故郷編
……強く引かれた腕。
「リーディ!!」
呼ばれた名。
どちらも同時。
大きな声に反応して、通りの中で人々は振り返る。
しばらく、止まっていた。つかまれた腕を睨む。
その腕を振り払って、逃げるのは簡単だった。でも、そんなことをすればこれはその名を呼び続け、私を探し続ける。
――……殺してしまえば?
考えが浮かんだ瞬間。剣を抜いて首筋にあてていた。
ざわぁ!!
通りの人々が一瞬にして離れていった。
これと話すことは何もないし、話などしたくもない。
剣を突きつけた方も突きつけられた方も、無言で相手を睨んで、見ている。
ぱし!
カイルがリールの腕をつかんで、静かに剣を引かせしまわせた。
驚いたリールは、不満そうで、それでも従った。もう一人の男――自分より年下だろうか。
(誰だ?)
リールにとってまったく知らない他人――というわけでもなさそうだ。
とりあえず、目立ちすぎる。
「うわ!!」
捨ててもいいんだが、連れて行く。――もちろんレランに背負わせて(荷物のように)
人形のように表情のなくなったリールの腕を引く。驚いている、いらだってる――?
わからない。
「「「……」」」
部屋は、誰もいないのと一緒だった。
窓枠にひじをついて、外を見ながら椅子に座る一向に振り返らないリール。
リールに向かい何か言おうとしつつ行動に出ない突然現れた――邪魔者?
レランは一つしかない扉の横に。
リールと男の間に、自分。
「……リーディ……」
(なんだ……?)
「……っお願いだ!! 助けてくれ!」
レランに床に投げ落とされ、ひざをつくように座っていた男が叫ぶように声を上げた。
「……」
それでも、リールは振り返らない。
「リーディ!! ……っ――エアリっ」
ギロッッ!!!
急に振り返ったリールのにらみに圧倒されて、男は黙った。それでも、すぐに声を上げる。
「帰れ」
「助けてくれ!!」
同時に。
「帰れ!」
「このままじゃ、国が滅びる!!」
(……?)
気づいたか、リールの視線が動いたことを、納得するように、哀れむように、その目が開かれたことに。
「帰れ」
「リーディ!!」
「うるさい」
「知っているんだろう。何が起きているのか!!」
「知らな……」
「うそをつけ! だったら何でお前にかかわった者ばかり、地に足をついて歩いているんだ!!」
「何よそれ」
「言ったとおりだ!」
「……優秀な専門家がいるでしょう!?」
「使えないからここにいる」
「……~~っ~!」
ガッ!
窓枠を蹴って、リールは階下へ飛び降りた。――叫ぶ声を聞き流して。
「リーディ!!」
窓に近づき階下を見て、自分も飛び降りそうな男。
ドガ
剣の柄で後頭部をねらい昏倒(こんとう)させる。
「見張ってろ」
床に倒れた男を見下し、短く命を言って部屋を出た。――もちろん、反論は聞かずに。
「は! ……は! ……」
静まらない息を整えて、広場の芝生に腰下ろす。
(いったいなんで……しくじったわね)
よく見ると、空の星は見知ったものに近かった。
「まだあと二年――」
「ずいぶんと必死だったな」
不意打ちに、驚いて振り返った。
「え~」
「何を逃げた」
「ぇ~……」
隣に腰を下ろしたカイルが容赦(ようしゃ)なく問いかける。
「「……」」
「……だから!」
「なんだ」
「……~!」
いらだって、ぶちぶちと芝を抜く。
「関係ないでしょ」
「……そうだな」
立ち上がって、カイルは来た道を帰っていく。
「って……」
おいてかれたリールはあわてて後ろを追いかけた。
「……だって……」
言葉を小さく響かせて。
「「「「……」」」」」
結局、部屋の中は無言で、夜が更けるだけ。誰も寝ない。何も言わない。
ひざを抱えているリールも、そんなリールを見ている男も、ベッドに腰掛けるカイルも扉の隣に立つレランも。
「……何しにきたのよ……」
「!」
「……」
抱えていたひざを下ろして、リールは静に聞いた。
「何が起こっているかこっちより知っているんじゃないか?」
「……」
また部屋は沈黙に支配されたかと思った。
「ある所に、男が一人おりました」
「は?」
「その男は、生まれつき体が弱くどの医者も手の打ち様がなかった」
「お~いなんだ? ぐぇ!」
話を遮ろうとした男は、カイルに踏まれた。
「このまま苦しんで死に行くよりも――実の親は死に掛かっていく子供を、山に捨てた。払えなくなった治療代。生活に起こる支障を考えて。すぐに、簡単な葬儀が執り行われた。
誰よりも頭がよく、誰よりも賢かった少年は、山に一人きり。
空腹に耐えかねて、目に付くものを口にした。毒草も、薬草も。少年は知っていた。自分が死に向かっていることも、それを知った親に、初めて見られた病気に恐れた村人に、捨てられた事を。
少年は怒り、悲しんだ。
生きたくも、自分は生きていてはいけないと悟った。
死を、待つだけ。
憎しみと、憎悪と復讐心。いつしか心は捻(ね)じ曲がる。
いつしか――
ふと、ある日、気づいた。
死なないことに。
生きていることに。
なぜ?
頭のよかった少年は、周りのすべてを疑った。
体は前よりよく動いた。
口にしたもの目にしたものを調べ上げた。
そして、わかった。
自分の病気が治っていることに。
それは、自分が口にしたものにあることに。
毒草と、薬草と。
口にした毒草。普通ならすぐに死んでしまうような毒草を、口にして生きているのはなぜか。
逆に、薬草で治らない病が毒草で治ったのか。
毒草にも、薬としての効果はあるのかと。
普通の薬だって、使い方を変えれば猛毒となる。
だから、毒草を薬として使うこともできないのか。
新しい薬として。
毒草に含まれる薬として使える部分を取り出して、そして使う。
少年は青年になってまでも、ずっとそれを調べていた。
そして、見つけた。
毒草を薬として、使う技術を。
作り上げた。
生まれた町から遠く離れ、医者なき村に店をかまえた。
医師とよばれ、治療をした。
青年は、怪我を治すことよりも、大病を薬で治すことが好きだった。
幾人も幾人も。いつしか、青年のことはうわさになった。
有能な、薬師として。
でも、それも一時。
青年は、患者一人ひとりを見て回り、その人に合わせて薬を作る。
薬だけ、買うことはできないから。
“患者を連れてきてくれないか。”
青年の訪問を求める人々に、いつも答えはこの言葉。
青年は、村を離れられないから。
寝ている病気の村人を、置いて出かけるわけに行かない。
自分が見ていなければ、死んでいく者達なのだから。
その国の王子は病弱だった。
乳母がうわさを聞きつけて、最後の綱にやってきた。
青年の答えは同じこと。
怒った乳母は似たような症状の者の薬を金で奪った。
王子は――死んだ。
責任を問われた乳母はこう言った。
「あの医者のせいだ」
青年は捉(とら)えられた。
暗い牢の中で、青年は運命を呪った。
「だから、言ったのに――」
暗い、暗い、牢の中。
いつしか青年は考えることにあきた。
そして、すべてを憎んだ。……昔のように。
屈折した心が、壊れた。
憎んで、蔑んで、怒って、呪って――復讐
そんな言葉を思い出した。
青年は、逃げ出した。
一人、小さな小船に乗って海に出た。
流されて、漂流して、沈んで。
とある島へと打ち上げられた。
小さな島は小さくて、回りも島で囲まれて。
はやり病に疫病と。別名、「死の島」といわれていた。
人々はやせて餓えて、いつ死んでもいいものだ。
死ぬことが救いだった。
生きていくのは苦痛だった。
青年は、また山にこもった。
虚(うつ)ろな人々に見つからず、一人生きるのは簡単。
でも、すぐに出てきた。
毒草と、薬草と――また薬を作った。
一人ひとり見ていられない。
大衆用に、効果を薄く作り配った。
簡単なことだ。軽い病でも、やせこけて病弱な島人には死の病だったのだから。
人々は生きながらえた。
島々の病気も治まって、はやり病も、疫病も消えた。
生きる
人々にとってこの上ない喜びだった。
いつしか、
島は「不死の国」と呼ばれた。
島の人々は生きながらえた。
長く長く。
死を恐れることもない。
死がくることが日常で、安楽に人々はこの世を去った。
青年は、まだ、青年だった。
何人もの人々を救って、島の病人は消えた。
どんな名医でも、患者がいなければ何もならない。
青年は憤(いきどお)りを感じていた。
ここだったら、自分の実力が発揮できるはずなのに――
実際に発揮して、結果がこれだ――
青年は、また、暗黒の闇に心を落とした。
ある日、いつものように山に昇った。
茂みの中からのぞく光景。
遊びに来た兄妹が、とある実を見ていた。
――猛毒。と、いかなくとも毒のある実だった。
幼い兄妹の体に、後遺症を残す可能性のある実だった。
口に、運ぶ――
青年は、制止の声を上げなかった。
その晩。起ることに、ひそかに、心の中で期待して――
門は叩かれた。
父と母というものによって。
何を口にし、何に対処すればいいか、
青年は知っている。
高熱にうなされる兄妹を、すぐに、治療した。
あくる日には回復した。
――もう大丈夫。
そして、
これだ――
患者がいなければ、病人がいなければ、
―――作ればいい―――
青年は、すぐに行動した。
共同井戸に、毒を落とした。
赤子でも死なないくらい。でも、赤子でも成人でも毒に苦しめられるぐらい。
小さな診察所は、すぐにいっぱいになった。
不安の広がる村は、青年の力で治まった。
人々の恐れは青年への、崇拝(すうはい)に変わった。
井戸の毒を中和して、川に落とした。
上流から下流。小さな村から首都にいたるまで、はやり病が現れた。
村人は言った。
行ってくれと。
われらを助けてくれたように、人々を救ってくれと。
青年は、そう言わすように誘導していた。
行きたくとも、ここのことをほおってはいけません。私の願いは、そう。皆が治る病に倒れることのないようにしたいとこではあるのです。と、言って。
青年が現れて、はやり病は消え去った。
何によって、発生し、何で治療すればよいか、青年は知っていて当然。
功績(こうせき)をたたえられ、王室に迎えいれられた。
すでにいた薬師とはあわなかった。
数年後、はやった病で、数代にわたって薬師の業についていた一族は皆死んだ。
青年は、王宮一の薬師となった。
他の薬師はもういない。
王の信頼は篤(あつ)かった。
青年は、青年だった。
まるで、体が年をとるのを忘れたようだ。
でも、青年と呼ぶには、ふさわしくない。
もっと、上。
大人だから。――年齢は。
もう、いくつなのかも数えてはいないが。だから、男と呼ぼう。
男は自分の地位を保つため。
身ごもった王妃に薬を盛った。
滋養(じよう)があると一言いえば、なんの疑いもない。
それくらい男の地位は高かった。
病がはやるたび、王子と王女が倒れるたび、
男は王に言った。
他国との交流を避けよ。これは、私が沈めよう。
自分の治療に疑いをもたらさないように。
他の薬師を受け入れるな。
他国の医術が広まぬように。
国はどんどん。男が住みやすく変わって行った。――変えていった。
それからの日々はつまらないものだった。
王の子供に薬を盛って、治療する。
何をすればいいかわかっている。
――つまらない。
一向に年をとらない男に、疑問を抱く者もいなかった。
いや、抱いたものは死んでいった。
はやり病で。
男は、暇だった。
だから、思いついた考えをまとめて、
一冊の本を書き上げた。
この国を、生かすことにあきた男が書いた本。
そしてついに男があきた時。
生きることに厭(あ)きた時。
このまま死ぬのもつまらなかった。
だから残した。一冊の本を。
その本は息子に渡り、読まれた。それは、幾年の時間をかけて、この島を変える計画の書かれた本だった。
何百種と言う毒を植え込み、大地に含ませ、水を汚染し、草木を毒へと変えていく。
それを体に取り込んでここでしか生きられない人間を作る。
だけど同じ毒ばかりだと、体制ができて効かなくなる。
何年もの時間をかけて、毒を変え中和し混ぜ合わせ。本当の死の島へと変えるために。
狙いは、計画が実行されてから二百年後。
一族以外の島人を、消すために。
その計画が書かれた本。考えた人物。
“それが、初代エアリアス”
“エアリアス・リインガルド”
今は……“エアリアス・リインガルド・リロディグラル”」
淡々と話す言葉は、まるで何かの童話のようで、暗示のようで、理解すると言うよりも、頭に沁みこませるようだった。
「おいっ! ちょっと待てっ!!」
何かに気づいて叫ぶ男は、引きつって青ざめてこの世の終わりのような顔だった。
「じゃぁ……まさかっ……!」
「そうね。今の王女が二人死んだのは、盛った毒の中和と与え方を、間違えたからに他ならないわね」
――今の当主は権力に目のくらんだただのアホだから――
「救えないわね」
「なっなっっ……」
「先天的な病が発生するのは、王妃が身ごもったときから毒を盛っているから。世継ぎの王子なら後のことを考え生まれてから毒の中和をするけれど、王女なら一族の保険のためにそのまま。毒を中和しつつさらに盛って常に病気である状態にする」
病人がいる限り、薬師は必要だから。――計画を実行するだけの地位を確立するための行為の一つだ。
「その過程で失敗したんでしょう。本当に使えないもの。あの当主は」
ああ。と、思い出したように視線をさまよわせてリールは男に向けた顔で聞いた。
「第一王子は?」
「……死んだ」
男は小さく静に言った。
「そぅ。……おしい人材を亡くしたものね」
「もしも知識と知恵と策略に優れた聡明さの初代エアリアスに誤算があるとすれば、計画の実行に近づいたこの時期の子孫が絶大な権力におぼれたただのアホに成り下がっていたことじゃないかしら」
ろくに書を読み込みもせず、理解したつもりの知識で処方して。
「ここ数年中は腐ってきていたみたいだけど」
「なんだよ、それ……?」
愕然(がくぜん)として、男は言った。
「……本当だったら二年後に、一族以外の島人は息絶えるはずだったんだけど――……その時ではない今に実行しているから逆に大変ね」
「死人が出たところでどう対処すべきかもわからないでしょうね。――今がその時でないことに気づいているのかどうか――」
まぁ、知らないでしょうね。
「だから! お前は知っているんだろう! どうすればいいのか! どうやったら助かるのか!」
「なによそれ?」
「だから、あの時試していたんじゃないのか!?」
「――黙れ」
「っつ!! ……」
男はその声に黙った。
ピリピリとした沈黙が、降り立った。
カイルは、降り立った沈黙の中で、これまで聞きとがめた単語を頭の中で反芻(はんすう)していた。
“エアリアス”
この世界の人の中で、聞いたことのない人を探すほうが無謀(むぼう)と考えられる言葉の一つだろう。表立って出る言葉ではない。しかし、人々を捕らえて放さない魅惑的(みわくてき)な言葉。
“シャフィアラ国一の薬師。不老不死を扱う一族で、その腕に直せない病はない。”
事実「死の島」を「不死の国」へとした者。
病を治す薬師として、世界が欲する一族。
しかし、その一族が病を治すのはシャフィアラ国の民、ひいては王族のみ。――表向きは。
シャフィアラ国
四大大国の一つシャフィアラ
もともといくつもの島の集まりが、ひとつの国となっていた所だ。中心に置かれた島が首都となっている。海術と造船に優れる。
交流の皆無なシャフィアラ国の聞けるうわさはこれくらい。
なぜ――? 交流がないのか。
それは、キリングタイム時に沈んだエルン大陸の影響である。
突然消えた巨大大陸のせいで海流は荒れ、渦を生み暴れだした。シャフィアラへと続く海路に立ち塞(ふさ)がるように。まるで、何物も寄せ付けないように海の流れは変わった。一年のうち何度も変わる読めない流れ。いつ狂うかわからない波。すべてを飲み込む渦。
高く低く。シャフィアラに近づく船は波のまれ渦に飲まれ海に消える。辿り着いた者も。帰ってきたものもいない。
誰も、行くことができない。
だから、ずっと、何の交流もない。
しかし、幾年かの時をかけ、人々は船の通じる道を見つけた。だがそれも不安定なもので、季節が変わると消失したり、いきなり渦が生まれたりする。
海図を描くのも、船を渡すのも必死だ。
初代エアリアスが流れ着いたのもその影響だろう。運がよいとしかいえない。
それでも、伝わるうわさ。“エアリアス”と、興味深い事実。
それは――
「黙れって言ってるのが聞こえないの?」
「来ない限り何度でも言う」
「……」
「リーディ! お願いだ!! せめて国に帰ってくれ」
「で、私の同情を誘おうとでも?」
「見殺しにするような人じゃないだろ!」
「さぁ。どうかしら」
「リーディ!!」
「うるさい。お前だけには言われたくない。もちろん、今は感謝してもいいけど」
――あそこから、出られたのだから――
「何を逃げる?」
一通りの思案の末、ある仮説にたどり着いていたカイルは再び問う。感じている違和感を解消するために。
「あんたに関係ないでしょ」
うっとうしそうにリールは言う。
「それでも、わかるだろう」
もし、目の前の人物が滅び行く国の崩壊を止められるなら――
「俺は必ず捕まえる」
「……」
自分の立場と、すべき事。“王子”という権力的地位と、肩書き。
「……」
無言になって、爪を立てた手を握る。親指が、人差し指に食い込む。
怒り?
――震えているリールの深い深い心情は、カイルにすらわからなかった。
「……状況は……?」
手を開いたリールは、言った。
「リーディ!! いったいどこに行くんだ!」
「いちいちうるさいわね」
次の朝、日が昇ると同時に部屋を出たリールについていく二人、と、騒がしい男。結局、四人とも睡眠らしい眠りはとっていない。眠れなかったというほうが正しいかもしれない。
リールはアストッリドでは、とてもめずらしい森へと歩んでいた。数えるほどしかない森の一つは、海からの突風を防ぎ砂が舞うのを防ぐためのものだった。
表面は砂で覆われた大地。歩くたびに足を取られ沈み後を残す。
ゆっくりと、探し物をするように下と上を見上げながら進むリール。男は心配そうに声を荒げる。
「用意がいる。必要なもの」
いい加減切れたらしい。元から口数も減っていたがさらに口調が厳しい。それこそ、もう話しかけるなと言わんばかりだ。
「……」
男は、黙った。
草花の少ない森。砂が侵略しつつある土を踏む。険しそうに細い木々を眺め、足元に視線を戻す。――あまり、豊かな森とはいえない。砂漠を渡る途中のオアシスのほうがずっとましだ。
「目についた薬草をすべて――あと、若い葉があればそれも取って来い」
いきなり男を振り返ってリールは言った。――もちろん。反論などできようか。
男はすぐに行動した。足音が遠ざかる。
「何かいるのか?」
「あっちの草木花はすべて毒素が入っているから。――そうでないものを……暇?」
「暇だな」
「じゃぁ、メルトネンシス探してきて」
「あるのか?」
「ないんじゃない?」
「なぜ探す必要がある」
「「――っ!」」
リールとカイルは、突然起こった声にはじかれて顔を向けた。
「……ああ!」
「……お前行け」
リールは存在を思い出したようで、カイルは当然のごとく命令した。
「……」
少し長い沈黙の後、レランは言った。
「それが何か私にはわかりませんが」
ばらばらと、荷物の中身を取り出しては確認する小娘。――なぜか、王子が植物であろうものを探しに行き、自分はここで手伝いをしなければならなくなった。
――……ここにいる必要性を感じない。
「お前は誰だ」
「何が言いたいの?」
質問に間髪いれず答えられた。
――名前? 歳? 経歴? 家柄? 趣味? 両親?
……何が、知りたいの?
「お前は、」
「リーディ」
「何?」
「これしかない」
いきなり現れた男に、話と中断させざるをえなかった。
「……」
二種類の葉を見て、少し思案した後、葉を水で洗い布にくるませた。
「仕方ないか」
収穫はないと言うように戻ってきた王子を待って、森を出た。向かったのは、男と遭遇した港町。
「船は?」
「さっきの森の下の入り江に行くように言った」
切り立った崖の裏側。森の下。隠された場所と、流れる海流の流れ。
「ふ~~ん」
まぁ、無難なところね。
陰険な店で数種の乾燥させた薬草を買った後、王子に買わせた昼食を噴水の前で座って食べる小娘は、男とそれだけ会話を交わしたら、黙々と数人前を食い尽くした。
何も言わない。何も。でも、必要な限りの用意はあるし、そして、そんな説明も要らないようだから。
――王子には。説明がないのも気にならないし。ついて行くのが当然のようであるから。
いったいこの面子はなんなのか?
気にしているのは自分だけだ。もちろん、現れた男がこちらを警戒していることは当然だが。
人気の多い通りから、人気のない入り江まで。旅人はめずらしくないようで、特に気にかける人もいない。世話しなく動く人々。あふれる声。流れる潮風。――そんな中を、無言で四人は通り過ぎた。
大きくもないが頑丈な船。入り江の奥に隠されるようにある船の元に着いたのは、日も暮れかかった夕方だった。男が合図を送り縄のはしごが下に落とされて、それに手をかけた小娘が突然振り返った。――まるで、思い出したかのように。
「これはシャフィアラの第二王子。フォトス」
縄を握る手を離し、指先を突きつける。
「「「……」」」
何にどう反応しろと?
「こっちはカイルと、レラン」
今度は左手で指差す。
「「「……」」」
互いに互いの名を知らなかったのは事実だ。そして、間にいるのはリールただ一人。
「……」
俺を睨みつける視線に、ゆっくりと睨み返した。俺よりも背は低いし、歳も下だろう。身分が高そうだとは思ったが、第二王子? 第一王子が死んでいるのなら、世継ぎはこいつだろう。――俺のことを知っているとは思えない。こっちも、シャフィアラに王子が二人と、王女がいることは初耳だ。
ほおっておくとずっと睨み続けそうな二人を見ながら、レランはとある考えが浮かんだ。……よもや、この二人が互いに睨み合っている原因はあの小娘?
「……ぉっ」
いつまでもここにいるわけにはいかないし、それに……
「ああ、王子!」
すでに船に上がって船べりから顔を出した小娘がいきなり声を張り上げた。
――……この場に“王子”が二人いることを、知っているはずだが?
ばっと反応したのはシャフィアラの王子で、エルディスの王子(あるじ)は特に何事もなくゆっくり顔を上げた。
「敵に回しとかないほうが無難ですよ」
――誰が、誰を。
忠告のつもりなのかそれだけ言うと、小娘は顔を引っ込めた。
「……」
「……」
まだ睨み付けそうなシャフィアラの王子を置き去りにいて、王子は当然のごとくはしごを上がり始めた。
なぜ自分たちがついてくるのかいまいち納得していないであろうシャフィアラの王子は、それでもはしごを上がった。
「ウィディア」
はしごを上り終えて船べりに降り立つと、そんなリールの声がした。船の甲板にいる人々の、表情はいろいろありすぎた。
――哀れみ? 崇拝? 恐れ? 感謝?
「名が必要な時はそう呼んで」
ずっと感じている違和感の一つ。……お前の名は?
「ウィディア様」
おそらくこの船の船長であろう男が前に出た。
「お久しぶりです。お元気そうで。部屋の準備をしておりますのでどうぞこちらに」
「準備のいいこと。ギミック」
「かならず、来られると思いました」
「……そう」
そういって、カイルとレランに視線を向けた。
「お連れ様もこちらに、部屋の広さは十分ですので」
“ウィディア様”すれ違う船員の口が動いた。どう感情を表せばいいかわからない顔で。
いつもそう。いつからそう? いつでも、これまでがそう。
……いくら言っても、変わらなかった。いくら頼んでも、やめてくれなかった。
――皆呼ぶ。名を。“様”と言う肩書で。
その名が、偽名だとも知らずに。
案内された部屋は、広さも温度もちょうどよかった。丸く作られた窓の近くの椅子の上に荷物を置いた。
「他に何か必要なものはありますか」
「……」
用意された机の上に置いてある道具を見て、私は驚いた。
「これは?」
なつかしいと同時に、二度と見たくもなかった。
「部屋にあったのを、王子が持ち出したようでして……」
「……」
そうか、まだ、部屋の鍵を王子は持っているんだった。
「……」
言いたいことや、殴りたくなっているけれど、今はまず先にすべきことがあるから。
「沸かした湯と、湯ざしましを」
「それなら――」
コンコンッ
「入れ」
船長(ギミック)が言った。
「お湯をお持ちしました」
「置いておけ」
「はい」
「後は何か」
「特には」
むしろ、揃っていると言ってもいい。
「何かありましたらできる限りご用意します。ただ、まもなく出航しますので」
船の上で用意できるものは限られる。
「平気よ」
「夕食は二時間後に」
「わかった」
部屋を去った船長。リールすぐに用意してあった飲み物と、食べ物を口にした。
「……」
昼は足りなかったのか?
「食べきってもいいが」
カイルは言った。
「これは平気」
聞いていないのか、小さくリールはつぶやいた。
「こっちに来てどれくらい?」
部屋の中にいたシャフィアラの王子――っもう、フォトスでいいか。に話しかける。
「シャフィアラを出て三ヶ月だ」
「誰か倒れた?」
「いや、誰も……」
「あっそ」
リールはずんずんと、フォトスに近づいて、
パシ!!
いい音を立てて腕を掴んだ。
「?」
掴まれた腕を不思議に見た瞬間。
ぽいっ! バン!
扉の外にほおり投げて、強くドアを閉じた。
「「……」」
俺は飲み物をついで口にしようとしたらレランに奪われて、そして手に帰ってきた。
「……」
リールは無言で荷物の中から用意した薬草を取り出して、すりつぶしたり、混ぜたり。調合を始めた。
「「……」」
始めてみる姿だし、暇だから。俺とレランも無言で見ていた。
一時間もたってはいないだろうが、それに近い時間をかけて、リールは薬を作っていたのだろう。
黒い粒上の薬剤と、緑がかった水。自分で口にしたあと、同じものを二つに分けて二つの小瓶に入れる。計四個の小瓶を持って、リールはこっちにやってきた。
座っている俺の横に立って、持っているものを机の中心に置く。
「言ったとおり、あっちもすべてはこっちの人には毒だから。この錠剤を一日二つぶ。これは毒を中和するものだから。ただ、予測しえないほどの事態かもしれないから、こっちも」
液体の入ったビンを指す。
「息苦しいとき、めまいに襲われたとき。でも、何か異変が起きたらすぐに言うこと。あと、水や食べ物を無闇に口にしないで。空気ですら毒になるだろうから、体がうまく動かなくなるわ。あと、疲労感とかも」
「……」
レランは俺の支持をあおいでいるようだから、渡した。それを見て、リールは机の上を片付けに行った。
――レランも、気づいていただろう。さっき、森で取った薬草、港町で買った薬草。……すべて使い切ったことに。ほかにも、リールの荷物の中から使ったものもあったが。
片づけが終わると、リールは窓の近くに座って海を見ていた。俺は、なぜかある本棚の本に手を伸ばした。――聞きたいことはあるが、今は聞かなくてもいい気がした。レランは、扉の近くに。……まぁ、一番疑問を飲み込んでいることだろう。
コンコン!!
ノックの音と共に運ばれてきた食事。
食べきると、まるで目の敵のように海の先を睨んでいたリールは隣の部屋に入り早々に就寝した。扉は二つあり、どちらも二つずつベッドがあった。
「王子」
たくさんの蝋燭(ろうそく)に照らされた部屋で本を読んでいた俺に、レランが話しかける。
「なんだ」
「どういう事でしょうか」
「さあな。だが、知りかったんだろう」
リールが何者で、なんなのか。
「いい機会だろ」
何も貴方が行かなくてもと言いたいが、シャフィアラという国に興味がないわけではない。
それに、すでに、船に乗り込んだものに対する問いかけか?
「た……」
ばたばたと廊下を走る音に、目を細めて剣に手をかけた。
「やめておけ」
王子の制止に、剣を鞘から抜くのはやめる。
「リーーディ!!」
バアン!! とフォトスが入ってくる。
「もう寝ている」
かったるそうにカイルは振り返った。
「……っ!」
あまりに堂々とした態度に、フォトスは一瞬たじろいだ。
「起こしてくれ」
「なぜ」
「……急病人だ」
「この船に医者は?」
「シャフィアラでは、エアリアス家の人間しか薬師になれない」
「連れてこなかったのか?」
「連れてこられるはずがないわね」
振り返ると、腕を組んで扉に左肩を預けているリールが見える。
「……誰が?」
腕をといて、足音を立てながら、リールは言った。
「ボーダだ」
「……」
無言で、廊下に出たリールは、知り尽くしているのか迷わず目的の部屋まで進んでいった。
「どうしたの。イオット」
扉の開いている部屋に入って、リールは言った。ベッドの上には男が寝かせてあった。苦しそうに息をしている。
「わからない。突然倒れたから」
隣に座っている男。リールが話しかけたイオットが答える。
脈を取って、熱を見て、目を見て状況を聞いて、リールは聞いた。
「ここに来て三ヶ月といったわね」
「? ああ」
イオットは答える。
「ケドニー」
野次馬のごとく部屋の外に集まりだした船員の一人に話しかける。
「ぉぉおう!?」
こちらも見ずに言い出したリールに、ケドニーと呼ばれた男は答えた。
「お酒を持ってきているでしょう」
「そりゃぁもう!」
この男、酒好き。
「今回も自分の配分を削って酒を……」
「一番度数の少ないものを持ってきて」
「はい!」
長くなりそうな話をぶった切る低い声に、男はさっさと行動した。――そして、もって来る必要があったのに、割り当てられた配分を削ったことをばらしたため船長に殴られた。
台所に持ってくるよう伝言し、足早に部屋に帰る。荷物から必要な瓶を――薬を持つ。そのまま食堂の横の台所に移動して、鍋に薬を作り始めた。
「いったいなんだ?」
邪魔をしないためか遠巻きに台所を除いている者共を押しよけて、カイルはリールのそばに立った。――鍋の中身は真っ黒だ。
「簡単に言うと、ようはこっちに向こうの食べ物はないでしょ」
体内に取り込んだ毒が切れて、体がそれを欲している。まるで、薬物の中毒。いや、薬物依存に近い。
向こうで作られたと言う酒を手に、リールは鍋をかき回した。
「だがそれは――」
“毒”なんだろ?
