、また言う。
「ここに着たからには、用事がないと言わないだろ」
「図書館が北地区にあるって話だから、行く」
「そうか。なんのために」
「この国の聖魔獣の事情を調べるために」
「もっと手っ取り早くすむが」
「なんでよ?」
 国によって変わる聖魔獣の在住所。共通する意識。畏怖、恐れ。疎遠の対象。森に縛られたルチルクォーツ。地下に閉じ込められたオブシディアン。島に追いやられたレピドライト。では、ここニクロケイル、アクアオーラは?
「……」
 リールは、この場にぴったりの言葉を捜していた。
「……職権乱用?」
「仰々しい立場に縛られるんだ。最大限に利用しなくてどうする」
「がんばれば?」
「……」
 どこまでも続く海の道。水路。乗り合いの船と細々とした道を歩いて。水上で交わされる商売、露店が並ぶ。小さな渡し船は三人を乗せるのがやっとで、それでも進む。観光客と勘違いしたのか漕ぎ手が、いろいろな説明をしたがった。一番多かったのは王への賛辞。覇王と称される王の王位獲得話など、リールには興味がない。受け答えをあっさりレランに押し付け、リールは水をすくい、カイルはその様子を眺めていた。そうしてやって来た城。まるで見計らったように下りる唯一の掛け渡し。四方に伸びる橋の一つ南橋が下りてきていた。右から抜けるように会話を流していると、なぜか、通行許可が下りた。何もいきなりこの国の王から聞きださなくてもいいような気がするが、確かに早いことは事実だ。聞き出せればの話だが。

コツコツコツ
 床を鳴らす靴音がとても綺麗に響く。白い床と、城の中ですら流れる水。いたるところに橋がかかり、この城が水の上に浮いていると実感させられる。青をたたえた水は深く、底が見えない。謁見の間に続く道は天井も高く、天窓から光が入る。無言で歩く中、ふと隣を見ると目が合う。再びたった水音に視線を向けると、開けた場所に噴水が沸き立った。
「……すごっ」
「これはこの城で一番の噴水です」
 案内をしていた初老の男性が深く親しみを持って言う。嬉しそうに、誇らしげに。
「「……」」
 一歩進み出たリールのうしろで男二人も静かに眺めていた。
 四方から伸びた水が、部屋を流れる。足下までぬらす勢いで流れ、さざ波のように去りゆく水。高い天井を追い越そうと伸ばされた水の流れ。いくつかの場所から、同時に違う動き。取りを飾る中央の水柱。調和するように、引き立てるように。互いが互いを侵略しない心地よさで、行く筋もの流れを見せる。……まるで音楽団――水が、音を奏でる。
「……」
 静かな波音を残して、噴水は止まった。後に残ったのは、床をぬらす水が流れ引いてゆくのと、霧雨のかかった四人の人物。
「さぁ、参りましょうか」
 また、靴音だけが響く。ふと、カイルの袖を引くとこちらに注意を向けてきた。「なんだ?」と。私も謁見するわけ? と問いかけると、「嫌か?」と言われる。――どうせなら、いや、“今”は、王族と縁を持ちたいとは思わない。
「……」
 増していく兵士、そして威圧感。
「――っ!?」
「……?」
 今度こそはっきりと驚いたリール。何事かとカイルが足を止め、レランも止まる。その少し前を歩く案内の老人がここだと言わんばかりに立ち止まる。巨大な扉。白と金の装飾。そして、青い波模様。その中心に描かれていたのは、青い衣、壮大であり尊大な一角の水龍“アクアオーラ”。こちらを睨むその目は、さながら、本物のよう――?
「もっと、迫力があるわよ」
 それが、聖魔獣ならば。
「……お嬢様?」
 小さな呟きを聞きとがめた老人が声をかける。ごまかす様に、話をそらしたのはカイルだ。
「これはまた、見事なものだ」
「そうでしょう」
 カイルの賞賛に、老人は気をよくした。自国の守りであり象徴である聖魔獣。どうやら、この国ではアクアオーラをそう遠ざけてはいないようだ。
「では中へ、ここは、入り口にしか過ぎません」
「……そうだな」
「私は、こちらにいても?」
「……」
 突然、入出を拒否したリールにカイルは視線を向けた。そして、こっそりとため息をつく。どうせ何を言っても聞くはずもないから。
「それはかまいませんが、椅子をお持ちしますか?」
「いえ、――これを、眺めていたいので」
「それは、どうぞごゆっくり」
 偉大さを思い知ったかと言いたげに、老人は笑顔で扉を開けるように命令をした。開く扉の先にまた扉が見えたが、気にしない。目が合ったリールは、現金にもよろしくと言っていた。
ぎぎぃぃい――
 ぱたんと閉じた扉。残されたのは扉を守る兵士と、私。
「ぜんぜん」
 こんなものきっと、本物にはかないもしない。だって、例え聖魔獣であっても、もっと……
 こつりと、靴音を響かせて部屋の中を歩く。今通ってきた道の入り口から開けたこの場所。丸い空間。淵に来れば、すぐそこには水が。特別波打つわけでもない水。まるで、湖の半分を足場で多い、そこから反対まで橋をかけたようだ。丸い天井から伸び、水面に反射した光が天井で動く。扉の横に居る兵士には背を向けて、水に自信を映す。しゃがみ込み首もとに手を当てる。まるで、髪をかき上げるかのように。服の下から取り出した瞬間、ぷつりとネックレスの金具が切れる。
 まるでこの場所から離れる事を拒むようにリールの首の上で重くなった石は、そのまま静かに水の中に沈んでいった……

「あの男は嫌いだ」
「……」
 めずらしかった。カイルがここまで逆上するのも。
「何? どしたわけ?」
 うっとうしそうにこちらを見るレランを捕まえて、問い詰める。
「いえ、シャドナスタ国王陛下が……」
「この国の王様?」
 そういえば、結局会ってない。情報は――カイルの様子を見る限り聞き出せたとは思えない。
「自分も数年以上放浪生活、いや、継承権すらなかったくせに、今王位に居るからとあしらいやがって」
「何? ここの王様ってそうなの?」
「今のシャドナスタ王は、前王であり父親であったレイグル様から政権を奪い取ったので有名だ。第四王子であり、継承権はなかったにもかかわらず」
 っと、漕ぎ手が少し前に説明していたが。聞いてないな、お前は。
「殺して?」
 父親と兄弟全員。
 茶化すようにリールは言った。
「……」
 無言の肯定だ。
「母親の身分は低く、結婚は認められても王位は認められなかった」
「それが原因で奪い取ったわけじゃないでしょ?」
「知るか」
 ぼそっと、これ以上説明は面倒だと漏らすレラン。
「……ま、いいわ。で、なんなの?」
 カイルを指差す。
「王子に負けず、癖のある方ですから」
 そう言い切ったレラン。単純にカイルは、嫌味と皮肉を聞くだけ聞かされて追い出されたらしかった。
「どちらにせよ前王の評判は悪かった」
 そして、この国に来て聞く言葉は、王の賛辞が多い。あれほどまでに国民に賛辞される王など、リールの知る限り知らない。シャフィアラの王とは大違いだ。
 憎らしげなカイルの呻き。
「気にしなくていいわよ」
「……」
 いまだに愚痴を言っているカイルに、リールは声をかける。
「大丈夫だから」
 確信を持って有り余るほどの声に、カイルは黙った。――結局、何もできなかった。
「私一人じゃあそこに行けなかったもの」
 そう言って、リールは宿の自分の寝室に向かった。この国では旅人は優遇されるらしく、真ん中に談話室を挟んで左右に二部屋の寝室とつながっている部屋が借りられた。割安で。
「おやすみ」
「……」
 もう寝るのかと呆れたレランを無視してパタンとリールは扉を閉じる。乱暴にテーブルに足を乗っけていたカイルは窓の外を見た。夕日が沈みはじめる時間。窓に入る光が色を帯びていた。

「……」
 もう、夕飯の時間は通り越していた。しかし部屋の外はとても明るく、夜だと言うのに眠りを忘れたように騒ぎ立てる炎。特に下は酒場となっているので騒がしい。リールを部屋に見送ってから微動だにせずに本を読むカイル。壁際に立っているレラン。
「……あの小娘は……」
「?」
 ふと、口にするのも嫌そうにレランが言う。
「まだ、寝ているのか?」
 ゆうに数時間は経過した。夜の食事を取るなら、酔っ払いが往来する時間ではなくしかるべく時間にとってほしい。――主には。あの小娘はどうでもいいが。しかしあれが来ないと主が動かないのもわかっている。
「――あの国(シャフィアラ)では、眠れないようだからな」
 幸福な夢に、囚われる。今でも、意味を量りかねる。
「どういう意味だと思う?」
「私には理解できません。あの島での出来事も、あの一族も。あの小娘の行動で――!」
 ざわりと、気配を感じて、レランは剣をぬき扉に近づいた。下の様子がおかしい。あれほどまでに騒いでいた酒場の盛り上がりが急に静まった。カイルも立ち上がった。下からここ二階に向かって階段を上がる五人の足音を聞きながら。
「「……」」
 ゆっくりと、小さな足音もたたずに近づいてくる気配。この部屋の前で止まる。
コンコン
「……」
 ゆっくりと剣を鞘に戻し、しかし柄から手を放さないで、レランは扉を少し開ける。廊下には四人の兵士と、使者らしき男が書状を掲げていた。
「お前達、本日国王陛下に謁見をしたものだな」
「――そうだが」
 この国の印を押された書状を前に、レランは答えた。
「今一度陛下がお会いしたいそうだ。城へ参上しろ」
「今から? さすが覇王と呼ばれるだけあって。ずいぶんと横暴なのですね」
 扉を開いて、カイルが言う。
「黙って、従え。エルディスの王子」
 互いが互いを気に入らないと言うように、二人は睨みあう。
「早かったわね」
「!?」
「……」
 背後からかかった声、現れたリールに使者が驚く。“早い”? また、何をしたのか。無言で振り返ってみると、口の端が笑っていた。――何か、したらしい。
「何をしでかした小娘」
「ちょっとね」
 あっけらかんとはぐらかす。言うわけがないと知っているだけに、聞くことはしなかった。どうせ、今から幕が開けるようだから。下に下りると酒場は静まり返っていた。いったい幾人兵士を連れてくれば気がすむのか。剣を持ってはびこる兵士。例の使者が現れると、全員が嫌そうに顔を向けてきた。どうやら、この男は嫌われているらしい。
「協力感謝する」
「いいえ。できれば今度は、いきなり剣を持って押し入るのはやめてもらいたいものですね」
「うっわ。迷惑」
 同感である。声をあげたリールを男は睨みつけて酒場の外に向かって手を振った。すぐさま兵士は酒場から出て行き、残った男と三人も外へ出た。青く装飾された船に乗り込むと、舵取りが船を漕ぎ出した。

 いくつか小船を乗り継ぎ、細い道を歩く。歩くと言うよりは走りたいと言いたいばかりに急ぐ男のうしろを、まったく急ごうともしない二人が歩いていた。さらに、うしろにレラン。時々、男が振り返ってイライラとこちらがやってくるのを待っている。そして、男を待たすのももう何度目かわからなくなった頃。
「いい加減にしろ! 何をのろのろと進んでいる!!」
「のろのろ?」
「普通だ」
「……」
「だいたい、夕食もまだだったのよ?」
「そうだな」
「……」
 やっぱり食べる気か。貴様。
「こんな夜中に来いだなんて非常識だし」
 お前が言うか?
「それに、」
 一度、わざわざ言葉を切る。
「あんた誰?」
「誰だお前?」
 そして、一緒に言う。
「――このっ!」
 やって来た使者が逆上したくなるのもわかる気がする。機嫌の悪い主と空腹の小娘の相手をしているのだから。こっそりとため息をつくレラン。
「お前達はただ従っていればいい!」
「いやね~~最低」
「非常識にもほどがあるな」
「エルディスの王子。……お前性格変わっていないか?」
「お前に礼をつくす必要性がないからな」
「……」
「相変わらずね」
 常識のある人間がここに居るとは思えない。密かに、レランは思った。
「何か言った?」
 こちらを睨む主と、振り返って問いかける小娘。今日も、明日も、騒がしいようだ。

 再び、アクアオーラの姿を映した扉が開く。入るのは二度目のカイル達と違って、リールは目の前を睨んでいた。
「……大丈夫か?」
「? 何をいきなり」
 問いかければ呆れたようにこちらを見上げる。何もないわけでもないだろうに。
「平気よ」
 少し、早くなるだけ。
 開かれた青の扉をくぐって、次の扉へ。
ぎぃい―――
 重苦しく、古めかしい音と共に開いた二つ目の扉。ここは、謁見の間。歩き出した使者のうしろカイルの横を、一歩も遅れることなく進んだ。
 何を、恐れよと?
 深い青の色に染め上げられたマントを翻して国王が座っている。玉座に。白で統一された白に強調する、赤い絨毯。おそらく、あわてて召集されたらしき兵士達が周りに並ぶ。剣をあずけ、服装を厳しく制限されたこの場所。普通、これくらいの事をするのだろう。入り口から玉座の下までは遠く、高く、近くまで来ても顔がわからない。見上げようにも下を向き、ひざをついているのだから無理だ。
「陛下、彼らで最後です」
 使者が国王に意味のわからない言葉をかける。……意味がわからない?
「……顔を上げろ。お前達」
 いきなり本題らしい。見上げると目があった国王がすぐさま話をはじめる。リールは、一瞬ぱちくりと目を向いた。国王がその表情に言葉を止め、カイルが何事かと首を向ける。
「どうした」
「……もっと、歳食ってんのかと思ってた」
「……」
 小さな声は以外にも響いたらしい。周りは、さらに静まり返った。うしろでレランが額に手を当てている。ついていけないと言うように。
「言っておくが性格悪いぞ」
「あんたと同じで?」
「「一緒にするな」」
「同類ね」
 すぐさま、リールは言い切った。沈黙した謁見の間。思いがけず言葉が重なりあった国王とカイルは睨み合った。
「娘、言っておくが私(国王)に礼を欠けば首がはねられても文句は言えないぞ」
「用がすんでもいないのに首をはねる趣味がおありならどうぞ、私以外の物好きにお試し下さい。そして、その場合私にそのような趣味はありませんので全力で逃げさせていただきます」
「……名は?」
「エアリー・リールと申します」
「それは本名か?」
「この場で申し上げなければならない理由はいかに?」
 またまわりがざわめく、剣に手をかける者、鋭い目で睨む者。どれもこれも、リールは気にとめもしない。
「――まぁいいだろう」
 まぁ、しょうがないわねと思い、ぺこりと、リールは頭を下げ――
「どうせその者(エルディスの王子)と一緒にいるような女だ。“多少”のことは目をつぶろう」
 ――ようとしてやめた。
「お前達、これに見覚えは?」
「私のですが?」
 即答したリール。
「……」
 そう言って国王が隣にいた神官の持つ盆から取り出したネックレス。もうずいぶん前の事のようで、つい最近。セレアでセイファートに出会ったこと。もう、逢うなんて思わないし再び。旅をしているなんて。それに、ラーリ様……
 一瞬自分の見た物が信じられないと言うように顔にヒビの入ったカイル。じろっと、リールを睨みつける。
「なんであそこにある」
「あとで」
「……」
 どうやら、カイルはお怒り気味だ。当たり前だった、かしら?
「……お前の物であると言う証拠は?」
 ぴし。その言葉にカイルがひどく反応した。何をふざけた事を、と。
「それは昨日まではなかった物。そして今日現れた物。この城で。ですから、今日謁見に来た来訪者を全員調べていらっしゃるのでしょう? そしてその来訪者は、私達で最後」
 怒鳴りつけそうなカイルを遮って、リールは言った。
「これは、なんだ」
「……私の言葉には肯定していただいたと思っても?」
「質問するのはこちらだ」
「答えていればいいと」
「これまで来た来訪者でさえ、自分のものだと偽っていたが」
「それは、騙せると思われているのですか」
「……簡素だがよいものだ、高く売れるだろう」
「そうでしょうね」
「誰も、俺の質問に満足に答えられていない。どこで手にしたのか、いつ、どうやって手にしたのか」
「そのために私に質問に答え続けろと。そんなことをなさらずとも私のものです。それなのに、こんな夜中に呼び出しておいて非常識ね――だっ!」
 いきなり痛みを訴えるリールに、国王ですら驚いていた。
「何すんのよ!!」
「時間の無駄ははぶけ」
 どうせ、何かしたんだろ。こんなのをいつまで相手にしている気だ? と目で訴えつつも、早くも帰りたいらしい。
「……」
 にやりとリールは笑った。少しだけ頭を下げて、まるで、そこに裾の長いドレスを広げるようなしぐさをする。そして言った。
「お初お目にかかりますニクロケイル国国王陛下。エアリー・リールと申します。ぶしつけではございますが、この度は私、とある方々からシーネリー様に預かり物を届けに参りました。――すでに、届いてはいるようですので、確認の意味をこめて、私(わたくし)彼の方にお会いしたいと存じ上げますが。いかに」
 ころっと一変した態度。うしろでレランが一人寒々しさを感じている。あの小娘の態度が――まぁ、まとも? いや、これ以前の態度を見ればそんなものまやかしでしかない。そうか、だが、確かにエアリアスの名を持つものとしての教育は受けていると考えていいのか。それが普段の態度に直結していない事だけが明らかで。
「……お前達は去れ」
「陛下!!?」
 すぐさま、周りの兵士達に命令を下した国王。あわてたのは神官。
「もう、夜も更けた。明日のために休め」
(それ、私に言えることよ?)
(……白々しい)
 リールもカイルも、二人して批判的な態度だ。
「ですが陛下!! このような怪しい娘を信用なさりますのか!」
 神官の言葉を遮って、兵士を全員謁見の間から去らせた。変わりに、玉座のうしろ、カーテンの陰に隠れていた男が現れる。レランのように、常に自分の主を守護する護衛であろう。部屋には、六人のみ。隠れて窺う気配も、こちらを警戒し続ける気配もない。警戒されていないといえば、それは嘘だが。
「――ついて来い」
「なんで?」
「……お前、今会わせろと言わなかったか」
「言ったわよ」
「だから案内すると言っているが?」
 国王の言葉が刺々しい。
「急に態度が変わると、信用ならないわね」
「……」
 それはお前の事だと、その場にいた者達は思った。

 玉座のうしろ、青のカーテンを開いて現れた道を進んでいる。今度の壁は黒くぬられ、人が二人並んで歩く事はできないぐらいの細さだ。
「間違って他の道に進んでも、助けてはやらないからな」
「「そんなへまはしない」」
 忠告を促した国王は、一瞬の否定の言葉にまたも苛立ちをつのらせて進んでいった。
 数十分、ほとんど暗闇の中を進んでいた。先に光が見えてくると、そこは、広い洞窟。天井は近いが、幅のある道。リールはずんずんと進み、国王の横に立った。何事だとうっとうしそうにリールを見下ろす国王。剣を取る護衛。――リールの知る国王の中で一番、若い。おそらくアズラルと同じくらいの歳。たぶん、三十歳くらい。目を引く光を放つ金の髪。すべてを見透かすとでも言いたげに鋭いダークブルーの目。しかし、そう睨んでもリールには意味がない。
「返していただけますよね?」
 一瞬、またもその場の皆の行動が止まった。国王はピタリと足を止め、何のことだと言いたげに思案する。
「……あの石か」
 リールは、無言で手を突き出した。もちろん笑顔で。しかし、
「返す事はできない。あれは証拠の品だからな」
「……」
「行くぞ、手間を取らせるな」
 目が合ったカイルに、ため息をつかれた。
「むかつく」
 ぼそっといい。苛立ち紛れにカイルの袖を引っ張った。それすらも面白そうにカイルは受けていた。旗から見れば微笑ましいといえなくもない光景だった。不穏な空気を読み取ったレランだけが目をそらしていたのに。
 豪華な扉、壁に描かれた紋様がこの国の歴史を綴る洞窟。だんだんと灯火の数が減り、闇が深まる。時折、光に写るのはこの国の王の金の髪。闇に混ざるのは人の気配。そして、行き止る道。石の並び。一角を国王が押し、扉が現れた。
「隠し通路――城にはつき物って?」
 からからとリールは笑っていた。
「他言でもしたら首をはねてやる」
 護衛の男が今できないことを残念そうに言った。
「そんな暇人じゃないし」
 この国の行く末は、リールに関係がない。
「口の減らない娘だな、お前。まるで大違いだ」
 面白そうに国王が言う。
「何と?」
「我が妻と」
「妻?」
「ここの王は側室が十二人いる」
「十二!?」
 つぶやいたカイルを振り返ってリールが驚く。
「子どもが九人もいるくせに正室がいない。さぞや、跡継ぎ問題で後宮は荒れ狂うだろうな」
 楽しそうにカイルが言う。人事だから。
「心配はいらない。そちらこそ、次代のエルディスに立つ者は外交にひびが入りそうな王だろうな」
「……」
「選択肢がないのも考え物だ」
「それには同感」
「おい……」
「何言ってんの。事実よ?」
 言い切ったリールをカイルは睨む。
「へぇ、よくわかっているではないか」
「馬鹿にしてる?」
「いや、その点においては話が合いそうだと思うだけだ」
 他の点においては?
「そんなもの言わずともわかろう」

