帰郷編
「気持ちいい」
海路を行く船は順調に進み、また日暮れに差し掛かっている。水平線に沈む太陽は赤く、空の半分と海を赤く染め上げる。
夜の訪れが祝福される瞬間。
甲板に出て伸びる王子妃に近寄るものはいない。みなどういう接し方をすればいいのかいまだに理解していない。とレランは考えていた。“小娘は小娘だ”ということが理解できないらしい。
まぁ、はじめから王子妃であるとされていれば話は別だったかもしれない。……だが、どうであろうか。どうであれあの小娘の性格は変わらないはずだ。
その場合、むしろ今よりも受け入れがたかったかもしれない。
「ちょっと」
遠めに、小娘が手招きをして呼びつけるのは、自分。ほほが引きつることを隠しもせずに歩みを進めた。
腕を伸ばせば触れるところまできて、声をかけられた。
「――なんなの?」
「自覚しろ」
もっと、根本的な所で。多々有り余るものを。
「どっかで聞いたわね」
言い聞かせた覚えがある。
「相応じゃないと罵られるほうが楽かしら?」
「珍しいことを言う」
内心の驚きをかみ殺して、抑揚を変えないようにした。
どこにいても同じことだ、変えようとしない限り。
「海路(みち)が、違うのよね」
本題は、こちらだとわかった。
「それがどうした」
「いつ、海図が?」
「海は専門外だ」
真実だとも、そうでないとも言える。
「へぇ? そう」
小娘はあきれたような、驚いたような声をあげてから再び海に視線を戻す。水平線の先は、まだ見えない。
静かにその場を立ち去って、考える。そして仰々しい兵士の四分の一を残してあとは雑用に回した。それから、甲板に上がる人数を制限した。
海が、穏やかだったから。
夕暮れに侍女がやってきて、そのまま寝ていると聞いたときは怒鳴りつけようかと思った。
「ん~~~」
硬くなった体を伸ばそうと伸びをして、回りを見渡す。いつの間にか寝台に寝かされていた。
あの一定の間隔でゆれる波の音は、変わらぬ、返らぬ、ぬくもりを思い出させる。
あのブロンドの毛に顔を埋めて、用意されていた毛布に身を包んでいた、あの頃。
なぜ?
コンコン!
近づく気配が部屋の扉を叩いたのでそれまでとなった。
「お食事の時間です」
「豪華ね……」
船の上なのに。
「承ったのは、航海を優先させろというご命令です。航海の後半は新鮮な食材は魚しか手に入りません」
「そりゃそうでしょう」
それこそ乾物メインね。
「……」
部屋の端で、食べられればなんでもよかろう。この小娘はと嘆息していた。
「そこ、意味深にため息つかない」
「事実を感じたまでだ」
「感じるだけに留めたらどうなのよ」
「なぜ私が?」
「……」
しゃべるのはそこまでにして、湯気を立てるお皿に目を向けた。暖かい食事、みずみずしい果物。今朝方積み込んだのだろう。
「果物はしなびる前に、食べたほうがいいわね」
「そう思うか」
「そうよ。どうせ、食べきれないほどあるんでしょう」
みんなで、食べるといいわ。
何か悪いものでも食べたのかと問うと、ナイフが飛んできた。
穏やかな海に安らぎを感じるのは、あの義父の言葉のせいなのかもしれない。
――調子が違う。何が違う? 私は、どうしていた?
エルディス(ここ)と、シャフィアラ(あそこ)の私は、何が違うの?
船は進み続けた。昼も夜も。幾度日を沈めた海を眺め、幾度日の上がる海を眺めたのだろう。退屈だろうと渡された本も、柄にもなく用意された日誌も、閉ざされたまま。
考える時間だけは多くありすぎて、思考の回転が遅くなる。まさか、シャフィアラから持ち出した器具を持って再び帰ることになるとは思わなかった。
首を回して空の青さを眺める。それから海からの照り返しに目を細める。船の後方では、釣り糸が垂れ下がっていた。
問い詰める必要はなかった。「いっぱい、人くる……」そうウィアは言った。エルンが沈んだあと海流に守られないあの島は、どうなっているのだろう。
「陸が見えました!」
その言葉を、恐れていた。
一方そのころ。
「まぁ~かわいらしいわねぇ」
大きな影が、覗き込んでくる。知らない女性だ。
「おばさん、だぁれ?」
おば……さん?
廊下の周りを取り囲む兵士と影のうしろに控えていた侍女はその言葉に冷や汗を流した。空気が凍る。寒い。視線の先には、髪を高いところで二つに結わえた少女と、この国の王妃。そう、王妃フレアイラ。
「ぁあ母上、リールの……なんだったか? 妹か?」
なんてことないように少女のうしろから現れる王子は、少女の視線に合わせようと腰をかがめた。
「ふ?」
少女は意味がわからないのか首を傾げた。
いや、違う。両親は死んだと言っていた。それがいつのことか知らないが、この娘が生まれる前のことだろう。
「リディはリディなの!」
そして、自分の中で結論に至ったらしい。
「……そうだな」
凍りついた空気に気がつかないかのような会話。ひとりは本当に気がついていないし、ひとりはあえて無視している。
「当分、保護者がいないので預かることになります。まぁ身内なので、当然ですが」
目を輝かせたままの少女を置いて、王子は王妃に話しかける。
「ウィア、お前が今おばさんと呼んだのは俺の母親だ」
そういってウィアを前に出そうとすると、少女はするっとカイルのうしろに回った。顔だけちょこっと出して言う。
「ウィエア・アンダーニーファ……です」
「いーい、ウィア、ここではあなたの知らない人ばかりなんだからお友達になるにはきちんと挨拶をするのよ」そう、リディは言った。
「まぁ、かわいいわぁ~」
王妃は、ちょこんとお辞儀をして挨拶をしたウィアのかわいさに目が行った。しかし先ほどの暴言は忘れない。
「こんにちは、ウィエア。私はフレアイラよ。そうね、フレアと呼んでくれればいいわ。あなたは……」
「私ウィア!」
リディが、そう呼んでくれるの――
「で、その少女は?」
「母上に連れて行かれました」
「さぁ、一緒にお茶にしましょう! お菓子もあるわよ」「うん!」――玩具(おもちゃ)だ。
「そうだろうなぁ」
国王は低く笑いながら言う。
「そうですね」
表情の変わらないカイルとは違い、国王は面白そうに笑っていた。
ひとしきり笑ったあと、ふと国王の顔つきが変わる。立ち上がって窓辺に向かい、その先を見つめる。その向こう、はるか先は、海だ。
「――何も、なければよいが」
それは無理だと、知っている口調だった。
「隊長!」
「何事だ」
「船が一隻、西から近づいております」
「西? 正規ルートか? どこの馬鹿だいったい」
「それが……まだ判別できません」
「速度は」
「それは……もう、見える範囲にいると
「あれ……は、どこの船だ?」
「あの旗は緑色に見えますが……まさかっ!?」
「なんだと!?」
その船の中に、衝撃が走った。
「……」
「なつかしいか」
うしろからかけられた声に、答えなかった。この思いをなんと表現していいのかわからなかった。
なつかしいのかもしれない。あの島々が。
悲しいのかもしれない。両親と、保護者を亡くした場所。
そして、事実は。
怒り狂っているのかもしれない。付きまとうという現実に。
「よく、わからないわね」
「ふざけたことを」
「そうでもないわ」
「……」
はぁと、大きくレランはため息をついた。調子が狂う。
「恐ろしいのか」
“恐ろしい”?
何が? あの島が? それとも、自分が――
「そうね」
恐ろしいのかもしれない。すべてを捨てて逃げ出した。すべてを飲み込む島が。
父も母もラーリ様も、楽しみも喜びもなくした。必要なのはリロディルク(わたし)ではなく、リアスの名を持つもの。
誰だって、よかったんだ。
過去の、大罪。求めたための代償は、まだ支払いきれていない。
「元を、断つしかないのよ」
すべてを、捨てられないなら――
「レラン様! 王子妃様! 船室にお戻りください!」
「なぜ?」
「なぜだ」
「なっなっなぜと申されましても! あの船がっ」
「来るわね……なんでいるのかしら。ここはまだ警戒する場所じゃないのに」
しかも、あれは王家直属の海軍だ。何をしているのか。
「知り合いか?」
「こちらが知っているかどうかはわからないわ」
「レラン様!」
「知らん。任せておけ」
投げやりな護衛の言葉に、開いた口が塞がらなかった。
正面からやってきたものと思った船はこちらに止まるように合図をくれる。――そんな暇はない。直進しろというと、あきれた声が降ってきた。無視した。
「そこの船! どこのものだ!」
一向にとまる気配の見せない船の真横を、軍艦が近づく。甲板の先頭に立った男が声を張り上げている。
「とまらないのならば、こちらにも考えが――」
「なんだというのよ、いったい」
相手によく見えるように、身を乗り出した。
「……」
しばらく、波の音が耳に届く沈黙。男は、開いた口が塞がらないらしく、ぱくぱくと開閉する。中途半端に伸びた腕の先の人差し指はこちらを指したままだ。
「リリリッリッリアス様!?」
でかい声が響いた。向こうの船の船員の気配が動いた。
「ずいぶん、――どういうこと? ここに警備がいるなんて聞いてないわよ」
あわただしく向こうの船の船員が現れるが、かまう暇はない。
「それは……」
男は、言いにくそうに顔を伏せた。
「リアス様、陸にフォトス様がいらっしゃいますので」
走って甲板にやってきた船長らしき男が言う。
「ジオラスが?」
それこそ、不可解だというようにリールは首を傾げた。
「どうなったのでしょう?」
「知らん」
気がついたら、数隻の軍艦に囲まれるように陸地に向かっている。すべては、自国で王子妃と呼ばれるあの女性の行動。
その小娘は向こうの島の男と会話している。情報収集だろうが、ほとんどが王子に聞けと断られている。
機嫌が悪くなるだろうが。――そう思った自分は、ずいぶんとリールが王子妃という(さいきんの)生活に順応していると自己嫌悪が襲った。
「フォトス王子!」
「なんだ」
「海をご覧ください! 船が帰ってきます!」
「あれは……海軍は何をしている」
警備に回した船が、一隻の船を守るように向かってくる。
「緑の旗……」
双眼鏡から目を離して、第二王子は呟いた。
「いかがいたしましょう」
沈めますか?
「まあ、待て」
まさか、“来た”のか――!?
「馬車を、用意しろ」
声が震えた。
「いったい、何事?」
そうやって、目の前に着地する姿。相変わらず……船の上が騒がしいのだが……気にしてないな。うん。
「リーディ……アンダーニーファに会えたか?」
「……あんたが?」
「海に、出しただけだ」
それ以上はできなかった。逃げ出してきたあの子を、送り出すことで精一杯。あの泣き声は、止められないから。
「今は、……城にいるわ」
「それなら、何よりだ」
「質問に答えてない」
「それなら、見てもらったほうが早い」
うしろを振り返った。
「何を」
リーディは、相変わらず腕を組んだまま。
「馬車を用意している」
乗り込んだ影は、三つあった。
沈黙の馬車が進む道。ぼんやりと窓の外を眺める。感じたのは違和感。
「変ね」
「そう思う……よな」
「誤魔化そうなんていい度胸ね」
「助かった」
「まだ何もしてないんだけど。だいたい、助ける気ないから」
「だろうな」
三人目の言葉に、二人は顔を向けた。
「――ぁあ」
そうだ、船は置いてきたけど、レラン(こいつ)はついてきたんだった。
がたんっ! 馬車が坂を上り始めた。もうすぐ、目的地――
「――な、に」
それが真実。
シャフィアラは周りを海に囲まれているおかげか守りという意味では甘いと言わざるを得ない。
強固な高い城壁も、深い堀も必要ない。
だって、海が守るから。それで安心。
だからこそ――
ひとたび進入すれば、た易い。忘れてはいなかった。忘れたかった。
その、知名度。
不死を、求めた。彼らは、
家の周りを固める人の姿に目を細める。粉々に割れた窓、穴の開いた壁。響く、怒声、叫び声。
窓から出入りする人、誰かを踏みつける人、泣き声、破壊音。
ぐらりと、足元が揺れた。
「いっぱい、人くる……」そうね、ウィア。略奪者も患者も権力者も野望を抱いた大人も来るわね。
エルン大陸は再び海に沈んだ、四獣王は力を持った。――海は、もう荒れる理由がない。
シャフィアラまでの海路が開かれれば、人々は不死を求めてエアリアス(ここ)を目指す。
「……いつ、から」
「わからない、気がついたら、これだ」
密入国が増えた。もともと外から人が来ることなんてなかったから、対応が遅れた。その間に、こうなってしまった。
「いい加減にしろ!?」
「出て来い!!」
誰かの声が響く、耳に痛い怒声。
「早くしろ!」
「この子を助けて!」
不死を求める人、病を治そうと訪れた人。押しかけた人の、およそ好意とは言えない行為。屋敷の入り口をふさぐ者たち。
「助けたらどうなんだ!」
「お前達は不老不死なのだろう!」
「子供の病を治して!」
――勝手なことばかり、言う。
「いい加減にしたらどうなのよ」
低く、呟いた。
そうやって、ここにきたのか。力があるものなら、病床に伏したものなら、許されるとでも?