「シャフィアラの民には必要なもの」
淡々と言リールは、言った。
酒が加わると色が薄くなった液体を、さっきの倒れた男のみでなく、船員全員に配った。――もちろんフォトスも。
真実を知っているだけに、受け取ったコップを握り締めていたが――突然リールが奪って飲み干し、呆然としたところにまた別に中身の入ったコップを渡した。
今度は、おとなしく飲んだ。……何を思ったかはわからないが。
「大丈夫なのか?」
ボーダという名らしい男に薬を飲ませて、息が静まったのを確認したら、三人は部屋に帰った。
リールはそのまままた寝始めそうなので、その前に問いかけた。
「何が? ――私は、“シャフィアラ”の民なのよ――」
「それを知って毒を飲むのか」
「“毒”なのはあなた達の体の中で。シャフィアラではとあるきっかけで人々を滅ぼす道具」
「なぜ飲む必要がある」
「助けるには段階を踏んで毒を取り除くか中和していく必要があるの。それに、個人個人の毒をなくすだけじゃ根本的に解決しない」
地に水に、浸み込んだ毒を、浸み込ませた毒を。
「それだけのことをお前はしていたのか」
一歩踏み出すように、近づいてきたレランは言う。
「おい」
責めるように声を尖らせたカイルを、リールは押さえた。
「否定はしないわ。だって、私は――……こんなことを言うのも変だけど。私は実際に毒を蒔(ま)いたもの。生まれた子供は、十歳の時に“仕事”を一つ任される。大地を汚す仕事を、水を汚染する仕事を、人々を滅ぼす手伝いを。――事実を知ったのはそれから。エアリアス家の中でも、真実を知るのは数人」
「どうやって、真実を知った」
「両親の死と引き換えに」
「………」
「………」
降り立った沈黙は長いもので、カイルが本のページをめくる音だけがする。
黒い暗い海は、確実にシャフィアラに近づく。リールの思いは置き去りで。
数日間は、ほとんど誰も口をきかなかった。リールはずっと窓から波を眺めているし。俺は唯一置いてある本棚の端から本を読んでいる。――もう読み終わる。閉じると同時にレランが次の本を手渡す。……並んでいる本に統一性はないのか? さっきのは植物学で、これは童話だ。それにすべて共通語だ。シャフィアラの船であることを悟られないための工夫か?
波は穏やかだ、出向したその日からずっと。
沈黙は続いている。レランの確信をついた質問のあとから、ずっと。
表紙をなでながら、ゆっくり顔を上げる。――あきないのか、リールはずっと波を見ている。……ずっと。……一日中。
問い詰めてみたいことがないわけじゃない。きき訊(たず)ねたいことがないわけじゃない。
数日は穏やかで、静かなものだった。――まるで最後のように。
また日が暮れて、昇った。
きぃ――
昼寝をしていたらしいリール(船に乗ってはじめて)が、寝室から出てくる。もう夕暮れだ、窓から中を照らす日は赤い――
コツ、コツ、
真横にやってきて、
こぽこぽ……
水差しからグラスに水を移した――
「っ!」
ドン!!
大きな音共に揺れる船。傾く船。不意をつかれてバランスを崩したリールを抱きとめると、レランが面白くなさそうに、俺を助けに来た。
「いったい――?」
「あんのアホ共……」
冷静に状況を分析しかかったレランの声を無視して。手の中を見下ろして、放した。
バァン!! カッカッカッカッ……!
すぐに起き上がって離れて行く足音。見失うことはないし、追いつくのも簡単だった。
地図上の距離なら、シャフィアラはもう、すぐのはずだ――
「いったい!! 何で海路を決めているのよ!」
ミシッっと、力が加わるように、リールは操縦室の扉を開け放った。
「ぅわ!!」
正面に、舵を取る船長(ギミック)。隣の椅子に座る第二王子フォトス。――さすがに、驚いたようだ。
「「……」」
リールの視線はフォトスの持つ書物に。――日記?
「……解読するのに一年かかった」
視線の意味を理解したのか、フォトスがリールの視線を受けてそう言うのと、リールがその書を取り上げるのは同時だった。
ぴっっ! っと、一瞬にして。
「……さすがだな」
無言でその書を開き、中を見るリール。フォトスはお手上げというように船長を見た。
「「「「「……」」」」」
なぜか、操縦室内にいる人々に緊張が走ったのがわかった。
「ウィディア様」
お手上げ状態のフォトスと、緊張の走った船員の存在に気が散ったのも一瞬。船長は言った。うなずく航海士を目にしてから。
「進路の決定を」
「……私の言うとおりに舵が取れるとでも?」
「取れます」
「……」
迷いなくよどみなく答えられた返事に、リールは目を見張ったが、すぐに広い窓から海を見下ろした。
日も暮れかかり、暗闇に飲まれつつある海には、いくつもの渦が行く手を阻んでいるのが見えた。不規則に渦巻く波。……消えた。先ほどから船が左右に揺さぶられると思ったら、消えかかる渦の波の流れがひどく緩いものに変わり、かと思えば生まれ出た渦の激しい流れが押し寄せてきているからだった。
「取舵13!!」
何かを感じたらしいリールが言う。船長がすぐに舵を切るのと、船に波が押し寄せるのは同時だった。――直撃は免(まぬが)れた。
左に向けていたリールが手を下ろすと、船長は左に切っていた舵を戻した。天井につるされたランプがゆれたまま、耳障りな音を響かせる。――ある意味で、しずかだった。外の波の音は耳を覆いたくなるほどだったが、操縦室の中はしずかなものだ。誰も、何も言わない。
船長は、舵を取っていない。
船は、波に流されるままになっている。
左右の揺れが、上下の揺れになっていったその時、突然波の音が変わった。
荒れ狂う乱雑な波の音は、一つの流れの音となった。――それもそのはず、これまでのゆうに三倍はありそうな巨大な渦。暗くなりほとんどを闇に飲まれた海の中で、それでも姿を現し見せる渦。……船は向かう。渦の中心へ。
「――っ船長!」
波に流されていることは明らかだ。一人があわてて声を上げる。――今なら、まだ、間に合う! ……この渦を抜け出すには……どうすれば?
絶望的な目を向ける船員――だが。
あせり、あわてる視線を受けながら、目の前を見る。舵のある場所から少し降りた、窓の正面。ウィディア様は立っている。……何も、言わない。
「距離、300!!」
大渦との距離をはじき出したボーダが言う。船長(ギミック)は、右に、左に揺れる舵を、取ろうとはしなかった。
「「「「船長!!」」」」
渦が近づくにつれ、船員の悲鳴めいた言葉が部屋を満たす。あるのは、ただ、恐れ。恐ろしさ。
「距離、200っ!」
振り返った航海士と、船長は目配せしてうなずいた。
確実に距離が縮まる。渦の音がひどく耳を痛めつける。波の音が遠ざかり、水の流れが激しさを増す。
「距離!! 150っっっ」
近づいてくる、渦。右から左に、左から右に。小さな渦は大きな渦に飲まれ消えていく。
渦の中に渦が消えていく光景。
暗闇と、轟音(ごうおん)と波が襲い繰る。近づいてくる――渦。
「距離! 100!!!」
暗く黒く深く。飲み込もうと手を伸ばされている。
中心まで流れていった水が、海のそこに落ちた。
リールはずっと渦を見ていた。近づいてくる暗く深く激しい渦を――次の瞬間!
「面舵一杯!! ――っ全員何かにつかまって!!」
リールの腕が水平に上がったのを見たまでは、よかった。次に襲ってきたガクンという揺れ。浮遊感に襲われて、船の速さが変わった。
今にも巻き込まれそうだった渦を避け、いや、その渦の横を通り過ぎ、次の渦と渦の間をぬける。速い流れに押されて、流されて、船は海路をただ進む。
渦の一番外を流れて、通って。左右の流れがぶつかり合うところを通って。
まるで、壁に押し付けられるようだ。風が立ち上がるのを邪魔する。状態を起こすことが困難で、立ち上がることも、歩くこともできない。
船の速度は上がったようだ。まるで止まることを忘れてしまったかのように。
動くこともできず、そのまま一晩中すごした――
ふわ!
「!」
眠っていた体を、地に足がついているかを確認させるぐらい。
沈んでいた思考が、現実を思い出すぐらい。
強烈な浮遊感と共に、眠りから覚めた。
ざわざわぁ
見れば、周りも同様だったらしい。
「小船を一隻下ろして、すぐに!!」
覚醒し始めた船員とは裏腹に、リールはすぐに行動を起こした。呆然としている船員にそういうと、操縦室をあとにしようと振り返った。
「ウィディア様?」
船長があわてて声を上げた。――何を? ――と――
カッ!
靴の音が一際大きく響いた。――轟音に潰された耳が痛い。
……一呼吸。息を吸って吐いてから。振り返りながらリールは言った。
「私に港から島に入れと?」
――それも、シャフィアラで二番目に大きな港から?
「……」
何か思い出したように、いや、知っていたがあえて気づかないふりをしていたものが、一瞬にしてやってきたようだった。
「ウィディア様」
――おやめください。
――何を?
「……」
会話するように目を合わせていたリールと船長(ギミック)。
残すことも物も何もないと、リールは目をそらし振り返った。離れていく足音と、立ち上がる船員。――それぞれがそれぞれの感情を伴(ともな)って、船長に向ける目に期待がこもる。――懇願(こんがん)?
ゆっくりと声が上がった。小さく――大きく。少数――多くが。
強くなる声を制して、小型の帆走船を下ろすように命令されると、皆リールが開け放った扉の先を見た。――まるで、その先にいる人(リール)を見るように。
足元で、突然船が揺れたときに落ちて割れたグラスの破片が鳴(な)く。――靴と、床が傷つく――……知ってる。寝室においてあった少ない荷物をまとめ、顔を上げた。
「この船に用はない」
「利用するだけ利用した?」
見上げた先のカイルとレランを見た。――そういえば、久しぶりに二人と向き合った気がする。いても、目の前にいても、まるで自分がいないみたいだったから。……自分がいないのに、人がいるはずもないから。
「……っ」
口を開いて、閉じた。
まだ。今。ヤダ。だから。だって。なんで。いまが。これから。今だからこそ――
「この船を降りるわ」
「そうか」
それだけ言って、カイルも寝室に入った。
「今度は逃げないのか」
「逃げるにはまだ早い」
「王子、何か持っていくものはありますか」
隣の寝室の荷物をまとめたらしいレランが来た。
「ああ。あの本」
読みかけの本。リールを抱きとめた時に、机の上に置いた本。……この船の本では? しかもたしか、童話ではなかったか?
「……」
レランは本をとった。
「ついでだしあと二、三冊持ってけば?」
「そうしろ」
「……どれにしますか」
「何がある……」
「いいじゃん適当で」
「誰が読むと思ってるんだ」
「あんた」
「何か読みたい物でも」
「ないな」
「なんで読んでんの?」
「暇つぶしだ」
「他のことでもよいのでは」
「お前で遊ぶ以外他に何をしろと?」
「そうね」
「……」
ばさばさと、乱雑にレランは本を荷物に詰め込んだ。
ほら、どうせ運ぶのレランだし。
嘘のように穏やかな海に下ろされた帆走船。船べりから縄のはしごを下ろした。
「ウィディア様」
「なに」
「これを」
渡されたのはシャフィアラの服だ。普段からよく着られる、動きやすさを考えた服。――確かに、あっちの服ではシャフィアラでは浮く――
「ずいぶんと――」
用意がいいとは、もう言わなかった。
「三日分の食料と、毛布を」
――あの船の中に。
……何から何まで。
「私たちがしてもらったことに返せることなど、これぐらいでしょう。そして、今このときしかないでしょう」
「……」
見渡せば、また私を見る目が崇拝に変わっていた。――また。
「……っ」
何を言おうか、考えてしまった。浮かんだ言葉を飲み込んでしまったから。
「――ありがとう」
考える必要はないと思った。浮かんだ言葉を口にする時には。
もう一度、端から端へ視線を移す。――そこにいる人々を見た後、下の船までおろされた縄ばしごを降りた。
当然のごとくついてきたおまけ(フォトス)。だけど、こいつに邪魔されるはずはなかった。――だから、ほおって置いた。
日が昇ろうとしている。早くしなければ。地平線が白くなっていくのを眺めながら、リールは帆を整えて、風をひろった。――幸いにも、他の船の陰は見えない。いや、人がいないのだ。
人が、いない――
風をひろって、舵を取って。左に見えてきた島へ向かう。近づいてくる島を、目にしてはいない。波に乗って、前へ。進んでいた。
ザァァ――
波の音が、砂浜へ寄せる音になっていた。
ザァァ――ン……
目の前にある島の木々が、何の木だか判別がつくぐらい近づくと、ふと、手を止めた。
ばしゃ!
もう足がつくくらい、ひざ下がぬれるくらいしか水がない。フォトスが降りて船を押していた。
ザッ!
砂をかく音がして、船は止まった。
「……」
帆を張る縄をつかんだまま、私は停まっていた。――目の前の島を見ながら。
――なんでここに? どうして、私がこんなところ。また。なぜ? いやだ! もう一度。これから。なんでなんでなんで!
頭の中がぐちゃぐちゃで、つかまれた手に気づかなかった。
ぐっ
ゆっくりと引かれた手に引き寄せられて、なかば落ちるようにカイルに船から落とされた。
すと
砂に、自分の足が降り立った。
(……? 何を?)
上陸して振り返れば、リールが停まっていた。――いや、何か考えている――混乱している。
(葛藤か?)
それとも、
(ここまで来て怖気づいたのか?)
どちらも、あっているようで、まったく違うような。
先に進んでいたフォトスが、何事かと振り返りやって来る。レランは周囲が安全かどうか、神経を尖らせている。
(……)
フォトス(あれ)は邪魔だ。
島を見つめたまま動かないリール。俺が腕をつかんでも何も反応しない――気づいていない。ゆっくりと引きおろした。
「――っ!」
突然砂に足をついたことに、驚いている。すぐに見上げた茶色い眼がこっちを睨んだ。
「どうした」
「……」
――ああ、そうか、もう――
「大丈夫」
――大丈夫。できるから。やらなければ。
「案内してくれ。ここはどこだ?」
「ここはシャフィアラ。第十三番、二番目に面積の広い島。でも、すんでいる人口は最低数」
リールは、迷わず森の中に足を運んだ。――戻ってきたフォトスを無視して。
森は深く広かった。木々が生い茂っているせいで、砂浜で見えた山々はまったく見えない。先頭を歩くリールは、さっきから葉をむしったり口にしたり忙しそうだ。また止まった。
「シャフィアラは大小さまざまな大きさの島の集まり。数は十九」
説明を求めたからだろうか、リールが話し出した。
「十八」
フォトスが割り込んだ。
「は?」
「一つは沈んだ」
「――いつ?」
「去年。いや、一年半になるか」
「何で」
「知るか、朝になったら消えていた。跡形もなく。エアリアス家当主は取り合いもしなかった。リザインは一応調べるとは言ったが、それっきりだ」
「ほかに何か変わったことは?」
リールは詰め寄った。
「言えと? 見たほうが早い」
「……」
「変化が激しいのは王都島だから」
「……」
ぼそっとリールの口が動いた。島が消えるのは、“まだ”のはずだ――と。
変なことばかりだ、周りが。自分は失敗ばかりだ。見つかって、ここにいる。
がっ!
木の幹にナイフを突きつけて、皮を少しむいて中を見た。
「……」
どうやら、“中和”はうまくいっているようだ。――この島では。
「島々の中心に、王都がある島がる。それから周りに人が住む島が二つ。それから、ここ。あとの島に人はいない。あるのは、森。山……」
バキィ!
足元の枝が鳴(な)る。
はっとして、行き過ぎたことに気づいた。それまでまっすぐに進んできた道を右にそれる。水を探して“川”に向かった。
さらさらさら……
穏やかに流れる湧き水。まだ、川と呼ぶには小さな流れだけれど、昔から、“川”と呼ぶことは変わっていなかった。――また、“川”と呼んでここにきたことに、笑えてしまった。
いきなり笑い出したことに、後ろの三人は不思議そうだけど。
ぱしゃ
手首までつかると、変わらない冷たさが指先を冷やす。――しばらく、水の中を遊ばせて、引き抜いた。
そのまま口に持っていって手の甲をなめると、“水”の味がした――
「これからの予定は?」
お昼にしようと、開けた場所で湯を沸かしているときだった。カイルは切り株に座っていった。
「とりあえずもう少し先まで行くと、休める場所があるから。そこで休んだら、明日はこの島を出るわ」
――どこに行く?
「そうか」
誰も聞かないし、言わない。
また、歩き出した。
「見たことない木ばかりです」
草も、花も。
「そうだな」
気候の違いか?
「だいぶいじったからね」
いろいろ。
「いろいろ?」
「いろいろ」
「だから、あっちは枯れているのにこっちは青いのか?」
「まあ、そうね」
森は、ある一点を境に枯れている場所がある。
「あそこは、どうなる?」
「あのままよ」
「なぜ何も生き物がいないのだ」
「いるじゃない」
――私たち。
「そうではない」
「知ってる。――そうね。やっぱり、“まだ”なのかも――」
「なにが」
「言ったでしょ。この国の土地は毒に侵されているって」
「あの到底信じられない話か?」
レランはあざけるように言った。リールは笑った。
「そうでしょうね」
ぱきっ
一本。枝を折った。
「小動物は、環境の変化に敏感だから」
進むにつれて、高くなる木々。もう、光が指す方向を見つけるのは困難だ。変わっているとは思えない景色の中。リールは迷うことなく進んでいた。足取りが、しっかりしているともいえた。それでも、どこか、影を落としていた――
***
「お母さん! お母さんてばぁ!」
「どうしたのリール? そんなに顔をふくらませて?」
「む~~……」
ぷくーと、顔がまたふくらんだ。
「どうしたの?」
つんつんと、ほおをつついた。
「どうしてみんな私を“リール”って呼ばないの!?」
「え?」
「だっておじ様はリロディルだし、ザインはリディロルなのよ!! ほかにも!! どうしてぇ!」
「リール……」
母親は、悲しいような、困ったような顔をした。
「それが嫌なの?」
「だって私は“リール”なんでしょう?」
「――ッッッっ」
そう、ではないけど……あなたは……あなたの名は――
「? お母さん?」
抱きしめられた腕に力がこもって、リールは不思議そうに見上げた。ひざを突く母親は、リールには見えなかったが、今にも泣きそうになっていた。
「リール。いいじゃない誰がどう呼んでも、大切なのは、あなたが生きていることなんだから。お母さんと、お父さんがそう呼んでいるのが嫌なの?」
「違うもん! お母さんとお父さんがそう呼ぶからみんなに呼んでほしいんだもん!」
「まぁ!」
リールを話した母親は笑った。
「そうなのリール!」
「そう言ってるもん!!」
またもリールはふくれた。
「かわいい顔がだいなしよ!」
そういって母親は、またほおをつつきだした。
「もうすぐ、お父さんが――」
***
ガバァァァ!!
「っ!!」
目を見開いて、急にリールは起き上がった。口が何かしゃべる前に、左の親指を噛んだ。
――いけない。“夢”に囚われては。
見たのは、幸福な時。あのまま、平穏に過ぎてほしかった時。――帰りたい。帰れるものなら。
あのまま、見続けていたい。――許されるなら。
そんな事となれば、一生、眠り続けてしまう――
「はぁ……」
止めていたに等しい息を、ため息と共に吐き出した。
歩きたい気分だけど、そうすると――たとえ荷物がそのままでも、確実に“二人”はついてくるから――
ひざを抱えて、丸くなった。目の前の焚き火に薪を足す。……もう、眠れない。
“夢”に、囚われないために――
音を立てないで、気配を殺して起き上がったフォトス。首を回して見たリールは、立てたひざに顔をうずめて眠っている。――あとのよくわからない二人は、反対で眠っていた。
もうすぐ、日の出だ。まだうす暗い中、しずかに、この場を離れなければ――
ぱち
フォトスが、こちらの声も姿も見えないところまで離れて言ったのを確認して、カイルは目を開けた。――逃げたか。……レランが見ている。いつでも、動けるというように。俺はそれを制して、リールの所に行った。ひざを抱えて下を見ている姿は、途中からずっと変わらなかった。
「忘れていいわ。あれがいくらあがこうと、相手にされないのが落ちだから」
それだけ言って、起き上がった。
「ちょうどよかった。この場にいたんじゃ、行けるところも行けないから」
簡単に食事を済ませて、すぐに、歩き出した――
次の島に行くのに、船がいるんじゃないかというと、この島まで来た船はフォトスに使われているという。――まぁ、確かにそうかもしれない。
どうする気だろうか?
朝靄が、風と共に晴れた。周りを確認するためか、肩の荷が下りたのか――まぁ、後者だ。リールは上陸したときよりも落ち着いていた。のんびりと周りを眺め、また葉を取って。土にふれて風を仰いで。
「――人が住んでいると言ったな」
「ん?」
「どこだ」
「……あの山の向こう」
木々の隙間から、かろうじて山が見える。
「王都はあっち」
「……」
方向だけ指されても……。
仕方なく、次の話題を振った。
「エアリアス家といえば、不死の術を扱うことで有名だが?」
ぴた。っと、リールが止まった。振り返って、ずんずんとカイルに近づく。――正面に来て、手を伸ばした。長い髪をつかんで、肩の前に出す。口の前で毛先を指先で擦(こす)る。
「自身の持つ“すべて”と引き換えに――貴方に不死を授けよう――」
後半の言葉が紡(つむ)がれるのと、カイルを見上げるのは同時だった。
「――っ!」
寒気がして、髪を後ろに払った。
「リアス家の謳(うた)い文句よ」
そう笑って言ったリールは歩き出した。
「すべてを失うわ。何もかも。二度と取り戻すことはできない。取り返すこともない。不死となった、今でも――」
頭だけ振り返った。
「そういう言い伝え」
前を向いた。表情がわからない。
「ただ、不死の術を作り出した初代エアリアスは不死だった。そう伝わってるわ」
「だが、死んだ」
「違うわ。――厭(あ)きたのよ。……生きることに」
だから、生きることをやめた。
「贅沢(ぜいたく)な悩みだ」
「誰にも迷惑をかけない分ましかと」
「どういう意味だ?」
「ぁはははは!!! ――そおかもね」
――何も、残したりしなきゃね。
「あそこよ」
海岸沿いに、小さな家が建っていた。
「知り合いの家」
「こんにちはー!」
「……誰だい? ……」
声に反応して、用心深く扉が開けられた。隙間からのぞく目が、リールを捉えた瞬間!!
「リアっっ! リアス様!!」
ばん!! っと扉を開けたかったらしいが生憎(あいにく)、取り付けてあった鎖によって阻まれた。
「この……!」
高齢の老人は恨めしそうに鎖を睨んで一度戸を閉める。閉められた先からあわただしく鎖がはずされた。
「リアス様!!」
鎖が取れたらしい扉から、ご婦人(高齢)が飛び出してきた。さっきのじじいは?
「元気そうで!」
抱きしめられたリールは、うれしそうにされるがままだった。
「わしを忘れるな!!」
中で押し倒されたらしい老人ががなり立てる。
「忘れてませんよ! クーナー。あれから体の具合は?」
「それはな……」
「何しているのですかあなた! まずは中に入ってもらわなきゃ! お疲れよ!!」
婦人の声に、話をさえぎられた男は従った。
「しかし、大きくなって!」
ぐしゃぐしゃと髪と頭をなでる。
「それにきれいになったな?」
「ははは……」
リールは苦笑いだ。
「何言ってるんですか! 当たり前でしょう!!」
「それもどうかと……」
さらに苦笑いだ。
「それで、王都の様子は?」
はっきりとリールは切り出した。
「「……」」
夫婦は沈黙した。――まるでふれてほしくないと言わんばかりに。
「なぜかと、問うても?」
老人が言う。
「私がここにいるべきでないことは、よく知っているでしょう?」
「何をしに?」
婦人が聞いた。――震えている?
「――そうね。真実を確かめるのと……すべき事を」
「ここにも、何も届かない」
風のうわさも、人の声も、誰も来ない。
「もう、半年は経つ」
「そう。……船は?」
「用意してある」
「さすが!」
「今夜は! ここで休むんだ。――いいね」
「――いいわ」
「必要なものは用意しよう」
「ありがとうじゃぁ、食料と水。寝具と、……それから、お酒と甘いものを――」
甘いもの?
リール以外の全員が、首をかしげた。
(唐突だな)
(まだ食べるか)
(好きだったね~)
(日持ちの良い物を……)
三者三様、十人十色。それぞれの考えは、すべてはずれだ。
「なつかし~」
小さな、海につながる洞窟(どうくつ)。岩が波に削られて、形が一定ではない。家の床下の扉をくぐって、階段を下りた。その先。上は高く、黒岩が天井と壁を覆っているが、海に出る出口が近いからか、明かりは必要なかった。ただ、波が絶えず打ち付けるので、足元に注意しつつ進んだ。
老夫婦は、足が追いつかないと家で見送った。リールの声が反響する。真っ黒い岩を超えて、もう、海は目の前だ。
「――こっち!」
リールの呼ぶ先に来ると、――なるほど、二人乗るくらいがちょうどよさそうな帆走船が、しっかり黒い岩と縄でつながれている。
「……本当に」
お人よしが多すぎじゃない?
船の帆は真新しく、救命用の浮き具と、縄。水をはじくシートに、毛布。水を入れる皮の袋に――必要なものは一通りある。
――あれから、ずっと用意し続けてきたのだろうか?
小さい船は、ひどく波にゆらされる。特に、上下に。
「荷物はこっちに」
小さいながらも収納はしっかりしている船。足元に作られた戸を開いて、リールは荷物を押し込んだ。
「……とっ……」
――さすがに、ゆれる。
なれないゆれに苦戦するも一時。
「行くよ!」
真新しい帆を眺めて、リールは縄を切り落とした。
洞窟から出るなり風に襲われる。それでも、目的地に着くようにリールは帆を動かす。
「風が強い――」
それきり、しずかになった。――あまりのゆれと迫(せま)りくる波に、しゃべる暇がなかったとも言う。
***
長い夜が明けて、この島に来て三日。もう、眠れない――ここで休むように言われた、家……窓を、眺める。外を、海を見る。
きぃぃぃーー
「寝ないのかい?」
「なぜ?」
「いつも、寝ていないのでは? 眠る姿を拝見したことがありません」
「そうだったかしら」
「連れの二人とは、仲がいいのかい?」
「いいも、悪いも――……」
――でなければ、一緒にいるはずがない。
老人は、リールが窓を見るベッドの横に座った。
「どうして、こちらに?」
「バカが探しに来たのよ」
「第二王子様が? そんな話が?」
「そんなあほな話だからどうしようもないわ」
「……何をするために、何をする気なのかは存じません。ですが、またあえて光栄です。エアリアス様」
「……」
リールは黙った。
「……おやすみなさいませ。旅の無事を」
「おやすみ」
閉じられた扉は見ないで、また視線を海に戻した――
……――これは、夜の話。
***
ザーーン! ざざーーん!!
激しい波ながらも、身にかかることは不思議と少なかった。
ざっ!
「よっと!!」
今度は、足取り軽く、一番に砂浜に降り立ったリール。
「さぁ、行くか」
「ここはどこだ」
レランが呟いた。
「……?」
リールは振り返った。
「……ああ! ここはシャフィアラの第八の島」
今の間は何だ今の間は!
「また森か」
うんざりとカイルは言う。
「森しかないわよー」
「王都のほうにいかない限り」
それでも、木ばっかだけど。
「何なんだこの島は」
「シャフィアラ」
レランのもっともな問いにもっともな答えをリールは返した。
絶句して立ち止まってしまったレランに、リールは言った。
「早くして頂戴。日が暮れたら……」
「あんたのせいよ」
「お前のせいだな」
息の合った嫌がらせに、レランは黙した。――まぁ、本調子に戻ったとも言う。リールが。カイルのいじめはいつものことさーー
がさがさ。がざがざ……
「いったいどこまで行くんだ?」
ともすればリールが埋まりそうなくらい茂った草の中を、迷うことなくしっかりとした足取りで進むリール。逆に、カイルはなれないようで苦戦気味だ。レランは、自分より低い草など相手にならない。
「……刈りますか?」
「だめよ! ここは人間がいじっていい所じゃない」
――じゃぁ。何だというんだ。
「――いた!!」
「「!?」」
突然声を上げたリールに、後ろの二人は驚いた。
「おい……」
しかし、カイルの言葉が届くことはなかった。
見上げた空には、羽の生えた――動物!? 例えるなら、そう、“羽を持つ獅子”と言えるだろうか。ブロンドの毛をなびかせて、風を切って空を渡る。獅子……と、突然。
「ラーーリ様!!」
地に手を向かわせ、握りこぶしひとつ分はある石を拾い、――リールは飛んでいる獅子に投げつけた。
カコーーン!!
よくわからない音ともに、獅子は墜落した。
「……おい……」
「何をした小娘」
二人は、呆然であったり、驚いていたり、あせっていたり、……忙しそうだ。
「あっちか」
そして案の定聞いていない。
……走り出したリールに、ついていくしかない二人。
「っって~~~何? 敵襲?」
何の敵だよ。
「僕が知りたい」
後頭部を抑えながら、立ち上がった少年。ブロンドの短い髪に、銀色の目。まだ幼さとあどけなさが残る顔立ちは、年より若く見られる事だろう。――もっとも、人ならば。
「ラーリ様!」
ガザァァ!!
草を押しよけて、リールは少年の前に現れた。息が切れ気味なのを見ると、どうやら相当急いで来たらしい。――後ろに二人おいてきてね。
「……リール?」
声に驚いて少年が振り返る。
かち合った視線に、リールは笑った。
「リール!!」
「ラーリ様!」
リールの腕の中に納まる少年。大きさは同じぐらい?
ピシィ
後ろで猛吹雪が起こっていることは見てはいけない。気づいてもいけない。今なら、まだレランが寒いだけだから。
「お久しぶりです!!」
「――どうして? でも、また会えてうれしいよ!」
えへへと笑うリールの目には涙が浮かんでいる。
「王」
反対の茂みから声がかかった。
「シーン。リールだ」
少年は声をかけた。
「リール様?」
「久しぶりねシーン」
「お会いできて光栄です。再会を喜ぶのは、お茶にしてからでもよいかと」
「あ! お菓子もって来たんだよね」
笑って、リールはこちらを振り返った。
――レピドライト――
口だけ、動かして。
「リールが作ったのか?」
「いいえ。そんな暇ありませんから」
なぜか、草の上でお茶会をしている二人。一杯目はカップにお茶だ。が、しかし……
「また食べたい!」
「いいですけど……時間があれば」
「あなたが行ってしまってからは、町に買いに行くのが一苦労でしたよ」
「へ~~行ったの?」
「王のご命令ですから」
「好きだから!!」
「おいしいもの」
「「ねぇ~~~」」
リールと、少年の声が重なった。
「リール今から作って! あのケーキ!!」
「え?」
「シーン!! 準備を……」
「小麦粉ですか……」
「ラーリ様!! ここでは材料があっても道具がないから無理です」
「……そう? なの?」
「ええ。今度作りますから。今日は、これで」
目の前には、用意してあった“甘いもの”と、“お酒”。よくまぁ、菓子と酒が同時に飲めるものだ。
リールと少年は、どうやら知り合いのようだ。――いや、レピドライトの王と。
聖魔獣のひとつ、空を翔ける者、レピドライト――シャフィアラの。
その事に気づくのと、リールが振り返るのは同時だった。
呆然と立つ俺たちを見てから、リールはまた視線を戻した。
と、思いきやまた振り返った。
「……食べないの?」
「……お前なぁ」
「……」
勝手に食うなといっただろ!