 “理解できない”。

 またも、リールはカッチーンと怒りをつのらせた。
「この同類共――」
ガキィィン――!!
 リールの言葉が終わる前に、剣と剣がぶつかる耳障りな音が響いた。洞窟に反響し、うるさい。どこまでも続いてきた道を音が走るように進み、やがて消えた。一瞬、護衛に目を向けただけだったはずなのに、国王は。なのに、剣から手を放すことがなかった護衛はリールに切りかかった。それを受けたのはリールの腕を引き寄せたカイルではなく、渋面をさらに苦しくしたような顔のレランだ。
「――お前の主ではなかろう?」
 レランの行動に驚いたように国王は言った。
「……」
 言葉を言う事が必ずしも得策ではないとよく知っているレランは、黙って剣を受け止めていた。もし、自分がそうしなくとも、おそらく、いや絶対に誰も傷つく事はない。だが、借りに放って置いた場合、のちに自信に降りかかる災難のほうが深刻だ。王子は、見た目よりも敏感だ。この小娘に関しては。
 降り立った沈黙はとても長いもので、流れてゆかない。どさくさ紛れにリールを腕に抱いたカイルと、剣が混ざり合ったまま動かない護衛の二人。そして、何事も起きていないかのように立つ、国王。
ガキィン!
 先に動いたのはレランだ、その手に持つ大剣で相手の剣を押し返し構えなおす。弾かれた護衛は国王を窺い、レランを見据える。レランの視界の端で、カイルの腕から抜け出したリールが見えた。
キン!
 そして小ぶりのナイフを国王に向けて投げつけたリール。護衛の剣に弾かれて、カラカラと床を滑っている。国王の、足下。拾い上げて、この国の印を見咎めた国王の顔が動く。
「借りたから、返す」
「……」
 いつの間にあの宿屋の食堂からかっぱらったのか。
「……余興には十分すぎるな」
 そう言って一歩進む国王。怯えて端に隠れていた神官に声をかけ、開いた扉に手をかける。
ガジャーーン!!
「「「!?」」」
 上を震わせるように轟音が響き、今進んできた道への通路が塞がれる。
「なっ!?」
 そのまま、至極当然とした顔をして、ニクロケイルの国王と神官と護衛であり重臣は別に開かれた扉を進む。帰路を閉ざされた来訪者は、濃くなる闇に向かい進むしかなかった。
「……結局、何がしたかったわけ?」
「それだけ、この先に国家機密があるってことだろ」
「なんでこんな所まで」
 先を進むカイルとリールに聞こえてはいても、そのレランの嘆きを聞きとがめる者は誰もいない。ましてあの二人は、気に止めもしなかった。

ぼっぼぼっ
 つながった火口を通って、回廊に灯が灯る。石畳で埋め尽くされた空間。丸い天井を持つ洞窟は消え去った。直線が曲線を消し去って、整然と並んだ場所。いくつもの曲がり角、まるで迷路。現れた階段を下りる。垂直に降りていかないことが不思議なくらい、ほぼ真っ直ぐ降りていく。幾段か降り、曲がる。また降りる。下へ、下へ。ここはもう、海の中なのだろうか? ふとそんな疑問がリールをよぎる。
「王様」
 先を行く国王が、上を見上げた。
「ここは、城の真下?」
「そう思うなら、そうなのだろう」
「……」
カツ――ン
 はじめて、靴音が床に反響する。ここが、一番下。水に浮いた城の地下に、洞窟があって回廊があるなんて、誰が想像しようか。水面に浮かんでいるよりも、海の深い所に沈んでいる面積のほうが広いのではないだろうか。かつて、この城は大地の上に作られた。その時、これだけの地下建造物を作ったのだから、さぞや立派な建築士がいたのだろう。しかし今、これだけの城が水に浮いているなど、とうてい信じられない話だ。なぜ――?
「この部屋だ」
 人が出入りするには巨大すぎる石扉。丸く何かを封印するような印が象られている。もう何百年と動かした形跡のない扉。硬く閉まり、沈黙を守る。見下ろすように立つ、存在感。歴史を、見ることない扉。ここにあり、すべてを閉ざした扉。ここが、最終地点――
 国王が鍵を取り出した。よく目を凝らせば、小さく人が一人通れるだけの幅をした扉が見える。
「え? これ開けるんじゃないの?」
「無理だ」
「なんだ」
 残念そうにリールは言う。こんなにでかい扉、よほどの事でもない限り開けないだろう。これだけ大きな扉を開けて、通る必要があるものと言えば――
 鈴やかな音を立てて扉が開く。今までで一番重苦しい扉は、今までで一番静かに、よどみなく開いた。
――!!
 青い光が視界を奪う。水の音がする。水面に向かう泡たちがはじける音。目を見開けばその先は海。海とこの部屋との間に、ガラスで仕切られた空間が合った。そこは広く、そして狭い。周りを石で埋め尽くされた部屋。厚い二枚目のガラスの先には深い海。光も届かない。では、先ほどの青の光は――
 立ち尽くす三人、自然、視界は上に向かう。
「――なんっ!!」
 言葉を失ったリールの視線の先。胸の前で手を組み祈るような格好で、足に枷をかけられた人影が見える。まるで水と見間違えるほどの水色の髪が、一定の水のゆれに漂う。その髪は長く、光と泡が髪を取り巻く。頭の上、右目よりには、一角の角が。下ろされた長い前髪に隠された左ほほは、少し落ち着いた青の鱗が覆う。美しい、青につつまれた……女性――?
 言葉を失った人間を前に、海よりも青く多くの色を帯びた目が開かれる。
「……あなたが?」
 視線はまっすぐに、リールに向けられている。

「感謝する。シャドナスタ国王」
 水の中を泳いで、いや、水が彼女を運ぶように人の近くまで降りてきて彼女は言った。
「いや」
 ガラスの向こうで、水中に浮かぶ女性。淡々とつむがれる言葉。冷酷とは言わないが無表情で。
「アクアオーラ……」
 はっきりと、リールはつぶやいた。彼女のいる世界を阻むガラスに手をついて。その手を向こうから重ねるように手を突いた女性。左手は腰に当てられている。見ようによっては眠そうに見える目が、リールを見据えた。
「私はシーネリー。四獣王の一人、アクアオーラの王」
 不思議な感覚だった。向こうの声はこちらに聞こえ、こちらの声は向こうに聞こえている。伝わる声に、振動されて水が波打つ。
「シーネリー……様」
「ラビリンスの使い」
 “ラビリンス”その言葉にリールは見てわかるほど震えた。
「ヴォルも、セファもラリスも元気だな。皆の意思は受け取とった。またラリスへ……あの石は?」
「どっかの国王様が返してくれません」
「シャドナスタ国王? それは、彼女に返して下さい」
「俺の気がすんだらな」
「……」
 そんなこと思いもしないと、シーネリーは口元に手を当てる。思案するように。
「まずは、質問に答えろ」
「これ以上私に、答える言葉がおありだとでも?」
 国王の言葉に答える気がないとシーネリーは笑う。
「それはそこの娘にも言えることだ」
「……」
 こちらを不審そうに眺める国王に向き直った。カイルとレランは、こちらに注意を向けていながらも、我かんせずと言ったように何も言わない。
「まず一つ、いつこれをシーネリーに渡した」
「渡してはいないわ」
「……ならばいつ手に渡った!」
「あの、本物には到底叶うほどないあの絵の扉の、前の池」
「……」
「ここに、つながっている?」
「あの小さな天窓から入る水は、そこから来る」
 シーネリーが挿した天井。いくつかの穴がそこにあり、水が流れてきていた。
「あの場所から、私は水の中に水晶を落とした。それが、絶対にシーネリー様に渡ると思って」
「よくまぁ、そのように確信できたものだ」
「それは、私の意志じゃないもの。その水晶にこめられた獣王達の意思」
 それが、私の役目。あの扉の先に進む事を拒むように重くなった水晶。まったく、首が折れるかと思った。それにこめられた思いの分だけ、別のもののように重くなった。まして、水面に腰を下ろせばひとりでに切れた鎖。ヴォルケーノ王が術をかけて、私が勝手に外す事がないようにしてあったのに。切れて、水に吸い込まれた水晶。――大丈夫だと思った。
「……で、寝たのか」
「案の定、押しかけてくるし。それに今だって眠いわ。おなか空いたし。いったい何時だと思っているの? 本当に非常識な人が多いんだから」
「……」
 だから、お前が言うなと言い切りたい。
「……しかたない。あとで食事でも用意させよう」
「言っておくが貸付は受けない」
「ならば、一人で帰るのだな」
 なんだってこんなにも仲が悪いのか、そうね、むしろコイツと仲がいいことのほうが異常なのかしら?
「おい……」
「なによ、何も言ってないわ」
 国王と睨みあっていたカイルがリールに声をかけた。
「久しぶりだ。こんなに騒がしいのも」
「……シーネリー様」
「なんだ」
「お聞きしても?」
「どうぞ」
「あなたが、この城を支えているのですか?」
 一瞬、傍目にわからなくとも、誰よりも国王の表情が強張った。シーネリーは腰に当てていた手を下ろして言う。
「そうだ」
 何よりも気高く美しい水龍。その力で、この城を支えろ――
「なぜ、このような所に幽閉されているのですか?」
「私の意志ではない」
「美しいものは、愛でるものだろう?」
 至極当然と言ったように国王が言う。ちなみにこの国王、趣味は希少なものの収集と、世界でも名高い美術品の鑑賞。それは、彼の言う美しいものすべて。
「この場所ではじめて彼(か)の王を見た時、俺は確信した」
「誰も何も聴いてないから」
「この城の特殊な状態と、過去700年前から歌われていた伝承の真実を」
 厳しいリールの突っ込みに、まったく何事もないかのような国王。
(つまり、この国の水事情は見た目より深刻って事か)
 年々増え続ける水の浸食。大地は飲まれ、水に浮いている地区も多い。仮に、地震。いや、津波が一太刀起これば、どうなるか想像できる。今だ安定しない海流。むしろここ数十年が一番ひどいと言ってもいい。
(なんで? 過去の記録から見ても、今年の海流の荒れ方は変だもの。いい加減落ち着いてもいいはずなのに)
 おかしいことと言えば、それだけではない。
「お前、名は?」
 唐突に、シーネリーが問う。
「エアリー・リール」
「そうリール。ありがとう」
「え?」
 まぶたを半分閉じたようにしていて、常に無表情だったシーネリーの顔が一瞬笑った。口元だけの笑みがとても美しかった。
「もう終わりだな」
 丁度時間だと言いたげに王が退出を促す。彼もまたシーネリーの表情の変化を読み取ったらしい。ずいぶんと高揚していた。
「やはりそこにいてもらう」
 彼は王となった時このガラスの向こうにいくつもの石や岩や宝石など、シーネリーの背景を飾るすべてのものを中に入れているのである。美しいものを美しいままで飾るのがとても好きな王である。このガラスも、日々磨かせているとか、いないとか。
「さようなら」
 一礼をして出て行くリール。振り返りもしないカイル。それにレランも続いた。最後に王が部屋を出て、扉は閉じられた。再び暗闇につつまれた部屋の中、一人、シーネリーの声が響いた。
「あなたのような方がいて、本当によかった」

 その後、食事を用意させると王が言ったが、「眠い」とリールの一言で客間が用意された。朝が少し近い時間だが、皆眠りについた。

 と、言う事で。
「いただきまーす」
 朝食をウィルディア城でいただく面々。まぁ、レランはカイルの後ろにいて食べていなかったが。国王は興味深そうにしていた。カイルは、むしろ相変わらず不機嫌。
「別にここでなくとも……」
 呟きは聞かせたかったらしく、大きめに言っていた。しかし、リールが気に留めるはずもない。ちゃくちゃくちゃくと皿を空にしながら、朝も終わりを告げようとする時間にお酒を……
「飲むな」
「……ちっ」
 さすがに、まだ昼前だ。
 料理を賛辞する以外は無言で食事を続けるリール。腹の探りあい、からかいあいをはじめだした国王とカイルなど、目に入ってもいなかった。そして、この場で一番影が薄かったのはレラン。
「もういいな」
 ここの王に貸付を付けるのは嫌がったカイルは、食事が済むと早々に席を立った。
「ま、だ」
「……」
「国王陛下」
「……なんだいったい」
「そろそろ、お返し下さい」
 “いい加減で返せ”
 リールの心情を正確に読み取って今の言葉を言うならば、こんな感じだ。
「そうだな」
 いったい、何を掛け渡したのか――
 まだ何か聞き足りなそうな国王に礼を言い、三人は城をあとにした。

「ん~やっぱり外がいいわ!」
「そうだな」
 なぜか、脱力したようにカイルが言う。
「……これでいいのか?」
「いいわ」
「そうか」
 あと、何をする?
「……」
 リールは石を握り締めていた。ぼんやりと進む足。宿屋に向かい、三人は歩いていた。そこに行くまでには渡し舟に乗り、橋を渡る必要がある。最初の渡し場に来たときですら、リールは少しぼぉっとしていた。

 ねぇ、ラーリ様。これで――

 それでも、カイルは三人分の船賃を支払っている。案内の言葉に任せ、リールが渡し船の中に片足を乗り込ませたとき、それは起こった。
「今だぁ!!」
「!?」
 申し合わせたように、別の船から二人の男が渡し船に乗り込んだ。
「なんだ!?」
「――っ」
 一瞬の気の緩みが、あったと、自覚しても足りない。
「!!」
 レランが入る隙も、カイルが入る隙もなかった。乗り込んだ二人の男が、前方の船から伸ばされた鎖をくくり付けて渡し船が持っていかれる。
「のっとられたぁ!?」
 船渡し場の案内人の男があわてふためく間に、カイルとレランは走り出していた。

 渡しの船の中には、櫂を漕ぐ人も案内人もまだ乗り込んでいなかった。ただ乗客だけがいた。うろたえ、あわて、騒ぐ人。ざわめきだす渡し船の中に怒鳴り声が響いた。
「うるっせぇ!! もっと黙っていられないのか!!」
「……は?」
 ようやくリールは、ここは海の上で、乗り込んでいた渡し船がすでに動き出していると理解した。どうやら、新手かどうかはわからないが海賊の類? しかし、こんなに小さい船をのっとってどうするつもりなのだろうか。
 小さい船ではあるが、それでもしっかりとしている。乗り込んで船尾にある階段。開けた船と言うわけではなく、少しだけ盛り上がって樽のような蓋をされている場所が座る場所。きっと波が荒れていても、乗客がぬれないようにしているのだろう。そこに下りると椅子は左右にあり、片方に六人くらいは座れる。小さな窓は頭の上くらいにある。櫂を漕ぐ場所と手すりがめぐらされた甲板は上。
「ふぎゃーー」
「黙らせろ!!」
 泣き出した赤ん坊に怒鳴りつける男達。ぎろりと、リールは視線を巡らした。中に降りろと言われるうちにもう町の水路を出て海にいるらしい。と言っても、リールにここの地理はわからない。乗り込んでいた乗客はリールが最後、赤子を連れた女性と、老齢の婦人。双子男の子、おじさん。それに、老人に少年。
 対して剣を持って突きつける男。もう一人は座席外で、他の仲間と連絡を取っているようだ。
「女! 何を突っ立っている! 座れ!」
「……」
 黙って、リールは腰をおとす。
「その武器を渡せ!」
 目に見える二つの剣を、引き抜いて渡す。
「いいもんもってんじゃん」
 その言葉に不快感をあらわにすると怒鳴りつけてくる。取り合わないように視線を外すと、怯えている女性と目が合う。
「おとなしくするんだな。言っておくがお前の一言でここにいる誰かが海におちる事もありえるぜ!?」
 叫ぶようにそれだけ言って、男は甲板に上がった。唯一ある入り口を外から閉じられるのだけは避けたい。
「あの……」
「あんだ!?」
 十六歳くらいに見える少年が去ろうとする男に声をかける。一瞬の違和感。まるで偶然のようで、計算されたような行動。
「僕達は、いつ帰してもらえるんですか?」
「帰れると思っているのか?」
 不吉な一言を言い残し、男は今度こそ出て行った。
バァン!!
「……困りましたね。僕にも用事はありますし」
 独り言のようにつぶやかれた言葉。今の状況にあわない。その違和感を傍目にみてはいても、リールは自分が行動を行なう事を優先した。
「……この船を、操縦できる人は?」
「何をする気だい?」
 問いかけたリールに、警戒心をあらわに老人が問う。
「静かに」
 リールは、じゃがれた声の高さを下げるように言う。
「黙っておとなしくしておれば命までは取らんよ。お前さん、何かして殺されでもしたらどうしてくれる」
「生きて帰すはずないでしょう?」
 はっきりとリールは言い切った。
「勝手な事をして殺されてはかなわん」
「……」
「俺は操縦できる」
 険悪な雰囲気がリールと老人の間で流れる。それを遮るようにおじさんが言う。
「お前、この国の外の人間だな。観光客か? まぁそれはいいが、この国で船の操縦ができないのは赤子だけだよ」
「――水の終結地――」
「その通り。それに心配しなくていい、誰だって大事なのは自分の身だ」
「ねぇ! 近づいてくるよ!」
 所在無く窓の外を見ていた双子の片割れが言う。
「……船?」
 合流するらしい。最初、早い速度でこの船を引っ張っていた船との距離がどんどんと縮まっている。二人の男はこちらを見向きもせずに手を振り、縄を用意している。
「何をするつもりか知らないが、」
「ここからもとの場所に帰るのは簡単なのね」
「――? ああ」
 老人の忠告を遮って、リールはおじさんに問いかける。
「なら、お願いするわ」
「お前、何を――」
 男の言葉を最後まで聞かない。リールはきっと、入り口を睨みつける。
すうっ
「っきゃーーー!?」
 ある意味でわざとらしい悲鳴が響いた。乗っていた人たちが何事かと目を丸くする。
「なななっなんだ――ぐぇ!?」
 叫び声に驚いた男があわてて入り口を開ける。覗き込んできたところを狙って中に引きずり込ませ、首を絞める。そのままみぞおちに一発。
「おい――? どうした?」
 もう一人がいぶかしんで入り口に少しだけよる――次の瞬間!
「――」
 しゅっと、風を切ってリールが甲板に上がり出た。
「おまっ!?」
 すかさず長めのブーツに隠してあったナイフを投げつける。
「ぎゃ!?」
 男が驚いた瞬間。突き飛ばして手すりに叩きつけた。
「おーーい?」
 大きな船の上から声がかかる。下ろしていた梯子を上ってこないことを不思議に思ったようだ。甲板に上がってきたおじさんと老人が驚く間もなく、リールは甲板に置かれていた剣を拾い、梯子を上がり始めた。すばやく。
「おい? ――なんだおまっ」
 おそらく下っ端らしい男が言葉を続ける事はない。甲板に上がりあがりながらばっさりと切りつける。さほど、深くはない。
「何者だ!?」
 うめき声とただならない空気に、船に乗っていた乗組員。いや、海賊の仲間達はリールを睨みつけた。
「ただの旅人よ。ただし、」
 切っ先を突きつけ、前を見据える。
「私が乗っていた船をのっとった事を後悔させてあげるだけ」
 それからあとは、海賊達の悲鳴だけが聞こえていた。

「なっ」
 ぎゃーと、悲鳴が聞こえる。この上に登った女は大丈夫なのだろうか。
「助ける気でもおきたの? まっさかね、さっきまで自分の身が大事だって言ってたし」
 少年が、にこにこと出てくる。
「何……?」
「ほら早く行った。彼女の足手まといは早々に去るべきでしょうね」
 そう言って、少年も今だ下ろされたままの梯子に足をかける。
「お前も行くつもりなのか?」
 驚愕しておじさんが言う。それには答えず、少年は渡し船を蹴り飛ばし、横付けされていた状態を少し引き離す。
「何をぼーっとしているんですか? まさか、赤子でも覚える船の操縦ができないとでも?」
「まさか……」
「彼女は囮を買って出たんですよ」
 気がついていなかったのかとでも言いたげな少年。
「役立たずは、早く帰ってくださいね」
 にこやかに少年が言い切って、渡し船をあとにした。呆然と立ち尽くした老人を置いて。
 すぐさま呆然と立ち尽くす老人を残し、おじさんと老婆は渡し船を漕ぎ出した。
 そう、小さな赤子の乗る船を――

 息を切って、カイルとレランは走り出した渡し船を追っている。海に飛びこめと言われれば飛び込まないこともないが、追いつくまでに体力が奪われる。どうも海賊らしい。何が目的で――
 そうこうするうちに渡し船は町の海路を離れ、海に出てしまった。
「――ちっ」
 舌打ちをして見送る。と、うしろから警吏と渡し場の案内人があわててやってきた。
「おい、お前」
 そこには警吏の上官もいるのに、皆、道の終わりに立つ男(カイル)の威圧感に恐ろしさを感じた。容赦なく案内人を睨みつけて、カイルは言う。
「いったい、あの船に何を乗せている――?」