「……戻って、兵を連れてきて。それとギミックを呼んで」
「わかった」
頷いたフォトスは、道を下った。すっと、前を見据えた。
――邪魔をしないで。誰にも、ここに侵略することは許さない――
「どきなさい」
息を吸って一度止める。森中に響かせるために発した声は、目の前の人々を振り返らせるには十分だった。
「なんだ!? お前!」
「邪魔をするな!!」
「退けと言っている」
「なっ」
ざわりと、気配がゆれた。ささっと扉を潜ろうと進むと、裕福そうな身なりで、丸く肥えた男が立ちふさがった。
「ふざけるな! 順番を飛ばす気か!」
その手に抱かれた、少女は――
「私の番なのだぞ!!」
「違う!」
何を激昂したのかわからない男の声に、高い声が邪魔をする。
「僕の番だったのに!」
現れたのは、擦り切れた服を着て、靴も履いていない少年。
「うるさい! お前にその権利があるというのか!!?」
「妹を助けて!!」
すがり付こうとした少年は、男に蹴り飛ばされた。
「ふざけるな! お前達がその恩恵に授かろうなど愚かな考えよ!」
「なんで!?」
「黙れ」
「……なに?」
「黙れ」
睨み付けると、男は押し黙った。
少年の指差した先――危ない。周りは、病人を連れたものばかりだ。不老不死、病を治す薬師。
今まで、海流に阻まれて来られなかっただけだ。その海が落ち着けば、世界中で病に悩むもの不死を願うものが押しかけてくることなど、考えられないことじゃなかった。
だけど、忘れていた。そしてこのあり様。
ふと窓を向けた先にローゼが見えた。何か――!?
立ちふさがる男達に剣を向けて道を切り開いた。
迷わない。中にいる人間など目に入らない。階段を上がって、左の廊下。あの突き当たり。声が聞こえた。
「やめて! やめて!!」
「うるさい! これさえあれば――」
「違うの! それはあの患者さんにっ」
「売れば儲けるぞ!」
「今までどこに隠してあった!」
「返して!」
長い髪をまとめた少女の持つかごを奪う男達。抵抗する少女を張り倒す腕。誰も助けはしない。みな、思いは同じだ。
勝手に住み込み、不死の力だけを頂こうとする人間達。彼らは、ある一定以上の力と金を持ち得ない人を踏み越えてここに居座った。その薬も、ここにあった薬も、今いずこ。誰の手に渡ったのだろう。
「離せ!」
男の手が、振られた。
「きゃぁ!?」
小柄な体が衝撃に揺れる。飛ばされて、床に崩れるローゼリアリマ。
一瞬たりとも、迷わなかった。
「ぎゃぁ!?」
光る剣に滴った血が床に花を咲かせる。こんな男でも血が赤いかと思うと吐き気がする。
「なっなんだお前!?」
一歩後ずさる二人の男。誰が、逃がすとでも?
「リー……?」
呆然と見つめてくる瞳。少しだけ、待ってて。
「さよなら」
三人の男を切り捨てて、窓からほうった。下が騒がしいが、無視した。
「大丈夫?」
すっとしゃがんで、床にしゃがみこんだローゼに微笑んだ。自分でも驚くくらい穏やかに笑っていた。今まさに三人の男の血で汚れた剣を持ったまま。
「リー……ディル……?」
「なに?」
「リーディル!」
飛び込んできたローゼを抱きしめながら、あたりを見渡す。客室は荒らされて、勝手に居座ったであろう患者でいっぱいだ。騒ぎを聞きつけた人々が何事かと現れる。
――よくも。
「リーディル……」
結い上げられた髪は無残に散って、顔には疲労と恐怖の色が濃い。細い体は、こんなに痩せ細っていただろうか。
「ウィア……は?」
こんな時でも、妹の心配は忘れないのかと笑った。
「大丈夫、今はエルディスにいるわ。少しだけ、おやすみ。ローゼ」
持ち出した薬は少量で、だけど十分眠りに連れて行った。
眠り込んだローゼを抱えあげようとすると、突然横から腕が伸びてきた。
「……」
「さっさと先に進めろ。私は、早く城に戻りたい」
「そうでしょうね」
行くわ。まずは二人を。
「ザイン! シャス!」
いい加減で出てこないと、怒るから。足早に叫ぶ人や恐れる人を追い越して先に進む。こんな時にこの屋敷の広さを呪う。迷うことはないにしても。
すると、正面からひときわ甲高い声が聞こえてきた。
「助けて下さい! 突然やってきた女が主人を――」
続けて、さほど重要そうでもなく、軽い声がした。
「今更流血ごと? まぁそうだよね~いっそ……」
「いっそなんだと言うつもり、シャス」
聞いた声が信じられないと、少年は一度びくりと震え、恐る恐る振り返った。震える指がこちらを指差す。泣きついていた女は怪訝そうに首を傾げる。
「リー!?」
青い目を大きく見開いて、それだけ言った少年はそれ以上の声を失った。
「シャス! ザインはどこ!!」
そんな驚きに、かまってる暇はない。
ザインの居場所を聞き出したら、シャスにはローゼを部屋に連れて行くように言いつけた。ついでに合流したフォトスと一緒にくっついてきたエルディスの兵士にローゼの護衛を頼んだ。連絡係だろうがなんだろうが、知らない。
ばたばたと廊下を走る人間が増えたので、廊下に顔を出す人々も出てきた。どいつもこいつも、我が物顔で部屋に居座っている。しかも、家族で。
今の時間は検診だというザインのいる階は一階。階段を駆け下りて、片っ端から扉を蹴り開けた。
「ザイン!!」
たぶん、十かそこらだったと思う。
容赦なく蹴りあけた扉の先にいたのは、同じ瞳の色の従兄(いとこ)。彼もまた、驚きに固まった。だが彼の反応は早かった。静かに立ち上がって言う。その前の寝台に眠る老人はもう、事切れていた。
「ウィアに、会ったか」
「あんた、何してるのよ?」
互いに口を開いて、違うことを言う。
「……あっちに、来たわ」
ウィアがあんなにおびえるまで、ローゼが倒れるまで、何をしているのだ、こいつは。
「まいったな。完璧じゃなかったか」
その言葉にリールはひっかかりを覚えた。まさか、情報の操作? 誰と、誰が、どうやって。
「あんた、まさか」
「助けてくれと、言うわけにはいかないだろう」
気がついた時にはもう、アンダーニーファはいなかった。それに、正直ほっとしたのも事実だ。
「せめて、アンダーニーファだけはここから逃がしてやりたかった」
あの子は、エアリアスを継ぐ者(われら)と同じ道を辿ることはもうない。だからこそ。
知っているだろう。あの子があのまま十歳の誕生日を迎えたらどうなっていたか。
「知ってる。だからこそ、もう」
もう平穏がきたのだと、勝手に安心していた。
「いいんだ。俺達は今まで何もしてこなかった。これが、報いだ」
「それでローゼを過労死させるつもりだとでも?」
「……」
「今この状態をどうにかできるとでも?」
たった三人で。
あの溢れかえった人間を相手にできるとでも?
「リディロル」
リンザインの声は、まるで何かをあきらめているようで、何かを期待しているようだった。
「私は、ウィアだけが助かればいいと思っていない」
だけど確かに、みんな死ねばいいと思ったことはある。あの昔。なすすべもなく死んでいく人間の相手をし続けたあの頃。
だけど、今は違う。ひとりであがくことすらできなかったあの時と違う。
黙りこんだザインの意見はいらない。まず今、すべきは――
「全員、追い出す」
「ご意向のままに、現当主」
静かに、ザインが頭を下げてくる。
「……どういう意味かしら?」
「俺は、代理だ。一生な」
「誰も継ぐと言ってない」
「知っている。だが、今この場ではお前が一番濃く血を受け継いだものだ」
初代に近い外見を持っているということで、血の濃さが決まるのだから。そして自分の「親父は死んだ。だから、お前がここにいる限り、エアリアス(この)家で一番力を持つのはお前だ。リディロル――いや、リーグラレル・リロディルク」
「リーディル?」
騒ぎの合間、眠っていたはずのローゼの声が聞こえた。
「ローゼ? 何をしているのシャス」
細い声の先を振り返って、ローゼに声をかけた。そしてシャスを睨む。少年はぎくりと身を固めた。
「シャスに怒らないで」
震える声で、ローゼは言う。
「そう? もう少し休みなさい、顔色が悪い」
そう言いながら近づいて、ほほをつねった。くすぐったそうに笑ってから、ローゼは言った。
「私も……薬は効かないから」
ここにいる、エアリアス家の者(だれも)が。
「……そうね」
「それに、私にできることはするから」
「ならまずは休みなさい」
「でも……二人は?」
「いいのよ、気にしないで」
にっこりと微笑む。たぶん、男二人は青ざめているかもしれないが、無視した。
「人使い荒いよねーー……」
「あきらめろ」
ほら、何か言ってる。無視無視。
ふと顔をあげると――ってそこでなんでため息ついてるのよ。レラン。
「あなたに頼みたい仕事は、人手がいるから。集まるまで時間がかかるの」
「本当?」
「あなたに嘘をついたことはあるけど、それは本当よ」
「でも……」
「今度は、違う薬で眠らせてもいいのよ?」
「……」
「そのうち日が暮れるでしょう」
「うん」
「森には、日が昇ってから行ってもらうから。朝早く薬草をとるように、教わったでしょう?」
「……うん」
「だから休みなさい。こいつらはその時に休んでもらうから」
「ぅわあ、休めるって」
「素直に喜んでおけ、取り上げられたくなければな」
「ごめんなさい」
「でもそれじゃぁ、昼と夜が逆になってしまうわ」
会話がおもしろかったのか、くすくすと笑ったローゼが言った。
「私じゃないから、いいの。さぁもう行きなさい。日が昇るまで誰もいれないこと、いいわね」
ローゼの背を押してから、見知った兵士に声をかける。返事を確認してから、ローゼを送り出す。
最後に、ローゼは振り返って抱きついてきた。
「ローゼ?」
「ありがとう、リーディル」
「それは、まだ早いわよ」
ひらひらとローゼを見送って、一瞬目を閉じた。次に目を開いた時にはもう感情はいらない。そう、エアリアス家(わたしたち)以外に、情けはいらない。
「全員、追い出す」
手段なら、問わない。
「兵を二つに分けて。半分は、屋敷の人間を追い出して、二度と入れないように屋敷の警備を」
場所を変えて、叔父上の部屋にやってきた。ここは強固な鍵で守られているから、人々の侵略は受けていない。
屋敷の見取り図とザインとシャスに、フォトスとレラン、ギミックを加えて作戦会議だ。何人か兵士が部屋の扉の近くに集まっている。
「ならそれは」
「あんたは、物資の調達」
「……はい」
口を開いたフォトスを黙らせた。
「ウィディア様、久しぶりですがいったい私は……」
「人間を陸に送り返してもらうわ。抵抗しないように脅しかけるけど、面倒な作業になるわよ。それから、海軍も動かして」
「それは別にかまわない、けど」
「何?」
「海の警備が手薄にならないか?」
「沈めればいいだけの話よ」
「……」
怒ってる……
「それで、私達は?」
もうつくため息も切れたのか、先に聴いてくるこの男(レラン)。
「兵士は一緒に来てもらうわ。全員追い出すのに人手がいるから」
「部外者だが」
「だからよ。こっちの住人はこっちの人間しか知らない。進入してはいけない場所まで入ってくる人間の扱いなんてわからないのよ」
「ひとり残らずか?」
「そうよ。子供だろうが老人だろうが女だろうが病人だろうが全員よ」
「どうする気だ?」
「整理する必要があるでしょう。薬師が必要なのか、そうでないのか。その間に屋敷の修理と、寝台の整理。持ち込まれた私物は全部捨てて。――質問は?」
「あの~俺達は?」
恐る恐る声をかけたシャスの後ろで、リンザインがこの馬鹿と額に手を当てている。
「あんた達?」
リールはにっこりと振り返って言った。
「あるだけ全部薬草と薬持って来い」
「あるだけ全部!?」
レランにも、ギミックにも、フォトスにも、シャジャスティの驚きの大きさに首を傾げた。
「だから、余計な事を……」
この荒らされた家の薬の隠し場所と地下室が、いくつあると思っているんだ……
「外も、忘れないでよ」
「まじで!?」
「薬草は明日とりに行かせるけど、とりあえず手持ちを確認。あんたは、こっちで一緒によろしく。邪魔するのは捨てて頂戴」
「死ぬ~」
「まったく」
嘆くシャジャスティに、リンザインはため息で答えた。
レランには別仕事を頼んだ。また、ローゼのように取り上げられては面倒になる。この二人には仕事を徹底してもらうから周辺に気を配ってる暇はない。
「そうだ、あの副隊長も一緒に」
「その他の兵がすべてお前に?」
先に言いくるめておく必要があるな、たとえ非常識でも緊急事態だと。逆らって王子に睨まれたいなら止めないと。
「私は上から行くわ。朝までに終わらせて」
細かいことを決めて、質問をまとめた。集合場所と、連絡方法。交代の順番。急がないと、日が暮れる。一度掃除したら、今度は整理しなおさないと。
「まずは日暮れ前までに、始末するわよ」
……何を?