「あ! そっか。この島は平気」
――水も、果実も、草でさえも。
遠慮なく、割り込んで食料を口にした。
「知り合い?」
少年らしき王が問う。
「ええ。――仲間?」
「何で疑問なんだ」
刺々しい声に、リールは笑った。
「ラーリ様。エルディスのカイルと、レランです」
また、指差した。
「僕はラビリンス!」
「王。もう少しまともに」
「こいつはシーン。うるさいんだよねーー」
「王……」
がっくりとシーンは肩を下ろした。
――しばらく、続いた笑い声。日も暮れかかり、夜となった――
「聖魔獣がひとつレピドライト。四獣王ラビリンス様」
温泉に案内されたカイルとレランは、戻ってきてもう一度レピドライト王に会いに行った。
さっきまでは、ずっとリールとラビリンス二人でしゃべっていたから。
「何か?」
声がして、シーンがやって来た。しずかにするという約束で、王の休む場所へと足を踏み入れた。
「……」
正直に驚いた。
大きな森の中で、一際(ひときわ)大きな木の下。土を恋しがるように地中深くに潜ろうとしている根。葉は青く生い茂り、だが月の光を隙間から落としている。反対にある小さな池。その畔(ほとり)にいる大きな獅子。ラビリンス王は羽を下ろして何かを包むように、草の絨毯に寝そべっていた。
すーーー
安定した、しずかな、穏やかな寝息が聞こえる。寝そべる獅子の横側に、うずくまるようにリールが眠っていた。その体に羽がかかる。やわらかいブロンドの毛に手を当てて、ぴったりと寄り添うように。
「……」
中途半端に近づいたまま止まっていると、声をかけられた。
「――いつから、寝ていなの?」
「この島に上陸してからだ」
――自分が見たままを。
「――悪夢でも見ているのか?」
先日、飛び上がるように起き上がったのを、よく覚えている。
「……違うよ」
言葉を切って、王は風を待った。
「見るのは、幸福。夢に見るのは、一番、幸福であったころの夢だから」
「?」
どういう意味だ?
「それならば何の問題はないじゃないか」
「本当にそう思うか」
「っ!!」
昼間とはまるで違う口調に、戸惑いを隠せなかった。
「幸せがもたらすのは、時に、あまりに残酷だ。幸福だったころの夢。――もう、帰ってくることはない夢。そして、いつまででも見ていたと思うような、甘美な、誘惑――」
「ふ……」
「「!!」」
突然動いたリールに、二人は驚き言葉を止めた。
「……」
むっくりと、リールは起き上がった。
「王都の様子は?」
こちらは目に映らないのか、まっすぐ王を見てリールは問いかけた。
「最悪だ」
一瞬にして、消えたさっきまで聞いていた笑い声。
「使えない?」
「もう、地が死んでいる――」
「失敗した……」
「第十三の島は、大丈夫だ。だが、」
目が覚めたリールと、王が交わす不思議な会話――
「……そう」
それだけ言って、リールはまた眠りの淵に下りた。――ふかく、深く。
「「……」」
じっくりと、リールが眠ったのを確認して、カイルとラビリンスは視線を合わせた。
「……エルディスの王子よ。自分の力が及ばぬところには、手を入れなければ火傷(やけど)はしない」
「……」
「話は終わりだ。貴重な休息を邪魔してはいけない」
――まだ、何か起こるというのか。
「まさか、ここで終わりだとは思っておるまい」
「ん……」
久しぶりに眠ったといってもいい。――長時間の睡眠を必要とするのは、浅い眠りを繰り返しているからに他ならない。……眠りの底に落ちたのは、本当に久しぶりだ。夢も、何も、見ない――
まだ、日は昇っていなかった。暖かい羽を、動いた自分をなお包み込む羽を、ゆっくりとなでた。
「ラーリ様、知っていらしたのでしょう。そして、」
あなたの差し金でしょう?
――でなければ、私がここにいるはずもない。あれがあの場に出てきたはずもない。
朝靄の中、しずかに、声が響いた。
「……」
王は、何も言わない。
日が昇って、また、時間が過ぎた。――行かなくては。
王と挨拶を交わして、振り返らずに進んだ。森を出た先、船のある場所で、カイルとレランが待っていた。
白い帆をはためかせて、王都に向かう。もちろん、警戒は怠らずに。漁船の数が減っているのは、予想していたことだった。――さすがに、王都の警備はそこまで、落ちぶれてはいないはずだから――
「時間はなかった。だが、フォトスの行動の素早さまでは、予測しえなかった」
そう言って、ラビリンスは空に向かった。――大切な少女が、事を成功させることを思って。
船の進みは、思っていたより速かった。今までで、一番早く目的地に着いたような気がする。
見えてきた島は、大きくもなく、はたから見てとても王都があるとは考えにくかった。少なくとも、エルディスやアストリッドの常識では。
見えるのは木々ばかり。町を囲む城壁すらない。
「ほら、海が要塞みたいなものだし」
海軍は優れていたはず、だけど。
さぁ、どうなってるかしら――?
――よく、わからないが。城の反対に回ってきたらしい。
「あれが――城」
「どれだ」
「あの、……天辺」
木々の間に、塔の先が見える。
「……城壁は」
「ない」
「ないのか……」
「ないね。いらないから」
島だし。
「基本として、侵略者はこの島に上がる前に海に沈めてきたから」
――遠い、昔の話。
「今は海流が荒れているから、外の人が島に入ることはない」
――それは、キリング・タイム終了後から?
「軽く700年は前の話か」
「初代エアリアスが流れ着いたぐらいだから、漂流者はいたでしょうね」
道なき道を、王都に向かう。
「で」
「……で?」
「何をしている」
城壁はない、が、“塀(へい)”はある。そして、右のほう少し先に、道が見えるのにもかかわらず、なぜか。
なぜか、その塀を乗り越えようと足をかける小娘。
はっきり言って、道があるにも、見えるにもかかわらず、通った試(ため)しがない。
なぜか、木々の間を通り抜け、今度は塀を乗り越え――
「よっっ!!」
ガッッッシィ!!
地を蹴ろうとした瞬間に、片手でつかんだ。
「……なに」
中途半端に宙に浮いたように、片足を塀にかけたまま小娘は振り返る。
「だから、何をしている」
「超えるの」
「あそこに道があるだろう」
「……!」
不思議そうにたっぷり道を眺めた後、何か言い案でも思いついたように言う。
「使ったことあったっけーー?」
「そこまで行くのか?」
さすがの主も、組んでいた腕をほどいた。
「あの道嫌いなのよね」
――道が!?
ひゅっ
言葉にあきれた瞬間に、小娘は風を切って反対に降り立った。草を踏む音が軽く響く。
「……」
から……
さらに呆然としてる間に、主も無言で乗り越えた。
――だから、道を通れ!
……その道にも、誰も人はいなかった。誰も通ることはなかった。
いったい、幾人が消えたのだろう。幾人が、倒れ病んでいるのだろう。後悔しても、悔やんでも、変わらない。でも、いったい私に何ができたのか? ――何もしなかった自分を慰(なぐさ)めようと、そんなことを考えていた。私に、できたことは何もないと――
……違う、そんな善人じゃない。――誰かを、“助ける”気なんて、なかったじゃない。ただ、
ただ、叶えるべく“願い”の前に死なれたら困るだけ――
だから、別に彼らを助けようと動いたわけでも、助けなければならなかったわけでもない。
知っていたじゃないか、どうなるか、先は。だから、“残して”きたんじゃない。
――確認を取らなきゃ。
もう一度。
「あそこが、シャフィアラの城――マーリンディア城」
南の少し先、五分も歩けば着くだろう。
「で、こっちが……」
――エアリアス家
「……家」
「……」
認めたか。
塔のように造られた屋敷。と、いうより、目の前にあるのが塔だ。向こうに、屋敷がある。高さにして三階分。
「まぁ、私の私室と化してるけど」
「これが?」
塔だろ。
「と、薬草置き場。その他」
きょろきょろとあたりを見回して、
「この時間は……ここにまでやってくる人はそういないわね」
なにか、別の事を言いかけただろ。
「さて、行きますか」
そういって、隠れていたらしい木の背後から姿を現した。
すたすたすた……
迷わず、裏口らしきぼろい扉へ。が、ほかに入り口はどうやらないらしい。
「ん~~と?」
ぱたぱたと、手を壁の隙間。はたから見れば到底隙間の開いてなさそうなところに手を差し入れて。何かを探しているらしいが、身長がぎりぎりである。
「く……この……」
手が届ききらないことに苦々しく言葉を吐いた。
「……壊したほうが早い?」
「おいおい」
「何を探す」
「鍵をね~ここに入れといてあるんだけど、台がない」
「「……」」
――置いてあったのか?
「まぁ、なくても……」
がっ!
中からカーテンのかかる窓枠に足をかけた。
「よ! っ……」
紐のついた鍵を抜き出し、地に足をつく。
「いんだけどね」
紐の端をつかんで、くるくると回す。
ひゅっ!
空高く飛び上がった鍵は、
ぱしっ!!
しっかりと手に落ちた。
向き直って、前に。
がちゃ
迷わず鍵穴に刺さった鍵が音を立てる。扉は、簡単に開いた――
きぃ
古い扉は、なんて事無くあっさりと開く。
「……」
何か、思い当たるように、リールの目が細められる。
こつ
中は、目の前に螺旋(らせん)階段。右には暖炉と、テーブルとソファがある。締め切られたカーテンのせいで、光は扉から入るのみだ。
「閉めて」
言われるままに扉を閉めると、ソファの横に置かれたランプにリールが火を灯した。
(――やっぱり……)
なんとなく、入った瞬間。違和感がないことに違和感を感じた。
何年も人が入っているはずもない部屋。でも、ランプには油が入り、床に埃(ほこり)はたまっているものの、机の上には水拭きのあとがあるし、ソファにかけられた布は真新しい。
――少なくとも、ここ最近。一年ほど前に掃除されている。……誰が?
「あの暇人」
何一つ変わらない。家具。位置。中。そう、五年前と変わらない。
――お前の名を剥奪(はくだつ)する――
「おい!」
「っ! ――あ、何?」
「“何”じゃないだろ」
「ああ、どうしようかなと思って」
一気に回想から浮上した。
「上に行く――?」
「何がある?」
「……何も……私の部屋と、」
言うか速いかカイルは階段を上っていった。
(ここは……)
言ってしまえば、倉庫のようだとレランは思った。――人が、住むような所ではない。
入り口は、今入ってきた扉しかないようだ。上る階段の後ろに、下る階段もあるのが、もう上に上っていき始めている小娘の灯りから見て取れた。小さめの窓は厚いカーテンで覆われ、中から外も、外から中もうかがえない。
それに、屋敷から離れた塔。まるで、――まるで、牢獄のようではないか――?
なぜか、そう感じた。
がちゃバタン
目に付く扉を開けては閉めて。カイルはもくもくと階段を上がる。階段下の火を灯せば、つながる紐を伝わって階段の途中にある灯にも火がつく。真っ昼間だというのに、灯りをつける階段。一筋の光も入らない窓。
がちゃ
三階に上がって、最奥の部屋。抵抗なくあいた扉。ふと、リールの目が厳しくなる。
きぃぃぃぃ――
今までで一番しずかに扉が開いた。
「……」
正面に、この塔の中で一番大きな窓がある。ここのカーテンは少し薄く、日の光が刺し込んでいる。出窓のように造られた窓の前には、いくつもの植物が。植木鉢に植えられた植物たちが日に浴びている。
「……」
こつこつ
取っ手に手をかけたままのカイルを通り超えて窓に向かう。枯れた葉は、それでもここ最近のものだ。まだ少しだけ青いものも残っている。一枚だけ。手にふれて、むしり取った。
ブチィ――
「……どうした」
はっと振り返ったリールは、視線をはずした。
からからに、乾いた土。でも。
枯れた葉、だけど。
窓辺に移された植木鉢。
「……」
空になっている水瓶(みずがめ)。
青い一枚の葉。
「――どうして、」
「……?」
「バカは治らないのかしら」
「治す気がないんだろ」
あっさりと言うので、笑ってしまった――
ぎぃぃ――
慎重に、目の前の扉を開けた。……なぜか鍵のささったままの扉は、軋(きし)んだ。
「ここは……」
下る階段を下った先にあったランプに火をつけて、目の前を照らす。
正面には、四角いテーブル。そして――
周りを埋め尽くす棚。カラス張りの開き戸がついた棚には、小瓶やビーカーや秤や皿や液体やらが置いてある。
黒い、赤い、青い、緑、紫、透明。いくつにも彩られた液体。
植物が、液の中に沈むビン。
数の多い天秤。
混ぜ合わせるための道具。
炎で燃やすための器。
重なった紙。
名も知らぬ器具。
何かの研究室。調合所であるらしい。――誰のかは、もちろん。
「何やってんのあんた」
――この娘。
「エアリアスか、」
「……」
つぶやくと、不服そうにこちらを睨みつける。
「あながち嘘ではないのだろうな」
「信じるも信じないも勝手だけど、」
部屋に一歩踏み入り言う。
「その棚は劇薬よ」
「――!」
さすがに、棚の扉を開きかけた手を止めた。
「気をつけてよ。落ちて割れたら後が面倒なの」
テーブルを挟んで反対側に、しゃがみ込んで何かを探す小娘。
「ど~こ~かし~ら~~」
「楽しそうだな」
続いて現れた主がこちらを見て、……ゆっくりと目配せをした後一言。
「帰れ」
「……」
下手に歩き回ったのは失敗だ。
「いいけど渦に飲まれて死ぬわよ」
「それもいい」
「いいのそんな簡単で?」
あっさりと殺人予告(?)をはじめる二人。レランはため息を飲み込んだ。
「あったあった~」
と、小娘が大きめの瓶を取り出した。
「なんだ?」
「果物のお酒付け」
「……その隣の瓶は?」
同じ棚の。
「睡眠薬」
「後ろは?」
「毒」
「「……」」
なんだその統一感のなさは。
「それは、食べるんだろうが」
「まぁ、そうね」
「なんで薬と同じところに……」
「ここのほうが保存には向いてるのよ」
室温とか、気温とか、湿度とか。直射日光が当たらないとか。とかとか。
「あのなぁ」
だからって、薬と同じところに入れるな。
「言わなきゃ気づかないって」
「……」
そういう問題か?
「大丈夫よ、焼くから」
……加熱殺菌?
「このラベルには、何が書いてある」
ひとつ、瓶を取り出したレランは問う。
「薬の名前と、調合した人物名・日付。中に入れたもの。使用方法」
ぐるっと瓶を一周するように張られた紙。細かい字でびっしりと文字が書かれていた。
「まぁ、何を書くかは自由だけどね」
見る人が見たときにわかるようにしておかないと。
「これも、睡眠薬か?」
「それは、咳止め」
「隣が、毒草から使える効果を取り出したもの。少し、使い方を変えれば眠ったまま人が起きなくなる」
「どういう事だ」
「どれも同じ。症状に合わない薬を使えば、悪化するのは当たり前。――例え、何(なん)てことない薬でも」
「お前に処方される奴の顔が見てみたいな」
ははは、と、乾いたようにリールは笑った。――そんなの、こっちの台詞(せりふ)だと――
「ま、それ(ラベル)を信じちゃいけないんだけどね」
――どういう意味だ?
必要であるらしい薬と、薬草を手にとって、地下へ進む廊下を行く。
これまだ使えるのかしらね。だって、作ったのは軽く五年前かしら?
「ちゃんと薬にも消費期限はあるのよ」
「で?」
「別に」
「……」
どうやら、沈黙が嫌らしい。なぜか自分に振られた主の視線の所為(せい)で、前を見てどうでもいい事をべらべらとしゃべる小娘の相手をしなければならなくなった。
「次はなんだ」
「今度はそっちがしゃべりなさいよ」
「……」
だから、何故だ!
「……」
さらに後ろで、主が興味深そうに見ているのがわかった。
「……何処に行く」
「この先はエアリアス家の本邸につながっているから。行きたいのは、小父(おじ)上の部屋。もとい当主の執務室。そして、その奥」
こつこつと三人の足音。二つのランプが照らす壁。だんだんと狭くなっていく廊下。
「誰にも見つからないこともできるけど。反応を見ないといけないから」
ぴた
まったく変わらない、廊下。石の埋め込まれた壁の一ヶ所で止まる。
「……で、どうすんの? 顔見られるけど?」
「われている可能性は」
「ゼロ」
「問題ないな」
エルディスの王子(カイル)は事投げに言う。
いくつかの石をとある順番で押して、塔から続く廊下の壁に道を作り出した。
「久しぶり――」
――“ただいま”。という言葉は、使わない。
道の先に通じていた邸の廊下には、誰もいない。
この王都には、人がいないのか?
そう思っても、考えても、思われても、仕方ないと思った。
「いったい! どういうことだ!!」
叩き付けられたテーブルの上で、花瓶が落ちた。
ガシャン!
「「っ!」」
二人の少女が怯(おび)えすくむ。
「落ち着いてください」
「これが落ち着いていられるかぁ!! 何故だ! 陛下の信頼は落ちる一方だ。すでに死人の数を数えるのもばかばかしい」
「もとから島の住人は数えられますから」
「とにかく、原因は……」
「小父上(おじうえ)にあるんでしょう」
「誰だ!!」
「……」
誰? ね。
何を言おうか、考えていた。ただいま? こんにちは? お元気?? いくつもの言葉を知っていても、なんて言うべきなのか、わからなかった。本当に必要なときに出てこないなんて、言葉を知っている意味はあるのかしら。
「お前……」
振り返った小父上は、私を見て絶句した。周りの者たちも。
「リロディル」
その、失名に一番近い呼び名を使う当主(小父)。部屋の中にいる人数の少なさに、さすがに不審に思った。
「いったい何故ここにお前がいる!」
苛立ちを隠そうともせず小父が怒鳴(どな)る。
片手を扉に預けていたけれど、ゆっくりと中に入った。廊下にも誰もいなくて、誰にも見つかる事なくここまで着たけれど。音もたてず開けた扉に、誰も気づきやしなかったけれど、理不尽な責任転嫁に黙っていなかった。
「“何故”? おおよその予想はつきませんか?」
もちろん、説明を求めるならばお話しますよ。
部屋にいたザインと、ローゼ、シャス。それにウィア。それぞれの視線を受けながら、部屋の中に進んだ。――もちろん、深入りはしない。真ん中より入り口より。まかり間違っても、扉を閉じられる心配はない。――外にいる二人のおかげでもあるが。
「!」
小父上は、はっと悟ったようだ。でも、言い放った。
「どこかの誰かが信用を失ってしまうから、どっかのバカが私を求め探しに来るのよ」
また、進んだ。
「小父上、どういうことなんですか?」
まっすぐに言った。目を睨んで声を張って。床に響いた靴音。
「……っ」
たじろいだ小父上を見たら、予感が確信であると思わざるを得なかった。
――もう、用はない。
振り返って部屋を出る。呼び声に、答える義理もない。それに、外の様子がおかしかったから――すぐに、執務室を離れた。本当に、向かいたかった場所へ――
「待て! リロディル!! ~~あの女! 自分の立場を知っているのか!!」
「……」
その言葉に、青年と少年と少女の目が険しくなる。――怒り。
「……なんだその目は!」
エアリアス家当主は、手元の本を投げつけた。
ダァァン!
「何事かね」
「「「「!!」」」」
本が音と立ててあたった扉。その真横に立つ人物は、突然の事態に驚きよりも冷静に問いかけた。
「陛下……」
「エアリアス・エアゾール・リグエゾラグル。説明してもらおうか、息子と、娘二人を失った、本当の原因を――」
……シャフィアラの国王が、兵士を伴(ともな)って現れた。
突然の事態に、エアリアス家当主は反応しきれなかった。
――“二度と”エアリアス家(ここ)に帰ってくるはずの無い女。
失いつつも、最後には信用を消すことの無かった国王。なのに、今の態度はどうか、明らかに疑われている。
一度に、二人も現れた。しかも、王は兵士を伴って。
……何かが崩れた。“均衡”とか、そう言うもの。あまりに突然というわけではなく、新しく入った小さな罅(ひび)を、ほおって置いたら――大きな亀裂(きれつ)となって崩れた。
……そういう感じ。
どこで、罅が入ったのだろうか?
――今更、過去を振り返ってどうする。戻りようも、無いというに。
進むススム時間が進む。想いと願いと夢と意志、行動と後悔と痛みを持って。人の総てを伴って。過ぎさった過去を糧(かて)にして。
かっかっかっかか
廊下に、足音が響いてきていた。早くなり、強くなり。考えを振り払うかのように。
歩いている? いや――走っていても、同じだろ。
前を見据えて目的地に向かうリールに、カイルはそんなことを思った。扉の外で話を聞いた限りでは、いったい何が起こっているかなど、検討(けんとう)もつかない。――ただ、ここにいることを拒むようなリールの態度については、身内の反応を見れば、いや、とにかくあの当主には歓迎されていないようだ。それだけはわかる。果たして、リールが拒んでいるのか、歓迎されていないのか。……両方か。
だが、何故か……はたと思えば、ここに来て“何故”という言葉を、聴かない日も、考えない日もないような気がしてきた。――後ろの誰かとは違う意味で、だが。
(右右右右左まっすぐ左右――)
だんだんと速くなる歩み。気づいていない。ただ、まっすぐに目的地へ。角を曲がって、足を進めて。と、――……!
はっ!! と振り返った。
声が聞こえたような、誰かがどこかで動いたような。不自然な流れ。――何? 何か――?
「おい?」
「……」
突然止まったにもかかわらず、カイルもレランも衝突することはない。進み出たカイルは振り返るし、レランもかったるそうに立ち止まるし。
「……何かが、」
――変わった。
もしかして、――どうやら、
「………招かれざる客は、私だけじゃないみたい」
「俺たちは」
――だろ?
冗談で冗談でないような。――嬉しかった。
「つまり、さらにややこしくなるのだろが」
「……いたの?」
――あんた。
「……」
「そうだな」
何かこう、そう、切りかかれる者はいないだろうか?
* * *
「へっっくし!! えくしょん!」
「まぁ、セイジュ様。風邪ですか?」
「そんな事はないさ」
「ですが……」
「気をつけて下さいまし。二回続けてくしゃみをすると、人が良くない噂をしているといいますから、一回で止めるのをお勧めしますわ」
「でも、三回はいいのでしょう?」
「そう意味では……」
「うわさねぇ……」
数人のメイドに囲まれて、セイジュはつかの間の“安全”を味わっていた。
――まぁ、普段“安全”じゃないのは自業自得なのだが。
* * *
「急がないと」
本格的に走り始めた小娘。――何を、焦(あせ)る。
速く、早く? ――気づいていない。小父上は。なつかしい、この廊下。
歩いたことを、数え始めた。数えられるほどしかないかもしれない。誰も通らないというのに、当主のためだけに灯された灯。枯れたままの花。一人の靴跡がわかるほど、積もったほこり。掛けられていた絵は取り払われて、所々にある扉。同じ扉が並ぶ。廊下には窓はないから、まるで同じ所を通っているように思える。曲がっても曲がっても変わらない。異常なまでに同じ造りの扉、壁、飾り、生けられた枯れている花。まぶしいほど明るく照らす灯。――廻る。
目が、回る――
(あそこを曲がって……)
最後の角を。そして、見えた扉を――
ずガン!!
「「!」」
「っと……」
ちょっと待て、突然、現れたであろう扉に、蹴りかかるのはどうなのだ?
「蹴り開けるものらしいな」
「壊れますが」
そんな、当然のように言わないでほしい。
ががちゃと、鍵のかかった扉が音を立てる。
「……燃やす……」
「……」
ボソッと呟くな!
「……」
焦るな。だからか知らないが、考えていることが先に飛んでいる。
「起きろ。まさか鍵がないわけじゃないだろ」
「ま、ね」
そう言って、荷物の中から鍵の束を取り出した。ばらっと床に並べる。
「ん、と……」
いくつかの上を、手が行ったりきたりする。
「こっち? ……違う。……これか」
「ずいぶんと多いんだな」
「いろいろ。大変だったのよね、ばれないようにスペアを作るのは」
「……」
どうにかならないものか、この非合法女は。
鍵のまわる音、抵抗なく開いた扉。あまりにあっけないもので、笑えてくる。どれほど、苦労したことか。――ここに入るまで。
入った部屋はとても静かだった。厚い扉を閉じてしまえば、外の音はまったく聞こえないほどに。細長く、窓は小さい。壁には本棚が並び、やや左寄りに置かれた机は片付けられて、何ものっていない。……ペンと、紙さえも。床に敷かれた絨毯。歩くたびにほこりが舞う。――どうやら、この部屋に出入りする人間はあまりいないようだ。
「……けほっ……」
吸い込んだほこりにむせ返る。
ばらばら、ぱらぱら、ばら――
なんの遠慮なく部屋に入ったカイルが、手に取った本を眺める。――この国は、話し言葉こそ共通語だが、書き言葉はシャフィアラの言葉を使う。カイルに読めるはずがない。何冊か手に取った後、興味を失ったようだ。……ちなみに、レランも一冊手に取っている。
ぱたん――ガチャリ、コト………
「……」
ただ、鍵をかけただけなのに、よく響く音。閂(かんぬき)をおいても――……鼓動の、音がする。
「……」
また、止まっている。いったい、何を考えて、おびえて、恐れて、自信があって、確信を持っているのやら。
「で、ここは行き止まりか?」
ぐるりと、振り返った。口元が笑う。――そうでなければ。
「まさか」
左の奥、二番目の本棚。正面に立って、見据える。ちらっとこっちを見たが、すぐに、行動に出た。
「へ、陛下。なぜ、ここに――……?」
ようやく反応を当主が示すと、国王はやっとかいうように睨み付けた。
「質問に答えろ」
「陛下、いかがなさいますか?」
「お前たちは行け」
命令に、部屋の後ろに控えていた兵士が一斉に動き出した――捜索? ……その言葉に行き当たって、はっと振り返った。目があった国王は自分の表情を見て満足そうだ。
「何が出てくるか楽しみだ」
……そんな簡単に、捕まる女じゃなかったな。
国王に降りかかる被害を想像して、リンザインはため息をついた。
ほかの事は考えなかった。――もう、自分たちではどうしようもない。真実が知れたからといって、何が、できようか――?
もう、遅い。
――全(すべ)てが。
「……鍵を、渡してもらおう」
国王の言葉に、従った。この部屋にある鍵を取りに行くために、出て行く事はできなかった。
コツコツコツ
棚を前に、行動をはじめる。
――忘れた? ……まさか。
口元に浮かんだ笑みはまだ消えない。――もう消さない。
……さぁ、覚えたように――
「三段目、右から七つ」
ゆっくりと手を向かわせて、一冊の本を、半分引き抜く。
「八段目、右から十五」
一冊の本の背表紙を軽く押す。
「二段目、左から十」
また、押し込む。
「四段目、右から九」
上半分を引き抜くように。
「二段目から五段目まで、左から十一」
すべて背表紙を押して、本を中へ。
「一段目、右から十四番目」
ばさっ
引き抜いて、眺めて、落とした。
「六段目から八段目、左から五」
本を中に押し込んだら、見えなくなった。
「五段目、左から十二――」
静かに、一定の口調で言われた言葉と同時に。一冊の本を引き抜くと、何かの音ともに動き始めた。
ゆっくりと、ゆっくりと音を立てて。本棚の左が奥に、右が手前にやって来る。
ゴウゥゥゥゥ――……ン
右側に下りを、左側に上りの階段を現した本棚を、眺めているしかなかった。
「下りるわよ」
振り返って言った。
――それこそ、来るのかどうか聞く必要はない。
カツンカツンカツン……
石の階段は、三人の靴音を響かせる。ぼんやりと足元を照らすように作られた灯りは、最近使われたものらしい。油が十分に満たしてある。先を進み、その灯りを照らして回るリールの足取りは、どこまであるのか見えもしない中で速い。――詳しいのか、慣れているのか、それとも……
「地の底に、堕(お)ちる様だ」
言葉は、階段の上から下に響いたようだ。先を行くリールが振り返る。
「地の底なら、まだましだと思えるわ」
小さく口を動かしながら下を見直した。――上には聞こえない。
少しの間無言で、暗闇の階段を下りる三人。レランは一つ気づいたことがあった。
――どうやら、一番暗闇に慣れていないのは主らしい。
先を行く人物に注意を払いながら、レランはさらに先の人影を見やる。
――なぜ、あんなにもよどみなく進めるのか? あの小娘は。
主が得意としないのはよくわかる。凡人と比べれば数段いいが。
暗闇に慣れて行動することは、レランは訓練されているし、あまり表立った行動することも――あるが。一応は極秘? カイルの行動は表立っているだけに、光の下がよい。
では、あの娘は?
どちらも、得意とするようで、どちらも、得意でないような――
***
「……私が、就(つ)きます」
「ふざけるな!」
「そうよ!」
「何を考えている、出て行け!!」
「お前が、口を出す問題じゃない」
「誰のおかげで――」
――いったい、何がしたいのか、言いたいのか。
――この、人間どもは。
よくも、……よくもそんな事が、
「いいだろう」
「「「「「「「!」」」」」」」
「何をっ!」
「ほかに、自ら進んで就きたいという者がいるのか?」
「「「「「「「「……」」」」」」」」
「異存なかろう」
***
カツンカツンカツ…ン………カツン……カツ……ン…
「――?」
「……」
足音が近づく、先を行くリールの速度が落ちた。――また、何か考えている。それはかまわないが、大丈夫か? ――足元――
がくっ!
「っ!」
階段をひとつ踏み外したが、崩しかけたバランスは何とか戻した。そこは、最後の段だったから。出口の光は、見えていたから。
広い空間。ひんやりと冷えている空気。薄ら寒い。祭壇。壇上。作られた道と、石と溝(みぞ)。同じ大きさに整えられた石が、下にも壁にも天井にも並ばれる。四角い部屋。高い天井。照らされた光は天井まで届かない。下りてきた分高さがあるようだ。音の反響がする。所々に火が燃える。――ずっと、消えないかのように。
何があるといわれれば、むしろ何もない。部屋? 宝物庫? それとも、石の牢獄?