「十四!」
 その言葉の通り十四人の海賊を切り捨てて、リールは剣を構えなおした。
「まだ来ないの?」
 余裕を見せ付けるかのように笑う。
「この女……」
 逆上して手でも足でもすべらせてくれればリールの狙い通りだ。
 二振りの剣を構えることにはなれないリールでも、この人数には両手に剣を持たざるを得ない。
(もう、平気かしら?)
 泣いていた赤子は安全な場所に、怯えていた双子は親のもとに。
(大丈夫、よね)
「どこを見ている!?」
「……」
 大柄な身体を俊敏に動かして襲い来る男。少しだけ海に向けていた視線を戻して剣を振るう。
「――っ」
「はーーはっはぁ!」
 思いがけず肩に痛みが走る。――どうやら、男の武器は目の前の大剣だけではないようだ。
「やってくれるわね」
 片方の剣を鞘に戻して、リールは男を睨みつけた。

「何、と申されますと?」
 冷や汗を流しながら、案内人が問いかける。
「俺の質問に答えろ。あれは、人を乗せる以外の目的に使用しているなと聞いている」
 はっきりと震えだした案内人は、かすれるように言う。
「それは、もちろん。例えば積荷や、」
「中身は?」
「………」
 いつになく、カイルは機嫌が悪い。誤魔化そうとそうとする者から切り捨ててもおかしくないくらいだ。実際、何か起こればレランに切り捨てられる。例えば、逆上して襲い掛かれば。
 しかし、そんな命知らずはいないようだった。ただならぬ気迫に押し黙る。それもまずい。
「……毒薬か?」
「そんなばかな! ――っ!?」
 即座に否定した男。――もう、逃げられない。
「では?」
 一段と笑みが濃くなったように、まるでカイルは尋問するようだ。
「あの、船には……」
 答えを聞いたカイルとレランは、驚愕に目を見開いた。

「おっと、鈍くなったなぁ」
「………」
 事実だ。確かに、最初に比べればリールの動きは鈍い。
「おい!? あれはまさか!?」
「あんだよ! 邪魔をするな――なにっ!」
 にやりと、リールの口元が笑う。渡し船が、町の水路に向かっているのがわかる。今の今まで気がつかなかったとは。
「まぬけね」
 小ばかにするようにリールはつぶやいた。
「お前……まぁいい。お前を憂さ晴らしに切り刻んでやる」
「無理よ」
「何」
「そんなに、とろくないわ」
 リールの言葉が終わらないうちに、甲板に立っていることが許された三人の男達は同時に襲い掛かった。

「おい!! あれを見ろ!!」
「船が帰ってきた!」
 警吏と案内人が指差した先に、渡し場の船が見える。よく見れば、その向こうに海賊船。今では水路を滑走した面影はなく、海賊旗がはためいていた。
 近づいてくる船。出てきた男が碇を下ろし、縄をこちらに投げてよこす。嬉々として案内人が港に到着を促す間に、カイルは問いかけた。
「中にいるのは全員か」
 その、ほぼそうであるだろとでも言いたげな言葉に、男は苦いものでもあるかのごとく答えた。
「いや、オレンジの髪色をした旅の女剣士と、赤茶色をした髪色の少年が、あの船に残った」
 そう言って指された海賊船。カイルは頭をかかえ呻いた。
「リール」
「なんと! まだ人があそこに!?」
「ああ、囮となってくれた。――誰か、手を貸してくれ。婦人方は怯えきってしまっている」
「おい! 何人か中に!」
「それより前に船を出せ」
 低い声でカイルは警吏を脅した。
「なななっ! なぜに……?」
「聞いていなかったのか? 連れがまだあそこにいる」
 カイルが警吏の上官を脅迫しているのを横目で見ながら、レランには渡し船を操縦しここまでやって来た男の言葉が引っかかっている。
(赤茶色の髪をした、“少年”?)
 まさか、な―――

 形も大きさも違う剣が三本、リールの身体を引き裂こうと襲い掛かる。
ガキン! ガキーン!! ざしゅう!
(一人、二人、――三人!!?)
 一人目の剣を受け流し、男を床に倒れこませる。二人目の剣を受け止める。しかし、三人目の剣がリールを襲う――前に三人目は倒れた。背中に、突き刺さった槍。
「おい!? どうした!」
 リールと剣を交える男が声をかける。倒れた大男のうしろに、見える人影。
「誰だ!」
「こんにちはーーお邪魔してます」
 あっけらかんと、少年の声が響いた。
「誰?」
「なんだ貴様!!?」
「ひどいなーー僕はあの船にいましたよ。なのに、誰だなんて」
 ぷりぷりと怒るように、ほおを膨らませている少年。そして、その顔は海賊に向けられる。
「まさか、なぜ僕が海賊に名乗らないといけないのですか?」
「な……」
「……」
 そういえば、いたわね。
 絶句する海賊を余所に、リールは頷く。
「思い出していただけて光栄です」
「はぁ……」
「どっちにしろ殺してやる!」
 われに返った男が剣を突きつける。しかし、その剣は少年に届く前に手から落ちた。
「あらま、おしい」
 ちっともおしくない。槍と剣では、届く範囲が違いすぎる。
「もうちょっと長い剣を持っているといいですよ」
 声は、聞こえない。
 どおと倒れた男の腹に穴が開いている。引き抜かれた槍から血が舞う。
「とっ! 飛んでいませんか?」
「いいえ」
「そうですか。――それでは、申し訳ないのですがこの船を動かすのを手伝っていただけませんか?」
「いいわ」
 いきなり現れた少年の実力に驚きながらも、快くリールは頷いた。

「お前、あの女の知り合いなのか」
「そう言っている」
 強引に警吏に船を用意させるカイルに、おじさんが声をかける。
「そう、か」
「……何をしたんだ?」
 何かしたのか? ではなく、何をしたか。
「……よくわかっているんだな」
 あの女の事を。
「……」
 少しだけカイルは沈黙し、言った。
「何もしないとは考えられない」
「そうだろうな。――どうも、赤子を無事に逃がしたかったようだな。それと、子どもを」
「……」
 カイルの視線の先に、陸地に出てきた母子と双子の子どもが目に入る。
「本当なら俺達がする役目だ。しかし、俺はこの船を無事に港に戻す必要がある」
「……ならば」
「おい! あれを見ろ!!」
「――?」
 うっとうしそうにカイルが視線を向けた先。海賊船が港に近づいてくる。
「整列! 攻撃準っ」
 攻撃を始めようと支持する警吏の上官を剣の柄で昏倒させる。あわてふためく警吏を無視して、カイルはリールの無事を知った。

「もう、いいですよーーあとは風に任せて」
「そう」
「あ、でも僕が合図をしたら碇を下ろして下さいね」
「……」
 どっちなのよ。
 いわゆる命の恩人? になりきらない少年をリールは睨む。話を聞くとリールがはじめ甲板に上がったあとすぐ梯子を上ってきたらしい。なんですぐ出てこないのかと問い詰めると、だって怖いじゃないですかとはぐらかされた。
「何よ、あいつ」
 なんだか、よく似ている気が、
「――しないわね」
 もう、港は目の前。気づかうような視線が向けられている事に気がついていた。

「おーらい!」
 掛け声と言いたげなつぶやきと共に、少年が港に船を横付ける。梯子を下ろしてリールが船を下りる。
「大丈夫か?」
「ええ、それに、彼が助け」
「女!」
 言葉が終わらないうちに、声をかけられた。途端に不機嫌になったカイルが、うしろを振り返ると、ひっと息をのむ音がする。リールが肩越しに視線をむけると、老人やおじさんがいた。声をかけたのは老人らしい。息を飲んだのは背中を支えられて起き上がっている警吏? あ、そうだ。
「あの船、海賊達が伸びていますから」
「は?」
 汗を拭きながら、警吏の上官が問い返す。
「捕まえるなら今。逃がすなら放置」
「お前たち! 全員縛って来い!」
「「「「「は!」」」」」
 ばたばたと警吏たちが梯子を上る。
「他の方々は無事で?」
「ああ、今さっき迎えが来た」
「お前さんに、礼を、と」
 老人が一歩踏みでて言う。
「私だけではなくて、彼にも」
 リールは遮って上を仰ぎ見た。そこには、警吏に邪魔されて梯子を下りられなくなった少年がようやく下りてくる。
「こんにちは」
 一瞬、ほんの一瞬。少年とカイル、レランの視線が合わさった。
「――誰だ?」
 カイルは、リールに聞いた。
「途中から、助けてくれたわ」
「……」
 ひくりと、少年の顔が引きつった。
「――そうか、連れを助けてくれて礼を言う。そうだな、礼をしたいんだが俺達はここニクロケイル(ここ)に詳しくない。どこか、落ち着いて食事ができる場所を知っているか?」
「……ぇえっと。そうですね。では案内します」
「そうか。行くぞ」
「はいはい」
 何か言いたげな警吏を二人して無視し、すまなそうな老人と感謝するおじさんに声をかけ、四人は歩き出した。

「ここなんていかがですか?」
「どこでもいい。条件に合えば、な」
「それでは」
 少年の言葉通り、道を歩いてきた。さっきの港からさほど遠くない。路地を入り、日陰。あまり日当たりのいいとは言えない場所を通り、路地をまた曲がる。それなりに光の入る道に出て左手、五番目にある宿屋に到着した。
「いらっしゃい」
 中は薄暗く。少し狭く見える。カウンターのおじさんに視線を向けただけで、少年は一番奥の席に案内した。店の背側にリールとカイルが座り、店の中を一望できる。それほど広くもない上に、眺めもあまりいいとは言えない。反対にレランと少年。六人掛けのテーブルは、静かに埋められた。
「ご注文は決まりしだいお呼びを」
 水の入ったコップとお絞りを置いたおじさんが去る。しばしの沈黙。一口、水を口に含んだ少年。
 コトリと、コップがテーブルに置かれる。
「お久しぶりです、エルカベイル様――」
 まだ。沈黙していた。不機嫌そうなカイルの表情は変わらない。
「――っと、カイル様とお呼びすべきでしたか」
「……知り合い?」
 どこか呆然と、半ば納得しながらリールがカイルに問いかけると、足と腕を組んで目を閉じていたカイルがリールを見る。
「俺の、護衛の一人だ」
「まだいたの」
「いるな」
 まだいるんかい。あきれたようにリールはカイルを見た。
「はじめましてエアリー・リール……さん。カクウ・イアクと申します」
 途中で、カイルに睨まれて“さん”をつけたとリールでもわかった。
「そう」
 退屈だと言いたげにリールは返事を返す。
「……食事にしますか?」
「そうしろ」
 カイルが言い切った。

 カウンターに行き、何かを注文するカクウ。三人は各自水を飲んだり、手を拭いていたり。
「すぐ作ってくれるそうです」
「そう」
 おなかすいたとリールはつぶやく。
「しかし、本当に久しぶりですね。くるなら一報下さればいいのに」
「まだ連絡を取り合っているんだろ」
「ええ、セイジュと、レランさんと」
 レラン“さん”? それに呼び捨て。リールはなるほどと手をついた。カクウの中での二人の位置か。
 言葉を切ってあさって向くカイルに、この会話は打ち切られたと悟ったカクウはリールに声をかける。
「何か飲みますか?」
「そうね」
 二人の中で、心が通じ合った。“お酒”。もう昼間だからと、カイルが言う事はなかった。
「何がいいですか? ちなみに、品揃えは抜群です」
「おすすめで」
「“おすすめ”、ですか……?」
「何よ」
「以外に、難しいことを言うのですね」
「は?」
「僕達は、初対面ですけど、間に王子を挟むとなると……」
 真剣に悩むカクウ。彼も、あのカイルの連れている女性に純粋な興味と、どう対応すべきかわかっているらしい。しかし、
「それ、言っていいの?」
 その“王子”は椅子に腰掛けて足を組んで偉そうにしていた。こちらの話などどこ吹く風で。一応の偽名は知っているようなのに。
「大丈夫ですよ。ここにいるのは皆、同じようなわけあり人ですから。それに、その一言で首が飛ぶと、身をもって知っている者達ですし」
 暗がりで、幾人かの他の客達の気配が動く。聞き耳を立てられていたことは知っていたが。
「……嫌な奴」
「ちなみに、ここにいる半分は僕の仲間ですから。では、用意しますね」
 そう去り際に言い残してカクウは席を離れた。何かカウンターの中の男と話しこんでいる。
「変な奴が多いのね」
 リールは、カイルに言い切った。
「……そうだな」
 少したって、カクウが帰ってきた。瓶とグラスを持って。
「まぁ、スポンサーもいることですし――こちらは?」
 この店で、一番いいお酒。
 にやりと、リールとカクウは笑いあった。――とてつもなく、まともでない顔で。
「飲んでみたかったんですけど、残念ながら僕の給料じゃ手も届きませんし」
「そんなに安いの?」
 少し、意外そうにリールは言う。
「ええ、割に会わないと思いますよ。だって、どれだけ僕達はこき使われていると思っているのか……」
 誰かに聞かせたいがために、カクウはさめざめと言い出した。
「……もっと真面目に仕事をするんだな」
 カイルは、言い切った。
「そんな! 今よりがんばれだなんて……」
「白々しい。まともに報告書も書かない奴が」
「あれって、けっこう大変なんですよ、王子。直に伝えたほうが、重みがありますしね」
「だったら、伝えに来い」
「交通費」
「自腹だ」
「そんなぁ王子ぃ~」
「まともに書くんだな」
 報告書。
「まともに書いても帰ってくるんですが」
「気に入らないからな」
「……」
 ええ知っていますけど。
 カイルの正確を再認識しつつ、カクウは瓶を開けた。

「「かんぱーい!」」
 かちんと、グラスがなる。三人は口をつけ、レランはそのままグラスを置いた。いつもいいものを飲みなれているカイルでさえ、目を見張る。
「おいしい」
「そうでしょう!」
 そう言って注ぎ足すカクウ。
「どんどん行きましょう。次も」
 すでに、もう三本用意してあった。リールも笑う。
「お待ちどう」
 食事とつまみとお酒がばっちり用意され、宴会となった。

「……まったく、酔いつぶれて眠るまで飲む奴がどこにいる」
 そう言って、しかし特別起こっているようには見えないカイルはリールを抱き上げた。床に転がる酒瓶を見る。――じゅう……?
「店主、部屋を借りたいのだが」
「もう、用意してあります。カクウ様に言われまして」
「そうか」
 鍵を受け取って、カイルはカクウを担いだレランを振り返る。そしてまた店主に向き直る。
「代金はまとめて言え」
「畏まりました」
 恭しく頭を下げる店主をうしろに、カイルとレランは階段を上がった。

 リールを寝室に連れて行き、ブーツと上着を脱がせて寝台に寝かせる。
「……ん……」
 寝返りを打ったリールの額にかかる髪を、手を伸ばして払う。
「……」
 静かな、沈黙。

 レランはカクウを寝台に寝かせ、四つの部屋につながる部屋に戻ってきた。入り口はここ。寝室が中に四つ。置かれていたお湯でお茶を入れる。十分に茶葉を蒸らしきった頃、小娘を連れて先に寝室に入った主が出てくる。椅子に座り、本を取り出す。
「あまり、飲まれなかったですね」
「そうだな」
 さほど興味無げに、カイルは答えた。
 そのうちにカイルも寝室に向かい眠った。レランはその部屋のカイルが寝る寝室の前に立っていた。

「おはよーー」
 朝になって、のんびりとリールがおきてくる。
「よく寝たな」
「そうね」
 すでに、起床し本を読んでいるカイル。さすがのカクウも、あくびをしつつも主より遅くおきるわけには行かないと早く起きていた。レラン? 言うまでもない。
「王子ーー食事にしましょうよー」
「そうだな」
 そう言ってカイルがリールを連れて部屋を出た。
「え? 置いてかれた!?」
 出遅れたカクウを残して、レランはあとを追った。

「「いただきまーす」」
 そして、食事。元気に挨拶をするリールとカクウ。黙々と食べ始めるレラン。カイルは、どうもまだ起ききっていないようだ。飲み物のカップを前にぼーっとしていた。
「……!」
 おいしそうに食べるリールの斜め前で、カクウが食事の手を止めた。本人はこっそりのつもりだろうが、ばればれで緑の野菜をレランのさらに移す。
「おい……」
 カイルがつっこんだ。
「だってーーこの野菜嫌いなんですってーー」
「二十歳も過ぎて」
 レランはポツリとつぶやき、頭を抱えた。
「……年上?」
 どー見ても十六歳。驚いたようにリールが言った。
「ひどいですね」
 カクウは苦笑した。
「確かに僕は二十一歳で皆さんの中で最年少ですが、セイジュよりましでしょう?」
「なんで?」
 リールは聞いてみた。
「彼は馬鹿ですから」
 カクウはにっこりと、その少年のような容貌に合わないことを言い切った。そして、誰も何も言わなかった。無言で肯定していた。特にレランは。

「で、どうする」
「どーしようかなーー」
 正直、リールもこのあとどうすればいいのか決めかねていた。言われた事はした。あとは? 王達が動くのを待てばいいのだろうか。でも、そう簡単に動けるわけではないし。一度、帰れば……
「……」
 そこまで考えてリールは首を振った。まるで、ただラーリ様に会いたいがためにやって行くみたいだ。自分のすべき事はすんだとばかりに。これでずっと共にいられるとばかりに。でも、
 だけど……
 用事を終えた私は、いらないのだろうか――

「おい?」
 がくがくとリールを揺さぶったカイル。はっとリールは顔を上げる。心配するように、端からカクウも覗き込んでいた。
「大丈夫ですか?」
 ちょっと意外そうにカクウが聞く。そんな風に愁傷な感じは受けなかっただけに。
「何か言った?」
「え゛!!? なな、なにも!」
 リールとカイルに睨まれて、カクウはあわてふためいた。
 道は狭く、人通りが多い。観光客も町人も皆、道を歩き、進む。商人の声が聞こえる。あてもなく、一行は道をふらつく。
 次は、どこへ?
 行き先の決まらない不安。このまま、帰らなければならないのだろうか。ふと、カイルによぎる思考。

「あ、いたいた~~王子~~国王陛下から伝言です。」
 と、道の向こうから声が聞こえる。瞬間、レランがセイジュの首もとに剣を突きつけた。
「ぅううおおおい!! 何する!?」
「声がでかい」
 人々は、何事かと目を向ける。
「やめときなさいよ。余計目立つわよ?」
「そうですね」
 リールの忠告と、カクウの同意。
「……なんだ?」
 王子――カイルはセイジュを見た。国王――父上の伝言?
 道の端により、突然現れた場違いな馬鹿に皆の視線が向かう。一呼吸置いて、セイジュは言った。

「これより四大会議が行われる。お前が行け。」

「おい、なんだと……?」
 後ろで低い声がする。再び剣をぬいたレランがセイジュに切りかかる。
「なんだよ! 俺はいつものように木の上で昼寝してたらやって来た国王陛下に「たまには仕事をくれてやる。あれに伝えろ」って言われてきただけなんだぞ!!」
 やっぱり馬鹿だ、カクウは再認識。リールはここまでアホかとあきれている。
「だからと言って、お前はなんと言う口の聞き方をするんだ!!」
 容赦ないレランの一撃。
「ぎゃひーー!!」
 セイジュは逃げ出した。
「待て! 貴様!!」
「会議はどこであるんだ?」
「あ、ここだそうですよ。ニクロケイル」
 父親の意図を読みきれず、カイルは眉をひそめた。
「なんのことよ?」
 リールは問いかけた。
「――昔、キリングタイムを止めた王達は五年に一度会議を開こうと定めた。それぞれの国の状況や、情報の交換のために。王達が集まって会話を交わすだけでも、十分に会議を開く意義がある。ただ、シャフィアラの王だけは参加していない、過去参加していたかもわからない」
「なんで?」
「公式に、会議を開いていると記録がない」
「そうね、そんな話初めて聞いたわ」
「……」
 ふと、この小娘に話していいものかとレランは思う。――無駄な考えだとすぐに打ち捨てたが。主が小娘といる限り、エルディスのことも各国の事も筒抜けだ。
 さて、カイルとリールが真面目に話をしている間、こそっと逃げようとしたセイジュはレランに襟首をつかまれていた。
「まぁ、いい。つまり、父上は来ないという事だな」
 とすると……
 カイルが思案する中、リールが声をかけた。心なしか、震える声で。
「つまり、エルディスとアストリッドとニクロケイルの王が来るの……?」
「……? ああ、そうだがエルディスの代表は俺と言うことに……」
 もう、リールは話を聞いていなかった。その事実に驚愕し、震えている。
「……リール?」
 次にかけたカイルの声に、リールははっきりと顔を上げた。その顔に確信が浮かび、そして微笑んだ。レランに寒気を運ぶには十分な笑みだ。
「ねぇ、お願いがあるの――」