「さあ、ごみ掃除よ」
連絡が、屋敷の中を駆け巡った。
数十分後……
「邪魔するわよ……っていうか私の屋敷よ! 出てけ!」
「なっなんだお前!?」
計画が実行に移って、屋敷の中はいっそう騒がしくなった。――特に破壊音が。
「騒がしくなっ」
なったと言おうと思ったら、天井が揺れた。
「……」
「黙って働け」
「はい」
「なんだお前!?」
「――関係者よ」
とりあえず。部屋の中を見渡す限り、趣味が悪いとしか言いようがない。まったく、家族で何をしているのか。
「出てってもらうわよ。この不法侵入者」
「なにっ!?」
「娘がいるんです!?」
「そっちの都合でしょ」
「そんなっ病を治してもらえるんじゃ」
「不法侵入者の世話をするつもりはないわ」
「助けてください! 娘はまだ十にもならないんですよ!?」
「それと引き換えなら、この家に居座っていいとでも? 残念だけど、私の優先順位はあなたと同じじゃないのよ。さぁ、出て行きなさい!」
「おいっ! お前達!」
男が声をかけると現れたのは、黒服の男達。
「準備がいいわね。いくらか、支払ってもらおうかしら」
剣を引き抜きながら、リールは呟いた。
「殺れ!!」
「おっ――リアス様!?」
ついてきていた兵士を睨みつけ、剣を受け止める。――王子妃と呼ばせるわけにはいかない。
それから数分後、黒と赤で真っ赤に染めた床を見つめながらリールは舌打ちした。しまった、掃除の手間が増えた。
剣先の血を払って、青ざめた男に一歩近づく。男は立ちふさがり、女は娘を抱いていた。
「待て! 何が望みだ!? いくらでも支払うから!」
「お金でつれると思ってるの?」
リールは笑った。
兵士は苦笑した。確かに、この方を釣るには、お金ではあまりに……
必要なお金なら、貯蔵庫にある。全部使ってフォトスに物資を補給しに行かせたのだから。だが狭い島の中だ、限界があるだろう。
だからこそ、城の中からよこせと言ったのだ。どうせ、余っているのだから。
「さっさと、出て行け!」
「なんだ?」
屋敷に入りきれなかった人々は、その様子を呆気に取られて見つめていた。金にものを言わせた金持ち達が、あわてて――というか何かに追われるかのように屋敷から出てくる。ついでに窓から大量に家具や私物が落ちてくる。
代わりといってはなんだが、王家の紋章の付いた馬車が何台もやってきる。
何が、起こっているのかわからない。また、ひとつ、泣き声と怒声と叫び声が響いた。話を聞こうにも、みなあわてて走り去っていく。
「ふざけるな! 私を誰だと思っている!?」
またひとつ、怒声が響いた。
「あんたがどれだけお金持ちで権力者かなんて知りたくもないわ。――少なくとも薬師(わたし)の前ではその患者(ひと)がどんな服を着ていようとひとりは一人よ!」
患者としての重さは、同じ。なんて、言うことになると思わなかった。殺してきたのに。
あっけにとられた人々と屋敷の間、屋敷を囲むように兵士達が立ち並ぶ。もう簡単に近づけない。追い出されたもの達ももう戻れない。
「フォトス? 突然帰ってきたと思えばいったい何をしておる」
「リーディが戻りました」
「あっあの娘か!?」
そこまで驚かなくてもいいと思うが、そう驚きたくなるのもわからなくもないと言うか。
「邪魔をするとあとでどうなるかわからないので、従っておきます」
「知らん。わしは何も聞いておらん」
「父上。そんな嫌わずとも」
「あの娘に関わると、ろくなことにならん」
いつの間にか帰ってきたのだ、聖魔獣を従えて。
「思うんだけど……」
「余計なことは考えるな」
「あれでどうやって城で生活してるんだ?」
「それは……」
何か言いかけたリンザインは、口をつぐんだ。なので、シャジャスティの視線はレランと、その後ろにいるヴェリーに向けられた。
たらりと、冷や汗を流したのはヴェリー。え? あの王子妃について考察しろと?
「聞かれたものが困ってるぞ」
助け舟を出したのはリンザイン。
「ジャスティ、ここからは二手に分かれる。お前は外だ」
「えーー!?」
「ヴェリー、お前も付いていけ」
「はい」
「ぇえ!?」
外まで付いてくるの!?
「他人にかまってる場合か、ジャスティ? 少なくとも刻限までに仕上げなければどうなるか想像も付かないのか?」
ざーっと、シャジャスティは青ざめた。え? リーに逆らうの?
「それに――見たところ一介の兵とは違うようだし。わざわざこちらの不利になることをするとは思えないからな」
「この人たちもリザインと一緒でリーに頭が上がらないのか?」
「……ジャスティ、相変わらず一言余計だなお前は。――直結してリディロルというわけじゃないだろう」
「どういうことだ?」
その時、屋敷の中から先ほどから響きっぱなしだった破壊音がひときわ大きくなった。
「いいから、あとにしろ」
「いってきまーす!!」
あわてて、逃げるようにシャジャスティは外に向かって走り出した。
「――頼むから、道を塞ぐなよリディロル」
これから行く場所を考えて、リンザインはため息をついた。
二階は金持ち共が用心棒と一緒に陣取っていたので、比較的屋敷に対して被害は少なかった。
問題は一階だ。薬を盗もうとした侵入者の痕跡が多すぎる。窓は壊滅状態だ。
大工とガラス屋の手配を優先させたから、もう着くだろう。その間に中を掃除しなければ。
「部屋の中の住人を引きずり出して、家具は全部捨てる。抵抗するようなら眠らせてかまわないわ。ああ、そうね、むしろその方が、早いわね」
二階は、比較的無力な人間が多かったが、こっちは生き残るのに必死なもの達ばかりだ。
「燻(いぶ)りだすか」
って、そんなことしたらザインに怒られるわね。
「作戦変更ね。あなた達は作業を続けて。死ぬ気で抵抗する人間は、とりあえず放っておいていいわ。私が行くわ」
数人の兵士を伝令に走らせて、隠し扉の中に向かう。いつものように塔に向かったが、舌打ちする。
あの時、捨てた薬のほうが多い。塔の上にあった薬のほとんどが出回ってしまった。地下に保存したものの中で、状態がいいもので代用しなければ。
「――っ」
唐突に、立ち止まった。
――あの時、すでに、この島にたくさんの人間がやってきていた――の、か?
だから、ザインと――カイルも?
「知っていたのか」
そうだったのか。それでああもあっさり出してもらえたのか。
「――まったく」
なんというか。無関心な用でいて、一番気を配っているというか。
そういえばいつも、そうだった。
「………
いらだちは、なぜか知っている。だけど、絶対に言ってやらない。
塔の中は屋敷よりひどい状況だった。扉は半壊。窓は粉々。めぼしいものは全部持っていかれている。家具はすべて壊されているし、所々壁も壊されている。
屋敷から離れているし、誰もいないからちょうどよかったのかもしれない。
「それで死んでくれるなら、勝手にしろって感じなんだけどね」
それで儲けようなんて、絶対に許さない。
「――たっ!?」
柱に手をつけて、とがった木に指を取られた。細い線を描くように、赤が浮かび上がる。
皮肉なもので、壊されて破れたカーテンと窓から、日の光が入ってきている。
「……」
この場所では、いろいろなことを思い出す。気が緩むというか、恐ろしくなるというか。
本当にここで独りだったら、生きていけなかったかもしれない。
「なんだ! お前達は!?」
「なんだと申されましても……」
「なんなんだろうな?」
「さぁ?」
「まぁ隊長と、リアス様と、引いて主君の命令だからなぁ」
「ここでは、エルディスの名は禁止よ。絶対に。私はリアスよ。いいわね」――と王子妃は念を押した。
隊長は隊長で、「逆らって王子に首をはねられたいというものがいるなら、止めない」なんて。
寿命が縮まる……
「とりあえず、掃除だな」
「そうですね」
「なに!?」
手始めに目の前の男につかみかかった。
「壊されたものを修復だ。窓を直すことが最優先だそうだ」
「あれを全部ですか、王子様」
「――ああ」
「リアス様の依頼とあれば、腕のふりがいがありますな。行くぞー」
おー! と、大工とガラス屋は結束して仕事に取り掛かった。――その視界の端に、泣き叫ぶ人間が見えていたはずなのだが。
「王子!」
「布の準備はできたか?」
「はい、島中の布を集めさせてます!」
まず、王城の客室のシーツはすべて剥ぎ取られた。
「夕食の準備も忘れないように伝えておけ、彼らすべて、城に収集することになるからな」
エルディスからやってきた兵士達全員。
だーー忙しい。
「まぁ、それでも資金があまっているというのだから、恐ろしいな」
なんで、国庫より多額の金額を溜め込んでいるんだよ。
「こんなものね」
あるだけのもので眠り薬を作って、鞄に詰め込む。
「忘れ物――なし」
暴かれていなかった地下二階に押し込んだものは古いものばかりだ、効き目はよくないと思うが、逆にそのほうがいいかもしれない。
ようは、追い出す間静かにしててくれればそれでいい。
「リアス様!」
「遅くなってごめんなさい。で、どうなった?」
「一階の住民でまだ退去してないのは十組です。それから大工とガラス屋が到着しました。物資は布が届けられています」
「わかった。退去しない人間を追い出す。人手は?」
「ここに」
「修復は二階からはじめているわね。階段付近の警備を一人ずつ増やして」
「はっ」
「布は修復が終わった部屋から運ぶから、まとめておいて」
一段楽したら、城の侍女がやってくることになっている。そんな時に何かあっては困る。
「さっさと、追い返すわよ」
「まだ居座って、何をするつもりかしら?」
「黙れ! 私は不死になると決めたんだ!」
「迷惑よ!!」
小瓶からもれた眠り薬の効果はあった。――はじめからこうしていればよかったと思いつつ端から人間を眠らせていく。その後を解毒剤を飲んだ兵が部屋の中を空にしていく。
一部屋、二部屋、……半分を過ぎたときだった。
「――っ」
部屋の扉の隙間からする異臭に、後ろの兵士達に入るなと腕を伸ばした。
「これ、は?」
「死んでるわね」
「なんですと!?」
バン!
迷わず、扉を開け放った。
「誰だ!?」
奥の寝台に突っ伏していた男が振り返る。部屋の中は真っ暗で、足元を照らす明かりしかない。
「関係者よ! いったい、何をしているの? 死体を持ち込んで」
「違う! ヴィーは死んでない! ここで不死になるんだ!」
「無理ね。死にぞこないと死体は対象外よ!」
叫ぶと、男が剣を引き抜いた。兵士達に緊張が走る。
「なんのまね?」
ここに、時間をかけている暇はない。
「ここでヴィーは生き返るんだ。誰にも邪魔はさせない」
「へぇ。で、その彼女は生き返ったの?」
「うるさい! もう少しで!」
「――もう少しで、なんだというの?」
「うるさい! お前には関係ない! これさえ、これさえあれば――」
「?」
様子がおかしい。その男の手に握られているもの、あれは――まさか!?
「これさえあればラヴィーは生き返るんだ。そうだろう?」
ぐしゃりと、男の手の中の物がつぶれた。滴る液体を死体の口に運んでいる。
「ヴィー? ほら、飲んでごらん?」
死体が飲み干すわけないだろうに。
「仕方ないなぁ」
男は、自身が口にして。寝台に突っ伏した。口移しで飲ませようとしたのだろうが――
「リアス様?」
舌打ちをして剣を収めた私に、兵の一人が声をかける。
「死体の片づけを、任せられるものは?」
兵士が、短く息を呑んだ。彼らは、唐突な話についていけないのだろう。だけどあの実が毒であることは、叔父上が身をもって証明してくれた。
「手間を増やしやがって」
自滅した男に、同情してる暇はない。
どうしてあの実のことを知ったのか知らないが、そのまま外に出回りでもしたら困る。あれはあくまで、この島の浄化のためのものだ。
植物がそれを栄養に変え切れなかった毒が再び実となって帰ってくる。自然はすごいもので、薬草も毒草も混在している。数百年ののち、そのバランスを元に戻してくれるだろう。
「それから、兵を二人別仕事に回すわ」
そろそろ、一回目の交代の時間だった。
あんなに閑散としていた屋敷がここまで騒がしくなったのもはじめてかもしれない。それも、エアリアスの名を持たないもので溢れかえっているなんて。
いい加減、騒がしいわ。
「まったく、不法侵入だし器物破損だし、死体は持ち込むし!」
なんてことしてくれるのかしらねぇ!