「宝物を隠すのにはむいてそうだな」
「全然、」
そこで切られた言葉。――それは否定か肯定か。言った主は納得したようでもう興味を失っている。
「……」
なんだろうか、この会話。
正面奥に置かれた祭壇。その上に、本が置いてある。
――……一冊の本。
「しらみつぶしに探せ!」
腕を伸ばして、命令した。
「何一つとして見逃すな!」
「「「「は!!」」」」
振り返れば、青い顔をして立ち尽くす当主と、冷静に、いや、冷静すぎるほど静かにこちらを眺める青年。怯える少女が二人。それと……――ずいぶん。
「ずいぶん、減った」
「……」
青年はこちらを見た。
「これ以上、減るのを見ておれと」
「……陛下、」
「――陛下!」
「「!」」
「何を見つけた!」
――リディロル。
……祈った。
「一ヶ所だけ、鍵を使っても開かない扉が!」
「――……」
唸るように、呟くこともできなかった。
「案内しろ」
早々に部屋を去る国王。鍵を使っても開かないことに、“理由”がある。その理由に、血の気が引いていく父親を立ち上がらせて、後を追った。
「何故この部屋だけ鍵で扉が開かない」
「中から閂(かんぬき)でも掛けているのでしょう」
「――中から? 誰が?」
この家の人間は、――ここにいる。これだけのはずだ。
「……」
青年はまた、さめた顔でこちらを眺める。だが、何かに屈する感じでもない。疑問に、沈黙を押し通すきか。
「おい! 陛下の質問に答えないか!!」
「答える質問は一つだけです」
もう、答えました。
「貴様っ!!」
「よい」
「陛下!」
「中に入れば、わかることだ。――破壊しろ」
すぐに、準備が始まった。
――いったい、何をしている? これでは、俺達では、時間稼ぎにもならないぞ。それこそ、はじめから疑われている。
中に何があるのか、よく知っているからこそ――止められない。
止まらない。
カタン
祭壇に、遠慮(えんりょ)なく腰掛ける小娘。投げ出した足の横、小さな隙間に手を差し入れ、開けた引き出しから布の手袋を取り出す。
シュッ!
両の手にはまる布擦れの音すらも、反響して消える。
すっ
迷うことなく、手に取られた本。簡素な作りで、装飾も何もない。――背表紙さえも。挟まっている栞、紙、紐。すべてを……当てにしていない。
ぱらららら――……
一冊の本の、ページが流れた。
――その、本は――?
扉もなく、アーチ上の入り口。下りてきた階段のはるか上から、破壊音と、人の声とが下り響いてきた。
「……(なんだ)」
カイルは、突然の声に振り返って階段を見た。そして振り返る。祭壇の先は行き止まりだ。
「……王子……」
逃げ道はない。
上の声が、よく聞こえた。――階段を背後に隠した本棚は、もとのように戻していないのだから。
ガン!
いっそう大きく響かせて、扉の木々を砕いた。――見える、部屋の中。……不自然な本棚が一つ。
喜ぶ兵士の声と、嘆息(たんそく)をもらす青年。どちらがよく耳に残ったといえば、言わずともわかろう。ついてくるように命じて、部屋に入った。
右か、左か。
黙って、こちらについてくるだけの青年は、何も言わない。目の前に、明らかに隠し扉の役目を果たしていた本棚が、役目を果たしていないのを眺めていても。当主は、今にも泡を吹いて倒れそうだ。――使えない。
ゆっくりと、目配せをして見せた光景。一人の少女が剣先に怯え泣いている。もう一人は、その少女を支えながらも、不安げに青年を見た。
――人質。
数人の兵士に囲まれて、光る剣に怯える少女二人。……青年は、先だって階段を下った。
「……」
――来る
迷わずに下ってくる足音。主も気がついたようで目が険しくなる。ゆっくりと手を剣にかける。
「こっちにいて」
ずっと本のページをめくる小娘が声をかけた。――先に、道はない。不審そうに目を向けるのと、主が進み出るのは同じだった。
動かずにそこにいると、気配を感じていないのか顔を上げて言う。
「……せめて、そこの線よりこっちにいて」
「……」
主の顔が面白くなさそうにこちらを見ているが、動くわけにもいかない。――下りてくる、いくつもの足音。……十二人。
「……レラン」
「……」
――仕方ない。主の怒りを含んだ声にため息をついて六歩進んだ。
ただ通るだけならきっと気づくことはない。石の溝の中に、何かで引っかいたような線が一本。主と小娘のいる祭壇と、下りてきた階段の間。むしろ、祭壇よりだ。
線を一歩越えると、また小娘は本に視線を移した。主は、祭壇横に立っている。上を見上げて。
ガチャンッ!!!
暗い中階段を下りる。剣が壁について音を立てた。
一歩進みそうな足を抑えて、剣を抜いた。
「「「来る」」」
三人が三人で呟いた。
大丈夫?
――何が?
だって……
――だって?
“何”に、恐れよというのか?
“何”を、怯えよというのか?
恐れる物も者も、怯える物も者もいない。――ただ、叶えるべく“願い”を。
ただ、叶えるべく願いを――……
後ろで、陛下の護衛の剣が壁にぶつかる音がした。それも、すぐ収まったが。……“何を”しに来たのだろうか。まさか、ただ帰ってきたわけがない。二度と、逢えないこともないと思ったが。大きく、なっていた。存在が。
もう、違う。いてもいないのと同じように扱われていた少女が。
――この状況を変えられるのは、もうリディロルしかいないんだろうな。
一抹(いちまつ)の期待を持って、階段を下っていた。期待するだけ無駄だというか、期待してはいけないことはよくわかる。例え自分が支持したのではなくとも、支援したのは確かだから。
振り返ることはできないが、父はもう駄目だ。――そう、この家は終わりなのかもしれない。
ああ、どうするか。いっその事、皆(みな)いなくなればいいのか?
足音で誰だかまだわかる。いつになく緊張した面持ちだったあの場の皆。
小父は、本当に、知らないままだったんでしょうね。
見つめる本を、手に持つ本を。
知らなければ、知っていたから。――真実を知ることができなければ、できたから。
――だから、ここにいる?
ラーリ様、再び逢えて、どれほど嬉しかったかわかる?
それに――
やっと視線を感じた。見下(みお)ろすこともなかったし、振り向くこともしなかったが。
そこにいる、ここにいる。――ただ、それだけで。
カツン
最初に見えた人影。誰だかわかる。――後から下りてきた人物ですら。
「……リロディルク。お前は、この場にいていい者ではない。――それとも、お前が全ての元凶か」
「……陛下に“再び”その名で呼ばれる日が来ようとは、思い上げもいたしません」
本の表紙をなでて、握りなおした。
さぁ、始まり。
階段は薄暗く。下りるのに一苦労だった。先を行く青年――呼び名はザインで記憶していた。は、この暗さの中一度も足を取られることなく進んで行く。
兵士の、護衛の剣が重なって音を立てる。――耳障りだ。一つ睨んで沈める。長い長いと思っていた階段は、出口が見えれば一瞬の出来事のようだ。
階段を終え、石床に足をついた瞬間。火に照らされる空間の明るさに目を見張る――先を見据えて、口にした言葉。……わざとだと言うより他にない。相手も、同じように取ったようだ。
“エアリアス・リーグラレル・リロディルク”
今は無き名。自分が、剥奪した名前――
***
「――殺せ!」
「お言葉ですが、私は反対いたしました。しかし、お作りになったのは陛下です」
「黙れ!!! わが子を失うところだったのだぞ!」
「陛下」
「……“エアリアス・リーグラレル・リロディルク”――お前の名を剥奪する――二度と、名乗ることは許さない、許されない。消え去れ。二度とこの国に帰ることは無い。お前の、存在はこの国にない」
「それは……陛下!」
後ろで、横で、それだけはおやめくださいと声がする。島を囲む、荒れ狂う波と渦。――沈んだ船は、数え切れない。
「運がよければ、あの波を越えられようよ」
この場で殺さないだけで、何も変わりやしないではないか。
黙って、部屋を後にした少女の背。玉座に座る王の回りの人々は、見送るしかなかった。
***
「リロディル」
呻くように、小父上が声上げた。
その声、不愉快だ。だが、現実を再認識するには十分だ。――あの時の娘は、“死んでいない”。
足を進めた。こちらを警戒する男のすぐ前まで。祭壇の正面を少し外れた所にいた男。引き抜かれた剣がこちらを向いているので、それ以上は足を止めた。真後ろで動く護衛を制止(せいし)、男を一瞥して逸らした。
――見る、正面。
「何を、している」
「――何も。陛下の耳に入れるようなことは」
切れた言葉は、次をつなげようとしない。他の声を聞くのを許さない。
(この不法侵入者が)
だが、“家”でもある。
レランは考え込んだ。“誰”か、“身分”はわかった。だから、どうなるのかはわからない。
それよりも、他に――何か、根に持ってないか?
“過去に縛られる部屋”――少なくとも、俺はそう呼んでいる。エアリアス家の中でも、“真実”を知る者のみが入れる場所。知る場所。父と、自分。そして、リディロル。……そうか、それしかいないのか。――もう。
ザイン――リンザインは、自分の手を離れた流れを、塞き止めるどころか雨が降ってきたようだと思った。
ああ、さらに大変になりますな。
祭壇に座っていた。握る本の表紙を、なでながら――
あえて、誰とも合わせないようにしていた視線を、ザインに向けた。――私よりも、暗いオレンジ色の髪。もう、すぐに切るのだろう。伸び始めた髪がうっとうしそうだった。合わさった視線から取れたのは、複雑そうな考えだった。――そして、一番の迷惑な事は同じだった。……陛下。
((帰れ))
――なんでいんの。
知らん。
小さくついたため息と共に、視線をはずした。
誰も言葉を発しない。途切られた声は、誰もつなげる事はない。つなげられる事はない。
それは、中心にいる女が他の声を拒んでいるから。
カツンカツン、カツーン……
いまだに続いていた足音は、ついに途絶えた。
広い部屋に反響していた音。声より響くことない音が、耳を狂わす。
「っ!」
ふっと、リールが身体ごと反応した。――何事だと思えば、最後に階段を下りて現れたのは二人の少女。
歳のころは、十五――十六? 幼さの残る少女は、かろうじてオレンジ色に近い茶色、まっすぐに下ろした髪が腰に届いている。くすんだ金の瞳が、怯えながらもしっかりと前を見据えている。
その子に抱きしめられて、緑の目に涙を浮かべた少女がいる。とても小さく、幼すぎる。十にあがるか、上がらないか。――後者か。細く二つに結ばれたブラウンの髪が、肩についてゆれていた。小さな手でしっかりと髪の長いほうの服をつかんでいる。……完全に怯えきっている。恐ろしさに、立っているのもやっとかもしれない。
そこまで考えると、意識は下りてきた瞬間の“違和感”に移った。
いったい、何がそんなに――
怯えているのかと思えば、次に下りてきた兵士は二人に剣を突きつけていた。
これで、全員。
「何をしている」
リールのきつい声が響いた。怒りをこめた声が、一度途絶えた声を再び引き戻した。
「――これでも、何も知らないと」
意を効したとばかりに、国王は言った。
(ちょっと――)
再び向けた視線の先。ザインは目を伏せた。
(仕方ないだろ……)
どうにかしろ。睨んでくる視線が言っていた。
――悪いが、俺にできる事はもうない。
「……~」
指に爪が食い込んで、痛くて、痛くて。その痛みは、果たして指に食い込んだ爪の痛みだったのだろうか。
――それは、指が痛いだけで、傷がついたのは心だ。
カタン
一瞬起こった小さな音。聞こえたのは、カイルとレランだけだったろう。
ガシャーン!
!!
ザァ
ジャバーンザバーーン! ドボーン
最後に近づくほどアホっぽくなる音。
「~~えい!」
意を決したように、髪の長い少女が呆然と剣を突きつける兵士を突き落とした。
バシャーーン!
「「……な、な、なっ!」」
目の前に降りてきた格子。レランと国王の間だった。見えるか見えないかわからないくらい床に書かれた線の上。
それこそ、太く尖った格子が天井から降りてきた。――危ない。
「――小娘!」
「何をするか!」
「陛下はお黙りください。私は、この国に用があったわけでも来たかったわけでもないし。大体、なんだって今ここに――……」
自分で言って、思い当たったらしい。開いた口が閉じて歯軋(はぎし)りをした。
「とにかく、“二人目”の招かざる客は話をこじらすので」
――自分の、“立場”は理解しているらしい――
(“招かざる”ね)
苛立っていた事の原因は、国王の登場は予想範囲内ではなかったようだ。では、俺とレランは?
ふと、向けた視線がぶつかった。気にしていないようで一番警戒している視線。リールよりは暗いオレンジ色の、ナクテスと同じくらい伸びた髪。俺の視線から逃げない茶色の目と。
「「……」」
「どういう事だ!」
ようやく現実を認識したらしい小父が声を張り上げた。――当たり前か、この状況では。
(――おい……)
小娘は睨み付けても何の反応すらしない。だが、一歩間違えれば自分は降りてきた槍に身体を貫かれるところだ。――もちろん、逃げたであろうが。
(なんなんのだこの部屋は――)
レランが呆然としてしまうのも無理はない。降りてきた格子の床に突き刺さった部分は、槍のように尖っているし。部屋は祭壇と階段の入り口との間。祭壇より三分の一の所で格子によって二つに分かれるし。
なおかつ、ザインと国王と小父のいる所の後ろから、階段すぐ下の少女。髪の長いのがローゼ――ローゼリアリマで、小さいのがウィア――ウィエア・アンダーニーファ。どちらも、姓はエアリアス。の、二人がいる前までの床が開き、間にいた国王の護衛を下に叩き落したのだから。真ん中の床が抜けてしまったが、両端は人が一人余裕で通れるほどあいていた。――レランの正面にいる三人が、帰ることができないわけではない。
しかし、
(待て)
正面に格子。後ろに祭壇。さらに後ろには壁。
つまり、だ。
(閉じ込められた――?)
主と、自分と、小娘は。
(――まさか)
あえて、格子の後ろに自分たちを招いたのだ。さらに言うなら、部屋にこれだけの仕掛けがあるのに、逃げ道がないはずがない。――……一言で言うなら、“あの小娘”だ。まさか、これだけですむとも思えない。
――お前は、誰だ。
渦巻く疑問は、絶えることなく消えることなく。
……ろくな事にならない。
とりあえず先を予想して、レランはため息をついた。
「シャス」
「な、何!?」
突然名を呼ばれた少年が姿を現す。第三の存在というか、そういえば、執務室にはいたが。この場、祭壇のある部屋では見なかった少年だ。――が、階段から下りてくる。
「「「「!!」」」」
存在を忘れていた、気づいていなかった。部屋の中の人々はその声に驚いた。
シャス――シャジャスティ。――もう、これだけ。
振り返った視線を前に向けながら。ザインはリールを見た。
「あとで、貯水庫の鍵を開けといて」
一歩踏み出た少年に、いきなり命令を叩きつけるリール。
「は?」
意味が不明らしく少年は聞き返した。
「この下、だから」
正確な答えとはいえないが、リールは床の下、開いた床の下を指差す。――かなり、深いのか、落ちた兵士の声はぼんやりと響くくらいだ。水の中に落ちただけで、誰も死んではいないだろう。
「もう、使ってはいないでしょ」
この貯水庫。……自動的に雨水が溜まるようになっているけど、今は、“中”の井戸から汲んでいるから。
「ぁあ! なるほど。りょーかい!」
シャスと呼ばれた少年は極力明るく声を上げた。意味を理解したのと、――まぁ、中に落とした兵士を助けるんだ意外……ごめんさない。リールの、シャスを見る視線だけが険悪になるのを感じ取ったようだ。
短く切りそろえられた茶色の混じった黒の髪に、活発そうな青の瞳。こちらも――十六、十五歳?
「リロディル」
さすがに、完璧に状況が理解しえたのか小父が声を出した。――この小父だって、決してバカなだけじゃない。ただ、――ただ、権力と欲望に溺れただけだ。
――まぁ、だからと言って、この小父の評価が上がるわけでも好きになる事もない。
「どうやら、お前には機会を与えすぎたようだ」
――真実を知る機会を、知恵をつける術(すべ)を。知識を満たす環境を。――何より、知りたいと思うことを求める好奇心を。
ここにきて冷静さを持った男は、何か思い当たるように言い出した。
「その“本”を持つことを再びお前に許可してはいない。即刻立ち去れ」
「……小父上は、“今”が“その時”でない事をご存知ですか?」
命令に、答える義理はない。私が言うと、小父上の顔に罅(ひび)が入った。
「――何のことだ」
「黙れ」
陛下の、存在が邪魔。ここにいることが邪魔。
疑問を問いかける声に、リールは低く静止の声を響かせた。
国王は、一瞬怒鳴りつけようかと口を開いたが、何を思ったか俺と父親を睨みつけた。
なんだ、リディロルの気迫に負けたのかだらしないと思っていたら、思い立った。――ちょっと待て、説明を求められているのは俺か?
呆然とザインが視線を向けると、リールは視線を不意と逸(そ)らした。
(――おい!)
この確信犯!
「……計画の実行は、“計画が実行されてから200年後”――わかってますか? まだ後一年は先です」
「ふざけた事を言うな!!」
それを聞いて声を張り上げたが、見る見る小父上の顔は青ざめた。
「まだ、その時じゃない。――だから、うまくいかない。……小父上、何で、本に背表紙があるか考えたことがありますか?」
「はぁ?」
「「「「「「?」」」」」」
(――何で? ……か……)
考えたこともないな。
カイルは率直に意見を思う。
「では、何故この本には背表紙がないのでしょうか」
そう言って、手に持つ本の背表紙を向けた。――何も、題名も書かれていない。羊皮紙で閉じられた本は、背表紙がないというのは誤りな表現だが。
「表紙にも、何も書かれていない。本を開く手がかりは、先代から受け継がれた解読終了を示すこの栞(しおり)」
そう言って、するりと間を閉じているいくつもの栞を引き抜こうと。
「やめろ!」
小父が狂ったように声を上げた。
引き抜かれる寸前で止まった手は、栞を元の場所に押し戻した。
「……初代エアリアスは、エアリアス・リインガルドは、よほど、頭がよかったんでしょうね」
「お前は、何がしたいんだ!」
――“言いたい”ではない。
「――この本。反対からも読めるから」
――は? ――
今度こそ、周りの人々は絶句した。
くるっと、背表紙を持っていた手首を回す。ひっくり返して同じ方向から開かれた本には、横に文字が流れる。
「何で、この本には表紙も背表紙もないのかなって、ある日、この本を落としたときに思った。いくつもの栞が挟んであるから、栞のある所から読めばいいのはわかった。先代までが行ってきた“準備”を、これから行うべき行動を。本の文字を解読して、ただの日記から“一族以外の島人を、消すため”の道を読んで行動する。――そうでしょう?」
ゆっくりと、小父と目を合わせた。小父は、何が苦いものでも聞くように視線を落とした。
「古語と本に隠された暗号を解読して、数ページごとに変わる解読方法を解き明かして、数百ページにわたる本を読み進める。一つの代につき一定の量を解読して理解して実行する。ある時は毒を大地に。ある時は水を中和して。ある時は病を作って。ある時は――」
「やめろと言っただろうが!」
小父の叫びは止まらない。
「興味深い話だが、どういう事か」
国王は小父を睨みつけた。
――その話はもういい。
本といい、エアリアス家の内部事情やシャフィアラの状況などまったく気にも留めないレランは思う。彼にとって問題なのは、主の行動がどう出るかどうかであって、騒ぎ立てる者共に興味はない。
(――へぇ)
しかし、もちろんというかお約束というか、その“主(カイル)”が本に興味を持ったようなので。当分、この話から抜け出すのは無理そうだ。
それよりも根本的に――レランにとっての問題は他にあるだろう?
「で、何が書かれたいた?」
言葉に、はじかれたように国王と父親が俺を見た。何を言い出すのか!? と。このまま二人の相手をしていたら話がずれてしまう。リディロルが言ったのは、反対から本が“読める”――“読めた”ということだ。
「何を、見た?」
――本に。
――……一冊の本――
「動き出した歯車は止まらない。止まることを許されない。――なら、……壊せばいい」
祭壇の横の隙間に、手を入れて引き棚をあけて、中のレバーを引いた。
ガジャン!
鎖が引き伸ばされてついで響いた音は、リールの座る祭壇を後ろに動かして、下に階段を現した。
――逃げるきか!
思った瞬間に腕が動いた。
キィン――
金属がはじかれる音――
何!!?
エアリアス・リロディルクに向かって投げつけた短剣。しかし、あっさりと横に立つ青年が剣を抜き短剣をはじき飛ばした。
カランカラン――……
はじき返された短剣は床を転がった。
リロディルクの顔に、……目に向けて投げつけた短剣は。
「……」
あまりに瞬間的な時間だったから確かな事は言えない。だが、リロディルクは、“避けよう”と、しなかったのではないか? 短剣を取り出して投げつけるまで、目をそむけることなくこちらを見据えていなかったか?
「……」
リールは、一瞬、きょとっと顔を崩して、すぐにしっかりとこちらを見た。――知っている。あれくらいよけることもはじくことも止めることすらできた事は。
小さく笑った。――それに――……一人じゃない。
知られるのはあまり、良いわけじゃないけど。でも。自分一人は入れればよかったんだけど。――ま、いっか。
「「……」」
重なった視線は、すぐに階段へと下りて、リールはその階段を下りた。何段か下りた後、振り返ってこちらを見るので、レランに視線を向けた。
「待て!」
「どこへ行く!」
陛下と小父の言葉が強く響く。元々、用があったのはこの“本”。握り締めて、振り返った。薄暗い中やって来た二人を見てから、上に向かった。
もともと引き抜かれていた剣で、さらに何か仕掛けてこないか警戒しながら、髪も目も服も黒い男は祭壇下の階段に向かった。
「――待て! リロディル!!」
あわてた、父親の声がする。……その声を、聞く――はずもないが。リディロルは消えた。……まぁ、脱出経路はあるはずだとは思ったが。
「――あの、青年」
ふと、国王の言葉を聴き咎めた。短剣を剣ではじいた時の、国王への睨みつけた金の目。青みがかった銀の髪。
「どこかで――……?」
国王は、格子の一つを握り締めた。
――まぁ、“リディロルの知り合い”。
……いったいどこの誰だか知らないが、“護衛”がいるくらいだ、それなりに、身分のある者だろう。そして、こんな所までつれて来られるような、来てしまうような連れだってことだろ。
それはそれでかなり問題な気が……リンザインは、とりあえず取り残されたという現状にため息をついた。
「――本当に、」
出口、蓋の役割をしていた岩を押しのかして、空を見て空気を仰いだリールは言う。
「あんたの差し金ね」
でなければ、あの場に陛下が来るはずもない。
ずらされた岩の後ろ。リールから見て正面にはエアリアス家の家。反対の森に面した所に、シャフィアラの第二王子は立っていた。
「よっ……」
一番に地面の上へと戻ったリールは振り返った。合わない視線を逸(そ)らしてカイルとレランを待った。
「――まさか。陛下が“俺”の事をよく思っていないのは知っているだろ」
優秀な、第一王子。期待は全て兄に向かった。
「いつまで、死人を追いかけるのよ」
「……」
フォトスは、黙った。
「……」
――追いかける?
何か、その言い方に違和感を感じた。諫(いさ)めるのと違う。……どこか、……いや、言葉は、他の誰にも向かおうとしていない。
「その、まさかを、どうにかしたんでしょう」
「――陛下を、思うように誘導するのは無理だったから」
……少し、
「……」
――話を。
「……」
一瞬、やっぱりここで殺してしまおうかと思った。二本の剣は、よく磨かれている。これがいなければ……いなくても問題はないと思った。
だって、
「――また、死んだ」
「?」
思考を中断するように、低い口調が耳をついた。
「そろそろ、半分になっているかもしれない」
「……」
――島の人口。
その時でない計画の実行。初代エアリアスの筋書きと違う未来。――いったい、何が起こるのだろう?
すでに、人々は病んで消えている。
海も道も城も町も、人々はいない。誰もいない誰も通らない。
「自身の生活はあっても、高熱に病む家族について。身体の痛みを突然訴える者。失明するもの気絶するもの、血が流れ出して止まらない者」
何人も何人も、幾人も幾人も倒れた。だんだん、葬儀が間に合わない。――葬儀を行う人ですら、どこか病んでいる。
「手足がしびれることはよくある。めまいと、だるさも」
――ただ、症状が悪化しない者には共通点があった。
「比較的無事な者に、話を聞きに言った。どうして、無事なのか。――俺も含めてな」
着替えて、それらしい格好をしたフォトスは、自分にリールの視線が向かっていたのを前に出した手を眺めながら感じていた。
「数ヶ月かけて話し込んだ。――わかったんだ。思い病に悩まされない者達は、皆。リーディ、君が一度でも診察したことがあるって。君が調合した薬を、作った料理を食べたことのある者達だったんだから」
――料理!? ……できたのか?
一緒にいると、食事の準備は自分だし、町ならどこか食堂に入る。
およそ料理と言うものをするということが、レランから見たリールには信じられない。
【動き出した歯車は止まらない。止まることを許されない。――なら、……壊せばいい】
「……? ……」
――ああ、そうか。
壊れた歯車は、回らないんだ。――廻らないんだ。
茫然(ぼうぜん)と握っていた本を、初めて焼き払いたいと思った。
「って、どうせ人の話なんか聞く気がないんだろ!」
ぼんやりと、本の件(くだり)を見つけた時に、納得した事を考えていた。
「……で?」
何でこいつは、こうも私の邪魔ばかりするのだろうか。それが結果としてよかったかどうかは紙一重だが、その時としては最悪だ。
「……」
まったくもって俺の言葉なんて聞く気はないんだろが、聞こえていたんだろう。
その続きを促しているようで、誤魔化(ごまか)しにも取れる言葉にため息をついた。
「――とにかく、何とかしてくれ」
「何で?」
――私が。
「……そのために、人にどう扱われようと“あの位置”にいたんじゃないのか」
――どうすれば、近いようで遠い考えを持つ者を消せたであろうか?
真実を知ってなお事実にはほど遠い。
「で、無いにせよ」
ああ、一応別の選択肢を持ってはいるか。
「あの日記は、本当だろ?」
――自分の行動の記録。一定の法則で読み方を変えれば、当たり障りの無い日記から薬の調合法や、行っていた計画の進行度がわかる。天気や、波の様子までも。
……そうか、それなりに教養はあったのよね。あの時、死に掛かった王子は。――なんかもう、疲れた。
一冊の本。
一方は破滅の道を、一方はその破滅に救いの道を。
表紙も背表紙も何も無い本。反対からも読める本。
受け取った初代エアリアスの息子。――はじめてこの本を開いた者に選ぶ選択肢が二つ。
……違う、初めから、初代は破滅を進ませていたじゃない。生きて行く事にも、誰かを救うことにも厭き厭きしていたのだから。
「――だから、いい加減でどうにかしろ!!」
「イヤよ」
「~~~お前!」
「何が邪魔をしている」
「「!!」」
声にがばっと反応した二人と、
「「……」」
ゆっくりと視線を動かしたぐらいだけの二人。
「っラーリ様……」
「何を拒む」
「ラー……リ……」
「言ったはずだ、此処は地が死んでいる。――何故、何もしない。ならば、ここに来る必要も、その者にいいように此処に来る必要もない。……まさか、振り切ることができないわけじゃあるまい」
――例え、殺してでも。
リールに話す間を、反論する間を与えない。
突然現れては矢継ぎ早に言いたい事を言い出すラビリンス。
そのラビリンスの言葉に深く考え始めるリール。
いったい誰だと思ったら、大きな翼を持った獅子が目の前に。それが、この国の象徴レピドライトだと思い当たるまでに時間がかかった。
(――さて、)
どうやら、堂々巡りの話を進ませてくれるらしい。
(どうなる? どうする?)
苛立ちがつのって、何かを見落とすことなければいいが。
「……」
――少しは、話が先に進むだろうか。早く、終わってほしい。
「……」
ふと、長くなった影が色薄くなっていた。
夕方、日の入りはとても早く、沈んでいく。もう光は届かない。
……暗闇が、襲ってくる。
「ヒカリヨ」
銀の目が光る。――静かに、高らかに、輝く。
ぼんやりと、輝きだした周り。誰がいるか、ぼんやりとしか見えないくらい、暗くなって来ていた。光を帯びた毛が、存在を強く現した。
「ラー…リ様……?」
ほうけたように呆然と、リールは言葉をつむいだ。――どこか、泣きそうに。そう、思った事はよくある。他の誰よりも大人びていた少女は。
「……」
ため息をついて、立ち尽くすリールに近づいた。
「……っ」
逃げるように一歩引いたリールの足に、体重をかけた。
「わきゃ!!」
あっさりとバランスを崩したリールを背に乗せて、地から足を離した。
「ここは騒がしい。――日も暮れた。人間は、昼間に行動をするものだろう」
「……いいんですラーリ様」
だって、ここから逃げるのも避けるのも簡単だから。
しょうがないじゃない、ここで、邪魔されたくないもの。
「この地に沈んだ毒を、取り除く作業を」
ストッと、地に降り立った。
「「「「「……」」」」」
「なんて事をしてくれるんだ!!」
草をドカドカ踏む音が、すぐそこまで来ていた。
「――早かったですね」
叫びだした小父に向かって、言ってみた。――そりゃそうか、ザインが知らないはずがないもの。
「――ねぇ、小父上。この本を、初めから最後まで読んだことがありますか?」
「はぁ?」
「これまでの作業は全て滞りなく行われました。後は、計画の実行の引き金を引くだけ。定められた時間に、定められた年に」
「……」
だから、どうしたと視線が言っていた。
「実行は、計画が“初まって”から200年後」
「――知っている」
「では、始まったのは何時ですか?」
「そんなもの――」
「初代エアリアスが本を書き上げて、その本が息子に渡ったのは二年後。そして、その息子が解読して最初の毒を城の井戸に投げ込んだのがさらに三年後」
「――っな!」
国王は絶句した。
「さて、“始まった”のは何時?」
「そ、」
「本を開いた時じゃない」
「!?」
「井戸に投げ込んだ時じゃない」
「……」
「それは本が開かれて一年後、初代エアリアスの死体を細切れにして格島に埋葬した時よ」
「――っ、まさ……か」
「今年じゃない、来年。今年は最後の豊作年になる予定だった」
「バカなことを言うな! 初代エアリアスはその本が読まれる二年前に死んでいる!!」
「――公開されている記録はね。……大体、治療する人間がいないから造ろうなんて考える男が、そんな簡単に死んだとでも?」
「……」
「この本の最後の日付が、そうなっていたでしょ」
「その日付はお前の言う日付ではない」
「――“ここ”も、文字を読み替えて見るべきでしたね。小父上」
「……ふざけた事を」
「本当に」
初めて意見が一致した二人。もちろん、まったく“一致”はしていない。
「……リロディル。お前は、」
「どうでもいいが、お前が話しに加わったところで話は進まない」
「何!! ――なぁ!?」
初めて、どうやら小父はレピドライトの、ラビリンスの存在に気がついた。
「な、な、ななな……」
「!!?」
小父と国王が驚愕したように私の後ろにいるラーリ様を見てる。……気づいていなかったということが、納得できてしまうからアホらしいわ。
「先へ進めろ。馬鹿共者の相手など、お前がする事ではない」
「そうね」
一国の王とエアリアス家の当主に向かってバカだのアホだの言ってしまえるのは、この二人とカイルぐらいだろう。
「――ふざけた事を!」
「停止しろ」
「「……!」」
ラビリンスの一言で、当主と国王は固まった。銀の目が帯びた光は、とても怪しい。
(――何をした!?)