 リールの申し出はこうだ。
「会議に参加させてほしい」
 ――違うか。何か、提案か言いたい事があるらしい。各国の王に。聖魔獣に関係がないと、考えるほうが無理だ。もちろん、参加する事自体は問題ない。
 会議に参加できるのは、各国の王、次の王位継承者。それぞれ護衛は二人まで。それと、会議の存在を証明する意味で、会議を行なっていると知る一番地位の高い貴族や大臣などから選ばれた一人が視聴する。質問や、意見の発言も許される。民の意見を聞く事も重要だとの意見が、かつての王達から発せられたおかげだ。
 つまり、レランとセイジュを護衛につければエルディスの視聴者の席があまる。そこだ、俺が言いたいのは、父上は俺が、そこに誰を選ぶかわかって行かせているのか? もちろん、空席でも問題ないが。
 ちなみに、カイルの頭にカクウのことはもうない。
「何がしたい」
 いつになく真剣にカイルはリールに問う。
「――それは……」
 これまでの行動に見合った理由を聞くまでは、参加させるわけにはいかない――
「あのぉ~~」
 場違いなほど、高い声。
「移動しましょうよ」
 もっともなカクウの意見だった。
 再び宿屋に帰る。飲み物と食事を部屋に運ぶように指示して階段を上がる。あっさりとレランとセイジュとカクウを部屋の外に残して、扉を閉じた。

「……あれま」
 のほほんと、カクウがつぶやく。
「置いてかれましたね」
「出遅れた……」
 セイジュが呻く。
「……」
「丁度いいぜ、下でなんか食おう」
「そう言えば、あなたまだいるんですね」
 冷ややかなカクウの声。
「お前こそ、まだニクロケイルにいるんだな」
「……」
 睨みあう二人に目もくれず、レランは扉越しの壁に寄りかかる。
「ありゃま、行かないの?」
「行きたければお前達で行ってこい」
「じゃ、僕も……」
「お前も来るんだよ」
 カクウは、セイジュに引っ張られた。
「なんでですか、僕があなたと食事に行く理由はそこらへんの虫の大きさほどもないって聞いてますか!」
 ずるずると、セイジュはカクウを引っ張られて階段を下って行った。
「……騒々しい」
 レランは、こめかみに皴を寄せていた。ゆっくりと息を吐き、緊張をほぐす。
「……主は……」
 話すつもりなのだろうか。あの渡し船には、ここ数週間納品が途絶え困っているエアリアス家の薬が積み込まれていた、と――

「……」
 部屋の外の騒々しさが収まると、部屋の中は沈黙したまま動きを止めた。
 このまま、黙っていたら、どうなるのだろうか。そんな考えを、リールは頭の中から打ち消す。言葉をつむごうと唇を開くも、音にならない。
 そんな様子を見るわけでもなく、カイルはただ椅子に座っている。
「――どうした?」
 むしろその沈黙ですら気にかからないカイルが自ら声をかけてくれたのは、リール自身を気づかっての行動だとわかる。
「……昔」
「……」
 静かに、カイルはリールを振り向いた。
「ラーリ様と、約束をしたの――」

 それから数週間、カイルとリールとレランとセイジュにカクウ。騒がしい面々を含んだ一行はニクロケイルに滞在した。会議が始まるまで、そして、会議が開かれるまで。

「く、苦しい……」
「日ごろの行いの差だ」
 きっちりと軍服を着こなせていないセイジュ。一番上のボタンまで留め、苦しげに呻く。隣に立つレランはどこ吹く風で、普段着こなしている軍服に装飾品が一つ。それとエルディスの紋章。
「うわあ、似合いませんね」
 そんなセイジュを一目見て、カクウが一言。
「特別変わりありませんね」
 レランにも一言。
「あえてゆうなら、豪華に飾り立てたとでも言うべきでしょうか」
 そしてまとめ。
「「……」」
 二人は嫌そうに顔をしかめた。
 そこへ、扉が開く音がする。外で待っていた護衛は主を出迎える。
 ダークグリーンの礼服に身をつつんだカイルと、水色ともうす緑色とも取れるドレスを翻すリールが現れる。
 リールは肩を覆い少しだけ胸元の開くドレス。裾は長く床まで届き、たくさん使われた布が真っ直ぐに下りる。すっかり靴を隠してしまって、履いているのが普段のブーツだとわからない。
 カイルは胸にはエルディスの紋章、さらにそれをから伸びる紐ですら編みこまれる。しかし、髪はいつものようにまとめ上げただけ。
 二人とも、適度に面倒は省いていた。レランが頭を抱えようとするのも無理はない。
「ぉお、似合いますね」
 セイジュの言葉は棒読みだ。
「お世辞?」
「切れ」
「……」
 無言で、レランは剣を引き抜いた。
「ぅぅううおおいーー……おーい?」
 あわてふためく間にセイジュは置いて行かれた。

「開門」
 ウィルディア城門が開く。表向き普段と変わらない様子の町、海。人々。すべてをかい潜って、四大大国のうち三国の代表が到着していた。
「失礼します」
 案内に立った神官が、また、同じ神官が道を進む。一瞬、この前とほとんど変わっていない面々に怪訝そうにした。表情も何も変わっていなくてもわかる。空気で。
「――気乗りじゃないのね」
「ああ」
 カイルはリールを気づかうように腕を寄せ、リールはその腕につかまっている。――人々にはさぞや仲良く映ることだろう。いつになく接近した二人は、こそっと会話を楽しんでいた?
「はじめて?」
「いや、――それでも数年は前だな」
「何が嫌なのよ」
「会議を開いていると言えば聞こえはいいがな。どうせ、父上が来ていないことに対して小言を漏らされるな。それに、まだ若いと言ってあまり重要には取り扱わない」
「……よくわかってるのね」
「……」
 身も蓋もない。
「ここのところ、あまり国同士で仲が良いとは言えないからな」
「――?」
「自国で手一杯と言う印象を受ける」
「ここも?」
「エルディスも、ここも――」
 ニクロケイルも? リールは少し、驚いたようだった。
「どこも大変なのね」
「そうだな、数年前とはまた、事情が違いすぎる」
「……」
 ふと、沈黙したリールをカイルは見下ろした。
「それでも、やるのか?」
「約束よ」
 時が、来たら―――
「そうか」
「こちらでございます」
 立ち止まって見上げた先の扉。あの水牢の部屋であることに、三人は驚愕した。
「なん、で?」
「こちらのほうが、雰囲気が出ると王が」
「そうじゃない」
「……?」
「私達が来たときより近いけど?」
「この通路は、会議が終わり次第塞ぎます」
「大掛かりね……」
「何の話ですかぁーー? でぇ!?」
 レランに黙らされたセイジュは黙認された。

ごぉん
 ゆっくりと扉が開く。
「どうぞ、王達はすでに」
 すでに出遅れたか。カイルは舌打ちをする。約束の時間までゆうに半刻はあるというのに。
ざぁぁあ――とぷん
 水が流れて、演奏が止んだ。

「お嬢様はこちらに」
 促されて、リールは入り口近く(と言っても遠い。単純に王達より入り口よりだというだけで)の席に腰を下ろす。カイルとレランとセイジュはそのまま進み、エルディスの色である緑を飾られた席に着く。護衛の二人は、うしろに立った。
「ずいぶんと余裕だな、女と暇を持て余すほどにか」
 さっそく、アストリッドのノルラド王から激励が飛んできた。
「ええ、まだ干からびない程度に」
「……」
 ここに来て不機嫌になる理由の一端は、本人の性格の所為だとリールは確信した。
「エルディスの王子よ、カルバート王は?」
「国王は来ません」
 その一言に、場が静まり返った。
「それはまた、こんな大事な場に来ないなど相応の理由あってのことですか?」
 初めて聞く声にリールが視線を向けると、シャドナスタ国王の横に青年がいる。よく見ればノルラド王の横にもいる。――つまり、各国の王子達、か。ニクロケイルは王位継承権問題で荒れそうだとカイルは言ったが、何が問題となるのだろうか。
「さぁ、私には計り知れませんが?」
「……」
「まずは皆様、開会の式に移りたいと思いますがいかに?」
 会場となったニクロケイルの神官が言う。
「そうしろ」
 シャドナスタ国王の一言で、開会に移るらしい。いまだに始まってなかったのかとリールは少し呆れ顔だ。だって、始まったあとより前のほうが楽しそうだ。
「では皆様、お立ち下さい。――先の王達、そして国を立てた王達の栄光と功績を称え――」
 長くなりそうだとリールは読んだ。

 そして長かった。

 再び椅子に腰掛ける頃には、もうリールはあきていた。目の前で繰り広げられる性質(たち)の悪い男共の腹の探りあいなど興味ない。同じく視聴に来ていた神官はなれたもので、涼しい顔で受け答えを一字一句逃さずといった感じで聞き入っている。もう一人アストリッドからやって来た老齢の男性は、黙して何も言わない。表情も動かない。
 型にはまったような笑みを崩さない神官と、無表情でただ前を見ている老人。その横に座ってあきれているリールが、一番異質だった。
 しかし、かといって聞き流せるほど軽い話でもないことは確かだった。ゆっくりと椅子に座りなおし、話を聞く。言葉の端々に隠された棘と毒と皮肉を取り除けば、なんとも真剣なお国事情が読み取れない――事もないような気がしてくる。
 アストリッドとニクロケイルで一番の問題は環境によるものらしい。砂漠化する土地と、荒れ狂う海。エルディスでは領地内外での反発が、そろそろ見過ごせなくなっているようだった。
 ここで一つ補足をするならば、エルディスを除く三国はその国自体が一つの国として働いている。エルディスは違い、他国をまとめ上げているだけの存在。収める土地の中にさらに国があるようなものだ。かつてキギロン王は各国を吸収してではなく、他国との同盟を結ぶことによってエルディス国を作り上げた。国の中に含ませてしまうことなど、簡単であっただろうに。
「ですから! わが国の――」
「フェイル、口を慎め」
「……はい陛下」
 ニクロケイルの王子は、まだ若い。そうか、若いだけに実力が伴わなければ、下からまだ王座を奪われる。
「ここ数年、天候がとても不安定です。思ったように収穫は望めず、民は不安にかられています」
 アストリッドの王子――バイアが言う。
「確かに、海のあれもひどい」
 シャドナスタ王も同意する。
「砂地は増えるばかりだ、盗人は砂の海を横断している」

(――なんつーか)
 辛気臭い。暗すぎる。
 あまりにいろいろと駆け巡って話が進むので、リールにはどうも事実がつかみにくいところもある。

「まぁ、そんなに気に病まれるなら国に帰ってからでもよいかと。天候以外にお話は?」
 神官が口を挟んだ。即座に睨まれる。ひくっと、息を飲んで神官は沈黙した。
「―――まぁ、よかろう」
 早々に視線をそらしてノルラド王は言う。
「もう、よしとすべきだ。こんなもの過去を立てるだけにしかすぎない」
 早々に、切り上げるらしい。
 皆何も言わない。ぁあそうか、今はもうこんな会議なんて誰も必要としてないのか。王達は仲が悪いとカイルが言ったが本当のようだ。――? 一瞬、不満そうにカイルの顔が歪んだ。

(……? なんで?)
 むしろ、真っ先に帰りそうなのに。

「――ゴホン」
 わざとらしい神官の咳払い。
「では、閉会の式に」
 本当に閉会にするつもりらしい……。誰も反対しないし。
 シャドナスタ王が自国の神官に声をかける。最後に視聴者が一言述べる事になっているからだ。
「私は、変わらずここに出席し、各国の王に拝謁できた事がとても嬉しく、また誇りに存じます。そして、五年後も」
 しっかりと自分の主張をしているし。
「エイダル」
 ノルラド王は問いかけた。目を開いた老人は立ち上がって礼を取ったが、やはり何も言わなかった。
「……」
 つまらないわね。何か言ったらどうなのよ。
「リール」
 ふと、老人を見て、その先が視界に入る。やはり、おかしい。この部屋に入って、水牢は変わらずにある、なのに、いない――いたはずに位置に丁度言った視線が、動かなかった。
「……リール」
「はい?」
 二度目の言葉にはっと前を向いた。視線が刺さる―――何よりも刺々しい視線はレランだって言う……
 睨み付けてくる視線にまず睨み返してから、前を見た。円を囲むように座る王と王子たちの視線を受けて、先を見据えた。
「一つ、申し上げたい事があります」
 何があっても、これだけは叶える。

 あっけに取られて、部屋の中は沈黙した。誰もが、何も言うはずがないと思っていた。こんな所までくる女。どうせ、エルディスの王子の遊び相手か何かかと思った。
 しかし、すぐに先日の会話での行動、発言について思い立ったことのあるのはニクロケイルの王。そして、一見の価値があるのかもしれないと思ったアストリッドの王。
「聞いてみたいな」
「言ってみろ」
「陛下!?」
「王!?」
 アストリッドとニクロケイルの親子はそれぞれに言葉を返す。カイルがゆっくりと、目だけを離さずにリールを見る。その場にいて、ほとんどいないような護衛たちも息を飲んだ。
 すべての視線を集めて、リールは口を開いた。
「かつて我らが共に時を過ごし、今四の大国に存在する聖魔獣。

海を裂く者――アクアオーラ、その王シーネリー。
地を割く者――オブシディアン、その王ヴォルケーノ。
地を駆ける者――ルチルクォーツ、その王セイファート。
最後に空を翔る者――レピドライト、その王ラビリンス。

彼らが再会する事の承諾を」

 よどみなく揺るぎなく、リールは一息に言い切った。
 そして、しばらく時が刻まれている事を人々は忘れた。
 誰もが、言葉を見失ってしまったように、何も言えなくなった。しかし部屋の中は沈黙した。まるで何もなくなってしまったように。生きるものも動くものもいないかのような静けさ。誰も、何も言わない。
 それでも、リールは前を見据えていた。まるで、ここに居ることですら、目の前にいる人物たちですら通過点であるかのように。ただ、先の未来に会いに。
 水を打ったような静けさに、突然、パシャン! と、水音が響いた。護衛の中でも特に警戒心の強い者達が構える。
「私からもお願いする。三国の代表」
 響かせるような声が響き、いつの間にか足下をぬらしていた水が盛り上がる。ゆれる水があっという間に人の形を取り、リールに腕をかける。
 首筋に絡むようだ。
「何者だ!」
 突きつけられた剣に怯えもしない。
「私はシーネリー、アクアオーラの王」
「どこから、入ってきた」
「入ってくるも何も、私を捉える水牢に入ってきたのはそちら」
「どういうことだ」
 ノルラド王はシャドナスタ王を睨んだ。
「ここのほうが、雰囲気が出るな。さすが、芸の余興より面白い」
「そういう問題か」
「そういう問題だ」
「それはお主だけだ」

(それにカイル、ね)
 険悪な雰囲気の流れる王たちの横で、涼しげに腕を組みなおしたカイルを見た。やはり、“同類”だ。はっきりと言葉に出さないで実行に移しているだけ、むしろカイルの方が性質悪い?

「とにかく、聖魔獣を再会させるなど許可できない」
「おいおい? なぜ勝手に決める?」
「どういうことだ、貴殿は、賛成だとでも?」
「俺か? さてね。――エルディスの代表は?」
 含むものを隠しても、隠し切れない。シャドナスタ王はこれまでおとなしくしていたカイルに声をかける。
「……」
「お前が連れてきたんだ、その娘の考えに賛成だと思われてもしょうがないだろう」
「“思われる”? まだ疑っておいでですか」
「……」
 どうやら、この男は賛成らしい。
「ふざけた事を、かつての悲劇を繰り返す気か?」
「そのような事は、ありません」
「なぜ、言い切れる?」
「それは――」
 一瞬、シーネリーは黙った。
「娘、お前は事の重大さを知っているのか。そして何が起こるのか」
「彼女はただラビリンスの望むままに手と足になっているだけ」
 口を開きかけたリールを遮って、シーネリーが歌った。そして、言葉の中の違和感を王たちは確信した。
 特に、シャドナスタ王は。本名は別にあると言っていたととってもおかしくない娘の言葉、ここに来て言った言葉。つまり――
「まぁまあ、落ち着いて」
 ある結果を導いたシャドナスタ王は、それでも別の言葉をあえて口にする。
「どうやら賛成が一、反対が一、どちらでもないが一。どうするつもりだ? それに、四獣王たちを引き合わすには四国の王の承諾がいる。――残りのシャフィアラの王は、どうする?」
 カイルが、はっとシャドナスタ王を見た。
「――シャフィアラ? そんな、あとでどうとでもなることなど気にしないで下さい」
 カイルの危惧もむなしく、リールはシャドナスタ王の求める答えを口にした。
「どうとでも? でも、申し上げる必要があるのでは?」
 この状況を嬉しく思ったシーネリーの言葉が、少し沈んだ。まだ、王はいるし、今だってうまくいっているわけでもない。
「いざとなったら薬で一ヶ月間くらい眠らせます」
「誰だ、貴様」
 軽く問いかけていたシャドナスタ王の声が鋭い。今度はリールがはっとさせられる番だった。きりっと唇を噛む。どうやら、ここまで来てはぐらかすわけには行かなくなっていた。さすが、一国の王と言うだけあると思う。シャフィアラの王と同じだと思っていた、どこかで。それが大間違いであった。
 はっきりと真実を求めてくる視線。――何を気にするの? 私は、ラーリ様のために――
「……私は、エアリアス・リーグラレル・リロディルク」
 リールの言葉が部屋中に響き渡った。視界の端で、カイルがひじをついた手の上に頭を置いた。

「――へ?」
 カイルのうしろで暇を持て余していたセイジュはまぬけにも問いかけた。他の王の護衛たちが驚愕に声を失っている間に。
「……」
 レランは、そんなセイジュの足先を踏みつけた。
(――でぎゃ!? 何すんだよ!!)
(うるさい、少し静かにしろ)
(ふざけんなよ! お前だって聞いただろう? あのシャフィアラのエアリアスだぞ! もし本物なら――)
(……)
(“本物”、なのか――!?)
 遅れてセイジュが驚愕する中、ノルラド王がきつく言った。

「ふざけた事を言う必要があるか」
「しかし、本当にレピドライトと交流があるのなら、シャフィアラの民」
「知っている」
 ノルラド王はシャドナスタ王を睨む。
「冗談は慎む事だな」
「で、その証拠は?」
 またもノルラド王はシャドナスタ王を睨む。涼しい顔をしてシャドナスタ王はリールに問いかけた。
「――証拠?」
 さて、どうしたものかとリールは思う。
「その“奇跡”を見せろ」
「人を不死にできるものなら、すでにエアリアス家の者達がなります」
「――?」
「いまだかつて誰も不死になった者はいない。それは、代償と失うものの重さを知った初代エアリアスの意思。彼もまた、その身を長く生きながらえる事ができただけ、誰しもが、不死になってはいけないと知っているからこそ私達は生きる――人は、死にます」
 いつか、いつか必ず。でも、だけど、だけど――
「つまり、誰かを不死にすることはない、と?」
「ええ」
「とんだ茶番だ。おい、この女を追い返せ」
「それは困ります」
「何?」
 ノルラド王の命によって動いた護衛が、レランの剣に制される。そして、カイルの言葉。
「お主は、事の重大さをわかっていない。この娘がエアリアスの者であるなど」
「事実です」
「は――ずいぶんと感化されたものだな、エルディスの王子という者が」
「お前、本当にエアリアス家の人間なのか?」
「はい」
 相変わらずノルラド王などいないかのようにシャドナスタ王はリールに問いかける。ぴしりと、ノルラド王の額に青筋がたつ。
「ならば――最近海賊が暴れまわっている。残された少ないエアリアス家の薬を奪い高く売りつけるためにな。この国ではそれで命を持っている奴が何人かいるらしい。元々高いものに手をつけられるのは貴族達だが。――なぜ、来ない」
「当主は死にました」
「はっ?」
「これから、薬が出回ることはなくなるでしょう」
「まだ生きながらえている者達もいる」
「それで、」
「生きながらえている、見過ごせと!?」
 シャドナスタ王が声を荒げたのは初めてだった。
「――勘違いしないで下さい。ない知識で彼らを生かさせたのはそちらです」
「なっ」
「私達が、あの国で誰かの病を治すのに、通常どれほど時間がかかるか知っておられますか? 日々走り回る姿を。昼も夜もない生活を」
 ローゼも、シャスも、ウィアだって、もう仕事をしなければならない。人が死んでいくのを見つめて。
「お前達が特別だとでも?」
「いいえ。境遇はいろいろです」
「だが、まさか勝手に薬が出てきたわけではないだろう」
「それは、当主の、」
 あの救いようもないくらい、自身の利益だけを追求した小父の所為。
「ならば、エアリアス家の行動だ」
 リールはぎりぎりと歯を噛んだ。所在無い怒りをどこにも、ぶつけられない。なんで、なんでここまで来て、邪魔をするの? 勝手に不死を求めて、かき回して。その存在のあとだけ残して死んだなんて――
「……どなたか、その薬をお使いなのですね。ニクロケイル国王」
 あれでも、小父だってその知識を持つ者。
 はっとして、部屋中の人々がシャドナスタ王を見た。
「――娘が、一人――」
 それは、一度は正妃にと歌われた女性の残した形見。