いらいらする。この屋敷から追い出した人間達は、薬師というエアリアス家の立場を利用したのだから。
来るものを、拒むことはできないように、教え込まれている。そう、彼らには、そんな権限は与えられていない。患者を選ぶ権限はない。だけど、リロディルクとリンザインにはある。
私たち二人には。
だから、最後に。これで、最後に――
「ぉいっ! 私を追い出すなどなんの真似だ!」
「子供が病気なのよ!?」
部屋を追い出されて屋敷の外、中に入ろうとする人々は兵士によって道を遮られている。
その代わりに行きかう、大工やガラス屋の面々。
どこからか、大量に布が届いた。
「布は各部屋に運んでくれと言っていた。それと、手の空いた兵は裏へ回ってくれ」
騒ぎ立てる人間から離れた所で、大量の人に指示を回すフォトスは、屋敷の見取り図に目をやった。
かつて、この場所には病気の患者が溢れていたらしい。客室のような造りの部屋はすべて病室となるらしい。待遇がいいというか、なんと言うか。
それも昔の話。
まだ、前当主の奥方や従兄妹たちがいた頃。ふと思う、彼らはいつの間に亡くなったのだろう。一時に人数が減ったのを、いぶかしむ暇はあまりなかった。
(――まさか、な)
殺して回ったわけじゃないだろう。
何が起きているのだろう。広く、この島で。
「来ているの?」
声が、聞こえる。
「はい」
肉体(すがた)というものを、今は必要としていない彼の。
「行かなくていいの?」
衝撃が走った。肉体を持つシーンに。
「私は」
「僕じゃないと思うんだ、必要とされるのは」
寂しげで、諦めている、だけど望みたい。たったひとつだけ。
「王……」
「僕は、会えないから」
「王!」
声を荒げたシーンの周りを回っていた風は、空を飛び越えて行ってしまった。
ばたばたと、廊下を行きかうものたちの多いこと。すれ違うものたちの中から罵声も聞こえてくる。
無理を言ったのはこちら。でも、やればできるのよ。
それは誰かで、証明済みだった。
頭を下げるものたちに笑みを返す。この島の人は、私のことを死を運ぶと罵った人のほうが多いのに。生き延びた人が、手を貸してくれる。
一通り部屋の住人を追い出して、部屋の掃除をしてもらう。割れた窓壊れた壁擦り切れたじゅうたん壊れた家具。
たぶん、もとあった傷と今出来た傷は、半々くらいだろう。
どうせ、最後には――でもそれは、今じゃない。
「おい! なぜ私が入れないのだ!」
「そうよ!」
「俺達は患者だぞ!」
「なら、治療費を払ってもらいましょうか」
「なにっ!?」
悠然と腕を組んで現れた人影。口元が笑うだけの笑みを見せたリロディルク。
「それ、相応のお金をね」
「まだ治ってもいないのに誰が払うか!」
そうわめく男――くすりと、笑った。
「ならいらないわ。帰って。別に、あなたが患者である必要はないもの」
お金なんて、有り余っている。
「なっ……病気の人間を見捨てるのか!?」
「そうよ」
「なんだと!」
「ふざけるな!」
「そんなことが許されると思っているのか!?」
「なぜ? 私が誰に許しを請わないといけないのよ」
「なんっ!?」
はっきりと言い切ったリロディルクの言葉が、衝撃を走らせる。今まで、自分達は患者だとのさばってきたのだ。この場所に。
不死と、その技術を求めて。
言葉を失った男を追い越して、無駄な時間を取る暇はないと小さく呟く。歩き始めて、樹の根元に向かった。
大人に食って掛かった、少年と妹。
「……?」
呆然とこちらを見上げていた少年が立ち上がった。それは無視して、少女を抱き上げる。やせ細った体は熱く、生きが途切れ途切れだ。――危険だ。
迷わない。
かばんの中からいくつか小瓶を取り出して、置く。少女の上半身を起こしてほほに手を当てる。
「飲めそう?」
「……?」
開かれた少女の目は焦点が合っておらず、ぼんやりとしている。
「死にたいの?」
一言に、はっとしたように見開かれる。その目。
「……ぁ」
「だけど、悲しむ人がいることを忘れていない?」
「……ぇ」
見渡した少女の目に、映ったのは一人だけだった。
「飲めるわね」
こくりと頷いたのを確認して、少年に薬を手渡した。
「南の上、四番目の部屋」
短く言い残して、少年と少女を兵士に預ける。ふと振り返るその瞬間、近づいてきた男を兵士に取り押さえられる前に切り捨てた。
「――ひっ!?」
「次!」
囲む人々の列は長く、ため息を飲み込んだ。
今この島にいる薬師は四人。それも若者。屋敷に居座る患者を診られる数など、たかが知れている。
「帰れ」
「なっ!? 先ほどの少女はなんだというのですか!」
「死にぞこないと死体は対象外よ」
そう言って追い返した人間の多かったこと。
「なぜ診ていただけないのですか!!
「死ぬから」
「なっ!?」
「ふざけないでください!」
「……何か勘違いしているみたいだからおしえてあげるわ」
私は、この屋敷にいる中の人間とは違う。そしてエアリアス家(ここ)は、他の国や他の人間の常識を考慮する場所ではない。そこまで考えて、それはそれは楽しそうに、リロディルクは笑う。
「診れる人しかみないわ」
そして残りはすべて、私に回っていたのだ。あの昔。この島の人ならまだしも、他の国の人間で不法侵入者を数年かけて救ってやる暇は、私にはない。
だけど今のままでは、彼らを完璧に納得させるには弱い。
「ふざけるな!」
「どっちが? いいわよ。入っても。その薬で、死んでも構わないなら。……そのほうが手っ取り早いわね」
「な、に?」
「殺してあげるわ。喜んでよ?」
「おまえっ――ぎゃぁ!?」
「お父様!?」
「あなた!?」
引き抜いた剣は、光に反射して光った。切っ先が、男の服を切り裂いたまま。
「一度しか言わないわよ」
構えた剣は、誰に向けたのだろう。
「見切れる人しか診ないし。死体を積み上げる気もないわ」
誰が不死だと、言ったのだろう。それを望み、死んでいったものをよく知っている。
「さっさと帰りなさい」
冷ややかで、静かで、だが何も受け付けないと瞳が言う。静かに怒る何かが見える。
「帰れと、言っているのが、聞こえないの?」
くすりと、笑う。その腕が動いた時にはもう、彼らは兵士に腕をつかまれているのだから。
「なっなんだっ!?」
「そうそう。忘れていたわ」
何かを楽しむかのように、リロディルクが言う。
「最近は物騒だから、雇ったのよね」
お前がそうだろうと、おそらくリンザインは言っただろう。
「邪魔者は――排除しろと」
それが、教えよ。
遠ざかる恨み声と叫び声は耳に届けない。聞こえる声と聞く声は別だ。
あれは、まだここで殺すわけには行かないだろう。
ぐるりと、怯えたようにこちらを見つめる目を見渡す。多すぎる。
「言ったでしょう?」
びくりと、空気が揺れ動いた。
「死に損ないと、死体は対象外よ」
でも一つだけ、いい方法があるわ。
むりやり押さえつけられて港に連れて行かれる人の恨みの言葉が、何度聞こえてきた事だろう。
頭を抱えた。
「――リディロル……」
「なぁザイン兄、これでいいか」
暗闇の中から、シャスが現れる。その手に持つ瓶を確認して言う。
「まぁ――いいだろう」
隠し扉を開ける。開け続ける。隠し扉も隠し通路も部屋の数も多すぎる。そこかしこに隠してあるものを見つけるだけで一苦労だ。
「さっきからなんか怨念が聞こえるんだけど、やっぱリーなのか?」
「ほかに、誰がいると思っている」
だよなぁと呟いたシャジャスティも、リンザインも、続く言葉を飲み込んだ。
夜のうちに始末してしまおうと、さくさくと人を仕分ける。部屋の数も限りがある。限度を越えたら問答無用で終わりだ。それ以上は、できない。
できもしない事を、ありもしないものを求めてここまで来る。迷惑だ。
ふっと夜空を見上げて、息をつく。もう月は真上を越えて、沈もうとしている。
仕分けの終わった人たちは、出航しているはずだ。ニクロケイルに向けて。この際、出身地がどこであろうが、知らない。
「薬の準備がいるわ」
それと、彼らが二度と足を踏み入れないようにしておかないと。
そのためには……
「ジオラス!」
その場にいたシャフィアラの城の兵士が場所を教えてくれたので、探して、回らずにすんだ。
足早に向かった屋敷の一室の開いている扉を潜る。
「ジオラス!」
「ぅわ!? リーディ?」
彼はこの屋敷を修復する者達と共にいた。
「リアス様」
「ご苦労様」
リアスを、畏怖する人たち。時に尊敬して、時に怖れる。踏み込まない存在。
距離がある。だからよかったのだ。この場所が孤島の島であるうちは。
「どうしたんだ?」
「海岸警備は?」
「……人手不足だ」
「なら今外に出たものを回して。もちろん、休憩のあとに。それから、これからずっと」
「わかっている。父上も、そろそろ警戒を始めていた。だが、すべてを遠ざける事は無理だ。おそらく、外との貿易は公のものとなるだろう」
「そうね。ある程度は、それも必要なのよ」
その時に、思うままにすべてが運ぶように。
成功を、すべての失敗要素を取り除いた中に作る。
「とにかく、よろしく」
「ぁあ」
「ひとまず患者の移動は終わったから、半数は休憩にまわして」
「……お前は?」
ぴくりと、言葉に反応してしまった。こういう時だけ、勘の回る奴だったと考え直す。
「それだけ余裕があるなら、あんたにはまだ働いてもらうわ」
「げっ」
「人使いが荒い……」
「人使い荒いよねぇ……」
ため息をついた二人が、丁度角で鉢合わせする。
「嘆くのは勝手にしろと言いたい所だが、聞こえようものなら増やされるぞ」
三人目は冷静だった。
「もう増やされてます……」
シャスが、ごくりと何かを飲み込んだ。たぶん。わぁとか、この王子まぬけだなとか、そんな言葉を。
「同類だろう」
「違うよ!?」
リンザインの言葉を力いっぱい否定したシャスのうしろで、フォトスが首を傾げていた。
「これから報告ですか?」
なごやかにリンザインがフォトスに話しかける。
「いや――逆だ」
逆、つまり。
「なるほど」
「ぇえ」
今度も、二人が深々と息を吐いた。
「リーディはいつ休むつもりなのでしょう」
「さぁ。それこそ、一段落してからだと思います」
「どうにかできないのですか?」
「私は、現当主ではありませんから」
「つーか詐欺っぽいよな」
「うるさいぞシャジャスティ」
「でも来ただけで当主になれるんだったら、ちょっと羨ましいけどな」
「シャジャスティ」
「ザイン兄、怒るなよ。どうせ俺は当主にはなれないんだから、ただの憧れだよ」
「お前はっ」
お前は、知らない――いや知っているのだ。それでなお?
「わかってるよ当主様。俺には、わからないけれど」
自分だったらこうすると、決めているだけ。それが最良の方法だと信じているから。
他人のすることはすべて、余計な事。
「別にリーに逆らうわけじゃない」
「当然だ」
「ザイン兄はいいのか? 昨日まで当主だったのにあっさり明け渡して」
「もともと俺のものじゃない。ほっとしたくらいだ」
あんな、重苦しいもの、血の歴史を背負う苦悩は、誰にもわからない。
「そのついでにザイン兄、第二王子行っちゃったけどいいのか?」
「なに?」
リンザインとシャジャスティの会話の終わりを見出せなかったフォトスは、一足先にその場を去っていた。
本当に人使いの荒い人間を、休ませるためにも。彼の心遣いが、今度こそ、彼女にとってよい方向に動くのだろうか。
騒がしい日々も、人の人数を減らすと変わるものだと思う。
治療して助かる見込みのあるものだけを残して、あとは追い返した。食い下がるものたちも、自分の命を犠牲にすることはなかったようだ。
他にも、追い返した輩もいる。
私を王子妃だと指差した人間が、いた。いったいいつからこんなに人で溢れかえってしまったのか。
エアリアス家が機能しなければ意味がない。そして――
扉が開かれて、人が入ってくる。窓際のカーテンを引いて、振り返った。
「容赦ないな」
そこにいたのは、自分より前に生まれたにも関わらず、自分より下の地位にしかつけない男。
「あんたと同じよ」
そして、あの小父と。
「リディロル、何を考えている」
「きっと、逆よ」
「……お前にも同じ血が流れている」
「知ってるわ。だから、よ」
「今のままなら、平穏に暮らせる」
「今のままがいつまで続くと思っているの。過去は忘れられても捨て去れないのよ。例えそれが、自分の知らないものであったとしても――そうだ」
何かを思い出したかのように、リールは手を打った。
「聞きそびれていたわ。なぜ、第一王子は死んだの」
私が海をさ迷う時、陸を進む時、この場所で何があったの。
一時、沈黙が流れた。リンザインが口を閉ざしたからだ。だからリールは待った。質問に答えないという選択肢を与えないように。
「第一王子は、気が付いた」
「敏い人だったからね」
何に、すべてに。
「妹を殺したのは誰なのか、この国を裏で操ろうとするものは誰なのか、そしてこの国が今、これから、どこに向かっていくのか」
いくら人を操れようと、人は人を越えられない。自然と大地に逆らえない。
「だから、殺した」
「あんたが?」
「いや。選ばれたのはローゼリアだ」
ガタンと、大きな音がした。はっとして二人が扉を振り返る。いつから開いていたのか、隙間が見えた。
だっと走って扉を開けはなつ。そこには、長い髪を下ろしたローゼがいた。
「ローゼ」
うめいた。リンザインは、手で顔を覆っていた。
「わた、……わたしが――」
あの王子を、殺したのか。
「そうだ、ローゼ」
「ザイン!」
冷静な声に、リールは声を上げた。
「お前はセイネル王子に薬を運ぶ役目を持っていただろう」
「でもっあれは薬だって!」
「薬さ――最後の一回以外はな」
それはきっと、最初から仕組まれていたのだとリールにはわかった。
「……いや……」
「ローゼ」
かすれた声に、名を呼んだ。ローゼはある程度知っている。エアリアス家の表と裏を、だけどこの子は表の担当だった。
でも、それを逆手にとって小父は自分に逆らうものを殺していった。疑いもせず薬を飲む患者。ちょっと、薬に細工をするのだ。こうすれば回復が早まる、と。
「……いや」
そうたいしたことではなかったのかもしれない。遅かれ少なかれ崩壊するなら。けれど、彼女の行動が、王子の死が、すべてを加速させたのも事実。
二人の王女に続けて、第一王子まで、この王家は、呪われているのか。
死神は――
「いやぁ」
ただ言葉を繰り返すローゼリアリマに、人の声は届かない。
わたしが、コロシタ――
「いやあああああーーーー」
「ローゼ!」
廊下を叫びながら走るローゼを追う。うしろで、座り込んだザインは知らない。
「ローゼ! ローゼ!!」
階段の近くで、その腕をつかんだ。危ないと壁際に引き寄せる。
「はなして! 放してリー!」
「ちょっと待ちなさい!」
そのまま走り去ったら、どこに行くか、どうなるかわからない。
「放して!! リーにはわからないんだわ! 私は人を殺したのよ!」
「ローゼ!」
「リーにはわからないのよ! もうなれてしまっているんだから!!」
そこまで言って、はっとしたようにローゼはおとなしくなった。先ほどと同じように身が震えはじめた。
いま、なんて。
そう、唇を押さえたまま言っていた。
「……落ち着きなさい。明日から出てこなくていいわ」
「リー!?」
「連れて行って」
角の先に、レランがいた。またかと嫌そうな顔をしていたが、黙ってローゼを促していた。
促されるままに歩き始めたローゼが、言葉を発した。だけどリロディルクは、振り返ることなく部屋に戻った。
「わた、し……リー、に」
自室に向かう途中で、ローゼリアリマは立ち止まってしまう。先を行くレランが、足を止めた。
「何があったのかは知らんが、あの娘は普通の娘だ」
「……リーが? そんなの嘘だわ」
あのリーが、エアリアス家で当主を名乗れる唯一の人が。
それきり、レランは何も言わなかった。いぶかしんだローゼリアリマも、何も言えなかった。
「うかつだった」
「本当よ」
「大丈夫なのか?」
「知らないわ。本人しだいでしょう」
「……」
機嫌が悪い。誰よりもこの家のことだけを優先させるリロディルクなだけに、奇妙だ。
「リディロル、」
呼びかけても、こちらを向こうともしない。
「ローゼリアに何を言われた」
「それを聞いてどうするの」
「内容による」
「あの子と、私と、あんたじゃ基準が違うのよ」
人の、死に対して。
「同じだよ」
「どこが」
「死んでほしくない人に、死んでほしくないだけさ」
はっと、した。
「思いは同じだろうに、なぜ人の願いは、歪んでいくのか」
「思うだけじゃ、納得できないのでしょう」
「人に過ぎた力は、身を滅ぼすと」
「誰も教えてはくれないのよ。それより、ローゼはしばらく出さないから」
「……シャスが泣くな」
「知らないわ」
働いてもらうだけよ。泣くほど喜ばなくてもいいじゃない。
「わかってたけどさぁ……」
「なんだ、泣くほど嬉しいか」
「ザイン兄って、結構辛らつだよね」
「そうか?」
「うん」
「あ~いいなぁ~ローゼリア」
「本人の前で言うなよ」
「わかってるよ。あ~いいなぁローゼ」
「まだ言うか」
嘆くシャジャスティに声をかけているのは、一人ではなくなってくる。そう、部屋の中に入ってくるもう一人の人物は……
「まだいたの? それとも終わったの。ならあっちに……」
「ごめんなさい!?」
「……走って逃げたわね」
「まぁ気持ちはわかるがな」
「人手が足りないんだけど」
「いや、俺はまだ仕事が」
「へぇ?」
ジャスティ、辛らつなのは俺じゃなくてリディロルだろう?