低い声に冷や汗が流れつつも、自分に向けられていなかった言葉はレランを止めることはなかった。
「――とりあえず、馬鹿に発言権を与えるな」
ラビリンスの前には、リールと代二王子フォトスと、カイル。一歩はなれてレランと、国王と当主を残して前に進み出たリンザインだ。
――つまり、もう話を逸らすこともできない。言葉で言い包めて沈黙を通すことですら無理だろう。
何故、ラーリ様がここに? ――私のため? それとも――?
……だけど、いなかったら私はまた何もしないから。
――しないわけじゃないけど、ここで誰かに話をすることはまずしない。
できることなら、誰にも関わりたくなかったのに。
「初代エアリアスって、よっぽど頭がよかったのね」
本を反対にしても同じ方向から読めるなんて。――普通。文字なんて逆さまから読めるはずがないでしょ。
(だからどうした)
興味なさそうなレランの視線が、一番この場にそぐわなくて笑い出しそうだった。
「もし、この本に表紙があれば、そっちを開いて読んだわ」
――もちろん。
でも、
「表紙も背表紙もないし。――それに、本は落とすし。大体、栞の数が多すぎるのよ」
ストンと、後ろにいたラビリンスの背に腰掛ける小娘。――主は、誰に向けていたか知らないが(知りたくもないが)。握っていた剣の柄から手を離して組み始めた。
――苦労した。この本を手にするまで、小父の持つ警戒心を叩き砕(くだ)くのは簡単だけど――引き換えになった条件は……
『ねぇ、リール。――聞いておいてほしいの、知っておかなければいけない事なの。……とても、悲しいことだけど、それが真実』
「何処へ行く」
「……なに?」
「お前が黙ってしまえば、今度は日が昇る」
「……ぁあ、そう」
「「そうだな」」
「「……」」
重なった言葉の出所が、カイルとザインで、二人は嫌そうに顔を見合わせた。
「……」
どっちにしろ、なかなか話が進まないのはリールの気持ちの所為だと、よくわかってはいた。
「そうだな、他の島人も、ここにいる奴らも止めるか」
どうやら邪魔者を全て消し去りたい(?)らしいラビリンスは、いきなり言い出した。
「あ~~……まぁ、いいわよ。そこまでしなくても。――ほっとけばどうせ」
――死ぬんだし。――まさか、それを許しはしないけど。
二人の会話に四人の男は、それぞれ、引きつったり苛立ったり、皴を寄せたり焦ったりしていたが、リールの静止の言葉にほっとしたようだった。
「――で、何処までいったっけ?」
「……」
ゆっくりと、ラビリンスは小娘を睨んだ。光る銀の目が鋭い。
「……わかった、わかってます」
バシッと古びた本を叩いて、リールは前を顔を上げた。
……最初に見たものがレランのため息姿だったのは、ちょっと頭にきたけど。
ここにいる者に誤魔化しても……しかたないし。
「この本を開いて、文字を消して読まないで並び替えて、古語を訳して。開いた最初が、【動き出した歯車は止まらない。止まることを許されない。――なら、……壊せばいい】よ。……いったい、何処まで自信家かって話よね」
本をラーリの背に乗せながら、リールはあきれたように言った。
「この地に沈めた毒を取り除くのを“救い”として書いてある文は、その存在に気づくのが早いほうが計画を壊すにはうってつけだった」
「――どうでもいい」
「「「「……」」」」
「そうよね」
――あんたはね。
予想以上に大きく響いた小さな呟き。レランは、振り返ったカイルの表情に顔をしかめた。
――まずい――?
「どうすればいい」
「……」
言葉を区切った言葉に、リンザインは聞いた。
「いや、俺がする事はもうないか?」
――お前は、その準備をもう終えているんだろう?
「用意は終わったけど、無理」
「何を?」
「種。……本には、ただ一つの目的のためにある植物を作り変える方法が書いてあったわ」
「それが、どうなる」
「この地の毒を栄養に育つ木。今、人々を苦しませる毒を取り込んで成長する花」
ラーリを見下ろして、リールは言葉に答えた。
「多量の栄養を含んだ地から、伸びゆく植物。多量に増えた植物は、地から栄養を取れなくなった時点で枯れる」
その花にとっての栄養であって、島人に毒だ。
「植物自身の身体を作るために毒を取り込んで、栄養に変える。花が咲き、実がつく」
植物の営みの中で地を元に。
「花の種はそのまま地に埋もれ、芽吹く。――これは、一回だけだからなるべく多くの毒を取り込ませるように。木は……」
「そんなことで、うまくいくのか」
「――地道すぎるわよ」
信憑性(しんぴょうせい)の薄い話に、ラーリが声をかけた。
「それは、この計画にかけた時間を越える時間を使って、この地の毒を取り除くから」
なんて、言ってもすでに200年もかけているけど。言っとくけど、死んだ後まで責任とる気なんてないわ。どうにかしなさいね。
「いきなりすべての毒を取り払えば、この国の人間は皆体内に必要なものを摂ることができずに死に絶える」
例え毒でも、この国の人々には無くてはならない物。
「だから、地に生える植物の量を制御して、徐々に人間を毒の中毒から抜け出させる」
――その毒が、無くても身体が生きていけるように。
「何故、それが今出来ない」
「――何時咲くか知らないし」
地の中で眠る時間が。
「花の種は全て地に。咲けばそれは毒を宿してなお白き花」
過去ではないけど、地を毒とはしないように。
「一度犯された地を、空気を無毒に」
植物の発する酸素が、蒸発した水が。汚染した空気を。
「本には、実行まで十年を切った時にこの記述を読んだものは、花を咲かせるのは実行日に合わせよと」
だから、どうしろと?
取り込んだ毒を使って花を咲かす。咲かすことに毒を使い切る。――だから、
「まだ、咲かないんじゃないの?」
時間をかける。かかる。壊すのは簡単。戻すのは大変。今は、長い計画を立てた後だからさらに面倒。
「まだ……」
「問題無い」
「? ――!?」
真夜中、光る目の色が金に輝いた時。暗闇の中、足元の地面が盛り上がった。地を押しのけるように伸びた芽。双葉が生まれ天に伸びる。しっかりとした茎に伸びる細長いの葉。地を埋め尽くす緑銀の葉は、丸みを帯びているが先は尖り、ぎざぎざといえる。
一輪の花の蕾が生まれ、地を向く。膨らみきって茎が天に向かう。開きながら空を向いた茎の先に膨らみ開き咲く白き花。
暗闇に、白き花が浮かんだ。
地面が白く埋め尽くされる様子は、雪の日を思い出す。芽吹いて咲くまでは本当に一瞬の出来事だが、花が咲く時だけは、蕾が開く時だけは、とてもゆっくり。
地面と言う地面に。人間と、人間の構築物が置かれた場所以外に花開く。壁の隙間さえも。舗装(ほそう)された道の端でも。
埋め尽くされた地は白しかなく、金の光と銀の鋭さを反射する。
――眩しいくらいだ。
「地を救いし白き花よ。その役目を果たせ」
言葉に答えるかのように、花びらが風に舞い上がった。
花びらが、雨が上るように天へと向かい、……消えた。
――後に残ったのは、緑芽吹いた大地。瞬間に枯れて行った花々――
「これでいいか」
「――よくないでしょうがぁぁ!!」
「何言い出すんだよ~~リール? いいじゃないかーー」
「今更そんな明るく言うなぁ! この爺!!」
「じじっ!? ……リール。お主五年前より性格がきつくなってないか」
「何が言いたいので?」
「僕わかんない! ――ででで!! 引っ張るな! 毛を引っ張るな!!」
「ふふふ~~円形~」
「「「……」」」
(楽しそうだな)
男三人が呆然と光景を見ている中、カイルは一人面白そうに笑っていた。
「――おい」
「あ゛?」
「なんだ」
いつまでも楽しく遊びそうな(?)二人に、呆然とするだけの男共と違って、しかし何処か面白そうにカイルは突っ込んだ。
「遊ぶのは楽しいだろが。続きは?」
「……」
――先が気になるのか?
「――」
ま、いっか。
スタンと、地に足をついて立ち上がった。
「……え~~と? どこまで行ったけ?」
「花が散った」
「――ラーリ様! 何勝手な事してくれるんですか!」
「――待て」
何故、そんなにも怒っているのだ。
「勝手に毒を取り除いたら、他の植物が育たなくなる」
「は?」
「だから、地に、水に空気に取り込まれた毒をこの島の人々の身体は、地に這う植物は必要としているんです」
「何故」
「そうなるように今までこの地に毒を含ませて来たから」
「そんなふざけた事ができたのは」
「「エアリアス・リインガルド」」
「――っ!?」
重なった言葉に驚いたのは、リールのほうだった。
「……ラーリ様?」
「お主より幾千年。生きていると思っているのだ?」
「……」
いくら私が足掻(あが)いたところで、そんな事はとても些細な事でしかないのかもしれない。
だけど、それでは私が壊れてしまうから。
「……はぁ。もういいです」
「あきらめるなー頑張れーー」
「殴りますよ?」
「……殴ってから言うことか?」
鈍い音が、した。
「ラーリ様なら許されるから」
「――勝手に決めるなーー」
「……」
なんなんだ、この仲がいいようでふざけあっている小娘とラビリンス王は。
「……木の話はどうなった」
その質問は予想外だったのか、驚いたようにリールはカイルを見た。
「……」
――まったく。ある意味で、ラーリ様より厄介な気がしない? コイツ。
「いったい何処に、植えたというのだ」
思い立ったように花を芽吹かせたラビリンスが言う。
「――ここに、あります」
取り出した瓶は、地下の部屋から持ち出したものだ。
「ただ、一つはここに」
ゆっくりと地を靴の先で叩いた。
「はぁ?」
意外だったのか、ラビリンスは声をあげた。
「植えてみたんです。――まさか、芽吹かないなんてことが無いように」
「残りは」
「……」
その言葉を聞くと、リールは第二王子を見た。――悲しいのか、哀れんでいるのか。責めているのか、呆れているのか。――苛立っている?
「足りないんです」
「――何が」
「数」
一つの島に、一つの種を。核を担う木は、急激に毒を浄化する花の力に、全てが対応できるように調節する。――むしろ、花よりもこの地には必要なもの。
が、
「――種は島と同じだけの数は無い。花の種は各島に蒔くことはできたけど、木は間に合わなかった」
追い出された故郷。剥奪された名前。――もう、帰れない、帰らない。
でも、ね。それでは願いは叶わない。――なんで邪魔するの、すでに死んだリインガルド。
帰る、つもりだった。少なくても、その日(実行日)が来る前までには。――誰にも見つからず、悟られず。
だから、困った。
予想外の出来事と、その後の行動。常に感じる一番多い視線は、変わること無い。
一年前と。
「足りないはずがないだろう」
呆れたようにラビリンスは言い出した。
「はぁ?」
どこか、答えはわかっているように、その言葉は聞こえた。
「――用意できるのは、十八だろう」
否定はしなかった。
「聞いていないのか、一つ沈んだと」
“沈め”たんですか?
――それが、本当。本の筋書き通りに進んだって、全ての島で浄化が成功するわけではなかった。沈まなければならない島。沈める島。消える植物。動物。
――納得いった。島が沈むのは、計画に失敗すれば起こりうる事だったから。
「……知っていたんですか?」
そうじゃないと、足りないと、うまくいかないと。それは、これ(フォトス)が、邪魔したから――
「お主が思っているより――……」
幾年、生きていると思っている? ――それに、皆は、傍にいる。
ねぇ、大丈夫?
――大丈夫でしょう。だって、一人じゃないって思えるだけでも、島を出たかいがあると思わない。
だから、ね、終わりにしよう。……邪魔をする過去は嫌いよ。
「……手伝って、ウィア」
「は~~い!」
「ローゼ」
がさっ
「シャス」
「――いつもそうだ、俺隠れるのは得意なのに」
何でそんなに簡単に見つかるんだーー!
「……」
一瞬視線を合わせただけで、何も言わなかった。なんだよ、俺には選択権はないのか。
「強制でしょ」
あっさりと、ザインの心の声に答えるようにリールは言う。
「ラーリ様。レピドライト貸して」
――借り物か?
きっと、リール以外は思ったはずだ。
「いくらでも」
種を持った者達が各島について、定められた場所に植え付けるまで。時間は、かからなかった。
――ねぇ、見て。空を見てリディ!
声が空を越えた時、日の出が近づいていた。
もう、日は昇った。明るくて明るくて。
例え心が悲しくたって、暗くたって、日は昇って沈むだけ。
大切なこと。日がすぎてゆく。時間が経ってゆく。止まってほしい? 戻りたい――?
「もういいのか」
「そうね」
再びラビリンス王の銀の目が光を帯びた。――金色に輝く。目も開けていられないほどの光の中で、地面の一ヶ所が盛り上がった。
見る見るうちに生長していく木。あっという間に私の背を越して、太い太い幹になった。まぶしさの中開いていた目は、木が育つ様子を鮮明に伝えた。
ふと、自然の力にも、過去の産物にも逆らえない私たちは、とても無力であると思えてくる。――何を、思い何を求め。何に振り回されるのだろうか。
一本の木が育つ様子に、どうやら見とれてしまっていたようだった。……止まらない成長が必要以上に成長してしまっても。
「――!? ちょっと待って!」
制止の声をかけた時には、大木は青い実をつけていた。
「なんだ」
いぶかしいで力を止めたラビリンスは不満そうに言った。
「やりすぎ」
いく数もの実がなっていた。――丸い実が。……何かで型を取ったのかといいたくなるような、完璧な球体。と、言い切ることは出来ないのは、へたの所が少しへこんでいるからだ。
「何だこれは」
「実です」
「――それはわかる」
この形は変だろ。
「ラーリ様に言われてもねぇ」
「何が言いたい」
「“変”だってだけなら、負けないんじゃないですか?」
「どっちもどっちだろ」
「うるさいから」
激しくレランが同意しそうなカイルのツッコミだった。
身体が、震えているのがわかった。それが何であるのか知っているのは自分だけであるはずだった。
――あれは、もしや? ――もしや!?
あれがあれば出来る。成功する。今現在の扱いも信用も力も全て手に入れた、あの時のようになる! 私は、不死の力を手に入れる!
「――その、実は……」
「……?」
その声の主は知っていたから、そっちを向きたくなかった。ラーリ様に止められて声も出せないはずであることは忘れていた。ただ、扱いとしてはいないも同然だったから。
「私のものだーー!」
「!?」
さすがに叫び声に驚いて目を向けるのと、走ってきた小父に突き飛ばされるのは同時だ。
とっさのことで地面に強かに身体を打ったけど、それなりの価値はあったと思う。内心で笑うのを微塵(みじん)も悟られない表情で、ラーリ様を睨んだ。
「……そういえば、いたのか」
――どうやら、術に集中していてそっちに力を掛けていたことを忘れたらしい。
「「「……」」」
三人の男は突然狂ったように木の実を求める男を呆然と見ている。
「私のものだ私の物だ私のものだ! 誰にも渡すものか、見せるものか私はこれで永遠の命を手に入れる!」
「……親父?」
ザインが変貌した親へ話しかける。
髪を振り乱し絶叫しながら、木に登り青い実を集めもぎ取るエアリアス家当主は、まるで狂犬のようだ。
「……」
差し出された手を握って起き上がり、服を払った。説明を求めるラーリ様の視線だけに頷くと、本を取った。
「簡単よ。あれは、私たちが不死となるために必要な植物」
「不死だと?」
「エアリアス・リインガルドが考えたのよ。人々を死に至らしめ、そして、それを元に戻すことですら、不死の術を作る過程の出来事だから」
「はぁ?」
「あんた知らないの!?」
ピシッと顔に亀裂を入れて、リールはザインに呆れ顔だ。
「いや……それは…」
「――まぁ、どうでもいいか」
「おい!」
「は……ははは……ははは!」
集めよ、“もの”を。私の術の全てを教えよう。青き数なる実をつかめ。欠くなる不死へと願うなら。
「……」
高く喉を使って狂ったように笑う小父。その周りにかき集められた実を一瞥した。
「……」
「私のものだ私のものだぁ!」
その場の皆はその異常さになんともいえない表情で、目を逸らした。
「――親父!」
絶えかねたザインが、引き金を引いた。
「!?」
ビクッと震えた小父がこちらを見て、そして、目を見開いた。
「な! なぜお前がここにいる!? ――これは渡さない! 私のものだ! 誰がお前らなんかに!!」
もう、今まで何が起きていたかすらわからないくらい目の前に夢中らしい。
「渡すものか渡すものか渡すものか! 不死は私のものだ!」
そう言って実を口に運ぶのを――まさか、止めるなんて。
ぐしゃぁがふ! がぶがふ!! がぶがふ!
種はなく、ただ丸い実。飛び散る青黒い液体。――途端、異変は起こった。
「お……ぉお!」
あまり肉付のいいとは言えない身体に、沸き立つような血管。長く長く伸びていく髪と、肉によって盛り上がった服。
「力が……力だ!!」
自身まで溢れてきたようだ。顔は若返り、二十代に見える。
「おや……じ……?」
その異常なまでの変貌に、息子は一歩下がった。
「全てをわが手に!!」
伸びきった髪と、引き裂かれた服。――どうやら、ピークは超えたようだ。
「はぁ……はぁ……ふ、ふふふ…ふ、は……はぁーーはっはぁぁぁあああ!」
両手を高く突き上げて、エアゾールは笑い出した。
――さようなら。
「はははは! は! は……?」
どうやら、いい加減で異変に気がついたらしい。
「なん……だ……」
加速して力のついた身体は、同じように向かっていく。――崩壊に。
パシ! ピシィ!!
「なんだぁ!?」
赤い線が腕に走り、血が流れた。次に体中に線は伸び、流れ出した血は止まらない。
「な! ななぁ! ――うぎゃぁああぁあ!!」
腕が、落ちた。
「何が!?」
ごぷっ
口から血が溢れ。見る見る身体は萎んでいった。
「止めてくれ! 止まれ! 身体が崩れる! 私の命がぁ!!」
言いながら、簡単に老化していく身体。もう、死に間際の老人だ。やせ細り、目は飛び出て。
「――嫌だ! 止めてくれ! 私は不死を、不死を手にいれ!!」
ドシャァ――
あげた声も虚しく、血と肉を残して崩れた。
そんな光景を、呆然と眺めるだけの者達と、それを使えばどうなるか知っていた女。
――さようなら、小父上。……殺してしまいたかったけど。
「よかったわね。――ほしかったんでしょう」
――権力と、力と、この国。永遠と言う不死でさえ。
「――身の程を知れ」
硬い言葉が響くと共に、森に訪れた静寂は深い。
「……」
ただ、沈黙だけがあるこの場。誰もが壮絶な光景に見入るしかない。
じゃり……
リールは、ゆっくりと地と肉に近づいた。ついてくるものは誰もいない。
ぱしゃん!
「……」
左足のつま先が、血を踏んだ。
「「「「「……」」」」」
後ろで息を呑む者達には、背を向けているから見えなかった。
その時――肉片を見つめたリールの、歪んだ笑みを。
――これで、ようやく――
喜びが勝って、血を踏んで超えていることに気づきもしなかった。だって、存在はもう、ないでしょ。
ドガァ!!
片足で幹に蹴りつけて、その足を降ろした時、幹に残った赤を見つけて首をかしげた。
――何これ? ……どうでもいいか。
上を見上げて、膨らんだ葉の合間に除く青い実。いっそ青紫に近い。……その数、計るのは難しい。
興味を失って、視線を逸らした。
「どうする」
――それ(死体)を。
ラビリンスの声に、何を言い出すのか。おかしくて、可笑しくて、笑わないのが不思議なくらい。
「よく言うじゃない? 雅な木の下には、……死体が埋まってる」
――ぞくりと、空気が冷えた。
振り返ったリールの表情と青い実を持つ木は、いっそ毒々しかった。
「そのままほっとく気か!?」
「何?」
ザインの焦ったような声がうるさい。
「問題でもあるわけ?」
「誰かが取ったらどうするんだ!」
「死にたい奴は死なしとけばいいでしょ」
「何を言うか。これならば、誰もが不死になれるのだろう」
「?」
第三者の声に見てみれば、国王が近づいてきていた。
「そんなものがあると本当に信じたんですか?」
言葉に、どうやら驚きが隠せない者達ばかり。
「毒を食らって生きてゆけるのならば、止めませんけど」
意味深に視線を追わせて、小父だったものに向けさせた。
「おま! 今これが不死の術の……」
「そんな効果があるとでも?」
目の前で、肉片に変わった父親を見たでしょう?
「――」
「では、何故初代エアリアスはこれを残したのか」
「――奴は、生きることに厭(あ)きていた。そして、本を一冊残した」
「……」
謎解きをするようなカイルの声に答えたのは、ラビリンスであった。
「奴と会ったことは数回だ。――そうだな、偶然が偶然を呼んだというか」
リールを見上げると、ただ黙って聞いていた。何の感情ですらない。――興味がないと言うことではないだろうが、あるわけでもない。
「最後にたった一つ頼まれたことは、自分の計画がどうなるか、見ていてほしいと言われたことだ」
『聖魔獣レピドライトが王ラビリンス。この島の住人がいなくなっても、あなたに被害はかかるまい。助言も援助も必要ない。ただ、ただこの先エアリアスを継ぐ者達と、この島の行く末を見ていてくれないか?』
「奴は、成功も失敗も望んではいなかった。――どちらでもよく、どちらも……」
「ふざけた事を言うな!」
まるで、これまでのこの家でして来た事は、まったく意味のないように聞こえる。
「リインガルドは島の人々を消し去りたいわけじゃない、助けたかったわけじゃない。――ただ、暇だったのだ」
ラビリンスの言葉は途切れない。
「人より長く生を過ごしていただけに、知恵も知識もあった」
「だったら、何で今になって……」
――何故、今になってそんなことを言う?
呆然と、父親の死よりも深刻な顔をしてザインは言う。
「幾人も死んだのに、ただの暇つぶしだった?」
フォトスはある意味あきれていた。これだけの事をしておきながら。……いや、もしかしたら、誰かの陰謀なんて、そんなものかもしれない。全てを手に入れることの出来た男は。
踊らされる自分たち、踊らすのは過去の事、初代エアリアス。全て筋書き。
「“不死”に踊らされた人間は――『人間よ、地を超え大地を荒らさぬよう。海に沈みて侵さぬよう。深き森は立ち入らず、近づくものは拒まれる』」
「『我等をこの場に定めんと、定めし者達人間よ、実は主らがこの土地に、縛られ捕まったと知らず』」
「ラーリ様、今はリインガルドの話です」
どうでもいいわ、思惑なんて。だって、キリング・タイムに人間は、聖魔獣を押さえ込んだと言ってはいるが、……どうしてわからないのかしら。それは、従ってくれているだけだと。
「いい加減で話をまとめたらどうだ? ここには人が多すぎる」
時々突っ込む傍観者。カイルがはっきりと意見した。
「……お前は誰だ」
はっきり言って、一番場違いなのはカイルとレランである。国王はこの何処か思い当たる節のある青年に、いぶかしむように問いかけたがカイルは無視した。
「不死の術だ」
ザインは話を戻した。
「この島は毒に侵されている」
次にリールが言葉をつむいだ。
「初代エアリアス」
カイルはどうやらこの初代に一番興味があるらしい。
「毒はもう平気なのか?」
ザインはリールに問いかける。
「知らない」
「は?」
「そんな一瞬で大地から毒が抜け出すならば、こんなことしなくてもいいでしょう?」
――確かに。
「言ったでしょ、『この計画にかけた時間を越える時間を使って、この地の毒を取り除く』――これは最初の作業であって、後は各島で育つ木と花を見ていくしかない。ラーリ様の力を借りたから、成長に問題が発生することはあまりないでしょう」
花は種も残さず消えた。私たちが知る大地の毒を正常に戻す作業の始まりは、ほとんど終了したと言って言い。
「後は木。この木は根をはり大きくなって、大地の奥深くまで。私たちが普段利用する地だけではなくて、水と木々と、植物と、根深く浸み込んだ大地の毒まで」
長い時間をとるだろう。
「この木の実は種じゃない」
青い木の実を握りつぶした。左手に滴る青い液。口に運んで舐めるのを、腕をカイルに捕まれ止められた。
「正常に戻しきれなかった毒を、再び大地に戻すこと」
それが、木の実の役目。
またその毒を木は取り込んで、正常に戻す。戻した毒は大地と混じり、正常な空気が地上と、水を見たし、大地に含まれる。
「木の実が実らなくなれば、自(おの)ずとこの木は枯れ消えゆく。――そのうち、ここに木があったことすら怪しくなる。それは、かなり先の話だから。死んだ後のことなんか知らない」
もし、この実を不死となるべく利用するならば――
「人々を苦しめた毒を取込んで死ぬ気ならば、さっきも言ったように止めないわ」
「不死にはなれないと?」
「ああなってもいいなら、試してみてはいかがですか? 国王陛下」
そう言って、実の一つを投げ渡した。
「……」
国王は、口に運ぶことすらしかったものの、そのまま懐に入れた。それを咎める者はいない。
「――いつになるかはわからないけど、確実にこの地の毒は無くなっていく。もう、人が死ぬことは無いでしょう」
「そうか」
ザインは父親だった肉片に近づいてひざをついた。
「――これで、五人か」
「四人でしょ」
それだけしかいないエアリアス家の人間。繁栄していた一族の者。ザインとシャスとローゼとウィアの親たちは、皆死んでいることなんて知っている。私たちの前の代は、崩れだした計画の中の環境では生きていけないんだから。――残っているのは子供と、若い人物。ザインですらまだ二十四なのだから。
――私が誰であるかは、私が決める。
ささっと出よう。もう、私がいる必要なんてない。
【動き出した歯車は止まらない。止まることを許されない。――なら、……壊せばいい】
――まだ、廻っている?
じゃり……
地と砂を踏んで歩く音がする。
「ここまで来て、勝手に行こうとするな」
「邪魔」
どこかに歩き去るリールに、リンザインが邪魔をした。
「何時までここにいる気? このままだとローゼもウィアもここに来てしまうけど?」
あの肉片を見せたいなら話は別だけど。
「……」
今すぐにこの場から立ち去る気のリールの言葉に、リンザインは黙った。
テクテク……
何も言わない男をおいて、リールは歩いた。
歩き去るリールについていったのはカイルとレランで、それからリンザインとフォトスが追った。国王は、一度エアゾールを見下ろして、木に近づいたが、そのまま城に向かった。
「……もうすぐ」
その時が。動き出す。
『その時が来たら、我の手足となって働け――』
「お主は、我を怨むか――?」
――あと、一匹。
もう、時間が無い。それだけに、切実だった。どうする?もう、すぐだ。今か今かと願った時が来ることに、問題はない。だが……
「――少し、介入しすぎたか……」
あとは受け入れるだけだ。ただ、ただ一つ――
「……今更か」
願わくは……いや、――大丈夫か。
一人じゃない少女を見て。
「願わくは、いつか」
心に平穏が訪れることを。
ただ一人ラビリンスが、空を仰いで飛び立った。
「おいっ! ちょっと待て!!」
早足で海に向かうリールに、走って追い抜いたリンザインが前に立った。
「……」
「――何処に行く気だ」
「さっき国王が言ったでしょう?私は、ここにいるはずの無い者」
「よくまあ引っ掻き回しといてそんな事が言えるな」
「それは、あっちに言って」
睨んだ視線は第二王子だった。
こっちに来て険悪なリールの態度、行動が、一番きついのはこの第二王子な気がしていたのは、案外外れてはいないらしい。
「――とにかく、出航は明日にしろ」
「どうにか同情を誘って、私にこの島にいるようにさせようとでも?」
「っ! ……そうじゃない!」
「……ふぅん……」
まったく相手にする気のないリールは、投げやりだった。
「……」
レランは安心していた。もしこれでこの島に居座られてみろ、いったい何時エルディスに帰れることか。
「……ん?」
カイルは、いまだに言い争っているリールともう一人エアリアス家の人間の後ろの空から、何かが近づいてきているのを見た。
それは、他の島に行っていたエアリアス家の人間と、レピドライトだった。
「リディィーー!」
「は?」
どしゃぁ!!
叫び声に反応すると同時に、リールの上に落ちてきたアンダーニーファ。
「ねぇリディ! あのねあのねぇ! 思い出したの!! 『塔の中のリディ』だ!」
「……どけ」
いくら受身とかいろいろ知ってはいても無理でしょうが。
リールはアンダーニーファを抱きとめるように地面に仰向けに倒れた。
まったく相手にしていない低い声に、驚いたのはアンダーニーファだ。
「……ふぇ……」
目に涙が浮かんできている。
「ほら」
後ろから、リンザインが抱き上げる。
「~~ひっ……」
「いきなり飛び降りれば、誰だって怒るぞ」
「だって……だってぇ……」
本格的に泣き出しそうなアンダーニーファ。リールは大きくため息をついた。
アンダーニーファを乗せていたレピドライトがおろおろする中、ローゼリアリマが地に下りたのを確認して声をかけた。
「ありがとう。ラーリ様によろしく」
声に礼を返した幾匹ものレピドライトは空に消えた。
「………」
ゆっくりと息を吐いた。ほとんどため息に近かったけど。
「いらっしゃいウィア」
ザインから受け取って、抱き上げた。
「ひっ……ひっく……ぇ……」
小さく泣き出したアンダーニーファ。
「よしよし、悪かったから……」
――私が、ここにいることですら。
「だって、だって、リディだよ、塔の中のリディだよ」
涙声で必死に言う。
「……ひっく……小父様が、……ひっ……」
「?」
いったい、何を吹き込んだのか――
「死に掛けてる奴は全部まわすって……ぇっく……」
「ああ」
島の住民の診察の話?