「なっなんですかあなた!」
 あの水牢の部屋を出て、後宮に向かった。百聞は一見にしかず。その力を見せろという事で。ただ、あの王様が娘を殺したくないだけじゃない。
 王に連れられて部屋に入ると、寝台の傍にいた次女が声を立てた。王の一言で、離れの間に移ったが。
「王……」
 もう駄目だと言いたげな医師の変わりに、リールは寝台に眠る少女を見つめた。
 ふと、ローゼの顔が浮かんだ。

「……」
「大丈夫でしょうか?」
「お前が、心配か?」
 果てなく意外そうにカイルは、つぶやいたレランを振り返った。
「あの小娘。ニクロケイル国王に礼を欠いたりしないでしょうか」
 そっちか。
「でも本当なんですか?」
 ひょこっと、セイジュが口を挟んだ。
「こんな所でそんな嘘をつくほど暇じゃない」
 えーーでも、やりそうですよねぇーー相手が彼女なら。

 あのあと会議は流されるままに終わり、リールはシャドナスタ王に連れて行かれた。行き先は後宮で、他に誰もついて行けない。しかたなく、通された応接間でアストリッドの親子とニクロケイルの王子とそれらの護衛と、何が悲しくてお茶を飲まなければならないのか。
 それでもきっちりと口をつけて、一人しゃべりだしたセイジュの受け答えをするカイル。
 睨まれている睨まれている。
 カイルはノルラド王に。セイジュはレランに。
「じゃぁ、シャフィアラの国王と仲がいいんですか?」
「あれが、円滑な人間関係を計れるような女か?」
「――それ、向こうも王子には言われたくないと思いますよ」
 ぴくりとも、カイルの表情は動かない。その代わりと言うか、その日の夜セイジュの悲鳴が聞こえたらしい。

「レアーシャ?」
「お静かに、ニクロケイル国王」
 かつて、その姿は正妃のようだと歌われた女性、イレンノーア。彼女が病で倒れた時、その中に命があると知った。そして、その体に元から、病を持っていたと。
 何かもが、遅かった。
 その命と引き換えに命を産むといわれた。それは、イレンノーアの意志であった。その娘までも病に倒れた時、あせりと怒りと悲しみに暮れて、まるで御伽噺のようだと馬鹿にしていた“エアリアス”にも、過敏に反応していた。
 そして、いつしか。
 いつからだったろうか? あの薬の一番の買い手となっていたのは。
「レンと、クルーク、それに……」
 はっと、なれない単語をつぶやく女の声に意識が浮上する。
「アンカ……違う。――ぁあもう!」
 様子と、脈と顔色。爪と肌と髪を見て、女はつぶやく。
「あの薬はもうないのか?」
「そんな気休め必要ありません」
「何?」
 その気休めでレアーシャは生きていたぞ?
「あれよりも、もっと体に合うものを」
 だが、ここはシャフィアラではない。あの島でいくら薬を作っても、この島に同じ植物はない。同じものはできない。同じようにはできない。だから、シャフィアラのエアリアス。
 どちらかが欠ければ、機能を失う。
「……ぅ……」
 病人のうめき声に視線を上げる。とにかく、なんとかしなければ。
「今ある薬草と、……これまで使ったエアリアスの薬の瓶があれば用意して」
 あやうく、“毒草”もと言うところだったわ。
 パシャンと、うしろで水が跳ねた。
「リール、何かすることがあれば」
「シーネリー様。いえ、これは人とエアリアス家の問題ですから。お気遣いなく」
「……」
「きゃ! なんなんですか、あなたまで!! ここは後宮ですよ!」
 最初に薬草を持ってきた侍女が叫んだ。

「そういえば、アクアオーラの王は?」
「さっき、また水になって消えましたよ」
「追ったか……」
「誰をですか?」
「決まっているだろう」
「ならば、後宮に? あの水牢を出ても大丈夫なのでしょうか」
 レラン、気づかうねぇ。
「いいんじゃね? こっちの国王様それどころじゃないし。それに、後宮に表れても追い出されることないだろうし」
「なぜだ?」
「王子~~あの女性の美しさ! 見ましたか?」
「……あれは、本当に“女性”か?」
 ぽつりと、カイルの言葉が響いた。
「……王子ぃ~~確かにあなたの周りには……少し、人外的な女性が多いかもしれませんけどねぇ」
 まぇね~リールと王妃だし。あとはティア?
「だからってあの王を女性とみなさなかったら、世の中の女性に失礼ですよ?」
「黙らせろ」
「は」
「マージでっ!?」
 セイジュは沈没した。

「ちょうどよい機会だ、お主に言っておくが」
 いい加減で耐え切れないというように、ノルラド王が声をあげる。
「何か」
「四の獣王を会わせようなどと世迷言を、二度といわない事だな。これ以上エルディスの名を汚したくないのなら」
 何を、私情を持ち込んでいるのか。
「……引き会わせていただきます」
「なんのために」
「さぁ?」
「ふざけるな!」
「知らないのですよ、本当に」
「知らん?」
「はい」
 怒気をおこして立ち上がったノルラド王が、椅子に座りなおした。
「つまり、何をする気かもわからないあの女の言いなりになって四の獣王を引き会わそうとでも?」
「そういうことになりましょうねぇ」
 どがんと、テーブルに拳を叩きつけたノルラド王。
「いい加減にしろ!」
「冗談でも世迷言でもない」
「何?」
「それが、四の獣王の願いであることが事実。あのように過去を地下に隠しただけでは、逃げているのと同じですよ?」
「このっ」
バァン!
 ノルラド王が怒り狂うと思いきや、確実に蹴り開けただろうと問いかけたくなるほど派手な音を立てて扉が開いた。
「――何してんの?」
「放してやれ」
 入ってきたリールの問いかけに、答えたのか。カイルはレランに声をかける。
「げほっがほっ。あっぶねーー死ぬとこだった」
 ちょっとまて。
 レランに首筋を押さえられて壁に押し付けられていたセイジュが座り込む。
 と、そこに、一直線に向かっていくリール。
「ちょっと来て」
「は?」
 声が上ずってセイジュは呆然と目の前に立つ……そりゃぁもう腰に手をあてれば完璧? なリールに問いかえす。
「なななんでしょうか?」
 あ、敬語だ敬語だ。この時点で力関係が計れてしまう。
「て、俺?」
 問い返しておきながら、言葉を送れて理解したセイジュ。
「あんた」
「あの、そこはそこに適任者がいるのでは……?」
 いまいち、セイジュを呼びつけに来る理由がわからない。
「お前」
 リールは笑っていた。はたから見えなくても。
「なんの御用で?」
「早くして頂戴。大丈夫、ちょっと毒見してもらうだけだから」
「死にます!」
「殺すならもっと簡単にやってるわよ」
 簡単に言ってのけるリール。ほら、飲み物に混ぜるのが簡単って呟かないでそこ。
「マジで!? 王子! 助けてください!」
「早く行け」
 だから、さっき~レランにセイジュを解放するように言ったんだねカイル。
「なんで俺!?」
 カイルは、優雅に口をつけていたお茶のカップをソーサーに戻した。カチャリと、音がする。そして口が開かれる。
「……適任だろう」
「……適任でしょう」
「……」
 三人の肯定が重なった。
「なーぜだーー……」
 リールに連行されていく、セイジュの叫び声がだんだん遠ざる。彼の叫び声が響くのはどうやら夜だけではなかったらしい。

「何かあったらどうなさるおつもりですか?」
 一緒にあの運命にセイジュを追い込んでおいて、今更気づかうレラン。
「心配か?」
「いえ、暴動でも起きるとのちのち面倒なので」
「その場合は一筆書いておくか、“彼は誠心誠意使えてくれました”とでも」
 またも、ノルラド王と王子たちはあっけに取られてしまっていた。

「誰かーー助けろーーー」
「遅いわよ!」
「ぎゃぁーー……」

「はて、今地獄の呼び声に答えるかのような断末魔が」
 仕事の手を止めてカクウ。
「いい天気ですからね~~日ごろの行いの差でしょうね」
 相変わらず、セイジュの味方はいないらしい。

「連れてきたわよ」
「生贄か?」
 目の前でリールが薬を飲んだにも関わらず信用しなかったシャドナスタ王。少なくとも、薬師と患者の間では、一定の信頼が築かれなければならない。薬師の調合した薬を、なんの疑いもなく飲んでくれる患者を。――そこを利用して、そして今のシャフィアラがある。今のエアリアス家の手口も。悪行も。
 先にお前が中和剤を飲んででもいたら困ると、一言。曲りなりとも王族だ、毒殺という言葉は捨てられない。
 そういえばそう気にした様子もなく、なら一人連れてきて飲ませるわと、女は部屋を出て行った。ここは後宮だというのに男を連れてくるとは、いかにして侍女と兵士を言いくるめたものか。――いい度胸だ。
 最悪、リールは黙殺するから。それか昏倒させる……

「飲め」
 グラスに並々と注がれた薄緑の液体。原液を薄めたようだった。
「あのですねぇ」
「大丈夫、墓なら立派に飾り立ててもらうから。外見」
「それはまた」
 嬉しくねぇーー!! しかも、喜々として王子が行ないそうなっ!
 リールの一言に回りにいた侍女達に緊張が走る。見るからに顔が青ざめるものもいる。しかし、そんなもの目に入らないとリールはセイジュで遊んでいる。
「さぁ、早く」
 言葉の言い方だけはかわいかった。本性を知らなければかわいいと思えるだろう。たぶん。本性を知っていてなお、きっとあの王子は……
「レアーシャ様をお殺しになる気ですか!!」
 侍女の一人が騒いだ。
「黙れ」
 咎めるように、シャドナスタ王の注意がそちらに向いた。
「――殺したくて、作ったわけじゃなかったのに」
 その言葉は、なんのための、誰のための言葉だったのか。
 囁きが聞こえたセイジュが息を殺した。――あまりに、重すぎて。
「飲みますよ、飲めばいいんでしょう!」
「最初からそう言ったわ」
「ぐ」
 そんなやり取りに、国王がこちらを振り向いた。
「せーの」
 と、掛け声をかけて、セイジュは一気にグラスの中身を飲み下す。
 独特の草の感じと苦い味が広がって、そして消えた。
「――? これは……」
 セイジュは、言葉を切った。
「さぁ、どうしますか?」
 これを、飲ませますか?
「――そうしよう」
 これまで、そうであったように。
 小さくため息をついて、リールは香を焚いた。
「……ぅ……ん?」
「レアーシャ様!!?」
 目を開いた少女を覗き込んで、リールは碗を手渡した。
「これ、は?」
「飲みなさい、レアーシャ」
「おとう、さま?」
 ともすれば碗を落としそうな細い手が震えている。
「でも、」
 自分の事は、本人が一番よくわかっている。そうリールは感じている。薬草の用意をさせている時にわかった。そう、彼女は死ぬ。死にたがっている。
「もういいの」
「レアーシャ」
「これ以上、人の迷惑になるなら」
「勘違いしないで」
「ぇ……?」
 鋭い声に、少女の目が見開かれる。はじめて、そこにいるのがいつもの医者でないことに気がついたように。
「あなた一人が生きようと死のうと、この世界では何もかわらない。けれど、自分で死ぬか生きるかも選べない人がいることを知っている?」
「ぁの?」
「この国にいた以上、あなたはもう亡くなっていないといけなかったのに、今生きていることをわかっている?」
 カタカタと、少女が震えだした。叫ぼうと一歩進んだ侍女を国王が制した。
「死ぬはずのない人が死んで、死ぬはずだったあなたが生かされているって知っている!?」
 手から碗を取りこぼす事ないように、支える手にリールは力をこめた。
「――死んで逃げようなんて、考えない事ね」
 生きることのほうが辛いと、知っているから。
 震えながら、それでもゆっくりと碗を口に近づける少女に手を貸すリール。その、なれたしぐさ。
 さ湯に混ぜた薬がのどに流れる。久しぶりに飲み干す水は、まるで心に苦い物が広がっていくようで、――そして消えた。
 数分、少女が息を整える声だけが響いていた。
「本当は、」
 ぽつりと、落ち着かした息をついて少女、王女レアーシャが言う。
 ただ静かに、リールはその目を見た。
「私なんか死んだらいいんだって思ってました」
 言葉の端に見えない幼さ。態度だけは毅然とするように教え込まれた。
「私の命と引き換えに、お母さんが死んでしまった……」
 ぎゅっと、白い布を握り締めてレアーシャが言う。
「私を殺してお母さんを生かせばよかったんだぁ!!」
 ただ言葉に固まったシャドナスタ王、侍女達。
 リールが少女を引き寄せて抱きしめた。レアーシャはリールにしがみ付いて、声をあげて泣いた。

「――あの薬」
「何?」
「シャドナスタ王の口にさせなかったのはそのためですか?」
 あの味なら覚えがある。どこにでもあるような薬草と、エルディスで咲く花の香り。
「彼女は、自らが生きる意志がなかった」
 いくら治療したところで、無駄よ。
「――それでも、“エアリアス”の薬で生きながらえたんですか」
 だと、すれば。
「………エアリアス(私達)に惑わされてはいけないのよ」
 今のシャフィアラの島人だって、その昔自分だけが先に治療できるように毒を撒いた結果できた、患者なのだから。
 エアリアス家の薬は、毒だ。

「おかえり」
「――ただいま」
 その言葉に息をつける。どこにいても、どこに行っても。帰ってこれる場所。
 陰謀も策略も期待も怨みも――忘れはしない。けれど、ふと、気がつけば帰ってくるこの場所。
 声を掛け合って、目を合わせたままの二人。はたから見れば見詰め合っている……
「あのぉ~~?」
「「黙らせろ」」
 綺麗に、かぶった。
「……」
 レランが、当然のごとく無言で剣を引き抜いた。
 やっぱりセイジュの悲鳴の響く一日だった。

「今日はいい日ですね~~」
 片手に酒盛り。
「やはり他人の不幸をツマミにするのがいいですね」
 ちょっと待てと、誰も言わない。どうあってもカクウはカイルの護衛ですから。
 どいつもコイツも人外か。
 大丈夫かよエルディス国。

「何をしている」
 心底、驚いたようにノルラド王は声を失ってそしてつぶやいた。しかし、誰も気がつかない。息子も、ニクロケイルの王子も声を失っていた。
「何をしている!!」
 ついに、怒鳴った。
「ん?」
 用意されていた菓子をつまむ手を止めてリール。
 読んでいた本から目を離してカイル。
 地に向けて下ろしていた剣を止めてレラン。
 振り下ろされた剣を両手で挟むように止めていたセイジュが助かったと顔を輝かせた。
 四人が振り返ってノルラド王を見ている。妙な光景だ。
「……いったい、お前達は何がしたいんだ!」
「四の獣王を引き合わすこと」
「……」
「そんなことしてなんになるんですか?」
「――知らない」
「“知らない”?」
 意外そうに、カイルがリールに問いかけた。
「私は、ただ、」
 ただあの日の約束を果たすだけ。そうでしょう?
「再び大陸が沈んだら、どうしてくれる」
「そんなことない、絶対に」
「そんなことがなぜ言い切れる!」
「ラーリ様は絶対私達を滅ぼしたりしない!」
「ふざけるな娘!」
「――止めよリール。お主が責められる事ではない」
「シーネリー様」
「……」
 静かにその名を呼んだリール。今まさにその王を疑っていたノルラド王が、ばつが悪いという感じで咳払いをした。
「アストリッドの王」
「なんだ」
「こう言ってすぐに信じてもらえることだとは言わない。ヴォルが一番危惧していたのは、自国の王の強情さであったくらいだ」
「……」
 それは、どういう意味だったのだろうか。オブシディアンの王が危惧していた事、アストリッドの王が危惧している事。それはたぶん、互いが互いを一度も、干渉することがなかったせい。
 国の名を考えたルチルクォーツ、今なお王のお気に入りのアクアオーラ。そして、信頼を勝ち取った少女を手足に使うレピドライト。
 地下に閉じ込められたオブシディアンとは、違う。自国の聖魔獣にも、王は会ったことがないのかもしれない。
「だが、私達は、もう限界だ」
「どういうことだ?」
「――条件を出そう。リール、お主言わなかったが、なぜだ?」
「あの状況でどう言えといわれるのですか?」
「……そうだな。シャドナスタ王は? どこに?」
「ここだ」
 音なく開かれた扉。
 視線が集まって、シーネリーに移る。
「これは、私が言う事ではない。リール」
「私? ――四の獣王達が集まるとき、四国の王、もしくは、各国の代表が立ち会うことを許可する、と」
「な、に?」
 ノルラド王は驚いたようだった。
「――何かあれば、そこで彼らを切ることも、できると」
「それは、どこだ」
 一歩進んで、シャドナスタ王が言う。
「四の獣王が集まる場所はエルン大陸の上、かつて「すべての始まり(オープ)」と呼ばれた場所」
「あの大陸は沈んだ」
「浮上しています。一部だけ。海流の乱れがそこから発していますから」
「何を愚かな」
「シャフィアラはエルン大陸に一番近いので、影響はすぐにわかります」
「“あの国に入ることはできない。”これは?」
「それはただ道を知らないだけ。でなければ、どうしてエアリアスの薬がここにあるんですか?」
 おそらく、アストリッドにもあるはずだ。エルディスにだって、あの薬を常時置いておく店があったように。
「そんな所に集まって、何をする気だ?」
「それは、みながそろった時にわかろう」
「ここでしゃべる気はないのか」
「これでも、私達には一大事であるからこそ。こちらの不利益になるかもしれない輩に話せるわけがない」
「――違いない」
 面白かったらしく、しばしシャドナスタ王が声をあげて笑った。
「あ~~やっぱり、お前は水の中に入れておきたいな」
 ビシッと、シーネリーのうしろの窓にひびが入った。
「……」
 その氷のような表情に、部屋の中は沈黙した。
「いや、悪かった」
 ふっと、シーネリーが目を上げた。
「俺は賛成しよう」
「なっ」
「王!」
「うるせぇ……何を呆けているんだ?」
「意外」
「意外だな」
「……」
 この二人は、わざとなのか?
「だが、兵士も、術師も、連れて行かせてもらうがな」
 城の下にシーネリーを閉じ込めた、結界の術師。
 キリング・タイムの時、四人はそれぞれの力をあわせ聖魔獣の王を捕まえた。すなわち、結界と剣と言葉、そして術。それらの力は今なお、各国を支えている。
「少しだけ長い船旅になりそうだ。準備を!」
「ふざけるな!」
「本来ならば、人間に聖魔獣を制限することはできようもない。あの頃とは違って、あれだけの力を行使する王もいない」
 静かな、半分あきらめたようなシャドナスタ王の声だった。
「なのに、この700年以上を彼らはその仕打ちに耐えてきている。まして、人と同じ姿を取れるにも関わらず、人間を使って接触を計って来た。それこそ、彼らを信用するに値するのでは?」
「……」
「それに、知らない所で勝手にことを運ばれるのは不愉快だ。立ち会ってもよいということなんだ、万全の準備を期してその舞台に上がらせてもらおうか」

「で、どうする?」
「まず何をする?」
 カイルとシャドナスタ王の声が重なってリールに届く。ぁあとリールが口を開く前に、二人は相変わらず嫌そうに顔を背けた。
「帰って。そしてセイファート王とヴォルケーノ王を迎えに行ってもらわないと」
「セファとヴォルを? なぜだ?」
「シーネリー様。あなた様とラーリ様はともかく、二人の獣王に海を泳いでこいと?」
「……ヴォルは沈みそうだ」
 身も蓋もない。
「まぁ、絶対に見たくない光景が広がるわね」
 あの巨体で海の上をもがき、やがて沈んでいく……。
「別に獣の姿で来る必要はないだろう?」
「ないわね」
「なら、船を一隻――……」
 ふと、カイルは言いよどんだ。
「どしたの?」
「いや、よもや父上が面白がってこなければいいが」
「カルバード王が?」
「そうか、黙ってセイファート王だけ連れてくればいいか」
「無理ではないかと」
「無理じゃないの?」
 あっさりと、レランに引き続きリールにまで駄目だしを食らうカイル。
「……」
「まあそこら辺はどうでもいいからどうにかして頂戴。私が行くわけじゃないし」
「なんだと?」
「私はラーリ様の所に行くから、エルディスまで行かないわよ」
 当然でしょう?
「……どうやってシャフィアラまで行く気だ?」
「大丈夫、迎えをよこすから」

「ウィディア様。あなたくらいのものですよ」
「何よ?」
「私の船を送り迎えに使うなど……」
 ギミックが目を覆って嘆く。うしろでは船員達が皆苦笑いだ。
 どうやら、ここでも、誰もリールには逆らえないらしい。
「はいはい、早く」
 あっさりと嘆きは無視。下ろされたロープを昇って、リールは早々に船に乗り込む。

「――三ヵ月後に!」
「――ぁあ」

 再び会おう。あの海の上で。
 振り返って前を向いたリールのうしろで、カイルは三人の護衛を振り返った。

『行って帰ってくるまで、どのくらいかかる?』
『早馬車と一番早い船を使ったとしても……』
『半年は見てもらおうか』
『ノルラド王』
『何を呆けている? ――どうせ、何を言っても聞く気はないだろう。ならば、仕方あるまい。見させてもらおうではないか。ただし、何か起これば遠慮なく切る。その首、果たして半年後につながっているかな?』
『半年も待てないわ。三ヶ月で帰って来て下さい』
『なっ』
『場所はあの海の上、正確にはここ』
 ばんっと、広げた海図の一点をリールは指した。
『時間は日の出と太陽が真上に来る時間の間。遅れたら置いていくわよ』