「あの」
「何か?」
自分よりもはるかに背の高い男性に声をかける。もともと人前に出る事を苦手とするローゼリアリマにはかなり勇気がいることだ。
そう、前に第一王子に薬を持っていく事になった時だって、なれるまでかなりの時間を要した。あの時はまだ、セイネル王子は人当たりがいいのでよかったが、目の前にいるのは常に不機嫌そうに眉根を寄せているレランで……
「………」
「………」
勇気をだして声をかけたが、低い声で振り返られたところで口を閉ざしてしまう。
基本的に、レランの周りは自分から働きかけるものばかりだ。だが、こうやって目の前で呼ぶだけ呼んどいて何も言われない場合もある。
それは、あの国では多々あることで、相手によっては押し黙っている。急用がない限り。
ここでは、用がないといえば嘘になるが、一応あの娘の親類であるということで、将来の身の保身のためには話を聞いておくべきであった。
しかし、何も言わない。いぶかしんでさらに眉根を寄せる。
その事にさらに身を縮めているのはローゼリアリマだった。
時間だけはたっぷりあるので、背の低い娘を見下ろす――その身長差。しばらくして、それに気が付いた。
「なにか?」
ひざを折って視線を合わせた。さらに一歩娘が足を引いた。
「……ぁ、の」
小さく声をあげた。
「はい」
「リーは、どこに」
「あの娘なら……」
しばらく考えて、思い当たった。私が知るはずないだろう。
「私に言いつけを残して館の中を走り回っているはずですが」
「リーは」
またあの娘かと、レランはため息をつきそうになった。本人に聞いてほしい。
「どうして」
「意味がわかりかねますが」
相手が王子なら、ある程度察さないといけないのだが。
「私。何をしたら」
「何かするように?」
「いいえ」
「なら」
あの娘に聞いてほしいと言おうとして、続きが聞こえた。
「いいえ」
思いのほか強い声に、それ以上言葉をかけることが躊躇われた。すると、娘は頭を下げて立ち去ってしまった。
屋敷に二十ある客室は満室だった。あるものは栄養失調で休養を必要としている者、あるものは病がもう治らないと言われた者、あるものは――。
生き死にが飛び交い、交差する。
「どうして!?」
「寿命です」
「ふざけないで!」
「――無理なものは無理です」
「ここにくればっ」
「幻想を抱くのは勝ってだけどすがり付かないで、迷惑よ」
一人は助かっても、二人は助からない。
ただの薬師だ。投薬を長く続けて毒を中和する事、病を軽減する事が仕事だった。
誰かを不死にすることが、仕事ではない。
わからないのだろう。初代エアリアスの苦悩が。長く生きる事の苦悩が。
「お姉ちゃん!」
廊下を足早に進んでいると少女が飛び込んでいる。多忙な事を知っているからか、部屋から出てきた兄の顔は青ざめている。
「ずいぶんよくなったわね」
「うん!」
ふと、顔がほころんだ。こうやって回復に向かう人の相手をするために、生きる事ができなかったからだろうか。
終わりに向かう道しか、進まなかったからだろうか。
『死を運ぶ女よ!』
『人殺し!』
「……」
頭の中を、言葉がよぎった。いや、所詮同じかと首を振る。この家にいる限り。同じことだ。
私も、ローゼも。
「お姉ちゃん?」
「っと、ごめんなさい。ほら、あそこ。お兄さんが心配しているわよ」
「お兄ちゃんは心配性なの」
「そうね。でも熱が下がったといって油断しては駄目よ。きちんと回復するまではゆっくりしていなさい」
「はーい」
どこか不満そうな少女も、静かに部屋に戻る。兄が頭を下げて扉を閉じきる前に、その扉の前を横切った。
彼らはそろそろ、帰さなければならない。
その時のために。
***
元々息子には何も期待していなかった。といえば嘘になる。妻とは晩婚ではなかったものの、あまり早いうちに子宝に恵まれたわけではない。
どちらかというと、余裕がある時に産まれてくれてよかったようなもので。
今ではもうでかくなりすぎて、可愛げの欠片もない。
どちらに似たのかと嘆くと、王でしょうねときっぱりとした返事が返ってくる。副臣のはずの男は、時折こちらをいらだたせてくれる。
さて、その息子の嫁の話は、長くなりそうなので省略するとするか。まぁなんと言っても、あの息子があれだけ目をかけるのだ。見た目通りではない事は見て取れた。
だからこそ――今この目の前で機嫌の悪い息子を、からかうのが楽しいのだから。
「何をふてくされている。実家に逃げ帰られたくらいで」
片親を半眼で睨むな。
「まぁお前の愛情は重苦しそうだから。たまには羽目をはずしたくなるだろうな」
ピクリと反応を見せる。
「あの娘の事だ、向こうにも相手がいたのだろう?」
……大当たりか。
無残にも引き裂かれた書類を哀れに見届ける。
「……父上」
ここに来てようやく反応するか。
「なんだ」
「邪魔をしないで頂きたいのですが」
「そうは言ってもなぁ。新婚期を過ぎた途端嫁に実家に逃げ帰られるとは、いったい何をしたのだ息子よ。そんな息子に育てた覚えはないのだが」
「育てられた覚えはありません」
「そうだったか?」
「それと逃げ帰られてはいません」
「そうなのか?」
「父上」
「そういえば、息子よ」
まだ会話を振るか。カイルの手に握られているペンが、また折れた。
壁際で、聞きたくもなく親子の会話を聞かされている男二人はひたすらに沈黙していた。
いや、会話がまったくなかったといえば嘘になる。
「陛下は、いったい……」
さすがに、国王が入ってきた時には長椅子で寝ていたセイジュは飛び上がった。ついでにあわてて壁際のリヴァロの隣に立った。
彼らが壁に立ってから、かなり時間がたっている。
「楽しいのだろう。久しぶりに帰ってきた息子をからかうのが。王子一人でも材料に困らないのに、今は王子妃がいるのだから」
からかいがいが、ありすぎるというものだ。
「……」
そして、そのからかいにいらだった王子に奴当たられるのは俺なんですけど……
セイジュは、ただひたすら自分の身の無事を願った。
「いただきま~す」
「はいどうぞ」
青空の下、テーブルの上に並んだお菓子に小さい手を伸ばす少女。
今日はお団子でその周りをみつあみが飾っている。着ている桃色のワンピースにはフリルがふんだんに使われている。ちなみにアズラルの作品の一つだ、おそろいでリールの分もあるが彼女は着ないと彼は嘆いた。
「おいしい?」
「うん!」
王妃の言葉に、力いっぱい頷くウィア。続けて「おばさん」と言いたい所なのだが、フレアと呼んでねと言われている。どう見てもおばさんなの。と首をかしげながらウィアはフレアイラと向かい合う。
フレアイラにしてみれば、ウィアはまだ子供という事で、息子の嫁のように口が達者でもなく、いやみを言う事もなく、素直で、率直な子供。娘が産まれなかった代わりとばかりにウィアで遊び倒す事を心に誓っている。
「さぁ。お茶を飲んだらおさんぽしましょうね!」
「うん! おばさん!」
時折会話を彩るのは、正直な子供の率直な意見だった。
わーい! と子供特有の高い声が聞こえる。窓辺に近づくと。なんのことはない。笑顔を振りまいて廊下を走る小さな娘が見えた。
今日もまた、派手な格好をしている。それはアイラというかあの被服師の趣味であろうが、その高そうな服を着ているということをまったく気にした様子もなく走り転げ――転んだ。
侍女達も見慣れたもので、でもあわてて駆け寄る。最近は泣かなくなったと言っていた。
「元気だな」
「はい」
「あの島の娘だからといって、変わりはしないのだな」
たぶん、息子の嫁も、同じだったのだ。同じように笑顔で、土の上を走り転げて、笑って、泣くような。
あの笑顔を守りたいと思うのは、自然な事だ。
だが、守られなかった。
凍りつくような冷ややかな顔。感情を忘れたような。
しかし震えてすがりつくように泣く姿は、子供と同じだった。ただ親を求めて泣くような。自分の生きた時間の半分しか生きていないような女だからと言って、下に見るつもりはない。
だが彼女に何があったのかすべてを知れないし、私に何があったのか彼女も知らない。
まったく、息子は何をしているのだと額に手を当てた。
邪魔者(王)の去った執務室で、王子は一向に進まない書類を睨んでいたと思ったら――はでにくしゃみをした。
「風邪ですか? 夜は寒いですしね~」
「そうか、死にたいか」
何をどう解釈したのか聞く暇がなかった。
「おおオオッオークル!!?」
廊下を進んでいると、目の前を塞ぐように現れた影。軽くぼろぼろだ。
「なんですか、突然。バカの相手をしている暇はないのですよ」
まぁ暇ではありますが。
「王子に殺されるーー!?」
「二、三回殺されて来て人生をやり直すといいですよ」
「味方はいねーのかーー!?」
「まず作るところからはじめてください。で、何を言ったのですか?」
はぁとため息をつきながらも話を聞いてくれる同僚。
「いや、夜は寒いなぁって」
「それは、どういう意味でですか?」
「何想像してんだよっ!」
「やっぱり刺されてきなさい」
オークルがそう言った直後、セイジュの足元に短剣が飛んできた。
ひ~とセイジュが走って逃げ去る。はぁとため息をついていると、その短剣の持ち主がやってくる。
短剣を引き抜いて土をぬぐい。差し出された手に乗せる。
「久しぶりだな」
「おかげさまで」
最近まで左遷状態だった。なぜか、帰ってくるたびに王子妃はいない。狙っているのか、偶然なのか。
報告をと、促すしぐさに頷いて口を開く。
「やはり海流の変わり方が顕著であるとの報告が大きいです」
それは、話に聞いた新しい聖魔獣が現れてからの変化。
「そうか、―――」
それを聞いて押し黙る王子。海流の変化のおかげで、被害をこうむるとすればそれはニクロケイルと、シャフィアラであるだろう。
ニクロケイルは海から流れ込む水の流れによって持っている国である。シャフィアラにいたっては、
「海に出る船の数がかなり違います。最近では、撃退されたという情報もあります」
「派手に暗躍しているというわけか」
それが誰なのか、心当たりがありすぎる。
「次にアストリッドですが、天候の安定が見られるとの報告があります」
砂嵐や、深刻な雨不足に陥らないと。
「それが本当に、獣王のおかげなのか」
主は、いや私も、信じられないというのが本音であった。目の前でことを見てきた主ですら。
あるべき場所に、あるべきものが収まるべきであると。そういうことなのか。
「安定、か」
苦々しく言葉が吐かれた。何かを、悔いているようでもあった。
「心配ですか?」
「いや」
否定の言葉は、早いものだったが。
たぶん、嫉妬なのだろうと、頭をよぎった。
あるべき場所に力ある王がいる、それだけで場の空気が変わる。
安定と安心が、あの場所、あの王の下にあったのだ。閉じ込める檻でもない、帰る場所を強制するわけでもない。
それでも、共にいた時間がすべてを物語っていた。
変わりでもいいと、そう聞き分けのいいことは言えない。すべてを、望む。
それは、おそらくこの生を生きても叶え切れないかもしれない。だが、それくらいであきらめはしない。
それだけの時間を、共にいたから。
「お義兄さん!」
どすっと、背後から何から突撃してくる。この攻撃もなれたもので、みな笑いながら遠巻きにしている。
はじめて見たオークルは必死で笑いをこらえているが。
「どうした、ウィア」
あとで仕事を押し付けると心に誓って、しゃがみこんで話しかける。
一瞬、噴出した男をにらみつけるのも忘れない。
「あのね! ウィアこれ作ったの!!」
はいと手渡されたのは、赤い花が刺繍されたハンカチだった。たどたどしい刺繍だ。
こんな子供に何をさせているのだと、一瞬母に嘆く。
「ぁあ、うまいな」
「うん!」
いや、考えろよ。
「あれ? ……お兄さんだぁれ?」
「ぁあ」
今の間はいったい何に悩んだのかつっこみたいが。
「これはオークルだ。オークル、リールの従妹で、ウィエア・アンダーニーファだ」
「ウィア!」
「はじめましてウィア」
似た顔で、すっとしゃがんで笑顔で幼女に話しかけている所を見るのは初めてだったが、よくリールがあきれ返った顔で見ているのを思い出した。
確かに気持ち悪い。
「その顔、どうにかならないのか?」
「王子と同じですが?」
「にてないのー!」
ころころと、ウィアが笑った。
ぁあと、空を見上げた。
あの時あんなに泣いていたウィアが笑っている。この空の向こう、あの海の向こう。
森の中で、笑っているのだろうか。
笑っていられるなら、もっと心軽く送り出しただろう。
海流の流れが変わって、シャフィアラへの道を開いたとの報告は聞いていた。知っていた。
話は、できなかった。
再び、あの島に囚われてあの王を望む姿を予想できたから。
王子妃(今の生活)になれてくる事を嘆きながら楽しんでいると知っていたから。
そして何より、いつかまた戻る事は感じ取れていた。だからか。
例えここで王子妃であったとしても、あの場所では違う。エアリアス・リーグラレル・リロディルクであるのだから。
エアリー・リールでもない。だからこそ踏み込みはしない。呼ばれたとき意外。必要とされない限り。
だがと望む。
ただのリールでいいのだ。隣に、いてほしいのは――
***
泣いている。声が聞こえる。
違う。これは自分の声だ。泣いている。叫んでいる。
あの頃。まだすべては、すべてを知らずにいた頃。見て見ぬ振りができなかった頃。
なつかしすぎる。
最後の、断末魔のような叫び声に覚醒する。
ひどい夢だ。
「おはよう」
「おは……ひどい顔ね」
「ほんっとだ。死人みたいだよ~」
けらけらとジャスティが笑う。余計なお世話だと悪態をつきながら髪をかき回す。
「でも見飽きたよ。リー」
「そうね」
なんの感慨も感情も感じ取れない。いつからで、いつまでなのか。
「お前は、だからなのか?」
「何が?」
唐突な言葉に、冷ややかな顔でこちらをにらみつける。
あの夢が見たくなくて、寝ないのか?