「皆ひどいの……ぐすっ……死を運ぶ女だって言うのよ……」
「そう」
まぁ、事実であるかもしれないし、そうでないかもしれないし。
「一度……入ったのに……」
「……どこに?」
「リディが、夜に……」
「うん?」
「助けることが出来なかった日に、夢にうなされて“行かないで”って……」
「お黙り」
「! ……ひっ……ぁあ~~ん!!」
ピシャリと言い放たれた声――恐ろしいのか、それとも邪魔者扱いなのが悲しいのか。ひどく驚いた顔をしたアンダーニーファは、それでもリールにしがみ付いて本格的に泣き出した。
「……」
――何? 足止め?
泣き出したアンダーニーファがしがみ付いているのが、泣き出させた張本人で、今も冷めた目で見下ろしている。
「おーいい! どうなった――?」
空からまったく状況がよめていないシャジャスティの声が、明るく響いた。
いくらついても尽きないため息をついて、リールは歩き出した。かつての家へと向かって。
――どうしろってのよ。しがみ付いたまま泣き疲れて眠っちゃうし。部屋につれてって引き剥がすのがどれだけ大変だったと思ってるわけ。
バン!
荒々しくアンダーニーファの部屋のドアを閉じた。正面に立っていた人物から目を逸らして。しかし、何も見ない振りはさせてくれないらしい。
「リーディ」
「なんだって、余計な事をしてくれたの」
「――人が言うほど、悪巧みをしているとは思えなかった」
「何よそれ」
「あの塔の中で、毒を撒くのではなく取り除くために薬を作っていると。それは毒薬ではないと、どうにかして証明したかった」
「で?」
「だから、あの時……」
「そして私はこの島を追われた。――他に何かある?」
「それは……」
フォトスは言葉に詰まった。
「……えっっと……お茶でもいりませんか?」
「そうだな」
必死にカイルに話しかけるローゼリアリマ。この家の中で全員が集まるといえばこの部屋! で、ソファに勝手に腰掛けたカイルに。――何故か?それはリールが一言、ちょっとここで待っててと言ったからに他ならないだろう。
リンザインは一度執務室に行くと言い、フォトスはいない。シャジャスティはソファに座ってあぐらをかいている。レランはまたカイルの後ろに立っていた。沈黙に耐えかねたのはローゼリアリマで、一応客らしき? カイルに声をかけて、お茶を入れるべく部屋を出た。
「――物好きだね」
何処か嘲笑するように、シャジャスティが声をかけた。
「それはお前たちだろう」
あっさりと言い返したカイル。少年は黙った。
――“待ってて”――
言葉が何度も反芻する。
――まったく。
「これか、」
父親の執務室。目の前で崩れ去る親に対して、およそ感情と言うものが欠落しているだろう息子が、本棚を荒らして探し出した物。――……一冊の本とは違う。それはエアゾールの計画の実行記録――そして、もう一つ。
「――知っているさ」
簡単に受け入れるはずもない。ただひたすらに拒み続ける女。
「まさか、こちらが何の手も打たないと思っているのか?」
「ねぇ、ジオラス――グラジオラス。いったい、貴方はなんなの」
「……久しぶりだな」
「……」
「もう、兄上とお前以外は、その名で呼ぶものはいない」
「セイネル様は、なぜ?」
「さぁ? お前の方が詳しいだろう?」
「大方小父上が薬の調合を間違えたか、……そうね、むしろ――」
国王(親)と違って聡い王子は、貪欲なエアリアス家当主に不信感を抱いたんでしょうね。――計画に支障をきたす者は、排除を。それがこの地位を作った仕掛け。
二人の王女様たちは、想定外。まったくの不意打ち。だからかどうかは知らないけれど、助からなかった。――それによって……
「――変わったな」
「?」
「ここ(シャフィアラ)は、まるで置いていかれたように静かだ」
「……学んだ?」
「お前の本は役に立ったよ。………二度と読みたいとも思わない」
「止めにきたの?」
「そのつもりだったけど」
「……」
「――ここに、いないか?」
「嫌」
「……即答だな」
「他に答えないから」
「あの頃とは違う。――今なら、もっとうまく出来る」
ただ騒ぐだけの、子どもではなくて。
「必要ないでしょ」
「自分のしていることが、全て批判されてもか。
「――本当に、私がこの国を救おうとして行動していたとでも?」
「おま! おい!」
リールは歩き去った。
「待てって……」
ただ、何かを目的に自身を削る姿を見ていて、助けたかっただけだった。すべての人に否定され続けるのを、見ていられなかった。
結果少女は国を追われ、生死も安否も不明なままで。どうにか見つけ出したくて、一つの情報の頼りに行動して。
「どこに行くんだ?」
唯一つの目的で、道を進むその先は?
誰も見ていない。
リーディは、誰も見ていない。
全ての人が、彼女を気にも留めてない。
大きな声で、名を呼んで、腕をつかんだその時に、後悔したと言ったら信じてくれるか?
「会いたかったよ」
死んではいないと信じられても、戻ってくるとは思えなかった。
あの時の俺は無知であり、とても小さな存在で、一人じゃ何も出来なかったから。――それでも、知っているつもりなんだ、何をしたいのか。
なぁ、リーディ。俺は、たぶん――いや、“絶対”か……
部屋の扉が開いたから、違うと思いつつ視線を向けてみれば、そこにはシャフィアラの第二王子が立っていた。
(……なんなんだ……?)
顔が引きつるのをどうにか抑えつつ、入った瞬間から感じるともすれば飲み込まれそうな殺気の含まれている気がする視線をビシビシと感じる。
年上、と言えば年上なのだろう青年の視線に、負けじと顔を上げて睨み返した。
(……物好きが増えた……)
どうしてこうも、リーはどこか尋常(じんじょう)じゃない奴らに気に入られるのか。
(……本人が尋常じゃないからか!!)
この場に本人がいたら真っ先に窓から落とされそうな考え。やっと納得のいく理由が出来たシャジャスティは、晴れ晴れとした顔で睨みあう二人を見ることが出来た。
カツンカツンカツン
人気のない道を歩いていた。
いや、人気のない道を選んで歩いていた。
今でこそこの邸に人間は少ないが、昔はそれこそ溢れかえっていた。一族の繁栄を謀るために。優秀な血族を残すために。
そんな邸の中を、誰にも見つからず帰るには――
ピタ!
――どこに、帰るというのだろう。
自然向いていた塔の部屋への道。リールはなんとも言えず笑って、身体の向きを変えた。
いまだに、部屋の中では争いが起こっていた。お茶だけ出してお菓子を用意し忘れたローゼリアリマが帰ってきて、一瞬で固まってしまったようだ。部屋の扉を開けたところで、とりあえず持っている皿は落とさない。
(王子……)
たぶん王子より年下。あの小娘より会話と扱いから考えても年下だとしか考えられないシャフィアラの王子に、いつまで明らかに友好的とは言えない視線を送り続けるのだろうか。
いや、たぶん……
することもなく暇なのかもしれない。
「……」
自分で考え付いた結論に、それこそ本当にたちが悪いとレランは思った。
(なんなんだよ……)
この男。リーディと一緒にいた男。それだけでも友好的に接するのは無理そうだと言うのに。あの時、確実に場違いだとしか思えない雰囲気。それをぶち壊した自分。
的に回さないほうがいいというのは、本当の事なんだろう。が、かといって友好に接する必要はないだろうし、無理だ。
「……」
視線が自分に集中していくのがわかる。
さて、いつまでこのままでいるか。
「?」
――ローゼ?
扉を開けたまま固まっているローゼリアリマが見える。何事かと考えてみると、原因は一つか。と、納得してしまった。
「何やってるのよ」
皿の上に乗っていた焼き菓子の一つを口に入れて、リールは険悪な雰囲気の原因に問いかけた。
「暇だ」
「でしょうねぇ」
何事もなかったようにおそらく冷め切ったお茶に、カイルは手を伸ばした。
「で、リー」
「何よシャス」
「誰?」
行儀悪くあぐらをかいているシャジャスティは一番の部外者の正体を知りたがった。
「……」
はじめて、リールは考え込んだ。
「おい……」
さて何でここにこいつがいるのだろうか。そう言いたげな顔で首を傾げるリールに、カイルは軽く睨みつけた。
「そうねぇ……」
「リディロル! ここに署名しろ!」
答えが出るまではまだ時間がかかりそうな頃、また焼き菓子に手を伸ばしたリールの後ろで、唐突に扉が開いた。
「はぁ?」
目の前にやって来て書類を突きつけるリンザインに、リールは何よあんたと言いたげに目を細めた。
「――……」
そして、書類の文字を目で追って、また表情が消えた。冷たい目でゆっくりと、書類を越えてリンザインを睨んだ。
「ふざけてるわね」
「そうか」
「――そのために私にここにいろと!!」
「そうだ」
見る見るリールが怒りを表す。立ち上がってリンザインを睨みつけるが、同じように睨まれている。
バチバチと火花が見えそうな空気の中、ローゼリアリマはおたおたとうろたえ、シャジャスティはぇ? と意表を突かれたように固まっていた。
「いったいなんだ」
「――なんでもない」
「なんでもなければ怒る必要はない」
「……それはそうね」
「で、なんだ」
「~~……この馬鹿が私に当主になれといっているのよ」
「なぜ」
「知らない」
「なぜだ?」
カイルは、リンザインに問いかけた。
「お前は……誰だ? ――部外者は黙ってろ」
リンザインは気にかける必要はないと判断した。
「お前とは、関係がないがな」
「……」
確かに、カイルとリンザインの間では何の接点もない。
「~……行こう」
時間の無駄だと言うように、リールは歩き出した。
「ちょっと待て!」
「待つ理由がないわ! 大体! あんたが当主になればいいでしょう!!」
「――自分の事はよくわかっているだろう」
――名前。
「うるさい」
何かを拒むように怒り続けるリールは、制止の声を聞くことなく部屋を後にした。
何もかもが曖昧(あいまい)だった。何もかもを誤魔化して。否定して、拒んで、立ち去った。……逃げた?
「……誰が、」
何から、逃げるというのだろう。ドコから、誰から?
バァン!
乱暴に壁を蹴り飛ばし、塔へ続く道を現した。
「~~」
イライラする。ここでは。そもそも、誰かと係わったのが問題で。そして、
「大変だな」
同じように壁の穴を越えてきたカイルが言う。
「……」
振り返ってみてみれば、もう慣れたとしか言いようのない二人。――これで三人。
「――何処へ行く、何をする」
「ニクロケイルへ」
簡潔な言葉に、カイルはもう何も言わない。……知っているからか、わかっているからか。気に留めていないのか、気にかけているのか。だからこそ、何も言わないのか。
聞いてほしくない事、問い詰めてほしくない事。知っているようで何も知らない。それでもいいような気がしているのは、なぜだろうか。
「お届け物よ」
――どうやら、まだ続くらしい。
「だ、からあの女ぁ!!」
「しょーがないって。どう頑張ってもリーは当主にはならないっての」
「リザイン、なんで?」
初めから無理だといいたげな二人の批判の声に、リンザインは言った。
「それは知っている。――まさか、あれだけで終わりだと思っているのか?」
「え゛?」
「どうして、そこまで?」
リロディルクを当主にしたいの?
「お前たちは、知らないのか」
「?」
「私たちは、何も聞かされない。知らされない。だって、ただ一族の人間ってだけだから」
認められるのは、ほんの一握り。
ローゼリアリマの声が響いた。
「リーディルは、どうして、――あんなにも人々に批判されていたの?」
「使ってはいけない術について研究していたからさ」
「なんで、そんな研究を?」
「簡単さ。人と違う明らかに異質な事をしている人間には、責任を押し付けやすいだろう」
「それって、」
どういう意味?
「?」
わけがわからない。知りたいと思った事が、ないわけじゃない。
「もう、知っている者もほとんどいない。あれだって、昔からあんなに、」
突き放すような性格だったわけじゃない。
「何が、あった」
「知らないほうがいいですよ、フォトス・グラジオラス・シャフィアラ様――第二王子様。俺たち一族が、いかに汚いかって話ですから」
もう、十分お聞きになったでしょう。
「これ以上深みにはまられるのは止めたほうがいい。――抜け出せなくなりますよ」
――俺と、リロディルクのように。
知りたがる二人にも、黙ってもらった。知る必要はないし、知ってしまえば、ローゼリアなど自殺するかもしれない。
暗い、暗い深い一族の歴史。浸る優越感、おごり。生かしてやっている。思い通りになる。
全ての根底にあるのは、生きるということに飽きた、人間の歪み――
わかっているか、俺より深みにはまっていると……
「いったい、お前の呼び名はなんなんだ?」
塔から来た道を戻りながら、苛立ちを現すリールになんてことなくカイルは問いだした。興味深い事柄は特に多かった。
「昔の名前?」
「それは聞いた」
「ああ、よび方」
「他にないな」
「エアリアス・リーグラレル・リロディルク――ここまでいい?」
「聞き飽きた」
「……そうね、本名を名乗るのは、エアリアス家の中で当主だけ。言ってしまえば、当主の名前だけがあればいい」
「そのわりには仰々(ぎょうぎょう)しい名前が付いているものだな」
「そんなの、お互い様でしょ」
いつ、当主になってもいいように。――もちろん、誰でもと言うわけではないけど。
「当主以外の者は真名を名乗ってはいけない。だから、皆一様に簡略、もしくは短くして呼ぶ。――ようは、通じればいいもの」
「――へぇ、じゃ、お前だけ大量に呼び名を持っているのは?」
「……」
五人が五人とも違う呼び名を使っている。
「――……それが“私”だと思われないためでしょ」
「……」
さて、“誰”に聞かれて、困ると言うのか……
グラジスはリーディだった。ザインはリディロル。シャスはリーで、ローゼはリーディル。ウィアはリディ。小父はそのままリロディク。真名に近いよび方。……他にもあると言ったら、どうなるのかしら。
こんなにもたくさんの呼び名がある理由の一つには、真名を極力意識させないため。自分の名を人にも意識させないためでもあった……特に、ザインと同じく引継ぎを受けた私の名前は――
――お前の名を剥奪する――
二度と、名乗ることは許さない、許されない。
「お前は誰だ」
またも問いだしたレランに、振り返って言ってやった。
「エアリー・リール、他にある?」
「……」
黙ったレランに視線を向けて、可笑しそうにカイルが言う。
「偽名だろ」
「人のこと言えんの?」
「そうだな」
「……」
よくよく考えてみるとだ、二人とも偽名を使っている。呆れて何も言えなくなってしまったレランだった。
止まった足を進ませて、三人分の足音が、暗く狭い通路に響く。
「……」
――向かう先は?
はたと気づいて、笑ってしまった。――今更、ここに、何の用があると言うのだろう。
出口の先の薬棚を見向きもせずに、上がった階段。掃除された部屋、持ち込まれた毛布。ここに一日中。呼び出しと、検診の命令を受けるまでずっと。本を読み漁り、薬を作って。
ここで、ここで――
「――行こう」
もう用はない、ここにも、この島にも。
(どこに行ってもこんな感じだろう……)
セイジュに向かって剣を振り下ろしていた日々がずいぶんと昔の用だ……。
(いつ帰れることか……)
ある意味で、レランの願いは切実だ。――さて、何年後?
「行っちゃうね」
ぽつりと、シャスが言う。
「――どうして、帰って来たのかな?」
ローゼがもっともな発言をする。
「今でないいつかには、帰ってくるとは思っていたが」
「そうなの!?」
「それ本当?」
「絶対にな……しかし、ずいぶんと派手に登場したものだ」
「「……」」
派手? というより……
「「――」」
本人に聞こえるなんて考えられもしないのに、二人は言葉を飲み込んだ。
だって、ほら、いつ現れるかわかんないもの。
「……」
レランは、あきれていた。というか、言葉を飲み込んだ。
行き先は、と問うカイルにリールは言う。最初の島へ、と。だが、
「……おい……」
「何?」
「何を、強奪している……」
「船?」
疑問系なのは、他にも奪っていく物があるからだろう小娘。海の見える森の中小さな小屋に入っていた。置いてあった中から、特別何かを必要としていないにも関わらず、棚の中をかき回す。
――必要は、なかったはずだ。来た時の船がまだつながれているはず。海近くの小屋の中をあさっていた。
「いいのよ、これはリアス家の小屋だから」
「……」
なにかあったな。――自分のものは自分のもので、他人のものも自分のものという……
「おっ」
同じく棚の中身を荒らしていたカイルが驚いて声をあげる。
「壊さないでよ」
すかさずリールが突っ込んだ。
棚から落ちた瓶を受け止めて、カイルは言った。
「もらうぞ」
「……」
リールは振り返って、カイルの手の中に納まった瓶を見た。そのラベルにつづってある文字を眺めて、――少し、意外そうに言った。
「……読めるの?」
「なんとなくな」
「……」
――まぁ、さすがと言うか。それだけの教育を受けてきた者というか。それでも、違う言語をこの短期間で理解していっている事は、事実?
キリング・タイムの時に、四の王の前で使われた共通の言葉。その後大陸で独自の言葉を展開させた国。共通語以前のその国の言葉も教える国。この世界――ウェレンシアは、全ての人々が同じ言葉を話せるようになっていた。人の言葉と、聖魔獣の言葉。そして、共通の言葉。――いつかまた、聖魔獣と人が仲違(なかたが)えた時、力なき人々は力を合わせられるように。
それは、警戒とも言う。
シャフィアラも、独自の言葉を作った時があった。しかし、それは多くの人には受け入れられず、今でも、共通語が主流である。――すでに、あるものに依存する。発展を遂げようともしない、何か新しいものを生み出そうともしない。まるで、「死の島」と呼ばれていたあの頃の名残のようだ。
初代エアリアス――リインガルドは、その言葉とキリング・タイム以前の古語を使って、独自に言葉を書いた。――まるで暗号。それが、一つの言語であるかのように。
「……」
勝手に懐に瓶がしまわれていくのを、リールは眺めていた。
――ま、いっか。
「おい」
またもレランが突っ込んできたいらしい。ってかしつこくない?
「なに?」
「ここにあるものは問題ないんだろうな」
「……」
“問題”? ……ぁあ! まさか劇薬じゃないかと……
「違う。中身は、」
「書いてあるとおりよ。ここは、外での補充をするための場所で、一定の期間で整理点検補充をさせているから。――いくらどんなに暇がなくても、あの家が燃えてしまったらどうするのか。って言ったら、真面目にやってるみたい」
全ての薬を、あの場所にまとめておくのが、一番安全かもしれなくても。もし、あの家に何かあったらどうするのか。
「それに、外に行くときは家まで帰るのが面倒」
それに、
「島人は、この小屋に気がつかないし、気がついても勝手に取って行くような命知らずじゃないわ」
――使えるはずないでしょ? ない知識で。
「――あれは、なんだ」
「本人に聞けば?」
知識として古語は習っていても、それを応用した上で他の言語と混ぜられてしまえば、レランには解読できない。
――まぁ、カイルが思っているのが本当かわかんないけど。
あっさりと、リールは怖い事を考えた。身も蓋もない。
「――食料は?」
地下にいたカイルが問う。
「ここじゃなくていい」
「……」
――その言葉。つまり、まだどこか行くのか?
結局これといった物は手に取らず、小娘は小屋を出た。
「で、」
「で?」
「どこに帰る気だ?」
「行くのは、最初の島」
「十三の島か」
「そうね」
ふと楽しそうに笑ったリールにレランは寒気を感じた。
思い出してしまった。この二人、一緒にするとろくな事にならない。
船がゆれている。波が暴れる。早い流れの海流に乗って、目的の島がもう見えてる。――ここまで来て、ゆっくり振り返った。背においてきた王都島。見えない。
「……」
――よかった?
暗くなってゆく。まるで何かを映したように。
そう、雨が降る……
「~~~」
バシャバシャと、激しく泥水が跳ねる。それに負けることのない雨音。――むしろ、雷のならない事のほうが不思議なぐらいの豪雨(ごうう)。
木の葉に雨が叩きつけられ、さらに色は緑を濃くする。形をつたって、地面へ、幹へ、水が流れ落ちていく。水溜りはさらに深く。虫と動物は影も形もいない。何羽か、この雨の中鳥が飛び立った。
雨のカーテンがかかって、よく見えない上に、髪から滴った雨水と、顔に向かって叩きつける雨で前が見えない。
「……すごいな」
片手を目の雨よけにしながら、カイルが言った。
「……」
「~!」
丁度いい雨宿りの場が見つからない。木々は所々枯れていたり、葉から落ちた水が降ってきたり。
すでに、三人とも雨具の意味がない。どうせこのままいても濡れるだけだから、当てがあるなら先に進めと言うカイルの都合で、三人は土砂降りの中早足で進んでいた。
「――雨が、降るなんて……」
知らない。
「雨?」
カイルが言った。それは違うと言わんばかりに――
まるで、天候ですら自分のものかのようである小娘の言い分。そして、この雨をむしろ楽しんでいるような主の言葉。
とりあえず、どこでもいいが雨をしのげる場所は?
「――あそこよ」
雨でかすむ視界の中、遠くに灯りがいくつか見えた。
よくもまぁ雨の中、この島までたどり着いたものよね。
「――へぇ」
唐突に、視界が開けた。うっとうしかった森は切り取ったようにない。地には芝が所々に植えつけられている。同じ感覚で作られた窓。二階建て。上には三階となるように三角の塔が窓の数の半分はあり、ついている窓は他と違い真四角だった。本当にいくつかしか灯りのついていない館は、――そう、シャフィアラの雰囲気の中で一番“今”に近かった。
「走るわよ」
「……」
「なっ?」
今更走り急ぐ事に意味は見出せないが、すでに走り出したリールに言葉は届かない。
「……」
激しい雨に打たれる中進む森。道なき道のようで、足取りはしっかりとしていた小娘。
(ここは……)
シャフィアラの人が住む島の中で、島人の数が最低の島――
雨によって光は見えても、それを人の姿が遮っている。走り出した小娘と、追う主。
「……」
――当然のように出遅れたレランは、しばし、一人豪雨に打たれていた。
走りながら。思い服がまとわりつく、難なく隣にいるカイルと……うん。
近づいてくる入り口。周りを囲む塀は必要ない。だって、この島は森が壁となって人を遮るから。それに、シャフィアラの人々は自分達の住む島から外に出る事はまったくない。
「――」
もう一度、隣を見てから、さらに走った。
周りを囲う塀もない。ただ、少しだけ小高くなった場所見た目とはそうからない五階建ての館。尖った青い屋根に、窓に雨が流れている。窓はくもっていたりカーテンがかかっていて、中で火がゆれているのがかろうじて見えるくらいだ。入り口の横には、この雨にまけないと火が風と戦っている。――森から見えた、あの灯。まるで、いつ帰ってきてもここがわかるようにとの目印。
先を行くリールが、もう入り口に着きそうだった。さらに足が速くなっている。
と、
ドガァーーン!
「アズラルーー!!」
リールは勢いをつけたまま、扉を蹴り飛ばした。
「「……」」
追いついたらしいレランが、ため息をついたのがなぜか、この豪雨の中でもわかった。
ぽたぽたと雫が落ちる。床をぬらす雨水を歯牙にもかけず、顔に張り付いた髪を払うリール。
しーーん
館の中は、静かで、光溢(あふ)れていた。――まぁ、この暗い豪雨からくれば溢れていると表現したくもなる。
花瓶に花が飾ってあり、反対には絵がかかっている。ただし、石の床に雨水が広いっている。カイルに続いて入ってきたレランが、怪訝そうに……いや、何か納得したように脱力していた。
「アーーズーラールーー?」
また、リールが誰かを呼んでいる。――誰だ?
「……」
上がっている息を整える。明るく照らされた広い入り口。真ん中の階段は途中で二つに分かれ、左右にはいくつか扉が見える。
と、ばたばたと走る音がした。
「――リーディール様!?」
リールの顔を見て驚いた侍女らしき女は、そのまま嬉しそうにリールに近づいた。
「お久しぶりですわ! でも、どうして……」
「ずいぶんと派手に暴れてきたそうだな」
左の階段上、濃い赤色をした髪の男が出てくる。そして階段を降りる。
「――?」
一言で表すなら―――狐か? 何をしても食えない男でありそうな男が……歳だけ見れば三十はいってそうだった。
「……」
“暴れた”? ……そのことに関しては流す。
無言で出てきた男を睨んだリール。先に来た侍女が頭を下げるのと、なんだかこの偉そうな態度。どうやらこの館の主らしい。階段を降りきって男はリールの正面に立って言った。
「――それで、わざわざここに立ち寄った理由は?」
「食事」
きっぱり。
そうとしか言えないくらい綺麗に通ったリールの声に、この館の主らしき男は引きついた。
最初の女がぱたぱたと、そのまま廊下を走ってゆく。――向かう先が調理場だと思えるのは、なぜだろうか?
「……いいだろう」
唐突に、頭を抑えていた片手を離して男が言う。
「その前に、着替えるんだな」
一瞬嫌そうな顔をしたリールも、すぐに言った。
「あっちも」
すでに男に近いほうに歩いていたリールは、こっちを指で指し示した。
「……」
アズラルと呼ばれた男が目を見張るのと同時に、
「リーディール様!」
最初に見た女と、同じ顔の女が現れた。
「どうぞ湯のほうに!」
そう言って、大きな浴布を渡した後、俺達のほうを向いて言う。
「えっっと……?」
「任せるわ、ユア」
ここは平気だと目配せをしたあと、かって知ったる自分の家と言わんばかりに、さっさとリールは歩き出した。
「リーディール様ですか?」
「リーディールね……」
「――ぁあ! そうでしたわ。ここの者は皆そう呼びますわ」
ユアと名乗った双子の片割れは、開閉一番女湯は反対の建物になりますが覗きに行きますか? と言って館の主にあとで毒でも盛られない程度になと言われ何事もなかったかのようにリールが歩き去った反対の建物に案内した。
最初の女は双子の姉で、名をセナというらしい。
あるものはどうぞご自由にお使いくださいといって、湯のある部屋に置き去りにされた。
あの小娘の知り合いだからこそと余計に警戒するレランを無視して、勝手に湯に入った。ついでに言うならいつまでびしょ濡れでいる気だと聞くと、三回目でようやくレランも湯に入った。
少し経つと奉公人らしき少年がやって来て、服をいくつか用意したのでお好きなのを着て下さいと言って出て行った。いくつか質問したが、あまり満足のいく答えは得られなかった。
とりあえずここは、シャフィアラでエアリアス家の次に地位の高い家柄だそうだ。ついでに言うならいわゆる貴族や名家というのは、この島にはこの二家しかないそうだ。
「――まったく、いつまで寄り道をすることか……」
嘆(なげ)くようなレランの言葉は、聞かなかったことにした。
「本当にお会いできるなんて思いもしませんでしたわ。まさかあんな事になるなんて思いもいたしませんでしたもの」
「……」
――あんな事、ね。
「でもでも! 絶対に帰ってきてもらわなければならなかったですし!」
「……」
「――? どうかなさいまして?」
「いや……ずいぶんと、無防備だな」
カイルは剣を挿したままだし、レランにいたってはあのでかい剣を背に背負ったまま。知り合いであろうリールならともかく、俺は何も接点がない。
「……? ……気にしませんわよ。――むしろ、リーディール様が人を連れてきた事のほうが以外ですから」
「……」
いったい、どこまでやったら島人にこんな扱いされるんだ?
「……」
「……」
「……」
気まずいのは、その場にいた女達と給仕だろう。
館の主の座る席と、三席ある客席。主の席は埋まっている。そして、客席は一つしか埋まっていなかった。――カイルの後ろにレランが立っていて、席に座らないから。一度カイルが座るように言ったが、意味がない。すでに席に着いている男のほうはまるで気にせず、席を勧めたのもユアという女だ。
「「「……」」」
お互いがお互いを干渉しない沈黙が、どれくらい経ったのだろうか。そんなに長い時間ではない。
「~~アズラル!!」
ドガンと、扉がゆれた。――そう、普段なら着もしないような赤い服を着た――?
エルディスの感覚で言うならば、それを服と呼ぶかドレスと呼ぶかは悩むところだ。
胸元は広く開いている。肩の部分はなく肌がそのまま出ている。二の腕から手首にかけて、だんだんと袖は広がって、手首の部分でひらひらとゆれている。身体のラインに合うようにつながった服の裾は短く、腰から下の左側のスカートは紐で編んであった。その編みこみはひざ上で結ばれて、足が見える。――そう、茶色いひざ下までを覆うブーツが。
首にかかっているものは変わりなく、他に装飾品はなかった。
「――何あれ」
怒りのままこちらを見て少し嫌そうに顔に手を当てたあと、長いテーブルの一番奥に座る男に声をかけた。
「見たままだろう?」
「あれだけ着ろと!?」
「問題はないだろう」
「あるわ!」
「ひどいなぁリーディール――ぁあ、あとで採寸をするから」
「まだ作る気……」
「――そう、その服も……」
「?」
「思ったより成長してる……?」
ガン!
「うるさいわね!!」
視線の先が胸元に行っているとわかった途端、リールは目の前にあったナイフを投げつけた。投げつけられた先は簡単によけて、ナイフは壁に刺さった。
「……」
話が見えない。すでにレランなど目をつぶって事の成り行きを見ることですらやめていた。
「さあさあリーディール様! とりあえずお食事にいたしましょう!」
セナが言う。
「そうですわ! アズラル様を窓から落とすならあとからでも出来ますし」
ユアが提案する。
「……手伝って」
リールは答えた。
「「喜んで!」」
「……」
さすがに、女三人に見放されたらしき男は黙した。
どうやらリールの席だった所からなくなったナイフは、すぐに新しい物がやって来た。
「あれ?」
「お久しぶりです」
にこやかに給仕を務める男と、――いや、この館の者は皆知り合いらしく、誰もが挨拶をしている。……ついでに言うなら明らかに置いてある皿の数が違うあたりもよくわかっていると言えるだろう。
しかし、出てきたのは館の主と双子の女性とさっきの少年と給仕と老人だ。
「ん~~おいしい!」
「「「……」」」
さっきまで、怒り狂っていたのは? 嘘のようにおとなしく……いつものように皿を空にしていくリール。
「――食べたら?」
と、レランに声をかけた。
「……」
「……」
違う意味で男二人が黙った。
「リーディール様!」
料理長らしき男がやって来つつ料理を置いた。
「ん~おいしそう!」
「お久しぶりです。いらしたとお聞きして、前に喜んでいただいた物を作らせていただきました」
「いったっだきまーす!」
とりあえず食べるのが先らしく、男の挨拶に食事の挨拶で返したリールはナイフとフォークを握りなおした。
「……」
絶句しているのはレランぐらいで、その場にいた全員は流した。
「おいしい! ――変わってないわね」
「それは光栄です。……ですが、これでも修行はしてますよ?」
「――落ちてないけど」
「それはよかった。アズラル様はあまり食について感心がないので……」
「どういう意味だね?」
嘆くように視線を向かわされた男は言ったが、流されて終わった。
「そりゃぁもう、新作を作ってもただ皿が空になるだけ……」
「期待するだけ無駄でしょ?」
「貴女が食べに来ていた頃がどんなによかったことか……」
「おいしいわよ」
リールはメインの肉料理を食べながら、同じようにメインであるだろう魚にフォークを指している。
「……」
――ちょっと待て。何も言わずにメインが二種類出てきた理由を聞いてみたいところだが?