「……」
 当然、ノルラド王の機嫌は悪いままだった。
「父上、本当にオブシディアンに会うおつもりですか?」
 沈黙が守られている。
「あの女、一ヶ所に四獣王を集めて何をする気か」
「帰ったら部隊に出立の準備をさせておけ。それと神殿の最高術師を七人」
「はっ――では、父上自ら」
「ヴォルケーノというらしいな」
「オブシディアンの王ですか?」
「やつには、儂が会う」
 自国の船に乗り込むまでのアストリッドの親子の会話は、ここで打ち切られた。

「俺達は暇だなーー」
 船や旅立つ人を見送って、シャドナスタ王がシーネリーに声をかける。シーネリーは広大な海を前に、ただ正面を見つめていた。
「浮かない顔だな。――何を、思い悩む?」
「いや、人とは、変わらぬものだな」
「そうか?」
「もしかしたら、長い年月の間に変わってしまったのは聖魔獣(私達)かもしれない」
 シーネリーが空を仰いだ。鳥が、一羽飛び去る。
 海の先には船が見える。それは、シャフィアラに向かうといった船。
「――どうか」
 目を閉じて、立ち尽くした。

 計画は順調なのだから、もっと喜んでもいいはずだった。

「ラーリ様!」
「リール」
 巨体の獣に飛びついて、その温かさにいつしか眠りに誘われる。ここではいつも、あの頃と変わらない時間が流れていた。誰かの私欲が渦巻くこの島は、ただ憎しみしか感じないから。
「おやすみなさい」
 自身にもたれかかって眠る少女。寒くはないのかと問いかける前に、シーンが一枚の布をかけて去っていく。誰も、この少女との時間を邪魔しなかった。いつも、いつも――
「……もう、時間なのか……」

『こんにちは!』
『……またか』
『今日は波の読み方をおしえてくれるって言ったわ!』
『そうだったな』
『だめ……?』
『――いや、博識なのはいいことだ。知識を持つ事も、な』
『じゃぁ!』
『だが、』
『……?』
 小さな体にその大きな瞳がびくびくと揺れている。喜んだり、悲しんだり、忙しい娘だ。
『知識だけ持っていても意味がない。行くぞ』
『どこに? わきゃっ!?』
『おちるなよ、拾ってはやらんぞ』
『すごーーいいっ! すごい!』
 初めて背に乗せて空を飛んだ時は、そうだ。はしゃぐだけはしゃがれたので教えるどころではなかった。何度、手を滑らせておちてくれたものか。

 しかし日常は、ただなんでもないことのように淡々と話す。よくあることだった。むしろ、空に連れて行った時にはしゃいだ姿は、ほとんど見ることができなかった。

『王……』
『あ、シーンだ』
『茶』
『“茶”じゃありません……』
『問題あるか?』
『ありません……』
いつしか、二人でお茶会をしていた。

「……ラーリ様……」
「なんだ?」
す――
「……」
 寝言、か。
 さわさわと、木々が揺れる。まるで何かを運ぶように草花がなぎ倒される。寒さを吹き飛ばして、暖かさを運んでくる。
「――」
 暖かい。それはきっと、そばにいる少女のおかげで。とても、嬉しい。
 だが――
「なぜ、人よりもはるか長く生きる我らが、」
 歯車は動いている。本当は動いているのではなくて、外れてしまったのだ。ただ倒れる寸前まで転がり続ける。
「――リール」

「暇そうですねぇーー王子」
「……そうだな。お前をこの馬車から落としてうしろを走らせてみれば目の保養にでもなるか」
「いやいやいや王子!? お気遣いなく!! 頼みますから!!?」
「そんなもの見ても気持ちが悪くなるだけだ」
「……じゃっじゃぁ俺は外に行きますね……」
 レランと二人っきりで馬を引くのは嫌だなぁと思ったセイジュは、自分の主と一緒に馬車に乗り込んでいた。
 が、しかし。それでは身が危ない。
「よっと」
 動いている馬車の扉を器用に開けて、セイジュは業者台に上った。一瞬そこでレランはセイジュを蹴り落とそうかと考えていた。
「――なんだよ?」
「いや」
 レランは前を向いて紐を引いた。

「行ってしまいましたねぇ」
 相変わらず置いてきぼりカクウ。と言うか、ニクロケイルの密偵。
「自分の仕事については自負しておりますが、こうもあっさりと自分よりも劣った物(セイジュ)を見る機会が終わってしまったかと思うと……」

 さて馬車の中に残されたカイルは、ごそごそと本を手に取った。しかし、手に取った本はお気に召さなかったらしい。不満そうにその本を投げすてて不貞寝していた。
 本当に不満を感じている事は、本ではなかったが。
 馬車と船を乗りついでエルディスに帰る。一度港に出て、それからデンスネスに向かう予定だった。――しかし、

「あら? 網に大きな物がかかったのね」
 自分直属の密偵が連れてきた三人の人影を見て、エルディス国王妃――フレアイラは声をかけた。
「母上……」
 なぜ、港に密偵など置いて自分の見張り代わりに使っているのですか……?
 そのつかまった息子はうめくように声をあげた。ちなみにレランとセイジュは沈黙していた。
「もちろん、あなたがいつ帰ってきてもいいように」
「逃げないように、でしょう?」
「賢いわねぇ。可愛くない事」
「父上は」
「まぁ。何。久しぶりに会ったというのに、息子は母親に会うくらいならまだ父親に会うほうがましだと母を追いやるなんて」
「……」
「で、あなた。なんで一人なの?」
 護衛の二人は数に入らないらしい。
「なぜ、と申されましても……」
「私(わたくし)の玩具(おもちゃ)は!?」
「……父上は謁見室ですね」
「待ちなさいエルカベイル!」

「まさか、また手ぶらで帰ってくると思わなかったが」
「……」
「言いたいことがあるのだろう?」
「四の獣王を引き合わせます」
「――なんのために?」
 さすがの父上も、動揺していた。
「さぁ?」
「……お前の行動一つで、私の立場が悪くなるのだぞ?」
「知りません。自分がその地位に就いた時に困らない限りは」
「今日の謁見はあといくつ残っている?」
 国王はリヴァロを振り返った。
「四つです陛下」
「すぐに終わらせる。執務室にいろ」
 話を、聞かせてもらおうか。
 さっさと一礼して、カイルは執務室に向かった。

「……つまり、ルチルクォーツの王を連れて行くと?」
「では」
「待て」
 さっさとうしろを向いた息子を国王は引き止める。
「俺も行く」
「……」
 うしろでリヴァロが視線を落とした。また始まったと言わんばかりに。
 しかし、息子の返事は完結だった。
「嫌です」
「何?」
「あなた! エルカベイル!」
「「――」」
 部屋の鍵をかけ忘れた――!!
 父親と息子は、かろうじて何かが潰れたようなうめき声を飲み込んだ。
「私も行くわ!」
「フレア、お前は留守を預かってくれ」
「あなた! 何をおっしゃいますの!」
 王妃の目が輝いている。
「母上、母上はやはり」
「お黙り、エルカベイル」
「そんっなにつまらないんですね」
「ええ! これなら人形を捨てなければよかったわ」
「「……」」

 その日の夜。王と王子は王妃に黙って城を抜け出した。

「帰ったら怒られるかもな」
「父上だけですが」
 カイルは嫌そうに低い声で言い切る。カイル一人だけでは、城を抜け出せなかったと知っているから。だからと言っても、ついてきた父親を歓迎したいとも思わない。
「魚を逃がした息子に何を言われようとも」
「……」
 馬車の中の親子は、険悪な雰囲気だ。どちらかと言えば、カイルが遊ばれている?
「……王子? 陛下?」
「「なんだ」」
「俺、出てもいいっすか?」
「「なぜだ?」」
 怖い、怖すぎる。なぜに息ぴったりで睨まれなければならないのか?
 答えは簡単。国王はこれでも息子が好きで、カイルはこれでも父親を尊敬しているから?
 しかし、国王と王子の乗る馬車に性懲りもなく乗り込んでいたセイジュは、さすがに後悔した。
 外では、リヴァロとレランが無言の会話をしていた。馬を引きながら。
 日の昇るデンスネスに向かう馬車が、一台。

「はじめてきたな」
 止まった馬車から降りて、向こうの見えない森を見渡す国王。
「そうですか」
 さっさと、置いていこうと言わんばかりに森の中に進むカイル。
「……」
 息を一つついて、国王はリヴァロを振り返る。そして当然のように追っていった王子の護衛二人を、目を細めて眺める。少しだけ口の端をあげて、カルバード王も森に入った。
 相変わらず生い茂る蔦と草を剣で掻っ切りながら進む。ただ明るいだけの静けさ。生きるものは逃げてしまったように。
ざぁぁぁあああ――
 風が吹きつけて、音が止んだ。
がざっ
「――?」
 レランが剣をぬいてカイルの前に立った。
 のっそりと現れたのは一匹のルチルクォーツ。
「タキスト」
「……王がお待ちだ」
 不本意ながら案内するといわんばかりに、獣の姿のタキストが道を先導した。

「なんだあれは?」
「王のお付ですよ」
「ほぉ」
「本人は不本意でしょうが」
「お前の護衛と同じで、か?」
「……」

 またも、セイジュが逃げ出そうとするのをレランに阻止されていた。
「襟首をつかむな! 死ぬ?!」
「……」

 タキストが案内したのは森の入り口からとても近い場所だった。大木の下に寝そべっていた白虎が起き上がった。こちらを見つめる、翠の目。
「――よくきたな」
「お久しぶりです」
 カイルが礼を取ると、後ろにいたカルバード王が姿を現した。
「はじめましてというべきかエルディスの国王よ。我はセイファート、ルチルクォーツの王」
「カルバード・ビオレドラル・エルディスと言う。その節は、息子が世話になったようで」
「いや。非はこちらにある」
「この森から、獣が一匹抜け出していた事か?」
「……」
 ひくりと体を引きつらせたのは他でもないタキスト。
「そうだな」
 変わらぬ翠の目が金色を帯びて、そして消える。次の瞬間には腰まではある白っぽい銀髪に、翠の目を持つ男が立っていた。
「迷惑をかけた。申し訳ない」
「死んだ民が戻ってくるわけではない」
「――そうだ」
「父上」
「なんだ」
「関係のない話はあとにして下さい」
「……」
 父親を黙らせて、カイルはセイファート王に向き直る。
「迎えに、きました」
 セイファートは沈黙した。よもや、その言葉の意味がわからないわけではない。ようやく、やっと。――だが。
「あの娘――リールと言ったか。どこにいる?」
「ラビリンス王を迎えに行きましたが?」
「そうだろうな」
「――?」
 話がかみ合わない。
「まだ、時間はあるか」
 何かを悲しむように、セイファートは空を見上げていた。

ざばぁぁあ――
 三ヶ月など、あっという間だった。シャドナスタ王の乗る船に横付けるように、水龍の姿となったシーネリーが姿を現す。水の色の鱗。額の中心から伸びる一角の角。泡が守るように取り囲む。隣に並ぶ船がとても小さく見える。アクアオーラの姿をはじめて見た兵士達が唖然と口をあける。
 鋭い目が細められて、甲板にいたシャドナスタ王を見た。
「あまり喜ばしくないようだな」
「そう見えるのか」
「せっかくの門出だろう?」
「“門出”か」
 ピリピリと、水を伝って同志達の言葉が届く。王の再来を喜んでいる。これまでの700年以来、水牢を出たこともない。
「門出、か……」

『あなたのような方がいて、本当によかった』

「――本当か?」
「?」
 ふと口にされた言葉は、ここにはいないものに伝わらない。
「誰でもよかったのだ――」
 そう、例えば、この王でも。
「なぜだ、ラビリンス……」
 なぜそうやって、性(さが)を背負う?
「幾年、王と呼ばれようとも。できることは限られている」
「――そうだな」
 自分は、これほどまでに何もできないものだっただろうか?

「――時間だわ」
「ああ」
 風が変わった。ラビリンスに寄りかかって眠っていたリールが目覚める。
「あの場所へ」
「行くか」
 ラビリンスが飛び立とうと姿勢を正す。飛び上がる瞬間、シーンに目を向けた。彼はいつものように、頭を垂れただけだった。
 いつもの、ように。
「どこに行こうか?」
「まずはギミックの船に!」
 空から人が降って来て、さぞや船の乗組員は狼狽した事だろう。いや、それもリールだからあっさりと受け入れられるか?

 エルディス国の船の上では、まだ兵士達のざわめきが止まない。国王がやってきたかと思えば、いきなり船を出せ(密かに連絡があった)だし、なぜか王子もいるし。
 何より不思議なのは、その後ろから現れた腰まで長く白っぽい銀髪に、翠の目を持つ男だ。ただ海の先、進む先の一点を見つめている。王も王子もほとんど関心を示さない。
 まるでその場にいないかのような錯覚を起こしそうなる。
 操縦室に海図を広げて、船の船長たちが集まっている。もうエルディスは遠く、目的地が近い。
「で、どこだったか」
「こちらです」
 海図の一点を指すカイル。エルディスからここまで、船旅。ニクロケイルと違って、エルディスでは船に乗ることはほとんどない。長旅だった。
 同じ事はアストリッドにも言える。
 しかしそれでも、四大大国は海術にも優れている。はずだ。
「――海の上か」
「そこに集まれ、と」
「その、オープと言うのはどこにあると?」
「さぁ? エルン大陸上らしいですが」
「だから、それはどこだ」
「知りません」
「まったく、とんだ者を引っ掛けたな」
「さぁ?」

 見渡す限りの水の先に、一隻の船が見えた。

 あわただしく兵士が部屋に入ってくる。
「陛下! 左右を!」
「あれは……」
 大きな帆に紋章がはためく、ニクロケイルの船。
 左にはアストリッド。
「まさか……」
 水龍を引き連れた船は、優雅で壮絶だった。さすが、水の都。
「……ヴォルケーノ」
 気配を感じ取ったのか、遅れてセイファートがつぶやいた。
 四隻の船は付かず離れず、一定の距離を取って止まった。それ以上、近づけなかったとも言う。それぞれ小さな小船を出して、急ぎ集合場所に向かう。――王か、息子か。

 見張り台の者が気づいて、縄梯子を下ろす。かち合ったのは、エルディスの王子とニクロケイルの王だった。
「「……」」
「ずいぶんと待たせてくれる」
「それはそれは、暇な時間に鈍っていない事を祈るだけですね」
 険悪な雰囲気の中、二人の王と世継ぎの王子、その他護衛たちが甲板に上がると、おそらく会議に夢中でこちらに気がついてない集団を見つけた。
 そう、風が時折鋭く吹き付ける。碇を下ろして、海の上。相変わらず船員達は頭を抱える事になっていた。
「だーからっ! こっちから行ってよ!」
「ウィディア様! だいぶ前にそうしたら危うく船が大破するところだったんですよ!」
「嵐にあって!」
「岩があって!」
「いいじゃない。大破しなかったんでしょ? それに、修理費だったらザインが出したでしょ?」
「ぇえ、あの前当主様から払ってもらえるはずもなく、どこからか苦労して運び出した金塊で払ってくれましたが」
「問題ないわね」
「「「あります!!」」」
「うるさいわね」
「あなたがですねぇ!」
 船に上がってきたまではいいものの、肝心のリールはギミックと言い争っている。こちらに気がつく様子もない。
 さすがに、王達も護衛も目の前で繰り広げられる言い争いに呆然としていた。
「――おい」
「何?」
 後ろから、呆れきった声が聞こえる。――カイルの。
 船の船員は、この状況のウィディア様を黙らせられるなら誰だって救世主のように思えてくるのだから、どうしたものか。
「何をしている……?」
 振り返ったリールの顔は、それはそれは迷惑そうにしていたが、カイルだと思うと少しだけ変わった。
「もうきたの」
「もう時間だ」
「え? 本当っ」
 周りを、二人の王とその護衛に囲まれていて、船の乗組員は居心地が悪そうだった。
「――遅刻ね」
「なに?」
「あんたじゃないわ」
 すると、空から声が聞こえてきた。まるで、断末魔のような悲鳴。
『ぎゃーーーぁぁあああ』
ばっしゃーーん!
「誰か、拾ってきて」
 無慈悲なリールの声。
「まったく、暴れるから落としてやった」
「ラーリ様」
「問題でもあったか?」
「何が?」
 ばさりと羽根を羽ばたかせて、ラビリンスが甲板に下りてくる。
 海に落ちた人を拾おうと海に下りた人の、驚きの声が聞こえた。
「第二王子様!?」

「――リーディ!!」
「何よ」
「なんなんだ!」
「うるさいわね」
 海から引き上げられて、タオルを一枚かぶっただけのフォトスが叫ぶ。
 そりゃ、怒るだろう。朝一番にレピドライト(しかも王)に拉致されて、またたく間に海の上で、しかもいきなり落とされて。
 さらに顔面を海面にぶつけたのか、心なしか顔が赤い。
「――ぁあ、大丈夫?」
「棒読みかよ!」
「悪い? ちょっとうるさいから黙って」
 うっとうしいというように、リールは手を振った。

「おい、小娘」
「何か?」
 ノルラド王は、珍しく待っていた。黙って、見ていた。時折、引きつっていた頬がさすがに限界に来たらしい。
「いい加減にしろ!」
「こっちはシャフィアラの王子です、承認に」
「は?」
 まぬけな声をフォトスがあげた。
「おい待てっ」
「黙れ」
 フォトスはあっさりと潰された。
「ウィディア様」
 ギミックがたしなめる。
「黙らせておくべきでしょう?」
「それなりに順序だてて説明するべきでは?」
「……ちょっと、ジオラス」
「だからなんだよ!」
 苛立ち紛れに、フォトスが叫ぶ。
「これからエルン大陸に行くから」
「エルン?」
「そう。それから、四の獣王を引き合わせるから。いいわね」
 命令だ命令。説明にもならない。省きすぎだ。
「なんの話だよ!?」
「あーーうるさい。いい、邪魔しないでよ」
 だからなんなんだーーというフォトスの声は黙認された。
「とにかく、なんでもいいわ」
「よくないだろ」
「こっちの話」
「そうか」
「そのオープまではどうやっていく気だ?」
 シャドナスタ王が、ゆっくりと声をかける。
 ふと、そのリールに声をかけた人物の服に刺繍された紋章。それが何かわからないフォトスじゃなかった。
「おいっ!?」
 リールに声をかけようとして、足下に短剣が刺さっているフォトス。
「……」
 何をしでかしたんだよ……。
 激しくカイルが笑い出しそうな一言は、ついに口にされなかった。
「あの海流が連れて行ってくれます」
 リールが指差した先には、シャフィアラと同じ。すべてを拒む渦。遠くに黒い雲も見える。――嵐だ。
 荒れ狂う海は、地平線の手前から続いている。
「殺す気か、貴様」
 ノルラド王の声が鋭い。
「死にたいなら、止めませんけど? かつて、エルン大陸は五つに分けられていたそうです」
 リールの言葉を、神妙にラビリンスが聞き入っていた。まるで、なつかしむように。
「中心がオープ、周りを囲むように四種族の領土。もっとも、これら種族の境界は曖昧であった。そうでしょう?」
 シャフィアラの船にはレピドライト、各船には各種族が。この場にいる聖魔獣はラビリンスだけ。
「そうだ」
「貴様は?」
「我はラビリンス」
「シャフィアラの、レピドライトの王です。そのかつての領域から上陸してもらいます」
 ばんと、リールが手をついた海図。中心にある島。その周りを点線で囲まれた、昔のエルン大陸の地。
「今から言う場所から海流に乗れば、海が連れて行ってくれるわ」
「何を愚かな」
「――それがわからないから、シャフィアラに来る船は沈むんです」
 海路は、絶たれていない。だけど、毒は拒まれる。人にも、自然にも、すべてにも。
「入り口まで迷わないことですね。死にたくなかったら」
 渦と渦の間を直進する、間違えば藻くずに変わる。
「だから! なんでまた私の船を危機にさらすのですか!!」
 ギミックが悲鳴を上げた。
「丁度いいから」
「ウィディア様!」
 悲鳴は無視された。
「まぁこっちはまだ安全な道でしょう。それに、道案内には困らないでしょうから」
「――?」
「獣王に聞けばいいわ。とにかく、ルチルクォーツがここ、アクアオーラがこっち、オブシディアンは……ここね」
 リールは、海流の一点を指した。
「この波に乗れば、勝手に目的地に連れて行ってくれるから」
 リールは言い切った。
「壮絶な話だな。何か? 渦の間を波が通っていくと」
「ええ」
「しかし、間違って渦に飲み込まれたら死ぬ、と。なんだ、これまでシャフィアに向かわせた船が帰ってこなかったのはそのせいか」
「そうでしょうね」
「この船はうまく姿をくらましていたしな」
「それは――ウィディア様のおかげと言いますか、迷惑だったと言いますか……」
「……」
「脅すのは得意だったな」
 おかしそうにカイルが笑った。
「さっさと行けば?」
 リールは言い切った。
「相変わらずだな、エルディスの王子」
 そのやり取りをさらに楽しそうに見ていたシャドナスタ王。
「エルディスの王子!!?」
 素っ頓狂な声に、甲板にいた人々の視線が集まった。
「誰が……?」
「これ」
 リールはカイルを指差した。
 絶句したフォトス。回りにいた二人の王は、その紋章からなんとなく身分は推測していた。しかし、あのリーディが、連れていたのは……
「……本当かよ」
「だから言ったでしょ?」
 “敵”に回さないほう無難ですよ? ってね。
「場所の確認はいいかしら?」
「島に入ったら王が案内してくれるんだろう?」
「たぶんね。どうなっているのか私も知らないし」
 どことなく、不安がよぎるのは気のせいだろうか。
 各国の人々は船に戻って行く。ぎゃぁぎゃぁと騒ぎ出したフォトスをあしらうリール。