そうでもないし、そうともいえると。答えが返ってきた。
「おはよう。リザイン」
「ぁあローゼリア」
差し出してくるお茶に口をつける。今では、彼女は薬草を取ってきて給仕をする以外のことにかかわろうとしない。
できない、というべきか。
紺色の服に髪を束ねて、給仕をする姿はかなりさまになっている。城に行っていただけあるなと思いながら、口にはしない。
「それで、どうした?」
「何か、足りないものがあれば……」
「十分だよ」
「ほんとう……?」
「ぁあ、だから休みなさい」
「でも、リーも、リザインも、シャスだって」
「いいから。少し町にでもでるといい。ただし気をつけて」
「はい」
心配しなくとも、後ろから黒い影が付いていくことを知っていた。この屋敷が破壊されて、元に戻って、もう数ヶ月が経った。
順調に回復した病人は少しずつ島を去り、再び、島には静寂が訪れようとしていた。
かつて、その静寂ですら作られていた頃。すべてを手に入れようとした自分の父親はもういない。あの時、大地を汚すことは止められた。
生きながらえてしまった。
ふとそう感じた。気がつけばここにいる。
終わりない日々を生きてきたあの時と違うと、首を振った。
てくてくと歩き去る姿を見つめる。そのまま、ふと笑みが浮かぶ。楽しんできてほしいと思う心は、本当だった。
「い~なぁ~ローゼぇぇぇえええーー」
仕事を始める前に聞こえてくるうめき声にも、慣れてしまった。
「亡霊か?」
「生きてます~」
「それは何よりだ。仕事だ」
「ぅぇぇえええーーいーじーめーるぅーーー」
「何をわめいているの」
「でたぁ!?」
「喜ばないでよ」
「……ひどいー」
いつもの光景だなと笑った。声を上げて笑った。
目の前の二人は怪訝そうに首をかしげて、顔を見合わせて言った。
「変だよ?」
「……どうしたの?」
逃げようとしたシャジャスティの首根っこを掴んでいたリディロルと、逃げようと足をじたばたしていたシャジャスティは首を傾げたままだった。
不覚にも、この楽しさは変わらない。
きょろと、道の周りを見る。見慣れた景色は、もう、少し前のようにはびこる人間は消えていた。
静かに、日常をおくる人々の姿が見える。
そういえば、町まで来るのは久しぶりだ。そう遠くはないが、声が聞こえるほど近くはない。
「わっ」
何かが頭の上を横切ったので、空を見上げて、首をそらしていると頭が何かにぶつかった。
「失礼」
見慣れた、黒。
思いがけずじーと見つめてしまった。しかし、びくともしない。
「……どうして?」
「日が暮れますよ」
「まだお昼にもなってないわ」
「一人だけここにいるのは気がひけますか」
ちょっと、びっくりした。そんなこと言われると思わなかった。この人はいつも、どこか冷めたように、関わりなどないように接している姿しか思い出せない。
「うん」
いろいろなことを考えつつ、問いかけに頷いた。
「いつも、どこか蚊帳の外なの」
だけど、あの第一王子を殺したのは紛れも泣く自分。リーやリザインより遠い、けれどウィアより近い。蚊帳の外でも、敷地の中だ。
「それだけ、あなたが大切なのでしょう」
やっぱり驚いた。
「なんですか」
じじーっと凝視したのがばれているようだ。
「変なの。リーのこと嫌いじゃないの?」
彼は答えなかった。だけどなんだか、わかってしまった。
「ねぇ。お土産を買いたいの。何がいいかな?」
引きつった顔の彼がぼそっと、私に聞くなとつぶやいていた。
「だぁ~」
昨日も今日も明日も明後日もおんなじことの繰り返し! うるさい患者の相手と、騒がしい付き人の相手。まぁたしかに、リーが来る前よりましになったことは理解している。だけどさぁ~
がっくりと肩を落としながら、足取り重く廊下を進む姿。心なしか、背も曲がっている。そのうしろを、まるで図ったかのように婦人が現れる。
「薬師さま」
「はいぃっ!?」
びっくりした。
驚いて振り返ると、自分より確実に一回り以上年上のお姉さん……おばさんが目を伏せ気味に訴えてくる。
「あの、夫の様子がまた」
正直、またかと思う。リーが処分したおかげでだいたいはよくなったが、それは表向きに過ぎないこともあった。
「うめいているの?」
「いえ、ひどく咽が渇くと」
「リーは何も言ってなかったの?」
「いえ、その……」
「それに従えないなら、この屋敷内にいることは許されない」
そう言って追い出されたものも、いた。
「ですが、あんなにっ」
「あなたが甘やかし続けた結果であると考えられないのですか?」
言葉にかなりの衝撃を受けたらしく、まだ若い女性の体が傾く。へたりこんだ女性に目もくれず、シャジャスティは先へと進んだ。
ああいうの、面倒なんだよね。
「何指を食べてるの、おいしい?」
「っ!? リー……?」
「なに?」
「びっくりしたよ」
「そう?」
そりゃ窓を乗り越えてこられたらびっくりするってば。
「こっちのほうが早いもの」
「そうだろうけどさぁ」
ふと視線をあげて見ると、窓の先に見えたのはあの塔だった。幼い頃から近づくことを許されていなかった場所。今も。
「それで、何かあったの?」
「なんでもないよっ!?」
「あそこの夫婦、邪魔だと思わない?」
「へっ!?」
「勝手に薬を多く与えるのよね。鎮痛剤とか」
そっと振り返ると、さっきの婦人がしょうこりもなく後を追ってきていた。ただし、リーの冷たい微笑を見て、引きつった顔を残してあとずさった。
「……リーは」
「なに?」
「僕らは必要ないんだろう。だったら勝手にやればいいじゃないか」
しばらく考えていた。そう、あの夫婦は要らないと、思ったじゃないか。なのに口を付いて出た言葉はそれだった。
はっとして、口元を押さえた。いまさら、指を噛んでも遅い。そして、その時のリーの表情を見損ねた。顔が上げられない。
「追い返してくるわ。シャス、あなた、ローゼを迎えに行って」
「はい?」
「町には、必要なものもあるでしょう」
「ぁ、……ぇ?」
「早くして」
「はい」
短い言葉に、従った。逆らうことなど、できなかった。だって、リンザインとリロディルクは、一族の中で高位だったから。
その身に流れる血が、尊いということで。初代に近いということで。でも知っているんだ。特にリーの血が濃い、その理由は。
「……? あれは?」
おろした髪が揺れる。低い背を精一杯伸ばして、少女は町の道の先を見つめていた。それは、帰る方向。
自分のほうが背が高いと言えど、何が見えるのかわからない。夕暮れ時の商店街には、夕食の食材を求める人々でごった返している。
皮肉にも、人ごみの中での護衛はなれているというべきか。王子のおかげか、あの小娘のとっぴな行動のせいか。
やめよう。思い出すと苛立ちが増す。
「なにか」と声をかけようとして止めた。両手に持つ荷物に容赦なく少女の手荷物が乗せられたからだ。
案外、容赦ないと感じる。腐っても血縁かとほおが引きつる。
良くも悪くも、人を使うことを教え込まれた行動。この少女ですら。
あの娘が、そんなに高い地位をもって何をしようとしたのか。考え出しても切がない。
不死の国と、呼ばれていたことを知っている。そして、それがなんであって、どうなったのかも。だがこの国の人間の大半は、そんなこと知りもしないだろう。
この場所は、まるで時が止まっているかのようだ。
「シャス?」
少女のつぶやきに、すっと視線を回す。確かに、あのくるくると動く少年の姿が見えた。
「どうして?」
再び聞いた少女のつぶやきは、震えていた。まるで何かを、恐れるように。
「いたいた、探したよ」
「シャス……どうして?」
先ほどのおびえはどこに言ったのか、少女ははっきりした言葉で問いかける。問い詰めるようだった。
「……リーに迎えにいくように言われて」
「リーに何を言ったの!?」
思いがけず大きな声は、周囲の人を振り替えさせるには十分だった。
「何も」
「うそつき!」
「アリマに言われたくないよ」
少年の言葉はそっけなかったが、少女には絶大の威力があった。
「ひどい」
「どっちが」
はき捨てるように少年が言った。
「リーを見捨てたの?」
「お前と何が違うんだ!」
問い詰めるような視線に耐えかねたのか、少年の声も大きくなる。
「どうせ俺たちは二の次なんだ! リーやリザインとは違うんだよ! 同等にはなれないんだよ!!」
手を振って、少年は言い切った。その言葉が、完全にすべてを拒絶した。
「関係ないだろう! 勝手にやらせておけばいい! どうせ俺たちは、手駒でしかないのだから!」
少年の言葉は、続いた。
「ひどい……」
その言葉は、少女の心をえぐっていた。
少しだけ回復していたものが、粉々に砕け散ったことをレランは感じ取った。しかし、何が言えただろう。
確かに、ここにいる二人(ローゼリアリマとシャジャスティ)がそう高い地位をあの薬師の家の中で持っているとは、到底思えなかった。
どちらも、不満があると思えてしかたない。
ただひどく、不釣合いだった。二人の容姿、容貌。歳相応らしさが欠けている。あのウィアと名乗った娘くらいだ。
ひどく疲れたような印象を受ける二人は、まだ言い争っていた。
「シャスはどうした?」
あの小うるさい夫婦を追い払っていると、ザインが問いかけてきた。不機嫌な態度を、感じ取ったのだろう。
「アリマを迎えに行ったわ」
「助けてください!?」
「あの女がっ」
「まだ言っているのですか? あれだけのものを見てきたにもかかわらず……だからですかね。自分達だけは特別だろうと、そういう錯覚ですね」
「ぇ……?」
「ここでは当主が絶対ですよ。それ以上でも、以下でもない。だからリディロルに見捨てられたあなた方を救うのは、この薬師の家の中にはいない」
「そんなっ」
リンザインの淡々とした言葉に、夫婦は青ざめる。妻はリンザインの足にしがみついたまま、夫は、ただ立ち尽くしたまま。
「お帰りよ。まだ、夕刻の船に間に合うでしょう」
引き渡すのは、シャフィアラの王家の兵士だ。ジオラスは、協力を惜しまない。資源も、何もかも。この家の敷地を出たものまで、かまっていられない。
人手が、足りないのだから。薬師と頼ってくるなら、薬師以外のことに力を使いたくない。
まだ何か叫ぶ夫婦の言葉を聞き流して、廊下を進んだ。これで最後にしてほしい。本当に。陰鬱に息を吐いた。
「リディロル」
「……なに?」
ついてきたのだろうか。ザインが声をかけてくる。夕暮れに赤く染まった廊下に、二人。髪の貴重となる色のオレンジが夕焼けに栄えて、燃え上がるようだ。
「シャスを、どうする気だ?」
「どうもしないわ。あなたの家でしょう」
「そっくり返すよ、現当主」
「私をそう呼ぶなら、口出しをしないで」
言い切って背を向けた。これ以上、言葉を聴くことはできない。
足早に進む廊下。背中の先で、ため息が聞こえてきた。
あんなに楽しそうにお土産を選ぶと笑っていたのに、泣き顔に変わってしまった。言い争っていた二人はそのまま、まるで認めるのを嫌がるように離れて行った。
そして――
「なにそれ」
いまだ自分が持ったままの、あの日のお土産。渡すわけにもいかない。仕方ないと小娘に差し出した。が、返事はこれだ。
「私が知るか」
「アリマに返しなさいよ」
「そうしたいのは山々だが、閉じこもったままで出てきもしない」
あーもう。と、小娘が頭をかき回す。
まるであの少女の心を移したかのように、お土産のひとつだったガラス細工は粉々に砕け散っていた。
「面倒ね」
「内部で亀裂を広げている場合なのか」
「わかっているわよ!」
声を荒げた小娘の様子が、昨日の二人に重なる。はっとしたのか、小娘もそれ以上何も言わなかった。
荷物はすべて引き取ってもらった。自分にはまだ、することがある。
「本当にこんなことでいいのだな」
「くどいわ」
「だから、承諾すると思わなかった」
「不死になんてなれないわ」
「だが、初代の例がある」
「……少し、狂わせるのよ」
その、時間を。
「カイルより長く生きられればいいんでしょう」
「そのとおりだ。違えるなよ」
「見届ける気はないけどね」
「……小娘?」
どこか遠くを見ている言葉に、その存在が希薄になる。吹き飛ばすように窓の下を見た小娘が、首を向けるように言った。
「また出かけたわ」
「じっとしていないのはこの家の習性なのか?」
誰が動物よ! と、小娘の手元にあった物が投げつけられた。
「さすがに、きついな」
人が減ったといえ、患者が減ったといえ、神経が磨り減って生きような気がする。昨日まで笑っていたはずなのだが。おかしいな。
「変だ」
「あの~リンザイン……さん?」
「!?」
反射的に毒薬を片手に振り返った。
「……ぁ、ああ第二王子」
「こんにちは」
第一王子より人の良さ過ぎる第二王子か。そう思っていても表に出すわけに行かない。今回のことを考えれば、リディロルの次に感謝すべきなのだろうが。
「なにか?」
「ぇっと、リーディに会いたいのですが」
「今は塔に行っている」
邪魔しようものならたたっ切られる。同じことを思ったのか彼はなぜか小刻みに震えた。
「王子?」
「出直します」
「いえせっかくですからお茶でも、すぐに」
……ローゼリアが入れてくれるだろうか。