「――そうだ。リーディル、なぜ宝石に手をつけない」
今までの事も目の前の事もまったく気にせず、むしろ、何事もなかったかのように男が声をかける。
「邪魔だから」
「……それは?」
即答したリールにではそれはなんだと男は言いたげに、首もとに視線を送る。
「……」
黙ったリールに、今度こそ楽しそうに男は笑う。なんだコイツ。
――思う。主と、この館の主には、おそらく唯一つ共通点がありそうだ。
極力関わらないように勤めながら、レランは黙って食を進めた。
「……」
黙ったリールが、さらに手を止めた。――おい、ちょっと待て、そこまで考える事か?
不愉快そうにカイルがリールを睨んでいると、今度は男も視線を変えた。
「――」
「――?」
「……」
「――で、」
「何?」
「誰だ?」
至極もっともな質問を、アズラルはリールに言う。――つまり、一緒にいる男。カイルは誰か、と。
「……」
またも、リールは考え込んだ。そして、
「建前なら止めとけば」
――どうやら、唯一の共通点(リールの知り合いであるというだけ)以外は、すべての説明を放棄された。
「「「……」」」
やっぱり、男三人が絶句する中、リールは一人食べ続けていた。
明らかに出てくる皿の数が違うのに、去っていく数もまた多い……――もう、誰も突っ込む気にもならないらしい。
それだけ、日常の光景?
「そうだ、リーディール」
「……何?」
多い男の問いかけに、新しい料理を一通り口にしたあと、かったるそうにリールは言った。
「あとで旅用の服の新しいのを用意するから」
「またぁ?」
「さっきまで着ていたもの。あれは確かにいい生地ではあるが! それだけで行動性がない!!」
「……」
「色合いはそう、もっと濃くてもいいかもだろう。今度はあえてはじめからズボンで行くか……」
勝手に一人で言い出した男を、無視してリールはフォークを取って、止まった。
「……被服師。シャフィアラの王家の」
「……」
これが?
目の前の男を見たカイルの視線の意図を汲み取って、リールは頷いた。
「もっと動きやすさを出していくとするか……」
まだ言ってる。
「専職は式服」
「……それはまた」
人は見かけによらない。
「仕事しろよ仕事――」
いい加減で明日のために何着服を作るきかわからない男に、リールはぼやいた。
「――そういえば、何かあったな」
「忘れてるのかよ……」
うしろに控えていた給仕をしていた男、秘書件仕事管理を任されているイーザスが言う。
「王妃様が、ドレスを一着御所望ですが」
「出た、無駄浪費王妃」
リールは言い放った。
「――確か色は赤とかいっていたな、似合いもしないのに」
「確かにねぇ」
浪費癖が激しく、いったん来たドレスに再び袖を通す事はないと言われている王妃を思いだす。――しぜん、胸元の石を握ったのは、宝石もほしがる王妃を思い出してだ。
「昔作った処分品中から適当にそれらしい色を包んで運んどけ」
「……」
「――あんた、首になるわよ?」
ちゃかしてリールが言う。
「どうせばれやしない」
やれやれと息をついたリールが、新しく出てきた料理に集中している。特に深く聞きたいこともあったが、リールにしてみれば気にかけることでもないからこそ、余計なことは面倒だからしなかったんだろうが。
視線を向けるとどうやら館の主も同じような心境だったらしい。ただ、あっちの方が楽しんでいると言える……。
いらだったカイルは、目の前の果実酒を飲み干した。
すぐに次が注がれていたが。
一通りの食事のあと、甘いものはと勧められ、断った。主は頼んだようで、館の主らしき男は断っていた。ついでに言うなら小娘に選択権はなかった……。いや、作る側にないと言うかあるというか……
結局、最終的にそれだけで皿が七皿もやってくれば、言う事もあるまい。
「……」
「……王子」
「なんだ」
「ここで何を?」
「何かしているように見えるか?」
「……」
広めの廊下の反対側はすでに外。芝が植えられ木があり池と、少し行けば森だ。
食事を終えた頃に、嬉々としてやってきた双子に小娘は捕まった。
館の主は別段何も言わずに部屋を出た。
置いていかれた事に腹を立てるべきかと考えていると、服の採寸をするためですと、聞いてもいない解説を執事がし、館の中で不自由がありましたらお申し付けくださいと言って去った。
――置いてかれた?
言うと睨まれそうなので黙っていた。それでなくても、
「……」
無言で何か企(たくら)んでいそうな王子がいるから。
とりあえず片付けのはじまった部屋をあとにして、歩き出した。そして、適当なところで声をかけてみたがこれだ。
「……」
主が無言のまま庭に出るので、あとを追う。
同じ高さに切りそろえられた芝。細長い円を描くように剪定された木。植え込みはまるく、切り刻まれた葉が散っている。
どうやら、数日前に大々的に刈り込み作業があったようだ。
「――まったく」
「……」
最近、よく聞く言葉はこれかもしれない。
「ずいぶんと、不機嫌だな」
「――」
「……!」
低い声のするほうに目を向けて、茂みをかき分ける。するとそこに、屋外に設けられたテーブルに座ってお茶を飲んでいる。――この館の主。後ろに立つ執事の男が、戻ったカップにお茶を足した。
「……」
「……」
「とりあえず座らないか?茶ぐらいはすぐに用意できる」
「遠慮させていただく」
「――そうか。どうらや私達が関係を持つ事はあれの興味の主体でないようだから、あっさりと流されてしまった。しかし、客人に名乗らせるわけにもいくまい」
「……」
客扱いか?
「――リーディールの知り合いであると言う事が、一部の島人にどれだけ驚愕を与えたか知らないだろう」
「興味ない」
「――そうかな?」
「……」
なんだ、コイツ。
「アズラル・ランゴッド」
「カイル・ディース……?」
「――どうかしたか?」
「いや……性を先に名乗るのは、エアリアス家のしきたりか?」
「そうらしい。もっとも、この島ではあの家の者はまとめて“リアス”と呼ばれるがな」
特別な者を除いて。そう言った男――ランゴッドはお茶を口に運んだ。
「……」
「……」
「――」
沈黙を作る者と、沈黙が気にならない者。その沈黙に何か、寒気を感じている者。
「……」
――そう、聞きたいことは多い。
「――」
興味深い。
「……」
主の不機嫌さがさらに増していく気がするのは、気のせいだと思い込みたい。
「――気に……」
「アズラル様!」
「……なんだ、セナ」
「……」
確か、前掛けの端を握るくせがあるほうがセナ――姉のほうだ。
「リーディール様が……」
「――?」
「……森へ?」
ランゴッドが次の言葉を引き継いだ。
「はい」
「――そうだろうな。わかった、仕事に戻れ」
「はい……でも……」
「気にするな、この島はあれの物であることは、変わらない」
「……」
気になるのは、目の前の得体の知れない男だ。だが……
ザッ!
アズラルに背を向けて、カイルは歩き出した。
「――気にならないのか」
「……」
が、後ろからかかった、からかいを含むような声に立ち止まり振り返った。
「――どういう意味だ?」
「なぜ、リーディールが名を剥奪されたか」
「俺を足止めでもしたいのか?」
そこに行かせたくない理由があるのだろう?
「……それもある」
なかなか、鋭いな。――それぐらいでなかったら、あれと一緒にいたという事実に説明がつかないか。
「……」
「いつも、この森に入った時に誰かが来る事を厭(いと)うからな」
がだっ!
アズラルの目の前に空いていた椅子を引いて、カイルは座った。目の前の突然の行動に、アズラルは一瞬驚いたが、執事のほうは冷静にお茶を出してその場をあとにした。
「――聞かせてもらおうか」
――おい、ドコで何を連れてきたんだ?
目の前の青年の中身を垣間見たアズラルは、少し呆れてしまっていた。
「……」
ぱきぃ
小枝が、音を立てて折れた。
手の中に、今しがた折った枝を持って、そして投げた。
「――さて」
当分は静かにいられそうだった。ここには、誰も来ない。いつも。来させないと言うべきか。
「……」
まぁ、一人黙ってないのがいるけれど。
土も木々もとても元気そうに青く、取れる植物も問題ない。でも、この山の向こうは、“まだ”だった。一足先に毒の中和を計った島は、うまくいった所と、いかなかった所の差が激しい。上陸したときに見えた枯れ木の集まりは、変化に耐えられなかったのだろう。うまくいったここは地も水も元に戻りつつあって、でも、あそこは――
「……限界ね」
人々が生き残れるようにした事で、いくつかの自然を失った。そう、彼らが、生き残るために……
「――次で、最後」
ゆっくりと、中に赤い炎を見ることの出来る石を握り締めた。
「そしたら――」
「……で」
かちゃりと、持ち上げて口にしたお茶をソーサーに戻し、年上だろうが敬意をはらうわけないカイルが声をかけた。
「……」
対して、アズラルは目を閉じた。
「まさか、ただの足止めのためにそのままでいるわけじゃあるまい」
「おやおや、ばれてしまったか」
片目だけ開けて、カイルを見ている。さほど気にした様子も、言い当てられた焦りもない。
「……」
レランの手が、剣の柄の上に移動した。横目で見えたカイルは、止めなかった。
「こういう事は本人に聞くべきだとあとで双子に怒られそうでな。だが、本人が言うとは思えないが」
「――」
そりゃそうだろう。
「第二王子には、あったのか?」
「ああ」
「なら、話は早いな」
ようやく本題に入れそうだ。
「もう、そうだいたい五年も前の話だ。この国の第二王子が死に掛かった。原因は、リアス家の毒薬を口にしたせいだ。――なぜ、口にしたのかは知らないがな」
何を、考えていたのか容易に想像できる。あの世間知らずで、そう、何も知らない子ども。――そうする事が、一番いいと信じている。思いは、一つ。
「それで?」
話が進まない、カイルは声をかけた。
「……危うく死ぬ寸前のところで、役にたたない大人共を押しのけてリーディールが帰り、死なずにすんだ。すでに王女二人を亡くしている国王は、原因となった毒を作った者を殺すと言った」
「それが、」
「それがまぁ毒を中和した本人。エアリアス・リロディルク。しかし、どういうわけか処刑ではなく、名を剥奪の上に国を追放された」
「……」
「まぁ、十六にしかならない女を処刑台に上げるのもどうかと思ったのか、再びその血を流すのを嫌がったのか。なんにせよ、あの海を越えて生きられるはずはないと信じられていた。だからこそ。――手間もはぶけるしな」
片付けられる死体――海に沈む。
「……枯れてる……」
悲しいのか、嬉しいのかわからない。自然と歩いてたのは、この木を見に来きたかったのだと納得した。
「そうね、必要ないのか」
いくつもの薬を作った。あの本に載る物すべてと言ってもいい。体内の毒をどうにかするには。――はじめは気がつかなかった。いくら個人を中和したところで、取り巻く環境がかわらなければ、それを処理する力を失った人は死ぬしかない事を。……そして、そんな事は許さない。
気がついたところで、どうしようもなかった。ただ薬で進行を遅らせるか、表面上の病を取り除くだけだった。
送りつけられ、私に回る患者は、その二つが意味をなくした患者。ほとんど、まれな人々。根底にある毒と混ざり合った病を持った人々。
都合のいい存在。
あと――年後に、この島の人々は死ぬ。
初代エアリアス・リインガルドの計画、一族以外の人間を消してしまう。
『ぁあ、つまらない――ひとつ、大きな事をしよう』
『――誰か、気付いたかい?』
表と裏の本は、違う事を言う。殺したいのか、生かしたいのか。……答えは、先の子孫に預けて。――でも、
もしかしたら、
「知っていたのかも知れない」
「王?」
ゆっくりと首を上げたラビリンスに、シーンは声をかけた。さっきまで、眠っていたように見えた。
「あれは、は知っていたのかも知れないな」
「……?」
「それとも、確信していたのか」
「リール様のことですか?」
「あの一族の末路を、“今”を、リインガルドは知っていたのかもかも知れない」
「“今”ですか? ですが今は、何もないのでは?」
「いや、もうはじまっている。それこそ、――年も前から」
最後の声は空気が運んでしまって、シーンにはよく聞こえなかった。
不思議と先を見出す言葉は、飛ばされて、それでもリールに聞こえない。
あの時は、人知れずやって来て――今につながる。過去はつながっている。今にも未来にも先にも昔にも。この廻りを、ヌケラレナイなら……
『――だから、私は申し上げました』
怒り狂う国王に、呼び出されたリロディルクははっきりと言った。
そう、あの時。
「――おやめ下さい!」
「何を言うのか」
「あそこはとても危険な場所です、もし、何か起こったらどうなさるおつもりですか!」
「問題なかろう。何が、起こりえると言うのだ」
「それは……ですが!!」
なぜ、私はここにいて、国王から理不尽な命令を受けているんだろう。だって、まさかあの子が王子だったなんて――
十年前――
「どうするんだ……」
静寂の中、誰かが声をあげた。誰か一人の声のようで、それが皆の心の声だった。
部屋の中に、一族の、上の地位を占める皆が集まっていた。次の者を立てるために。用意するために。これまでがそうだった。保険のように用意してきた、力のないとされた一族の末端。もう、いない。気がつけば、だんだんと一族の人間は減っているように思える。
「用意しないわけにもいくまい……」
「誰が就(つ)くというのだ!?」
「そうですわいったい――」
「お前だ!」
「――なっ何を申します!? あなたこそ適任では?」
「誰でもいいんだ!」
「じゃぁお前はどうなんだ!?」
「それよりも適任が――」
――あきれてしまう。私が入ってきた事にも気がつかない大人達。何を、責任をなすりつけ人に押し付けているのかしら。わらっちゃう。
コツリと、足音がして、床を叩いた。
「……私が、就(つ)きます」
騒がしい室内にはっきりと響く声、一番堂々としていた。弾かれるように入り口を見て、立ち上がり机を叩き誰かに押し付けようとしていた大人達は振り返った。しばし、呆然と、目の前に立つ少女の言葉を理解し得ないように、口をあけてしまう者。目の焦点が定まらない者。
彼らの中で言葉が理解し得るまで、数分。
「ふざけるな!」
「そうよ!!」
「何を考えている、出て行け!!」
「お前が、口を出す問題じゃない」
「誰のおかげで――」
さっきまで人に押し付けていたのを忘れたかのように、口々に抗議し始める。――身の程を知れ。そう聞こえる。
――いったい、何がしたいのか、言いたいのか。――この、人間どもは。よくも、……よくもそんな事が、
「いいだろう」
目の前の光景を初めから眺めていた当主は、静かに言った。
「「「「「「「!」」」」」」」
「何をっ!」
慌てふためく一族は、皆、反対したかった。しかし、
「ほかに、自ら進んで就きたいという者がいるのか?」
「「「「「「「「……」」」」」」」」
「異存なかろう」
――そう、誰だって、その地位に就きたいと思いもしない。いつも、自分達より下の者達に押し付け、なすり付け、生きてきたのだから。最後に向かう末路を、作り出してきただけに。
「リロディル、お前がルフォールの後任を務めろ」
十歳になったばかりの少女が、決めた選択だった。
そして三年、長くもなく、早くもなく、あっという間だった。
髪の短かった少女は、今も短いまま。動きやすい軽装に身をつつんでいる。今や自分の家にも帰らず、リロディルクは塔の中で生活し、薬を作っていた。父のエアリアス家の中の役職を受け継ぐ事が出来てから。一日中。人々が寝静まってからも、おきてからも。――むしろ、眠る事は苦痛だ。
腕の中に本を持ち、振り返って屋敷を眺める。来客を迎えるらしくあわただしかった人達。おかげで、書庫の中もカラッポだった。
「――?」
何か、視線を感じる?
振り返っても、何もいなかったかのように何もない。でも、確かに。
「……」
厄介ごとに、首を突っ込むのは御免だ。足早に廊下を通り過ぎ、抜け道を通り過ぎた。
がさっ!
茂みを突っ切って、塔に帰る。
この日エアリアス家を、国王と第二王子フォトスが訪問していた――
てってってっ!
小柄な身体にいくつもの本を抱えて、少女は茂みを突っ切っている。
ぱたん
塔の戸を潜って、閉めた。
ととととと……
うしろから、リズムよい足音とは違い、なるべく静かにしようと努力する音。
二つの影が消え行く塔。人々は見てもいない。
――ぱたん
小さな背には大きな扉を、閉じた。……暗闇。窓に引かれたカーテンを開いたのは、いつのことであったろうか?
こんこん!
なれた様子で暗い中階段を上がる。入った二階の部屋の扉を閉め、机に本を置いた。細長い部屋には、同じく細長いテーブル。両脇には棚。中にはたくさんの瓶と、いくつもの器具。――いや、この塔の中の物はすべて、今はもうリロディルクのものであるといえる。
かちゃ――パタン!
窓を開いて、閉じてしまった。
「……」
最近、この塔では何も言わない。独り言ですら。薬師となるべく教育は、週に何度か行う。身を守るための剣技(けんぎ)も。――ほとんどは、すでに終えていた。あとは実践に移るだけだった。年齢を除けば。いくらエアリアス家の名を持とうと、十三の少女に自身の命を預けようとする島人はいない。――今は、人手も足りているから。
願ってもないことだった。あれから三年間、表向き服従と重心を置いて、ある程度の信頼と信用を得た二年。そして今年、いくつかの島と屋敷を歩き回れる自由を与えられた。
すぐに移した行動。見つけた――……一冊の本。思い出される言葉。
『ねぇ、リール。――聞いておいてほしいの、知っておかなければいけない事なの。………とても、悲しいことだけど、それが真実』
『知っておかなければならない、“真実”を――』
そして、手の中に納まった“一冊の本”。
『お前にはその権利がある。今の地位、立場がどうであれ』
「……」
やらなければならない事がとても多い。いくら眠れないとはいえ、少女の身体には辛い事だった。だが、本人はそんなことですら意に返さず、白昼薬草を求め、薬を作り、夜ごと本を開く。
古語を理解すのも、応用するのも、はじめたばかりだ。
握り締めた手が震える。今や、突き動かすものは一つだ。
ぐらぁ
突然、棚から瓶をおろした視界がゆれる。毒草から薬を作り始めて三年。少女の身体は蝕まれ、つくり変わられている。成長が進む身体には、ついていけないほどに。最近は、よく倒れる。――また、か……
ガシャン!
机に置いてあった瓶に手がかかり、割れる。青みがかった霧が立ち込める。
「……」
指を動かす事もできないくらい麻痺した身体で、少女はさらに自身を蝕むであろう毒が部屋に広がっていく様子を、ただただ眺めていた。
そしてそれを望んでいたかのように、目を閉じた。
――本当は、死んでしまいたかった。ほかでもないあの日――同じくらい心に誓った、願い。
ほんの少し前。少年は、塔の中に消えた少女を追い詰めた。――と、思っている。
「……ぐ……」
少年は、大きな扉を押していた。……実はそっち側に開く戸であることは、秘密だ。しかし、どちらにせよ鍵がかかっている。
「ぐぐうぐ……」
相変わらず、押し続ける。
「ぐーーふぅ」
疲れたらしい。
「開かないかな」
無理である。
きぃ――パタン!
少年の頭の上で、窓が開き、閉じた。
「……あそこ?」
切りそろえられた髪をゆらして、少年の目が輝いた。
時間は進んで、少女の部屋。
しゅーーしゅーーと、何かが溶けていくような音がする。――実際、鉢植えの花は枯れ、土でできた鉢植えにひびが入る。
青白い霧は、煙のようで、視界を遮る。先も見えなく、ただ、隙間から入ってくる風に煙が揺れ動くのがわかる。
――今度は、まずいと思った。いくら毒をあつかい、調合し、口にしようとも。笑えるくらい近くに、死が迫り来るような気配を感じて、恐れた。
それは、死に対する恐れだったのか、今、こんな所で何を達するわけでもなく死んでいく自分の弱さか。
――実際には、少女は死ななかった。死ぬ事を許されなかった。
ただ一つの願いを叶えんがため。
今、少女を蝕むのは“捕らわれた過去”……忘れることない、忘れない。
それだけに突き動かされて、動いた三年。暗闇と暗闇と暗黒。
深く、深く、深い深い……
単純に、今の少女に必要なのは、安眠と安息。――十分な、休息だった。
ッガッッシャーーン!!
「……?」
かすむ視界に見えたのは、自分より…同じくらいか?そんな少年が、あろう事か三階の窓から飛び込んできた。
窓が割れて、窓際の枯れだした植物は床に叩きつけられて無残に砕けた。近くにあった小瓶と瓶と器具が割れる。青白い煙が一瞬にして晴れわたる。澄んだ空気に不釣合いな部屋は、再びその全貌を現した。――いくつかの薬と、鉢植えが割れ物になっている以外は、何も変わりはしなかった。
体のいたる所に細かい切り傷をつけた少年が、倒れている少女に驚き叫ぶ。
ぼんやりとうるさいなと少女が思っていることなど、少年は思いもしない。
「――ねぇ!」
――?
「ねぇぇ!!」
何? なんなの……?
「ねえっ! ってばぁ!!」
……うるさい……
「ねーーーぇーーえーー!」
「うーるさーーい!!」
あらん限りの声で耳元で叫ぶ声に、まけないくらい大声で怒鳴った。
「あ……おきた」
「“おきた”じゃないわよ! あんた、私の耳を壊す気?」
「よかった……」
「きーてる……」
今にも泣き出しそうに悲しみに満ちた目に、少女は何も言えなかった。
「また、動かなくなったら……」
「……動かない?」
――それって、“死んで”しまうかもってこと?
言いたいことを悟るのは少女のほうが早かった。
仰向けにされたようで、少女の顔を覗き込んでいる少年の目に溜まってる涙は、むしろ流れていないほうが不思議だ。
「……」
起き上がると、ほっとしたように少年は泣き止んだ……いや、まだ泣いてはいなかったが。
「……あんた、誰?」
きつい口調で問うと、少年は今度おどおどしだした。――なんつーよわよわしさ。
「えと、うんと……君は?」
「そう、言いたくないならいいわ。こっちも言う気ないもの」
「……そうなんだ……」
僕の事、知らないの?
「? 何?」
少年が何かを飲み込んだような気がして、少女は聞く。
「ん~ん。ここは、何?」
「ここは……私の……」
なんだというのだろう。どこだというのだろう。
「君の?」
「そう。今は、私の、私の……」
場所? 居所? 家? ――違う。ただの、
「ただの“塔”」
「ふうん」
起き上がった少女は、さっきまで床に倒れていた事など微塵も感じない動きで部屋を掃く。片づけをしているんだと少年が気付き、手伝おうとゴミ箱をひっくり返し、怒鳴られるのは少しあと。
「いれてーーいれてーー!」
ドンドン!
「いーれぇーてぇーー!!!」
バン!! がガン!!
「いい加減にしろ!!」
同じく三階で薬を調合していた少女が、くだらない叫び声に怒りをつのらせて下りてくる。
あれから――少年が塔の三階の窓を叩き割ってから、少年は三日置かずにやってくる。いつも滞りなく動く少女の手を、怒りに震わせるには十分だった。声がするたびに、瓶を叩き割っていた。――もったいない。
「はぁ、ぜいぜい……」
「どうかしたの? 疲れたの?」
「……」
本気で首をかしげて心配してくるのである。少女はため息をついた。
「あんた……」
少女が脱力した合間をぬって、少年は塔の中に入った。
「――ちょっちょっと待ちなさい! あん」
「ジオラス」
「は? ――リロディルっ!」
階段の半ばで振り返って自身の名を名乗る少年。――それにつられて、少女も名を名乗りかかった。一瞬。――真名を。
「り……でぃ?」
よく聞こえなかったらしい少年――ジオラスは聞き返すも、少女はもう言わない。
「リーディ?」
新しい呼び名に、少女がはっと顔を上げると、それが名だと信じたジオラスは笑った。
数年前、リロディルク――リールが持ち、そして忘れ、今では誰も向ける事ない。向けられる事もない。
屈託ない、含みもない。―――喜びの笑顔だった。
いつの間にか、ジオラスがそこにいることに、まったく気を払わなくなった。
名を知ったあの日から、週に何度かやってきては、椅子に座っている。――それだけ、私のすることに、口を挟む事もなければ、質問をするわけでもない。ただ、ひたすらに見ている。その視線も、気にならない。
……いるのかいないのかわからないというわけでもないけれど。
ザーー
外では、雨が降っている。――あれから、一年。リーディは、十四歳。ジオラスは十三歳。
ジオラスが来る事になってからというもの、私はなるべく昼間に塔にいることを心がけていた。だから、屋敷に行くのは決まって夜。しかも、みんなが寝静まったあとだった。――だから、知らなかった。エアリアス家の状態も、島の異変も。それに、王都島を離れ与えられた島に行く事が多かった。一人で。
ジオラスと会わない時、彼は来るたびに来た何かしら置いていく。それは花だったり、石だったり。あの子は私より一つ年下だって知ったのはいつだったのだろう?
ここ最近は、特に会っていない。――いつから、私は会いたいと思うようになったんだろう? いつから? あの時の笑顔と、ただそこにいてくれるという安心感。……ほしかった。いつまででも。
でも、彼はこない。私も、久しぶりにここにいる。
ザ―――
長い雨。暗い雨。うっとうしいほどの圧迫感。威圧感。息苦しい。
ガン! バンッ! ガンっ!
「――ふっ!?」
ジオラスとは違う――とても、重い音。
な、に――?
バン!!
「っ……」
怖い……
ミシッ!!
ガダーーンッ!!
「リロディル! どこにいる!?」
「――ここに、います」
震える足で、階段を下りた。雨に濡れ、床を濡らして小父が床を鳴らす。
「来い。――お前に、エアリアス家として仕事をしてもらう」
それでも知っていた、“一冊の本が”もたらす事のすべては。
こんな雨の日は、思い出す。
会いたいよ、ラーリ様……
ザ―――
「……」
もう、わからない。悲しいのか、怒っているのか。
――目の前で人が死んだ……私の、治療が行き届かずに。
もっと早く、私が見ていたら――
治せたとでも言えるの? ――貴女が?
「――っ!!?」
今や、寝床とかしているソファから跳ね起きた。――眠っていたわけじゃない。
「……」
なぜか、涙は出てこなかった。いちいち泣いていたらもたないことを、知っていたんだろうと思う。
幾人も幾人も島の人々が私の元に割り当てられる。エアリアス家の薬師として働ために。毒を薬として使うことを。それを公(おおやけ)に許されるのは私だけで、そして……
そしていつしか、私には老い先の短いものしか割り当てられなくなっていた。
「……はぁ……」
ため息が、知らず増えている。
患者を持つと、頻繁(ひんぱん)に島を出る事が難しい。いつ、容態が悪化するかわからないから。
その代わり、時間を費やした。十九個の種を作る事に。本に載ってはいても、同じものをそろえ、集め、一番慎重になる必要があった。失敗作は多く。捨てた。花の種は完成している。だからこそ、島を出て撒きにいく必要もある。
「はぁ……」
ほかにも、中和を始めた島の巡回と、小屋の中身の補充。数年前のようにほおって置いてくれれば、一番いいものを。
死の淵に近い者の容態は、皆異なるようで根本的には同じだった。必要な毒を取り込めなくなった者。毒に耐性がつき、取り込めなくなった者。いくつもの症状の中に必ず、島の毒との関連がある。
それがなければ、生きていけないシャフィアラの島人。長い年月をかけて、作り変えられた身体。――ほころびなど、つつけば溢(あふ)れ出るだろう。
悪化した個人個人の毒を中和しようと、取り除こうと意味がない。生活の中に毒は溢れ、充満している。
空気も、植物も、食べものも、動物も。海も川も山も土も人ですら。
なぜ、シャフィアラに他国の船が流れ着かないか、これないか。それは、海流が拒むからだ――海の水ですら、シャフィアラから離されない。つながった海の水が、毒に犯された海の水が外に行かないのはなぜか、知る者はほとんどいない。だが、しかし、知っている。エルン大陸が沈んだ影響で海流は荒れ狂っている、それもある。しかし、海の水が世界に拒まれている事も事実だ。
この島(王都島)は、一番根深い毒に犯されている。他の島はなんとか、与えられ事由にできる二つの島だけは何とか……中和をはじめている。のちに――うまくいけば八年後になるのだろうか。一年、二年の差はさほど変わらない。人が死んだ歳とはいえ、一年は長い。死んだ初めに実行するのか、それとも、ほとんど一年たちそうなときに実行するのか。――ようは、その日が過ぎればいい。それだけが、決まりごと。
所詮、人のすることなんて、いつだって、曖昧で、雲隠れ。
「どうしよう……」
後悔したわけでもないけれど。人の命を握っていることは、とても、重苦しかった。
「――リーーディ!」
こんこん!!
「リーディ?」
ココン!!
しーーーん
「……今日も、いないんだ……」
最近では、よく城下に下りているらしい。なんでも、エアリアス家の薬師として。
「……どこに、いるんだろ……」
昨日置いた石がなくなっている。帰ってきていることは、明らかだったのに。会えない。
「つまらないなぁ……」
風が、声を、運んでくれないのかな。
「鍵……」
この扉を開く、鍵がほしい。
それが、二人を別つ鍵。
数日がたった。石はいつもの箱に入れて、花は花瓶を……屋敷から取っ払った花瓶に生けた。いくつかは干して薬にしようと思う。いまだに、会うことはなかったが。
「……つまんない……あれ?」
いつから、彼がいないことがつまらないと思うようになったの?ただ、傍の椅子に座っているだけだったのに。――いつも。週に何度か。何度も。
手が止まって、薬が固まっていく。
「ぁあ!! あ゛~~……」
もう、使い物にならない。
「もったいな……はぁあ」
「リロディル!?」
「きゃぁ!! ――あ、小父上?」
「お前という奴は!!」
「な、なんですか?」
また扉破ってきたんですか?