 船の甲板に降り立ったラビリンスは沈黙した。その銀色の目は、ずっとリールを見つめていた。

 海流は、まるで迎い入れるように船を誘った。
 時に嵐の中を通り、時に渦が現れ消える。一時も止まらない海の中を、四隻の船が進んでいく。
 そして、一瞬にして晴れ渡った視界、穏やかな波の音。このまま帰ってこられなくなるのではないかと、人々が不安に思ったその時。
 小さな島が見えた。周りを、まるで守るかのように黒い雲が覆い尽くしていた。そこを通って、今目の前。
 エルン大陸で一番重要視される地が現れていた。
 島の広さはそうなく、おそらく丘の上であった場所だけが海の上にあるだけだった。
 すぐ傍まで船で近づいてくる事ができず、各国は小さい船を出して進んでくる。
 島の中心には、かつて神殿であったものの面影が見える。そこに集まってくる人影。
ざっ!
 砂はない。地を踏みしめて上がってくる人影。
「ネリー!」
「ラリス!!」
 傍目には、まるで従姉と従弟が再会しているように見える。人型の、シーネリーとラビリンスの姿。
 ざわざわと、たくさんの人々が島を見渡す。小高い丘の上からは、この島の広さが各国の城の敷地面積もないことがよくわかった。
 ほぼむき出しの大地、小さな孤島。波が押し寄せては帰っていく。おそらくこの場所を浮上させるために波が引いているのだろう。そのため、余った水が他の場所で溢れかえり渦を作り気象を狂わせる。

 その島の上に、幾人もの聖魔獣と人間が立っている。
 エルディスの王とリヴァロ。王子とレランとセイジュ。
 リールとフォトス。
 シャドナスタ王と、護衛たち。そしてあの部屋にシーネリーを閉じ込めた結界の術師。
 ノルラド王と、神殿でヴォルケーノを監視する術師。
 そして、四の獣王とそのお付が一匹ずつ。
 かつてアストリッドの者は、その術で聖魔獣を取り抑えた。ニクロケイルの者は結界を張った。そう、あのキリング・タイムの時と同じ。
 予断なく、王達を監視する。
 人や、走り出した王に比べて、ひときわゆっくりと歩いてくる気配がある。
 一歩一歩踏みしめるように。かつての、自分達の地を懐かしむ。同時に、過ちを悔やむような――

 同時に相手の気配を感じて、ただ一点を見つめていた二人の王。
『どっちが強いの?』
 あの幼子は、最初の犠牲者だった。
 あれから700年。死んでいった仲間のほうが多い。

 再び、ここで、会えたなら――

 ふっと、やわらかい空気が硬くなった。
 はっと、シーネリーとラビンリンスが一点を振り返る。
 その先で、ヴォルケーノとセイファートが立ち尽くしていた。
 島に上陸して、喜ぶわけでもなく、悲しむわけでもない。ただかつてを思い出す。
「「……」」
 銀の目と、朱の目が交差する。
 ようやく、お互いの着ている服の装飾品が確認できる位置。
 すべてが止まってしまったように痛いくらいの沈黙。それはあの頃と、過ぎ去った時間の長さを物語る。
 セイファートとヴォルケーノが再びであった。あの殺しあった時はすぎ。あれ以来はじめて。
 どちらも、どうしたらいいのか悩んでいるようにも見える。
「ヴォル」
 ヴォルケーのにはシーネリーが。
「セファ!」
 セイファートにはラビリンスが近づく。
 ただ静かに見つめられて、二人は少し息をついた。まるでそれぞれ背中を押されるように、一歩進みでる。
「「久しぶり――だな」」
 結局、どうしてか。ありきたりな挨拶しか出てこないのだろうか?
 ふっと苦笑して、二人はさらに近づく。伸ばされたお互いの手を取る。
 もう、過ちは繰り返さない。
「ヴォル、セファ」
「「ネリー……」」
 そこへ、シーネリーとラビリンスが来る。人型の獣王が集まって、沈黙した。
 まるでお互いを確かめるように、少しだけ喜びを。そして――
 王達の目が金の色を帯びた。それを確認できた人間は数人で、他はみな眩い光に目を細めた。影が変わっていく様子は、光の中で見えない。
 光が収まり、人々の目に光が戻った時、誰もが驚愕した。
 目の前にいるのは、まさか――
 銀の白虎。漆黒の龍。青の水龍。そして、金の獅子。
 ここに、四の獣王がそろった。

「――ほぉ」
 そんな感嘆の声が聞こえる。獣の姿の四の獣王を見ることができるなど、キリング・タイム以来だ。
 圧倒されて、たじろいだり、しり込みしたりする者はいない。さすが王の直轄で仕えるものと言うべきか。
 それでも、強い力と畏敬を感じずにはいられない。
「すごいな」
「……」
「なんだ、何が言いたい?」
「いえ、父上にも人並みの驚きを感じる事はできたんですね」
「まったく、お前はそんなんだからみすみす逃げられるんだろう?」
「――誰が、逃がしたと?」
 カイルの視線の先に、フォトスと言い争うリールが見えた。

「おまっ何してんだよ!?」
「どういう意味よ?」
 一点を見つめていた視線をはずして、うっとうしそうにリールはフォトスを振り返る。
「あれは――」
「見たままよ」
「そのためにエアゾールを殺したのか?」
「……違う」
 それには、ラーリ様は関係ない。ただ――

「陛下」
「……」
 息子が驚き、そして畏怖するような声をあげる。
 四の獣王。はじめて、その姿を見たといってもいい。顔に傷のある男はほとんど何も言わなかった。
 まさか、その真の姿を直で見ることができるなど。

 一瞬、獣王たちの視線が外に向けられる。自国の王を見て、――この世界を見て。
 そして本来の姿となった獣王の視線が、崩れた神殿に向けられる。すべての聖魔獣の力が、この世界で一番終結する場所。そして、すべてのはじまり。
 その巨体を動かす事に、苦労も感じない。風に乗るように一歩、王達が神殿に近づく。

「待って!!」
 それを遮るような悲痛な叫びが、空に響いた。

 もう、駄目だった。ここで何が行なわれるか、これからどうなるか、知らないわけじゃなかったから。

「――何?」
 ノルラド王の言葉はもっともだった。進み出たレピドライトを、あの娘がしがみ付いて引き止めている。いったい、何が起こるというのか。

 ラビリンスを除いて、三匹の獣王は黙っていた。何も言えなかった。こうなると予想できただけに。

「……リール」
 転がるように走ってきたリールにつかまれていて、動けない。静かに、離れるようにラビリンスは諭した。
「嫌!」
「リール、我らはもう駄目なのだ。――見ただろう?」
 仲間を食い殺す児龍を、聖魔獣として生まれなかった水龍を、倒れ病に伏せる獣を。そして何より、一向に新しい命の生まれない獅子を。
「~~~」
 知っていた、見てきた。わかっていた。だけど、
「絶対にイヤ!」
 行ってしまう。
 ここがどんな場所で、なぜ王達が集まったのか、知っている。
 その昔に、話を聞いた。

『ねぇねぇ! ほかにも王様はいるんでしょう?』
『そうだ』
『どんな人?』
『人って言うのもねぇ……』
 苦笑しながら、お茶のお供にラビリンスは話してくれた。それぞれの獣王のことを。
『仲悪いの?』
 小さいリールの純粋な感想だった。
『どうだろうね、でも……僕達は同じように同じ時間を生きてきた』
『??』
 はて? 意味がよくわからないリールは首をかしげた。
『王は同じ時に生まれるんだ』
 はじまりの場所で。

 新しく生まれる――なら、これまでの命は?

「私達は長く生きすぎた。種族の理性をまとめ上げる事もできなくなるくらい」
 つかんで離さないというように、リールは手を離さない。
「……だからだった。新しく生まれたアクアオーラがただの肉の塊に、ただ本能だけを備えた怪物であったこと。オブシディアンの子どもが親や仲間を食い殺していた事。ルチルクォーツの子が病に倒れた事。――何より、レピドライトはここ数十年、新しい命も生まれない」
 なぜ、知っているのだろうか。
 リールはふと顔を上げた。

 ――意思の運びて――

 国を出ることをしない獣王達には、人間の協力者が必要だった。
 四の獣王に時を教え、四大大国の王達の許しを得られる者が。
 いっそ、このまま滅んでしまったほうが、よかったのだろうか。
 そう思ったこともある。
 だが我は“王”だった。世界と引き換えならまだしも、自分の種族は道連れにはできない。
 王でなければならない限り。

「まさか……」
 二人のやり取りを聞いて、シャドナスタ王を含めその場の人間には驚愕が走った。
 海に出る怪物の正体を知って。

 本当に長く生きすぎてしまった。王の寿命は普通の聖魔獣の三倍あるといえども。
 みな同じだけの時間を生きるということは、狂うときも同じと言うこと。それに、もう戻せない。力を保つ事ができない。
 今しかない。

「ラーリさま?」

 嘆きたいのは、こちらも同じだった。人の命など儚く、一瞬にしてすぎる。誰しもが自分より先に命尽きる――
 それを、まさか。自分が死ぬための手伝いをさせて、ここにきて最愛の娘を一人残す事になろうとは。
 それは“約束”。しかし、
「離しなさい」
「いや……やだ!」
 巨体にしがみ付いて離れないリール。――彼女にとって、ラビリンスがどのような存在かを、言葉で言い表す事はできない。
 こんなにわがままを言ったのは初めてかもしれない。
「わかって、いるだろう?」
 もう、そうするしかない。新しい時代へ。
 もうこれ以上、仲間が狂っていくのを見ているわけにはいかない。
 それでも、ずいぶん後回しにしてきた。
「死んでしまうのは、イヤ……」
 零れる涙を、ぬぐう事ができない。
 ぱたぱたと涙を流すリールを見つめて、ふと思った。
 あの時、あの日から。誰よりも大人びていた少女は、今、あの時よりも幼い子どものようだ。

「愛しているよ――我が娘」
 リールがはっとした時には、もう遅かった。
「ラーリ様!」
 一瞬にして、手の中の温もりはすり抜けた。もう一度、今度こそ離さないから――つかもうと腕を伸ばす――
「いけません!」
「離して!!」
 リールを、シーンが捉えた。
 振り返って、リールはシーンを睨みつけた。
「なんでよ! あなたには新しい王のほうがいいの!?」
「リロディルク様」
「――っ!」
 リールの腕をつかむシーンの手に力が加わった。
 シーンだって、何も自分から望んだ事じゃない。だが、それを受け入れるようにできている。
 でも、リールには納得できない。
 何をするつもりなのか、なんの手伝いをしているのか。少しずつだけれど、わかっていたつもりだった。けれど、それが約束だから。
 それが、“約束”だから――
 だから……
「……いや」
 絶望的だった。
「絶対にイヤ!!!」
 叫ぶと同時だった。
 廃墟の神殿に向かっていった四の獣王たちは。神殿の中に迎い入れられた。
 存在が消える――
 ふっと、リールの足の力が抜けた。地面に座り込んでしまう。
 うつむいて顔を上げない。どうしたらいいのかわからないシーンは、途方に暮れる。

「あの王達は何をしているんだ?」
 静かに、カイルが話しかける。一度、びくりと震えたリールはそれでも言った。
「四の獣王はみな同い年だって知っている?」
「――あれで?」
「そうよ、あれでもラーリ様だって同い年だわ」
 カイルの驚きが何を指しているのか、リールはすぐにわかった。誰だってそう思い、いつもラビリンスが気にしている事を指摘されて、悲しそうにリールは笑った。
「獣王は普通に聖魔獣の中からは生まれない。このオープで、王となるべく生まれてくるものが王になる」
「それはまた」
「獣王は普通の聖魔獣の三倍は生きるわ。そして、代替わりをする。その時は、四の獣王が集まって、ここで。これが条件」
「彼らは?」
「――彼らが死んで、次の王が生まれる」
「……まさか」
「四の王がそろわないと、始まらない」
 神殿の回りが、光に包まれた。揺れていた先も見えない。
 眩い光があたりを包み込み、王の姿を空へ、かなたへ消し去った。

「「「!?」」」
 光の柱が立ち上る。天に向かって伸びていく。神殿の時が急速に戻る。崩れる前の神殿の姿へと。
 白い柱が何本も何本も立って、開かれたままの扉が振動する。円形の土台。祭壇。

 白い光が球状になって浮かび上がり、収縮して弾けた。神殿から伸ばされたように、何重にも文字が綴られる。
「これは……」
 象形文字のようだった。一字一字が光り輝く。神殿までの道を導くように、まるで白い絨毯。
「リール様」
「……わかっているわ」
 ゆっくりと、リールは足下の文字を追った。

『王達が生まれる時、そのお付と幾人かの人間が付き添うのだ』
『なんで?』
『ヒトが付き添う事になったのは最近だが――そうだな』
 その“最近”が、百年単位の話であるなど、リールにはわかりもしない。
『なぁに?』
『それだけ、みなにとっても喜びであった』
『――どうして?』
『……?』
『だって、……だって、前の王様は死んでしまうんでしょう?』
『リール』
『そんなのいや……やだよぅ……』
『……』
『死なないでよぉ……』
『……なぜヒトが付き添うか言っていなかったな』
『――?』

「はっきり言えばよかったんだわ。王と言って特に恐れられる対象から外れるためだって」
「何を?」
「こっちの話よ」
 苦々しい呟きに、シーンが不安そうにリールを見ていた。
 その昔のヒトも聖魔獣も、決して仲が悪いわけではなかった。そして、種族の違いからか、決して仲がいいと言う事もなかった。
 喜びの影に、恐れが付き纏う。
 受け入れる物があれば、拒む物がある。そうやって保ってきた。はるか昔――

『だから、ヒトが付き添うのだ』

 同じ時間を、住むもの達として。

「昔、はるか昔。人がこの世に住むより前。この場所に四匹の聖魔獣が現れた彼らがどこから、なぜ来たのか知るものはない」
 リールが、神殿まで導くように光る文字を追う。それは、聖魔獣たちがかつて人と一緒に使っていた文字。リールはラビリンスにみっちり教えてもらっている。
 導き手となるために。
 それでなくとも、エアリアス家では古い言語を習わされる。正規の文字とは違う読み方をすることもある。――暗号。
「ここに王の世代交代を行なう――って文章長いわね!! そこっ踏むな!」
「!?」
 リールは目まぐるしく地を流れていく文字を追う。
 白く光をはなつ文字が一つセイジュに踏まれていた。
「獣王を……意思?」
 ぶつぶつと呟きながら、リールは神殿までの道を進む。リールが読み上げて言葉を発するごとに輝き、放つ文字。どこを追っているのか、どこを見ているのかわかる。波打つ文字。
「……だから、別に雄や雌の区別もいらない――いらない?」
 ふと、シーネリーがよぎったリール。
「まさか、ねぇ」
 まさかねぇ……

「ヒトは、非力なものだな」
「は? 陛下?」
「あの王が嘆くわけだ」
 あの、アクアオーラの王が。むしろ、王であることを呪うように。
「こんなことになるっているとはなぁ」
「……?」
「ここにきて正解だったか」
 シャドナスタ王は、ゆっくりと神殿に向かった。

「寿命」
「王?」
「命尽きる時、共にあらん、か」
 黒龍の姿となって、一瞬、こちらを見つめたヴォルケーノに。

「すべてのはじまり、――“エルディス”の名」
「……」
「あの白虎が、名づけたと言われている」
「それは……」
「キリング王の日記だ」
「そんなものが、」
「あった」
 ――もう一度、読み返してみるのも一興かもしれない。あの王にはもう、会えないのだとしても。

「そして、役目を終えれば――……!?」
 神殿の目の前まで進んできたリールが立ち止まる。それは、読んでいた文字のせいか、それとも再び光を放った神殿のせいか。

 神殿は王を飲み込んで静かになっていた。それがまた、王を迎えた時。いや、それ以上に輝きを放つ。
 あふれ出した光は力強く、心地よかった。光が一瞬にして、島を覆い、海を渡り、息吹を与える。
 急速に大地に伸びだした草の芽、木々。その姿は見る見る空に届くかと言うほどで、美しい。灰色の神殿は白く塗られる。
 島を覆っていた雲も吹き飛ばす。
「――終わった……?」
 リールが、呆然と呟いた先。上から、空から、四つの光が下りてくる。
 青い海と同じ色の青い空。どこまでも続く空と海の境界線が曖昧で見えない。
 静かに、リールに寄り添ったカイルと、その護衛。各国の王が前に進み出て前を見る。全獣王のお付もみな、いる。
 四種の色を帯びた光が、輝いてその姿を現す。
「「「「「!!!?」」」」」
 眩く輝いた光が、はじけた先。
 風が、呼んだ。言葉を運んだ。
「「「「はじめまして」」」」
 そこに、四人の子どもがいた。
 並んで、まるで無邪気に笑っている。でもどこか豪胆で、強い。でも幼い子ども。不思議だった。
 四人は、呆けた人間達を面白そうに見ている。そして膝をついたお付も。
 そして、言った。

「ループ。治める種族はルチルクォーツ」
 と、翠の目に銀の短髪をなびかせた少年が言う。
「私はドリーム、オブシディアンの長」
 朱の目に黒く腰まで長く髪を伸ばした少女も。
「俺はアクアオーラを、名はゲート」
 深い海と同じ青い目に水色の髪を肩口まで伸ばした少年も。
「僕はタイム」
 そして、ブロンドの髪に、銀の目をした少年が言う。
「レピドライトの王」

 四人の王が一歩進み出る。いつ位置を図ったのか、各国の王とリールの前に。
 にこりと笑ったタイム。対照的に暗い影を落としていたリールは、うつむいたまま言った。
「――あなたが、ラーリ様を殺したの?」
――パァン!
「――っ!?」
 時が、止まってしまったようだった。その二人の間だけ。
 憎しみのこもったリールの言葉に、何より凍りついたのは、レピドライトの新王。
「……そういうことを、言ってなんになる!?」
 いつになく、いやむしろはじめてかもしれない。カイルの憤りはリールの頬を打っただけでは収まりきれなかった。
「……ぁ……」
 暗い雲のかかった心には、目に映ったものがなんなのかわかりきれない。
 ただ今、自分が言葉を突きつけた相手は誰だったのか?
「ごめ……なさっ……」
 少年は、顔を歪めていた。どうしたらいいのか、本人にもわからない。次代の王は、前王の“持つ記憶すべてを引き継いで”生まれてくる。
 彼にとって、リールの存在はラビリンスのそれと同じ――
 そして、それだけ、自分の誕生がそう喜ばれるとは思えなかった。けれど、だけど――
「僕は……生まれてこないほうがよかったですか?」
 すべての聖魔獣が狂いこの世界から消えることと、引き換えに――
「ちがっ……」
 言葉に涙が混じって、うまく伝えられない。
「――僕の中にあるラビリンス王の記憶は、あなたのことが一番強いのです。いつもいつも最後まで、あなたを心配する王の心が」
「――!? ……ラーリさま……」
「セイファート王も」
 確信があるように、ループが口を挟んだ。
「王シーネリーも」
 静かに、ゲートも言った。
「ヴォルケーノ王も、……たぶん」
 恐る恐る、ドリームが言う。
「何が“たぶん”だ!!」
 ゲートが叫んだ。どうして、そう事を曖昧にするんだ!?
「え!? ぁ、あの、……うん」
 ドリームにはわからなかった。あのヴォルケーノ王の心配は、ラビリンス王に対してがとても強くて。まるで、数百年ぶりに人を受け入れたことをおかしく笑うようで。
「だから、なんだ!」
 黙りこんだ所に怒鳴りつけるゲート。
「ふぇっゲートがこわっ怖いよぉっ」
「なんだと!?」
「助けてリール! 怒っているの?!」
 何をどさくさに紛れたのか、ドリームはリールにしがみ付いた。
「おい! どうしてそっちを味方につける!?」
「ぅわぁあん! 怒ったーー!」
「……そうね」
 リールは呆れていた。
「とりあえず、私は怒ってないわ」
 泣き出したオブシディアンの王をあやす。
「……本当?」
「本当よ」
 誰に、怒ればいいのだろうか?
 その言葉に、ドリームは顔をほころばせた。
「あのね! あのね! ヴォルケーノ王もね! ……」
 沈黙は、長かった。
「……いいわよ、無理しなくて」
「ぅわぁあああん!!」
「わーーだから泣かなくていいってばーー!?」
 おたおたとリールはあわてた。なんと、扱いにくいものか。まるでウィアだ。
ひょいっ
「!!?」
 リールがしゃがみ込んでドリームをあやすより、カイルが抱き上げた。そしてそのままレランに渡した。
「……」
 レランは悩んだ末にノルラド王に引き渡した。
「……」
「こっこんにちは……?」
 ノルラド王と、その手に首根っこをつかまれたドリームという、奇妙な構図が出来上がった。
 それぞれの獣王が、人の国の王に会う瞬間。
 新しい獣王。
 三国の王と獣王が同じく出会って、どうしたものかと悩んだり、すでに打ち解けたりしていた。
「ごめんなさい」
 そんな光景は見えていない。けれど。
 そっとリールはタイムを抱きしめた。
 その腕の中で、ゆっくりとタイムは首を振った。
「……僕は、ラビリンス王のようにはなれないけれど、――頑張るから!」
「――!」
 リールが、空を仰いだ時にはもう遅かった。