「申し訳ないのですが予定が詰まってまして……」
確かに、そうだろうな。あれだけリディロルにこき使われて、ただで済むわけない。
「何か言伝でも?」
「いえ、中途半端ことをしても怒られますから」
互いに笑って、笑ってしまった。それから、第二王子は屋敷を離れた。
目まぐるしく変わっていく。変わっていかないと信じていたことが嘘のようだ。
昨日笑って、今日苦しんで、また笑っている。
笑えるな。
あの二人はどうしているだろうか。まぁ元気だろう。
「なんでついてくるのよ!」
「お前が先を歩いているんだろう!?」
「なんですって!?」
はぁとため息をついた。この会話のレベルの低さ、何かに似ている気がする。なんだろうか。思い出せないが、……とりあえず見つけたら一発殴っておいても問題ないだろう。
「お前たち」
はぁとため息をついたままとりあえず言い争う二人を引き剥がす。簡単すぎる。まず背丈が違う。
べりっと引き剥がした。
「なにするの!?」
「なんだよ!?」
「落ち着け、お前達。だいたい、あの小娘に言うことがあるだろう」
「ぅぐっ」
「ぐっ」
「違うのか? 違うのだとしても、やめておけ。それにあれだけ渇望していた休みに、何をおびえる」
静かに、少年に視線を向けた。驚いたように彼は目を見開いて、固まった。
「シャス……?」
少女もまた、彼の行動に驚いたように目を見開いた。
「……リーは、僕らを捨てたんだ」
「自ら望んでおいて、何を言う」
「違う!」
「やめてっ!」
首を振る少年に、少女が前に進み出た。威圧したつもりはないが、そう見えるのかかすかに震えている。
「脅してはいない。そう言った所で無駄か?」
「ぇ……?」
「面倒なことになる。だいたい、あの小娘に睨まれるのは私なのだから」
「リーは、そんなことしないわ」
「そうか?」
「そうよね?」
「……」
「シャス、なんで黙るの?」
がしゃんと、耳障りな音がした。はっと気が付く。ここにいるのは私だけ。
「ガタがきたわね」
霞む視界を払うように目元を乱暴にこする。生ぬるい中に浸っていた時間のほうが短いというのに。笑ってしまった。
机の上にあったはずの瓶は粉々だった。レランの持ってきたガラス細工と同じだ。
「違う」
欠片がいつか何かを形作るように。
生きて、生けるように。
ゆっくりと口元が笑みを作る。
ぁあ、最後ね。これで――
「ねぇ、これならいいんじゃない?」
そういった少女が手に取ったのは、花の形をしたガラス細工だった。
「そうか? それ、お前がほしいだけだろう」
「ぅ」
「真剣に考えろよ」
「じゃーその手の中のお菓子はなに」
「いやっこれはだなー」
少女と少年が二人で騒ぎ出す。また出かけるというので着いていく。それが、約束。ほしいと思うもののため。手に入れるもののため。
だから、なのか? はぁとため息を飲み込む。なんだか、求めているものから遠ざかっている気がする。
平穏だと思っていた、今まで。
忘れていなかった。あの小娘は、どこまで行っても小娘であることを。
だが――
遠く、いや近くに地響きが響き渡った。大地が、ゆれた。
「ぇ? ――きゃぁ!?」
傾いた少女の体を支える。
「なっなんだ!?」
「どうやら、その贈り物は気にいらないのだろう」
原因が小娘にあると思える辺り、自分の勘が外れていないことを怨むべきか。
あわてて店の外に飛び出て、目にした光景。誰もが、同じ方向を見ていた。
黒い煙が立ち上る。あの場所。
そう、あそこは――
「屋敷が!?」
「もえっ……」
倒れこまなかっただけ、さすがだと思った。
「派手にきたなー」
塔に薬を取りに行った、ほんの少しの間だった。爆発音に続いて、燃え上がる炎。あっという間に屋敷を包み、衰える気配もない。
見事に燃えている。これでは重要な本だとか遺品だとか絵画だとか、それ以前に私物ですら残りそうもない。
もうほかに言うことがない。後ろから、ばたばたと走る音がした。
「リザイン!?」
息を切らしたローゼリアとシャス、それに、あの黒ずくめの男か。名前、聞いてなかったような気がする。
「お前達、どこにいたんだ?」
まぁ屋敷の裏手に回ってきただけ、よかったか。これで表で姿を見られれば、意味がない。
あの燃える屋敷の中にこの二人を残すとは思えないが、姿が見えないのも心配だった。さすがに、自分が生まれてから“家”として生きてきた場所が燃えているのだ。
驚きは、するさ。
「なんで!?」
「どどどどどっ!?」
「落ち着け」
「あれは小娘の?」
「そう思っても、声に出してもらうわけには行かないんだが」
「りりりりー!!?」
「落ち着け」
「リーはどこにいるの!?」
「さぁ?」
「さぁじゃないわ!」
ローゼリアの叫びに混じって、熱に負けたガラスが砕け散る音がする。
この間も屋敷は燃え上がり、黒い煙が噴出している。
一階部分の燃え上がり方がひどい。これでは二階は落ちるだろう。
燃え上がる炎、立ち上る黒煙。森の動物、鳥がばさばさと飛び立って行く。
二階の窓に、人影が見えた。
「あれって……」
「逃げ遅れだな」
「助けなくちゃ!!?」
「やめておけ。どうせ、遅いか、早いか、薬か火の違いしかない」
遅かれ早かれ、その命は終わらせられる。
「リザイン……どういう意味」
皮肉な笑みを浮かべて、ローゼリアを見た。
「治せると思っていたのか?」
がくりと、ローゼリアがひざを地についた。
「……だって……」
「まぁその可能性がないもの達ばかりではなかったが」
「だったら!」
「死にたいのか?」
「だって!」
叫び声を遮るのかのように、断末魔の声が聞こえた。炎から逃げようと窓から飛び降りたのだろう。
黒くこげた物体が、静かに落ちていく。地面にぶつかった瞬間、何かがつぶれる音がした。
「――っひ」
息をのむ音。倒れこんだ体。それはシャスに任せて、進む。
「リザイン!?」
「移動する。――隠れるんだよ」
そして――
「リーディ!?」
「王子! 危険です!」
「放せっ!?」
「できません!」
「リーディーー!!?」
燃える炎に、すべてはかき消される。叫び声も、悲しい呻きも、助けを求める声も、呼び声も。
燃え尽きた屋敷から取り出された黒焦げの遺体は、個人を特定するものではない。
消えたのは、目に見える屋敷だけではない。
彼らは、どこに――?
真実に一番近い形で、うわさが流れる。それは“彼ら”が、消えてしまったとも、不死になって生き残ったとも。
だが誰も、彼らを見ていない。
エアリアスの名を継ぐ者たちを――
「相変わらず、徹底しているな」
広い部屋の中に、自分の声が響き渡る。
「当然でしょう」
向かい側の人と、こちらの前に置かれた熱いお茶の湯気が立ち上る。
「だが、この島の人は生きてはいけないだろう」
静寂を邪魔するのは、向こうが自分の分までさっくりとした菓子を噛み砕く音だけ。無心に噛み砕く姿は、まるで何かを追い払おうとしているかのよう。
「いいのよ、外から余計なものが来なければ」
空になった器、飲み干されるお茶。戻らないもの。
「これから、この国は外交をせねばならぬだろう。あの国王が、どこまでできるものか」
「期待してないわ。でも、島人の協力は、固いでしょう」
それは、これまでの歴史の、時間の積み重ねの結果。
「嘆きも激しいらしいぞ」
特に、第二王子とか。
「敵を欺くには味方からでしょう」
「味方と思われていることを喜ぶべきか、信用されていないことを嘆くべきか」
相変わらずだな。
「あんな口が軽いの、相手にしてられないわ」
「ローゼリアも、シャジャスティも呆然としていたぞ」
「さっき言ったじゃない」
敵を欺くには味方からなの。と、繰り返す。
「しつこいわ」
「怖い怖い。で、リーディール」
「……なに」
口調を変えたことを敏感に感じ取っている。だからこそだ。
「パーティドレスのことなのだが」
「誰がいつ着るってのよ!!!」
バンとテーブルに手を付いて立ち上がる姿。その手が握り締められる。やはり、何かがおかしいと眉をひそめる。
「何を言う、戻れば夜会三昧だろう?」
「王妃といつの間に仲良くなったのよ!!?」
「ふっふっふ、持つべきものは話のわかる権力者だ」
「やな奴」
「私の過去の作品が見たいというので、こうしてはるばる帰ってきたのではないか!!」
この部屋の中にいるものは二人、ドサクサにまぎれて、シャフィアラに帰ってきた被服師。
「帰れ」
そして、もう一人。
「ここは私の館なのだが?」
「どこにでもあるわよねぇ、ぇえ?」
いい加減で、リールは切れた。
「リーディール、言っているだろう。リーディールに来てもらう服があと三百はあ」
「増えてるから!!」
怒声が響いた。だが、勢いが最初より衰えている。
「騒がしいぞ。何を叫んでいる」
部屋の扉が開いて、三人目がやってくる。
「ザイン、黙って」
「お前、元気だな」
「そう?」
「リーディールには愚問だろう」
「どういう意味よ」
リールはアズラルを睨みつけた。
「いい加減で、落ち着け。王都島に行ったものが帰ってきた」
「なんだって?」
「第二王子を筆頭に、まだ遺体の捜索が続けられてはいるが、そろそろ打ち切られてもおかしくないと言っていた」
「なら、せいぜい派手に葬式を行ってもらわないとね」
「派手にねぇリーディール、死者の弔いは厳かに行うものでねぇ」
「アズラルは黙ってて!」
叫んだ後、こめかみに手を当てている。やはり、頭痛だろうかとアズラルが思案する。
「あの……」
騒がしく、どこかぴりぴりした空気を感じ取ったローゼリアリマがこっそりと中をうかがう。いち早く察したあげくうさんくさい笑顔でアズラルが振り返る。
「なんだい?」
「やっぱり幼女が趣味なのか?」
「変わってないわね」
「そこの二人。こんな時だけ息を合わせるのはやめてもらいたいが」
言われた二人は、とても嫌そうな顔をした。一瞬にして砕けた空気にローゼリアリマが笑う。
「夕食のことなんだけど、シャスがまだなの」
「魚、取ってくるように言ったけど?」
リールは無慈悲だ。
「私も、何か木の実を取りに行きたいのだけれど。だめ?」
「いいわよ。よろしく」
にっこりと、笑顔でリールは横を向く。
「……はいはい。現当主」
疲れたように、リンザインが答えた。誰も、疑問に思わなかったことがひとつある。ここにレランがいない事。
その理由は、その頃ひとりで海辺にいたシャジャスティが知っている。ひとりで、もくもくと魚を銛で仕留める姿は、なかなかにさまになっている。
「だぁ~から。リーは人使いが荒いんだよ……」
「そうだな」
「ぅわぁ!?」
「ただいまリー!」
「早かったわね」
「うん。近くにベリーと胡桃の木があったの!」
「そうなの」
「そういえば植えていた」
「もっと早く思い出して」
「そこら変はユアとセナの管轄だ」
アズラルは、言い切った。リールは舌打ちした。その会話を聞きながら、二人の様子を見ていたローゼリアリマは言う。
「リーは、大変そうね」
リールはメジャーと、布に埋もれていた。
「ホントよ」
「だから動くなリーディール!! 直感が崩れるだろう!?」
デザインを紙に書きながら、アズラルは声を荒げる。
「台無しにしたいわ」
「それで、いつもどるつもりだ?」
シャフィアラの王都に。
「すぐにでも」
「その時間は、ないだろう?」
言葉を、遮る声がした。リールと、アズラルと、ローゼリアリマが視線を向けると、扉を三人の影がくぐる。
ひとりはまっすぐ入ってきて、ひとりは後ろにつきしたがって、ひとりは隠れていた。
「……カイル」
「ただいま!」
ぴょこっと、二つに結わえた髪を揺らしてウィアが姿を現す。たたた~と走ってリールに飛びつく。
「おかえり。元気そうね」
「うん!」
そう言って、ウィアは次にローゼリアリマに向かう。
「ウィア……」
「ただいまー!」
「よかった」
ほっとしたように、ローゼリアリマがひざをついてウィアを抱きしめる。
「?」
「よかった……」
涙ぐむローゼリアリマに首を傾げながら、その様子に言葉を失ったウィアが手を伸ばす。
「ローゼ?」
問いかける声に、ローゼリアが涙を流した。
「シャス?」
リールは、扉の向こうに隠れている影のことも見逃さなかった。
「ごめんなさい!!」
「何も言ってないんだけど」
「日ごろの行いだろう」
扉をくぐって、リンザインが現れた。
「悔やむことはないんだけど?」
「それが一番の問題だろう」
はぁと、リンザインはため息をついた。
「どうい――ぁ?」
講義しようと声を大きくした、その時だった。勢いよく振り返った頭が、重い。ぐらりと傾く。それまで沈黙していた影が動いた。
リアス家と呼ばれた者達が目を向いた。ゆっくりと倒れていくリロディルクなど、彼らは初めて見るのだろう。
いや、本当に驚いたのは声だけじゃなくて。その状況に、も。
「ちょっと!?」
「帰るぞ」
カイルがリールを担ぎ上げて、部屋を出てようと足を速める。
「おろせ!?」
「一年だ」
「は?」
前にも言ったと、カイルがつぶやいた。
「まだでしょうが!?」
リールが振り上げた腕がカイルに掴まれた。
「行って帰って一年だ」
「……」
あきれたように、リールはカイルに視線を送った。
「あのねぇ」
移動でどれだけつぶれると思っているの!?