『いってきます!』
 四人の、声が聞こえたような気がする。

 再び光の塊となった王達が、空に上って一度集まり、そして散っていく。
「消えた?」
 “女性は大切に扱え”と、自前の理論を持ち出してゲートの頭を抑えていたシャドナスタ王。その押さえつけた顔がこちらに向かって舌を出してきた所で、光に解けて輝いた。
 まるで消えたみたいに。
「四人の獣達は、生まれて一年間は肉体を持ちません。その意識に受け継がれた前王の記憶を持って、世界を巡る――そして一年後、各国で種族の力が一番強い所で肉体を持ち、王となって種族を治める」
 エルディスならセレア、シャフィアラならあの島で。
 晴れ晴れとした顔でリールはその島の人々と、前王に引き続き新王のお付を勤める聖魔獣を振り返った。
 その顔はさっき泣いていたのが、嘘のようだった。だがそれも、心からの笑顔とはいない表情だったが。
「もう一度、四人の王は御前に姿を現すと、思います」
「ちょっと待て、今あの王にふれることができたぞ?」
 あの姿が意志の作り出した幻想なら、いったい。
「確かに、あれは王たちの“心”。彼らにとって人型は本来の姿でもないし。でも触れることができるようにすることぐらい、造作もないわ」
 だから王でありえる。
「おいむすめ――」
 ノルラド王がリールを呼んだ時、島の端から鈍い音がした。何かが爆発するような、壊れるような。
 大地が、揺れる。
「地震?」
「ぁあ、違う違う」
「何?」
「……」
 ふと、レランは嫌な予感に駈られた。
「娘! いったい……」
「見世物はこれで終わりよ! あとは一年後に国ごとに体を得るんだから」
「まさか――」
「そうよ! 四人の王がここにそろわないと代替わりができないから集まってもらうしかなかったのよ!」
 だから、四の王を引き合わす許可を求めた。獣王たちは、かつての言葉を無視しなかったから。
「“役目を終えた島は再び沈む、次に必要とされる時まで。”――この島が完全に沈むまで、約七分ね」
 早すぎるだろうと、早く言えとか、言う暇もくれないらしい。
「はい退却。沈みたいの?」
 誰か、何か言ってやれ。

 あっさりと退却宣言したリールに、しばらく、その場のみながついていけなかった。
 “なんだ? この娘。”
 わかりやすく、その場の心のほとんどを代弁している。
 だが次の瞬間に起きた揺れと、視線が下がって行く事に危機感を覚えたようだった。
 一斉に、船に向かって走り出した。
 輝いていた神殿が、振動に耐え切れない。柱は折れ、地に沈む。
 人々が進む大地は揺れて、走り辛い。
 その場から人々が撤退するも、リールは動かなかった。崩れる神殿、ラビリンスの消えた空を、見つめる。
 その視線も大地と一緒に揺らいで、消えてしまうよう。
 ……このエルン大陸(島)が沈んで、シャフィアラ(島)の中和が終わる――そうしたら。
「リール?」
 ふっと、カイルは違和感に足を止めた。振り返れば、まださっきの位置を動いていない。
 てっきり、あのギミックの船に乗るのかと思った。
「おいっ」
「王子?!」
 一歩戻ったカイルに、レランがあわてる。
「行け、エルディスの王子」
 目の前に、リールを見る視界を遮るように下りてきたレピドライト。
「……シーン?」
「私が、お連れします。――シャフィアラまで」
「――っ」
 わかって、いたことだろう?
「どう、されますか?」
 その言葉は、本当は違う意味を持っていた。
 本当は、止めてほしかったから。だけど、それを言うわけにはいかなかったから。
「王子!」
 レランと、セイジュの声が重なった。
「――頼んだ」
 どうあっても、シーンの背に自分は乗れない。
 それは、あきらめる言い訳にしか過ぎないと、知っていた。
 これ以上、どうやって引き止める?

 海の中に沈みゆく島。

 各国の代表は自分達の船から、その様子を見ていた。
 そのうち、四国の船が合流した。それは、島が沈んで起こった波の偶然か、それですら計算していたのか。
 ひとまずはニクロケイルに戻ろうと、王の意見は一致した。長く城を空けるわけにはいかない。
 しかし、今回の事をどう考えるか、どう記録するか、考える必要があった。
 再び現れた黒い嵐雲を超えれば、空は真っ黒だった。明日の朝ニクロケイルに向かう事にして、船ともども眠りについた。

「――王子?」
 カイルは寝ていなかった。一人で甲板に立ち尽くして、今来た海路を見つめている。
 カルバード王はほうって置けと言った。しかし、自分が主としているのは王子だ。
 ……もう一人は、あとでたたき起こす事にした。
 カイルは何も言わなかった。近づいてくるレランに、近づくなとも、何も。もう囁いた声でも、主はわかってくれることだろう。
「何か、“忘れ物”ですか」
 こんな事をいうこと事態が、どうかしている。
「いや……――!!?」
 輝く月が、隠れた。その代わり、現れたのは“羽根を持つ獅子(レピドライト)”。
「ラビリンス王……?」
 その姿は、まるで光。黄金に輝き、羽根を羽ばたかせる。

 ――帰るのか?――
「どういう、意味ですか?」
 ――お主なら、と思ったのだが――
「……ですから」
 ――あの娘が本当に、エアリアス家を救いにきたとでも? ……――
 最後の言葉は、聞こえなかった。そのまま光となって消えた王。空には、元のように月が輝いている。
 だが、カイルにはわかった。

 ――止めて――

「っ!!?」
 次の瞬間、船の針路を変えるように指示を出した。
 突然の変更に驚いた船長を黙らせて、何かを含んで笑う父親を睨んで。
 ――急がないと、いけない気がした。

 まに、あわない――?

 カタンと、小さく物音を立てた。
「――」
 笑ってしまう――
 この家の誰にも見つからず、この家で誰よりも静かに、廊下を歩き、史書室を物色したあの頃。
 禁忌とされた本を読んだ机。
 一冊の本。
 真実を知って、すべてを知って。今。
 無力さを嘆いて、嘆いて、嘆いて、手に入れた力。
 ただ、泣く事しかできなかった十年前(あの頃)とは違う。

 ――絶対に許さない――

 もうシーンはあの島に着いたはずだ。新い王を迎える準備をしていることだろう。
 “新しい王”。
「……」
 ぎりっと、歯を噛んだ。
 でも、これで終わる。
 服の下から、小さな小瓶を取り出す。色はない。ただの液体。あえて、名前はつけなかった。
 これより先、この世界に存在する事が許されない薬。
 静かに、ゆっくりと時間をかけて蓋を開ける。
 この後の状況を考えて、口の端が上がる。
 右手に持った小瓶を、傾ける。
 それは、エアリアス家で最も多く使われる。飲料用の井戸の中へ――
「何をしている!!」
ガシャン!!
 腕をつかまれて、小瓶が落ちる。
 無理やりこちらを向けとかけられる力に逆らう。
 床に落ちた液体から、異臭がする。
 じゅくじゅくと、床が解けていくような。焦がされていくような音。
 灰色の煙が立ち込める。
「――てっ――放しっ」
 目の前で見た物が信じられなくて、知らず腕に力がこもっていた事も、リールはもがいて離れようとしていた事も、頭に入らなかった。
 これは、毒――
「何をしている!」
 さっきとはまた違う声で、カイルは怒鳴りつけた。
 一瞬、言葉も、表情も失ったリール。

「――復讐」

 カイルは、息を飲んだ。
「消してしまうの、エアリアスと言う名を持つものを、その存在を」
 あの日誓った。
 薄れていく意識の中で、殺してやると誓った。
 皆消してやると誓った。
 ――十年、待った。
 真実と力と知識を身につけて、リアス家を滅ぼす算段を。
「――お前も、そうだろう」
「……死ぬわ」
バン!
 大きな音と共に、回りにあった桶が蹴り飛ばされた。
「ふざけるな! 何が残った! ――何も、種のない所に水を注いでも何もない!」
「――!?」
「ラビリンス王がお前を生かしたのは復讐のためじゃない!」
 かつては、はじめは、そうであったとしても。
「っ!?」
「殺すな―――生きろ」
「……」
 長い、長い沈黙だった。
「………ふ……っ」
「……」
「ひっ……く……ぅわぁああ!!」
 ラーリ様、ラーリ様ぁ!
 一段と、泣き声が高くなる。
 なぜ? どうして?
 お母さん、――行かないで。
 お父さん、――死なないで。
 ラーリ様、消えないで!
 ――置いて行かないで!
 泣き崩れそうになるリールを、カイルは抱きとめた。
 カイルは知らない、その昔、何があったのか、ラビリンスとリールの約束も。
 ただ、自分を呼び止めたあの存在は確かだったし、そのあとやってきたシーンにしてもそうだ。
 だが、それはきっかけに過ぎない。
 泣きたいだけ、気の済むまで泣けばいい、そう思う。
 その姿が、再会してからこれまでで、一番小さく見える。まるで、幼い子どものような。
 泣く事をしなかった子どものような。
「……大丈夫」
 耳元に囁いた。
「傍に、――傍に、いるから――」

『お父さん! お帰りなさい!』
『ただいま、リール。いい子にしていたかい?』
『うん!』
『あら? 今日お洗濯物をひっくり返してしまったのは誰だったかしら?』
『ぅっ……それはないしょなのぉ~~……ぁあ~ん!』
『泣かないの、リール』
『そうだぞ~怒らないから』
『……本当?』
 きょとんと、リールは問い返した。
『本当よ』
『本当だ』
『わ~い!』
『まってリール! 食卓の近くを走らないの! 手を洗ってらっしゃい!』
『は~い!』
 本当に、その日の夜も。前日の夜だったのに、両親は普段と同じだった。むしろ、普段より甘いくらいだった。
 それを、子ども(あの時)の私が察するのは、無理だったと思う。
 例え次の日が、私の十歳の誕生日だったとしても。

『おはようごっ』
『おはよう、リール』
 誕生日の日は、昨日とは打って変わって朝からおかしかった。
 リクエラおばさんがいた。ザインのお母さん。
 おばさんの目は嫌いだった、まるで、私達親子を憎んでいるように見つめる目。私のことを排除しようとする目。どれもこれもが。
『おはよう、ございます』
 挨拶も、当然だというように流れる。
『今日は、リクエラお姉さんと一緒に当主様の所に行くのよ』
『やだ! お母さんと一緒がいい!』
 おばさんの私を見る目が、引きつった。
『それは――駄目よ』
『なんで! ならお父さんは?』
『それも駄目。決まりね。さぁ朝食にしましょう』
『ヤダ!』
 でも湯気を立てている熱々料理には、勝てなかった。

『お父さん、お母さん、行っちゃうの?』
 一足先に、両親は行く所があるらしい。
『リール、十歳の誕生日おめでとう』
『……?』
 その時まで、自分の誕生日だって気がつかなかった。
『おねがいよ、これからは、……当主様の言う事を聞くのよ』
『お母さん?』
『例え、それがいかに理不尽でも』
『……?』
 子どもながらに、逆らえない物があった。
『約束して、何があっても、当主様に言われた事を守る。と』
『でも……』
『お父さんの教えでもない、』
『お母さんでもない。当主様よ』
 正直、あの頃から今でも、小父上は大っ嫌い。
『お母さん? お父さん?』
『約束よ』
『……はい』
『『生きて、リール』』
 母に抱かれて、父に頭を撫でられて。――そして、それが最後。

 おばさんに連れられて、エアリアス家の屋敷に足を踏み入れた。
 長い長い廊下。あの頃はとても長い廊下に感じただけ。を進んで、当主の部屋。
 ここは怖かった。暗くてどろどろした物が流れているから。
 窓を背にして立つ小父上の表情は見えない。薄暗い部屋。
『――ひっ』
 喉から出たのは悲鳴だった。
『今から、泣く事も叫ぶこともしてはならない、許さない。ただ目を開けて前を見ていろ――』
『――ぇ?』
 十歳になったら当主様から始めての仕事を頼まれるんだって知っていた。でもそれは子供のお使いとか、そういうものだと思ってた。
 でも、現実は残酷だった。
 まさか、十歳になった子どもがこれからエアリアス家の都合よく人を殺す事ができるか、都合よく扱えるか図る、テストだったなんて――

 次に、おばさんに連れてかれたのは広場だった。いつもはない台が取り付けられていて、その前に人が集まっていた。堂々と人ごみをぬって進み、最前列。
 どこか恐ろしさを感じる祭壇の目の前に立たされた。
 ――胸騒ぎがする。とてもとても嫌な感じ。
 今すぐこの場から、立ち去れない。

 やがて、正午になった。

 広場のざわめきは、一瞬にして高い楽器の音にかき消される。
 王の登場。
 人々は声を張り上げた。
 王も、挨拶をした。
 何を言っていたのか記憶にはない。
 ただ祭壇に上がってきた二つの影に視線を奪われた。
『第一王女ミーレーン、ならびに第二王女ファニールを殺した罪状として、エアリアス・ルフォールならびにフィーレアを処刑する』
 『どうして』と、叫ぶことは許されなかった。声をあげることも、できなかった。
 一瞬だけ、こちらを見た両親の目が笑って、いたから。
 いつものように、私を見て喜ぶように。
 台の上に立ち、両親は膝をつくように強制される。朝、普通の格好をしていたのに、髪は乱れているし。何より、後ろ手にまとめられた枷が重苦しい。
 間を挟むように一人に、二振りの剣。
 それからは、一瞬のできごとだった。
 時が止まればいいと思った。何もかも捨てて走りよって、私も一緒にとも言えなかった。
 静かに、言葉をつむいだ両親の口、訴える目。
 “生きて”――
ごとんっ!
 目の前に、物言わぬ首が落ちてきたときですら、言葉を忘れてしまったように黙っていた。
 高く、歓声が上がった。
 『二人の王女に死を送った者に死を!』
 台から落ちた首も、残った体も、無造作に拾われてずた袋に放り込まれる。
 そして、広場は何事もない静寂に包まれた。
 心配そうに、ザインはうつむいていたリールの顔を覗き込んだ。
 その瞬間、少女は走り出した。

 息を切らせて、走っていた。死体を乗せた馬車を追って。
 例え声を出せなくても、泣けなくても、追うことはいいでしょう?
 罪人の死体は、海に捨てられる。
 一生、漂い続けろと。
 だから、走った。――間に合わなかった。

 波が打ち寄せては帰ってゆく。
 人の血を吸ってなお青い海。
 ねぇ、お父さん、お母さん。
 どこへ、行ってしまったの?
 立ち止まれなかった。だから、海に入った。

ざーん、ざざーん
『……?』
 波の音で目覚めた。
『……わたし……』
 その声は、ようやく発せられたせいかかすれていた。
 死ななかったの?
 どうして、死んではいけないの?
 ここがどこだかわからなかったけれど、走った。
 海が駄目なら、森で――
 そして、少女の姿が消えた。

どくん、ドクン、ドクン……
『……?』
 次に気がついた時は、回りは、一面の海だった。
 赤い、海。
 それが自分の血で、雨の降り出した中、視界が悪く崖から落ちたことを思い出した。
 ぼんやりと、視界がかすんでいる。
 それは雨のせいか、血を失って危機にある身体のせいか。
 目の前には、赤。
 わたし、死ぬのかな?
 かすむ視界に、自分の手が真っ赤にぬれているのが見えた。
 そうか、わたしの手はもう、真っ赤なんだ。
 ……痛いよぅ。
 お父さんと、お母さんも、痛かったのかな?
 両親の首が飛んだとき、転がった時に広がった血。
 どうして、殺されてしまったの? どうして、殺されなければならなかったの?
 叩きつける雨が、手のひらの血を洗い流した。
 ――許さない。
 絶対に、許さない。絶対に。絶対に絶対に絶対に絶対に――
『――力が、ほしいか?』
 ふっと、視線を上げた先に見えたものは、幻でもおかしくなかった。
 大きな、獣――?
 ち、から?
 ほし、い――
 あの当主を殺して、あの家を滅ぼすだけの力が。
『お主に、力を与えよう。その代わり、』
 なんでもいい。力が手に入るなら。
『時がきたら、我の手足と成って働け――』
 その少女は死にそうなほど怪我を負っているのに、その心は死にそうになかった。
 だから、興味がわいた。
 強い心の誓いに、引かれたのかもしれない。

 そして、少女は生き延びて、獣は死んだ。

 行かないで! 置いて行かないで!! 一人にしないで!
 お母さん! お父さん! ラーリ様!
 死なないで!
 絶対に許さない、絶対に絶対に!!
 殺してやる――

「「リール!」」

 はっと、リールが目覚めると、そこは自分の部屋。エアリアス家で自分の仕事場として、その塔を仕事場にする役職の地位に就いて寝泊りした寝台の上にいた。
 ゆっくりと回りを見渡す。あの頃と変わらない家具、窓。
 さらりと、髪が流れる。
「――!?」
 部屋の中にも、外にも見つけられない人を探して、リールは走り出した。

「王子~いいんですかぁ~?」
 眠い目をこすって、セイジュが声をかける。
 いきなり航路をシャフィアラに向かわせたのは、昨晩。もう日も昇っている。カルバード王は違う船で、ニクロケイルに向かった。もう着いたころだ。
 昨晩、シャフィアラの島は目の前と言う所まで来た時、船の前にレピドライトの王のお付がやってきて、王子に乗れといった。驚いた表情の王子(普段見られないだけに貴重だ。むしろ逆に寒気が走ったりする)は、すぐに背に跨(またが)った。悲痛な声をあげるレランを無視して。
 ちなみに、セイジュはその頃夢の中だ。そしてその後すぐに殺さるところだった。レランに。
「……行くぞ」
 海岸沿いに森があって、カイルはそこから出てきた。
 小船が一隻砂浜に上がっている。四人も乗ればいっぱいになる小船。
 レランとセイジュは船を浜に寄せたら、森の近くで主が来るのを待っていた。
 空が白んで、日が昇りきったころに、王子が森の中から姿を現した。
 王の言い方を借りるなら、一人で。
 無言で、目の前まで王子が進んでくるのを待つレラン。それよりも小船に近い所に、立っているセイジュ。
 さくさくと、砂を踏んで歩く音が、一つ、二つ――
「ちょっとひどいんじゃない?」
 その声は、精一杯怒りを含ませてはいても、収まっていない呼吸の荒さを感じさせるようだった。
「……ひどい格好だな」
「あんたもね」
 確かに、昨夜のカイルもひどかった。何がといえば、全速に近い速さで飛ぶシーンの背にいたのである。そういえばレピドライトに乗るのも初めてだった。
 それに比べれば、リールはもっとひどい。
 朝露にぬれた植物は所々足をぬらし、腕をぬらしている。茨の草はその鋭さを増したように、肌に赤い線がにじんでいるし。髪に至っては言うまでもない。
 しかし、露が髪にかかり、太陽の光が当たる。反射して輝いた髪の色はまるで黄金のようだった。
 いつものように剣を刺して、いつものように服を着て、靴を履いて。
 またどこか、旅に出かける格好だった。少なくとも汚れている部分を除けば。

「はぐっ!?」
 何か言おうとしたセイジュは、言う前にレランに首を絞められた。そのまま小船まで引きずられる。

 少し、遠かった。
 カイルと、リールの距離は。
 いつも、再びエルディスで会ってから不自然なくらい開かれていた距離。
 どちらも、進むわけではない。視線をそらすわけでもない。
 どこか、笑い出せそうに穏やかな時間。
「――俺と来ないか?」
 伸ばされた手は、そう。
 前にも同じ光景を見たことがあっただけに――リールは笑ってしまった。
 その笑いに、カイルは気分を害したように顔をしかめた。それでも。この気持ちが今でも変わらないことに、感謝した。
 本当に、泣きたいのか笑いたいのかわからない。ただ、時々――適わないなぁって思う。
 もう、ためらう理由もなかった。

 伸ばされた手の先、自分の気持ち。

 リールは、その手を掴んだ。

エルディス編