叫ぼうとした瞬間、その顔がこちらを向く。無駄に近い。
「……なに」
「軽い」
言葉に、はっとしたのはリンザインとローゼリアと、シャジャスティだった。本人は無表情に言う。
「それが?」
今度ため息をついたのはカイルだった。
「行くぞ」
静かに、レランが後ろにつき従う。その姿が見えなかったことを、はじめて疑問に思うべきだったとリールは舌打ちした。
「おろして」
「嫌だ」
「おろして!」
大きな声をあげると、脳が悲鳴を上げる。相手に向かっているはずの言葉が自分に返ってくる。頭が痛い。
だからか、気が付かなかった。その後ろで会話する三人に。
「うるさい。だいたいお前がいないせいで俺が、小言を聞かされるんだぞ」
「知らないから」
ぎゃーぎゃーと騒ぎ出した二人に、レランは深い深いため息をついた。
「リー!」
高い声に、言い争う二人の意識が動く。リールは顔をあげて、カイルは首だけふり返る。
ちょこんと、ウィアが廊下の真ん中に立っていた。その後ろに、リンザインと、ローゼリアリマと、シャジャスティも。何事? と、リールは首を傾げる。
真ん中にいることになったウィアは、しきりに首をふって左右を見ている。彼女もまた、どうしたのかと首を傾げる。
「ありがとう、リー」
そっと、アリマが頭を下げる。
「俺の仕事は、まだ終わらないけどなっ!」
ふんっと鼻を鳴らしたシャスの目が、心なしか潤んでいた。
「もう、当主は必要ない」
淡々と、ザインが言う。
「ただの人として生きていくのに、肩書きは必要ない」
きっと、彼らは。
リールが口の端をあげて笑った。だんだんと顔が笑みを形作る。だけどまた、顔は舌を向いている。
ここまできて、もはや特技となりつつある、自前の結論に至ったウィアが言う。
「ばいばいリディ!」
一変しておとなしくなったリールを担いだまま、カイルは迷うことなく屋敷の廊下を進む。後ろに付くレランは、リールがカイルのマントを握り締めていたことと、雫が一滴落ちたことを見てはいなかった。
そう、彼は何も、見てはいない。
人気のない廊下、出口の傍で、声が聞こえた。
その声の主に思い当たったリールとカイルは同じ顔をしていた。そう、面倒ごとに巻き込まれたくない顔。
館の入り口にあわてて走りこんできた影が、三人の姿を見て固まる。口をあけたまましばらく、震える指は三人を指差したまま。
カイルは、迷うことなく足を進めた。
そして、すれ違う瞬間だった。
「おいっリーディ!?」
「じゃぁね~」
ここに来てはじめてリールはにこやかに手をふった。カイルに担ぎ上げられたままで。
「ぉい!?」
あせったフォトスが手を伸ばした頃には、すでに三人は館の入り口をあとにしていた。
「リーディーーー!!?」
喜びのような、非難のような叫び声が、遠くから響き渡るかのようだった。
さくさくと進んでいくカイルの背に担がれたまま、ゆれる自分。ちらりと視線をあげると、黒が見えた。
運ばれてくるのは塩のにおい。海の音。
おそらく海岸に現れた船を見てジオラスもやってきたのだろう。相変わらず、抜けている。小さく笑って、目を閉じる。
深呼吸は、一度。
「ちょっと待って」
これまでと違い、はっきりと言葉を言う。ぴたりと、動きが止まった。
「なんだ?」
「行きたい所があるの」
またかと、レランの呻きが聞こえた気がする。
がさがさと茂みをかき分けて進む。進みなれた道。見慣れた景色。違うのは、自分の心と、その場所にいるはずの者たち。
たどり着いた場所。開けた場所で、彼がひざを付いていた。
「お久しぶりです」
言葉に、返事はできなかった。再び、この場所に足を踏み入れることができた自分に、一番衝撃を受けていた。
ラーリ様はいない。
見渡しても、この場所の空気の変化は、好ましいものだった。
ただ静かに、たたずむ時間。そして、
「タイム王は?」
「いいえ」
ざわりと、風がゆれる――
「……そう」
そうよねと、頭の中であきらめる言葉が浮かぶ。そうだろう。そうでしょう。でも、少しだけ、期待していた。
自分に都合のいい期待を。
平気なふりは、うまくいっていただろうか。――思い出せない。
森の木々が風にざわめく、大木が立つ森。この場所で、なんど、時を過ごしたのだろう。
あの獣の背に身を預けて眠り、泣いていた。小さい頃。知らなかった頃。知った時に、戻った時。
残ったものと、残されたものがある。
だけどただ、その場所にいないことがひどく寂しい。
せめて――
風が、動く。歓声を上げるように歌う。空を飛ぶ姿が、見える。
「……おう?」
シーンの声が、聞こえた。
「タイム王」
自分の声が、ひどく、遠くに聞こえた。
「……どうしたの?」
目の前に下りた王の姿が子供になると同時に、ひどく怯えたように聞いてくる? 何のことかと首を傾げた。
そこで、気がついた。
ほほを伝う、涙に。
なぜ泣いているのか、自分でもよくわからない。
「……?」
ほほを手のひらで包んで、目元をぬぐった。やっぱり泣いていた。
「ごめんなさい。やっぱり――」
空に戻ろうとしたタイム王をひざをついて腕を伸ばして抱きしめた。
「……リール、さん?」
「少しだけ、このまま……」
風が、やんだ。
「ごめんなさい」
どうし泣いたのか、わかったような気がした。静かに口をついて出た言葉は、謝罪。謝っても、謝りきれない、ものだった。
「リール?」
「ごめんなさい」
小さい手がこちらの服をつかんでいる。その震えていた手に力が入ったことを、感じた。
木の下、太陽の光の下。気がつけばその場所には、リールとタイム王しかいなかった。
「で?」
「なんでしょうか」
「暇そうだな」
「そうです……か?」
「ああ」
場所を少しだけ離れた場所に、カイルと、シーンと、レランの姿があった。
二人だけ置いて来た。あの二人は、大丈夫だろうと思っているから。
「王は、ひどく恐れておいででした」
現実を。
「リールもそうだったな」
過去を。
「二度とこの森に足を踏み入れてはくれないのかもしれないと思っておりました」
「もう帰れないからこそ、捨てることはできないのだろうな。王も元気そうで何よりだ」
「……ぇえ、そうですね」
カイルの言葉に、一瞬シーンの表情が翳った。それは、主従という関係で“従”についたものの……嘆き。
先を進むカイルはまったく感づくとなく、残された二人の従者が視線を交し合った。
奇妙なもので、ここに何かが生まれようとしていた。
「遅い」
「……タイム王は?」
「こんにちは……」
森が切れた海岸の入り口で、リールが仁王立ちで立っていた。別段あわてることもなく、カイルは問いかけた。
問いかけに、リールの後ろからタイム王の姿が現れる。なぜかリールの腰にしがみついたままだ。
その様子に、ある言葉を思い出したカイルが言う。
「……人見知りなのか……」
「一応は、そうです」
答えたのはシーンだった。
なんだ、一応って。
「もういいのか?」
「いいわ」
今度こそ、カイルはリールに問いかけた。泣いたとは思えないほどはっきりした言葉でリールは答えた。
森に背を向けて、二人が歩き始める。送れてレランが進みだして、シーンは森の影に残ったまま。
「また……」
言いかけて、タイムは口を閉ざした。動かした手が、落ちた。
「……また来ても、いいですか?」
すっと、リールが振り返った。不愉快そうにカイルが振り返る。
「うん!」
まってるから!
いつか、どこかで聞いた言葉だったと、リールは思い出す。
それは、自分を待っていてくれる、受け入れてくれる場所だったから。
***
所変わってエルディス場内では……
「あ~ひまだわぁ~」
「アイラ、何を遊んでおる」
エルディスの王妃が、ふてくされていた。
「だって~私の玩具がなくなってしまったのですよ~」
「一度くらいは名で呼んでやったのだろうな」
「リールは私を敬うという心に欠けているんですもの。つまらないわ」
「自分で言うことか?」
「あなたっ! あなたは私の憂いになんの感慨ももたないのですか!?」
「持てと言われてもなぁ」
ひどいわっと、王妃が持っていた扇を落として長いすに突っ伏す。
「ま、そろそろ帰ってくる頃だろうな」
国王は知っていた。自分の息子が元影武者と働かない護衛にすべてを押し付けて海に出たことを。
「結局、待ちきれなかったのか」
炊きつけたのは父上でしょうと、カイルは反論したはずだった。
***
「ねーねーねー」
「なんだ」
ごりごりと薬草をつぶす間に、ちょこまかと動き回る姿。いつ覚えたのか髪の結い方を日々変えている。
簡単な二つではなく、みつあみだったり、お団子だったり、ただし、笑顔でローゼリアに言うのだ。これがいいと。
この計算のない純粋さに逆らえない。
「遊びに行こう!」
「……仕事だ」
「やぁーーだぁーー!!!」
「……」
思いっきり首を振ったのか、くらくらしているようだ。
「やだぁ」
くっと笑った。おかげで、明るくなったではないかと考えていた。
ちょっと驚くような無理難題をふっかけられるローゼリアも、もともといたずらが得意なジャスティも。
変化を、運んできた。ウィアが。
それはあの海の向こうの国で、過ごしてきたからなのだろう。
もう、誰も誰かを病ませるために働くことはない。
相変わらず用意周到なリディロルは、新しい家を用意していた。言ってみると、これがまた地下室が広かった。
もう、暮らしていくだけの金はあった。輝きを失った、黒いものだ。
もう、地位も名誉もいらない、こだわらない。ただ、日々を平穏に、あるべき家族と、共に。
「ねーねぇーーザイン~」
「ちょっと待ってろ。これだけ終わらせたら」
「ホント!?」
言い出しておいて、嬉しそうに飛び跳ねる。
「跳ねるな。準備して待ってろ」
「うん!」
とてて~と走っていく姿を見つめる。廊下の向こうから、もう一人誘う声がする。
きっとローゼリアは、お昼のお弁当をあわてて作るのだろう。あるものをとりあえずバスケットにつめて。
それをジャスティが、文句を言いながら運ぶんだ。
自分は、しばらく見てから手伝うか。
そこまで考えて、口元に笑みが浮かんでいることを自覚する。変化は、場所でもあり、人でもあり、自分でもあると自覚する。
ただ悲しみにくれるだけだったあの頃。
この島の中だけで、一番だった頃。
もう誰も望みはしない。特別なこと。
ただ、平穏に生きることを。
「ザインおそいの!!」
「はいはい」
戻ってきて、こっちに向かってむくれる。王都の町を少し外れたこの場所に用意されていた屋敷には、診察台と、いく人かの入院患者とを迎える広さの一階と、その上には個別に部屋を取るだけの広さがある。
目の前は森、その先は王都。裏は、山だ。
泉はきっと、明るい光を反射して輝くのだろう。
三人が遊んでいる間、本を読むと取り上げられる。共に遊ぶことを受け入れ、そして、日が暮れるまで眠ろう――
ただの島人と同じように、死を離れて生を生きよう。
→約束編