「何をしでかしたんだ!?」
「だから、なんですか!?」
――怖い。と思った。
「陛下がお呼びだ!」
「……誰それ?」
“国王”がいるってこと、すっかり忘れていた。私の世界は、とても狭かったから。知識だけが増えていっていた。それも過去の。今現実よりも、過去から学び取る事を重要とするから。
「……」
「えっと?」
「なんでもいい! とにかく来い!!」
「放してよ!!」
小父上の前で気を張らなかったのは、これで最後になったのかもしれなかった。突然の事で、張りようもなかった。
何がなんだかよくわからないうちに、アズラルが作った礼服を着させられた。――見た目に比べて、動きやすい。髪もとかされて。ちなみに、長く作られたスカートの下に短剣と薬の瓶がいくつか……ほかに、器具があったりしたり。
なーんて、口がすべりもしないけど。
膨らみを持たない緑のスカートは三枚の布が折り重なっている。中にブーツを履いている事はわからない。上は白、袖は手首まで覆う長いもの。親指の下から手首が見えるところまでは切込みが二つ入り、左腕には赤と藍色の石が交互に銀の鎖につながっている物が二連。襟は丸く、緑のボタンが首元まで絞まっていた。色は白といえども、肌の色が透けるほどではない。厚みのある生地は、手首とひじの間にあるナイフと細い器具の存在を隠す。
ま、こんだけ持っていれば大丈夫だよね。うん。
「遅くなりましたことお詫び申し上げます陛下」
「……。いだっ!」
「……申し訳ありません」
「もうしわ……」
「お前!!」
いい加減で顔を下に向けさせられていて、いらいらした。そして、何も言わないと足を踏まれた。しょうがないから謝ろうかと思って顔を上げて、驚いた。
「リロディル!!」
「やめよ。今はまだ理解してないのだろう? ――ただの子どもだ」
「なら帰していただけませんか?」
「……ずいぶんと、どうやら、口のまわる子どものようだな。さすが、エアリアスの名を持つものというか」
「……」
「……そうですか……?」
焦ったような小父の声が聞こえる。そんなことは問題じゃない。だって、気になるのはそう、玉座に座る国王……だよね? なんとなく、似ている――ジオラスに。
「我が息子は知っているか?」
「――……知っている人がそうならば、そうですが」
そうでないと思いたい。
「……」
「リロっ!!?」
「……フォトスと言う。」
誰? 本当に。
「ここ最近、数年前からか、いや、四年前、私とフォトスはエアリアス家を訪問した。――覚えているか?」
「まったく」
そういえば、あったかなあ?
「それから、フォトスはよく城を抜け出すようになった」
「……」
危うく、口を開いたら「だからどうした」と言いたくなってしまうところだ。
「もうすぐ誕生日でな、」
「……」
黙っているほうがいいみたい。
「何か贈りたいと思うんだが、最近、会ってもいない」
「なぜですか?」
「私は、嫌われているようだからな」
「……?」
意味がよくわからない。
「あの塔の鍵を送るのは、とてもいいと思わないか?」
「……っ――!? なにを……!?」
「陛下、さすがにそれは……」
「ほう、何が問題だというのだ?」
わからなかった、一瞬、目の前の男が何を言ったのかわからない。ようやく頭で理解して、そしてそれは現実になるのかと思うと、寒気がした。
「――おやめ下さい!」
駄目だ、だって、あそこには――毒も薬も劇薬も危険物も武器ですら、ある。何より、あそこに自由に出入りできるならば、屋敷にだっていける。
「何を言うのか」
「あそこはとても危険な場所です、もし、何か起こったらどうなさるおつもりですか!」
そこかしこにある薬。
「問題なかろう。何が、起こりえると言うのだ」
何がって、何がって……
「もし薬を使用すれば!!」
「そんなわかりきった事、するはずなかろう?」
なぜ、危険とわかったものに手を出すのだ?
「それは……ですが!!」
でも、不安だ。彼は今まで、何もしていない、何にもさわっていない。見ていただけ。だからこそ、余計に恐ろしいのだ。私は何も言っていない、さわるなとも、口を挟むなとも。
「うるさい娘だ、あの塔の管理者だというからここに呼んだというのに、なんだ。お前の意見は聞いていない、お前はただ命令を聞けばいい。それだけだろう?」
「はい陛下」
勝手に返事をしないで!
「持ってきただろうな?」
「もちろんですとも」
塔の鍵は二つ、私のと、当主が持つもの。
「ダメ!!」
「――うるさい!」
「きゃぁ!」
叩かれて、床に転がる。国王に鍵が手渡されて、隣で傍観していた王妃が受け取って不思議そうに眺めている。私は、呆然と眺めていた。なぜ、私はここにいて、国王から理不尽な命令を受けているんだろう。だって、まさかあの子(ジオラス)が王子だったなんて――知らない。知らない知らないしらない!
そうでしょう? そうなのでしょう?
「その娘は丁重に送り返してやれ」
「「はっ」」
傍にいた兵士につかまれる。
「放してよ!! 放してったら! 自分で帰れるから!」
「このあと、食事でもどうだ?」
「わたくしで宜しいのならば」
二人の大人の声が、遠ざかっていく。
「小父上のばかーーー」
いきなり、リロディルクは叫んだ。自身が無力であることなど、わかりきっていた。
「もういいでしょう! 自分で帰る!!」
城の入り口を出て、目の前には道が見える。歩けばすぐである。兵士達は暴れるので手に負えなくなったのか、面倒に思ったのか地に下ろした。
「リアス様!!」
と、兵士に抑えられていた少年が兵士の手をかいくぐりは知ってくる。
「何よ!? ……」
昨日、薬を届けた家の子どもだった。
「ここに行ったって、あの、おばぁちゃ……」
目の前で探しにきた理由を聞くことなく、走り出した。――なぜ、探していたのかわかるから。
城の兵士の目が見えなくなったところでスカートの布の一枚を引っぺがし、連なる小瓶と器具を包み抱える。そうして、速度を上げて走った。
――また、命が消える。自分達にとって手に負えない者を、割り当てるのだから。
毒草を薬に使うのは受け入れられがたい……恐れ、信頼を失う。薬草の使い方を誤るのだって、同じくらい危険な事なのに。だけど、人々の見る目は違う。
明らかに受け入れらないことをしている者達は、区別される。――そうとは見えなくとも、表面に現れなくとも、しずかに、はっきりと。
だからこそ押し付けやすい……責任。
非難されるのは誰?
それから、幾日、幾月がたつと、少女は、呼ばれた。
「ぅわぁあぁぁあ!!」
「みんなが言った通りだ!!」
「お前がくれば、助かるはずもないんだ!!」
「「「死を運ぶ女め!!!」」」
もう少し、先の未来に。
「……」
ザ――
ザ――……
私が割り当てられた家に行くと、追い出される。別の人間を連れて来いと言われる。――それは、無理でしょう。
実際、小父上や小母や一族の人たちがもう駄目だと思った人たちが、割り当てられているのだから。
「……寒い」
震える手は、雨に揺れて重くなった衣服のせいなのか、それとも、まだ人の命を預かっている事からだったのか。
ザ――
「……」
それでも、すべての人がその手のせいで死んだわけではなかった。幾人かは、生き残る。家族と共に、もしくは一人で。――遠くない数年後、島の半数の人々が息絶える中。
だが、今はわからない。
「おかえり」
「――ぁあ、そっか」
雨の中塔に帰れば、いつものように――それこそ、いつものようにジオラスが、いた。椅子に座って。無言でタオルを取り出して髪を拭き、着替えるために下りた二階。
あれから数ヶ月、いつが、誕生日だったの?
「ねぇ、」
「何?」
着替えて、また階段を上がる。変わらない少年に、部屋を見渡している少年に声をかけた。
「――今日は、帰って」
「なんで?」
「……これから用事があるの」
「……いってらっしゃい!」
「――うん」
見送られて塔をあとにした。誰かに迎えてもらうのも、見送ってもらうのも久しぶりだった。この王都島では。
「やぁやあやぁリーディール!」
「アズラル……」
呆れてしまう、なんだろうか。ここはいつも、こんな調子だし。
「今度の服の調子はどうだい?だがしかし、これを見てくれ!改良を重ねた服と新しい式服を……」
「そんなにいつ着るの……?」
「まったく、こちらが用意しなければ二、三着しか着まわさないのだから」
「さぁこちらへリーディール様!」
「採寸とお着替えを!」
「私の話は終わっていないのだが?」
「「アズラル様、少しお黙りくださいな?」」
「……」
「くすくす……」
おかしそうに笑うと、三人は驚いたように顔をこちらに向けた。――それもそのはず、面白そうに笑った顔が、まるで泣いているように見えれば、誰だって。
「リーディール様?」
「お休みになりますか?」
セナとユアが声をかける――何か、壊れ物を扱うように恐る恐るといったところだ。いったい、数ヶ月会わない間に、何がこの少女を蝕んでいるのだろう。
「――大丈夫、すぐに、行くから」
「え? あのお食事は?」
「今日はいいわ」
「……大丈夫なのか!?」
「何よ、どういう意味?」
今度こそあわてふためくアズラルを、リーディールは睨んだ。
ここでも、私は、休む事はできないから――
「いったい何をしにいらっしゃたのですか?」
「そんなもの、採寸に決まっているであろう。さすがリーディール、よくわかっているではないか」
「顔が、見たかったから――」
「「「!!?」」」
小さくつぶやいた本音が聞こえたらしく、目をむいた三人。
「お前、本当に大丈夫か?」
「ね、熱はおありに!!?」
「――やっぱり、お休みにっ」
「……帰る」
「わーーー待て待て、わかった」
「「は、早く採寸だけ終わらせましょう!!」」
とはいえ、終わったころには折り詰めが渡された。まだ暖かさが残る袋と、お菓子。飲み物まで付いてきて。――今からいく所に持っていくにはもってこいで。
がざがさと、茂みを掻き分けて進む道。――道?
「ラーリ……様?」
「――リールか」
「――っ」
そう呼ぶのは、もうラーリ様しかいない……安堵とほかでもない安心を感じた瞬間、倒れこむように眠った。暖かい背に寄り添って。
「……王!?」
「静かにしろ」
「――申し訳ありません。」
人型で、紙の袋をいくつも抱えたシーンが近づいてくる。
「ですが、さすがにここまで必要……」
す―――
「いつの間に……いらっしゃったので?」
「さっきだ――どう思う」
「……ぼろぼろに」
見える。
「……我はあの家の中にまで介入はしない。」
力を求めたのも、受け入れたのも、この少女だ。
壊れた心は、これ以上壊れようがない。――そう思ったのは、甘かったのだろうか――
「……」
「おはよう」
「――あ、ラーリ様。おはようございます」
ゆっくりと眠りについて朝。久しぶりに眠った頭はおききれない。
「もう少し眠っておけ」
「大丈夫です」
――大丈夫。
一瞬、辛そうに表情を動かしたラビリンスは、黙った。
「食事にしよう」
「は~い」
わかっている、知っている。力を与えたのはこちら。手を離れたのは向こう。近づいたようで、遠い距離。
「今日は、どうした?」
「……」
会いたかっただけ――
ここには、王都島にあるものは何もないけど――……待っていてくれる。いてくれる。だから――
「あのね、」
「ん?」
リール(持ってきた)とシーン(用意させた)の菓子をぱくつきながらラーリは答え
る。
「手伝ってほしいの」
しっかり息をすって、リールは一息でいう。
「……誰も断るものか。なんなら、一族をみなつけようか?」
こっそりとシーンはため息をついていた。
「――あなたくらいのものですよ」
「なーに?」
風の音に声は拐われる。シーンのぼやきに、背に乗るリールは聞き取れなかったと言う。
「なんでもありません。それより、着きますよ」
「わっ!?」
急降下するレピドライトの背に、リールは必死につかまった。
「びっくりした! ありがとう」
「いいえ」
まだあるのでしょうから――
「何?」
小柄な少女が見せる。歳柄らしくない顔でにらみつける。……まずい。機嫌を損ねれば、王に何を言われたものかわからない!
「何をすればいいでしょうか?」
「……いいもん。こっち」
なんだかすねたようなリール様。ぁあ王が不機嫌になる――
「早くして」
「……」
「――本当に」
むちゃばかりする。何も、……何もそう焦らずとも。
「だって、誰も言いなりにはさせられないの。今は。結果はあとにしか出てこないもの」
――だから、今一人何者にもその姿。隠し潜めて生き行くことを望んで――
「悲しいのか?」
寂しいのか?それとも、そうじゃない。
「なつかしい」
少し前のあの笑顔がなつかしい。――何が、あった?
わからない、伝わらない。伝わっているのに、伝えているのに。
「どうした?」
「これで最後」
「……」
「何よ」
「いつも、こんなに?」
働いているのですか?
「いつもは寝ないから一日」
「でも、今日は寝る」
「早く戻りましょう。王が心配します」
「……ねぇ」
「なんですか?」
「夕飯何?」
「……何が食べたいんですか?」
魚が食べたいと言うので、仕留めた。
す――
「……」
「ご苦労だったな」
「いえ」
王と共にいる時と、さほど変わらない。
「なんだと?」
「いえなにも」
こちらの身が危うい気がする。いつもより数倍。
「困ったものだ」
「そうですね」
王と同じくらい。
「……なっ何も!?」
にらみつける視線が、昼間の少女と同じだ。焦るのと同じくらい、笑いだしそうだった。
「ん~」
「おはよう!」
「わっ!」
少年に飛び付かれて、少女は驚いた。
「今日はどーする?」
「ラ、ラーリ様……」
にこやかな笑顔につられて、リールも笑った。
「今、シーンに朝食を用意させてるから」
「わかった! 顔洗ってくる!」
――ちょっと待てよ……お二人さん……
「……食べないの?」
「ねぇ」
「……」
サンドウィッチ(どこから持ってきたのか謎だ)。なものをリールとラーリはほおばっている。幸せそうに。振り返ると、少女と少年に目を向けられた事に気がついていても盛大に嘆息(たんそく)するするシーン。
「遠慮(えんりょ)しておきます」
「ふーん」
「あっそぅ」
「つまんないのー」
「付き合い悪いわね」
「……」
この二人に付き合えと?
「「「……」」」
からの箱が投げつけられた。
「それじゃラーリ様」
「送る? 送らせる?」
誰にだ誰。
「……大丈夫です。――また来ます」
そう言って、次が最後。
――さようなら――
「……」
「リーディ! おかえりー」
「ただいま」
少しだけ、嬉しかった
――そう、思った。
理想を外された小父上は、もう私を公(おおやけ)に使うのを控えた。それでも、これまで治療していた島人の治療もあるし、何より、島の中毒に忙しい。
手にいれた本は多くを語る。だけど、動くのは自分。
ただ日々は過ぎる。表向きは、平穏だった。
「……きゃ!」
パンッ! と二つの液体が混ざらずにガラスの入れ物を壊した。
「~~」
理論も、原理も、材料も手順もすべて書かれたとおり。でも、成功しない。
本には書かれないことが違う。今の土は質が違う。その時当たり前であったことが、今はわからない。
「――の?」
開けていた扉から、邪魔をしないつもりらしく静かに入って繰る人影。集中している時は、気づかなかったりする。
「いつ?」
いつ来たの?
「さっき」
悪びれることなく二つ目の合鍵を使い、ジオラスが入ってくる。そんなの、わかってる。
この塔の中にいる時ですら、すべての部屋の鍵をかけていた時は遥か昔――
「おなかすいた!」
「……」
殴ろうかと思う。
「いっただきまーす!」
夕暮れ時、そういえば朝食べただけで昼も何もない。思い出して作った――二人分。
「いただきます」
「うまい~~」
「それは、よかった……?」
普段、これよりももっといいものを食べいるんじゃないの?
「へへへ~~」
「……まずいでしょう?」
「なんで?」
「なんでって……」
「長いテーブルの端と端で、誰かと話もできなくて、まわりには人がたくさん立っているだけの場所で食べるのよりおいしいよ!」
「……」
ふと、思う。この塔で私がひとりで食事をするのと、ジオラスが城の中で食事をとることは、もしかしたら同じ事なのかもしれない。
――ただの、栄養摂取。
「おかわり!」
「うそ!?」
「え?だめ?」
「えっと。いいけど……」
鍋(なべ)の残りを注ぐよりは、テーブルに鍋を持ってきたほうが早そうだ。
誰かと食べたほうがおいしい。いくらおいしくても味気ない食事をすごすよりは、ずっといい。
「ごちそうさまでしたーー!」
「ごちそう様」
ぱんっと小気味よい音がする。皿を持って炊事場に向かうのを見たジオラスも、運ぼうと……
「――ちょっと待って、ひとつずつでいいから!!」
「はーい……」
割らないでよね……。
また、家から運んでくるのはごめんだ。
ガッシャーーン!!
「……」
心配する必要はなかったみたい。――無意味だから。
明日新しい物を持ってくると、すまなそうにしおれたジオラスは帰った。もう日も暮れて暗くなっている。大丈夫なのかと思い、心配はないと思い直す。ここはシャフィアラだ。彼の知名度がどれくらいのものかわからないが。
この島で人を殺す事が許されるのは、王族かエアリアス家の者だけだろう。小さな島だけに、島の人たちの間の結束は強い。
表面に見えなくても、深く根深い同属意識。過去、孤立した島での生活。救いを見出したエアリアス家――
「……急ごう」
時間がない。――そう、思う。確実に何かが動いている。――何かが、壊れていくように。
よく行く十三の島と、いくつかの島は中和を始めていた。実験の段階だが、いい出だしだと思う。一部の森は枯れはて、一部は緑の深さを増した。土の中の成分を調べて、どこを一番重視しなければならないのか。源泉と流れの先を考慮して水も調節しなければならない。
「……ぁ」
ふと顔を上げる。一晩中本を読んでいたら日が差してきた。栞が挟まったほうを向こうに、読んでいた本を机に置く。
「……大変!!」
思い出した事に、危機感を感じて走り出す。――今日は、この一冊の本を小父上がそこにあるか確認しに下りる日だった。
ばたばたと走る中、窓際に置かれた黄色の花が花開きだしていた。
一冊の本は、読むように言われた時にすべて書き写してあった。だけど、リールはなるべく原本を読むようにしていた。だからこそ、機会を狙って小父上の執務室に入り、かっぱらう。もとい借りてくる。しかし、当たり前だが小父上が見る時だけは返しておかなければならなかった。
「大変大変!!」
焦って走り出す姿。――それはとても、十六歳に近づいていた少女らしい姿だった。
何日も何日も種を作っていた。使い切ってしまった植物を採りに行き、水に始めた中和が進んでいるか見てきた。そっちは順調。問題は、あの種を完成させられるか、どうか。
鍵を開け、塔に入る。
「なんでうまくいかないのかなぁ……」
「何が?」
「ぅわぁ!」
不覚にも、驚いた。
「ジ、ジオラス……」
それもそのはず、……と、思いでもしないと格好がつかない。カーテンの裏の棚と壁の隙間に……挟まってる?
「……じゃ!」
「たーすけてぇーー!」
存在を無視して階段に向かうと、半泣きで訴えてきた。
「あーーもう」
むりやり、引っ張る。
「いーたぃー」
「少しお黙り」
「ううう~~」
すぽんっ!
「助かった!」
「ああぁあ、よかったわね」
投げやりに返事を返した。
とんとんとんっ!
「まってよ~」
「いや」
「「………」」
相変わらず、私が薬を作っているところを、見ているだけ。――不気味。
「わっ……」
溢れかかるのをどうにか止める。これを失敗したらもう後がない。また、一からすべての薬草を集めに走り回らなければならない。この前は、あと一歩の所で小父上に邪魔された。……ふざけてる。
薬品に浸した種の組織を切り出して、組み替えて、戻す。必要な能力を上げて。足して。――普通ではない。自然のものをいじって、都合のいいように作り変えている。そのための下準備はほぼ終えた。あとは、これを成功させるのと、時間。順番。
風も雨も天気も、木も植物も土も水も空気ですら。波の流れだって知らないといけない。この島のすべてを知って、利用しないと……
「――できた」
ひとつずつ、種の中に薬品を注射した。すべて。あとはこの島の空気に慣らすだけ。
乾いた布の上におき、窓を半分開けた。
その時、
「リール様」
「シーン?」
羽根の羽ばたきとともに、窓の外に現れたレピドライト――
「すぐに、来てください。王がお呼びで――」
「急患?」
「ええ」
「わかっ……」
そう言って振り返って、ほうけたように窓の外を見るジオラスを見てしまった。
「……ジオラス!」
「――っ!?」
「わかっているわね?」
何も、言わない――
ジオラスには、私がどこに行ったか聞かれても、誰にも言わないでほしいとだけ言ってある。彼もここに来ている事は秘密だったらしいので、それはよかった。お互いに。
勢いかわかってかコクコクと頷くジオラスをそこに残して、私は道具とできたばかりの種の一つを持ってシーンの背に乗った。――瞬間、視界はひらけ青と白しか見えない――
「……行っちゃった」
あわただしく、早かった。
「……」
テーブルの上にある薬――(リールにしてみれば種である。)を見た。
「……なんで」
『知っているか? あの女を』
『“死を運ぶ女”か?』
『私のところの倅(せがれ)なんて、殺されるところだったわ』
『それは災難だったな』
『また、何か薬草を集めているらしい』
『前に、井戸を覗き込んでいるのを見たぞ』
『何かしてなければいいが』
『本当かい? なんだか最近水の具合が悪いのはその所為かなのか』
『かもしれない。なんたって、毒草を使って治療をするという話じゃないか』
『なんだって!?』
『知らないのか? 少し前にほら、角の所の息子の薬に、毒草を混ぜていて追い出されたんだ』
『当たり前だろう』
『海の魚も奇形が増えている』
『海にも行っていたよ! 薬を持ってた!!』
『野菜だって出来が悪いんだよ』
『森の中を歩き回っているらしいじゃねぇか』
『何より、あの女が立ち入った家は確実に葬式があったぞ』
『そうよ!!』
『子どもも見ていたらしいが、ありゃもう駄目だろうな』
『しっ!あそこの奥さんよ、聞こえたらまずいわ』
『わかりゃしねぇって』
『それに、他のリアス家の人を送らせてもらうのを拒まれたらしいしな』
『まさしく、“死”しかねぇってか?』
『そのとりじゃねぇか』
「……違う」
頭を振って、城下の奥で交わされる会話を消し去った。
「絶対に」
リーディは、そんなことしない。人を殺すなんて――
森だって水だって、よりよくしようとしていると、思う。
「……」
正直、実は悪くしてま~す。なんて話でも、シャレにもならない。
ふるふると頭を振って、それは違うと思う。
「これだって……」
薬だってなんだっていつだって、町に出て愛敬(あいきょう)を振りまくエアリアス家の大人よりよほどまともだ。
ただ、本人がしようとしていることは、違っている気がする。――誰かを治療すのも、この地に何か働きかけている事ですら。
『――王子、貴方は、もう少し、もう少し裏をお読みになる訓練をしなければなりませんね』
教育係はそう言った。
「なんで、そうやって」
――切り離そうとしているんだろう。
「違うのに」
人々は、死を運ぶなどというのだろう。そうじゃないのに。
「絶対、違うのに――」
手を伸ばして、種をひとつ握り締めた。
風の声が、うるさくて耳に痛い。しっかりとシーンにしがみ付きながら、リールは思った。
「ラーリ様!?」
「こっちだ」
焦った声が先を急がす。転げ落ちるように地面に足をついて、走る。
――湖の端に、今年成体となった一体のレピドライトが倒れていた。
「?」
なんで――?
「この島を出て、いくつかの島を放浪してきたそうなのですが」
怪訝そうに眺めながら、治療を始めるリールにシーンは言った。
「レピドライトは、変化に敏感だから――」
「影響が出たのは、今に始まったことではないか――」
この時の二人が思っていることにずれがあると、知っていたのはラーリだけだ。
「――助かった」
「いいえ」
礼を述べる言葉にリールは首をふった。私にできることといえば、不本意ながらも薬師としての術を披露(ひろう)する事だけだ。
「すぐに、帰るか?」
「――」
一瞬、できたばかりの種が頭をよぎった。でも、
「もう少し、ここにいてもいいですか?」
「好きなようにするといい。誰も拒んだりはしない。――そう、いつも言っておろう?」
最後は、何を今更と言わんばかりの口調だった。
「……」
王の場に戻ったラーリの背にもたれかかって、いつものように眠りに落ちた。
夕暮れが近づいてきて、空が色を変える。いくつもの色が重なり合って混ざったように見える。昼間のなごりと、夜が空を色取る。
「……いやな夕焼けだ」
――それこそ、始まりの分岐点。
「――フォトス王子?」
「王子様!」
「どちらに行かれていたのですか?」
「――? なんで聞くの? ここにいるよ」
「そういう問題ではありません!」
「みな心配しておりました」
――心にもないことじゃないか。
どうせ、いてもいなくても同じだ。期待と羨望(せんぼう)の対象は、兄に向けられる。だからこそ、自由にできるのだが。
「……?」
走ってきたわけでもなかったのに、さっきから心臓の鼓動が早い。だんだんと息が上がる、苦しい。
「――王子?」
ぼんやりと、焦点の合わない視線に気がついた者が声をかける。まるでそれが合図のように、第二王子フォトスは倒れた。
「王子!!?」
「王子様!?」
「フォトス王子?」
――その名は、嫌いだ……
ただ単に過去の功績(こうせき)が高い王子の名をとって、名づけられた名は好きじゃなかった。だけど、なんであの時にその名をなのったのかは、いまだによくわからない。
「早く! リアス家の者を!!」
焦りが広がる。また、その淵に、引きずられるのか――?
「フォトス!? ――ぇえい! どうにかしろ!!」
今度は、息子まで死なれては困る。倒れたと聞き部屋にやってくれば、ベッドに横たわったままである。高い熱にうなされて、時々局所的に痙攣(けいれん)まで起こる。意識はあるのか定かではないし。戻ってくるようにも思えない。
「……っわかっております……」
「……親父?」
「……」
隣で補助をしている息子が心配そうにしている。わかっている、何かが違う。原因もわからず下手に治療しても、悪化するだけだ。――殺すわけにはいかない。さすがに、今度は……
「……今日はどちらに行かれておりましたか?」
「は?」
国王は、何を言い出すのかと顔をしかめた。どこに行こうと、興味はない。
「いえ、先日検診をいたした時は何事もなかったので。……何か変わったことはおきていないでしょうか?」
「最近は何をしてるのだ?」
「王子様は、勉強が終えると決まって外に出かけてしまうので……」
「……」
誰も就けていない。狭い島の中では、誰もが息子の事を知っている。外からの侵略もなく平穏になれた島人は、微笑ましく眺める事はあっても無理やり城に帰そうとはしない。
「ぅわぁあああ!!」
「フォトス!?」
「王子?」
唐突に叫び声を上げて、第二王子は気絶した。
「ただいまーー」
シーンに送ってもらう帰りに、出来上がった種の一つを植えてきた。“出口”に。あそこなら、近いし。
しーーん
「……? ……ばかみたいじゃん」
いつも、誰かが待っているわけない。声が返ってくると期待している。
「あーーあ」
それでも、少しショックだった。ぼんやりと階段をあがり、いつもの部屋に。広げておいた種は、風にあおられた紙にかぶさってよく見えない。
ショックだったのは、その塔に誰もいないことか、自分が誰かいることを期待しているというという事実か。
最初に開いた分のさらに半分開いていた窓を閉めようと、近づく。――瞬間。
ゴォッ!
「――っ!?」
突然突風が吹きつけてきて、髪をなびかせる。カーテンが引き裂かれそうな勢いではためく。空の瓶が落ちて、割れる――
「なっ何な――」
ガジャンっ!
「きゃ!」
顔を向ければ、ジオラスが持ってきた、満開に咲いた黄色の花の鉢植えが落ちる――
「……!?」
一瞬で振り返って、テーブルの上の種の数を数えた。――十七。
「うそ……」
青ざめたまま、後ずさる。手に当たった液体の入った瓶がさらに落ちて割れる。その音にわれに返って、もう一度鉢植えを見た。
「なん、で……? ――っ!」
走り出したい気持ちを抑えて、速やかに種を瓶に入れた。迷わず下の棚、大きめの瓶に入れた果物のお酒付けのさらに後ろ、隠し棚になっている所に瓶をしまった。
「だって、まさか――」
どくん、ドクンと、心臓が早鐘を打つ。震えないように叱咤(しった)した手で、最悪を考えないようにした頭で、道具と薬草と毒草を持って、走った。
彼は今まで、何もしていない、何にもさわっていない。見ていただけ。だからこそ、余計に恐ろしいのだ。私は何も言っていない、さわるなとも、口を挟むなとも。薬に関しては。
だって、何もしないのだ。何を言えというのだろうか。何かすれば、さわれば、はっきりという事ができる。でもしていない。
小さないたずらですらしなかったジオラスが、もし、何かの拍子で魔が差したとき――何をしでかすのか恐ろしくてならなかった。……それこそ、取り返しがつかないような行動に出るのではないか――?
森を突っ切って、城の中に入る。いつになくあわただしく、騒々しい城の中。最短距離でジオラスの部屋に向かう――それが、まずかった。
「――きゃぁ!?」
「わ!?」
角の向こうから走ってきた侍女にぶつかってしまい、弾き飛ばされた。
「……な、なんなの?」
「っごめんなさい!」
それでも立ち上がって、走り出した。――でも、顔を見られた。
「……っきゃーー! 誰か! 捕まえて!!」
「え?」
走りながら首をかしげる。同じように向こうからやって来ている兵士も首をかしげていた。
「――“死を運ぶ女”よ!!」
はじめて、その言葉を呪った。
「な、に!?」
一瞬にして事態を理解した兵士に、正面から捕まった。
「はっ放してぇ!!」
「ふざけるな!!」
「――な、なんでその子がここに!? よりによってフォトス様が……」
――フォトス!?
「放して! 放してったら!」
こんな所で時間をかける場合じゃない!
「黙れ!」
兵士に殴りつけられて、道具を取り上げられる。
「返して!」
「お前なんかがいったら……」
兵士は、先の言葉を続けられないようだった。
「なんでよりによってお前がここにるんだ!」
侍女が取り乱し、狂ったように叫ぶ。
「こいつの所為よ!!」
「殺してやる……」
「放して! 返して!! ――私はっ」
再び頭を強く殴られて、意識が遠のく。それが嫌で、叫んだ。
「私はジオラスに会いにきたの! 放してぇ!!」
かすれ声が、出た。
「まだ言うか!?」
「いやぁあああ! 誰かーー! ここに原因がいるわ!」
「――何をしている!」
「「っ!?」」
水を打ったように静かで、低く響くようでいて怒気を含んだ声は、取り乱した侍女と怒り狂った兵士を黙らせた。
「せ、セイネル様」
「放して!」
現れたシャフィアラの第一王子に、言葉を失った侍女と兵士。何事かとリールは振り返ったが、すぐに叫んだ。
「黙れ! この女――」
再び兵士がこぶしを振り上げた。
「放してやれ」
「し、しかし王子っ」
「早く」
「……」
振り上げたこぶしを下ろして、兵士はしぶしぶリールを下ろした。でも、つかんだ腕を放さなかった。
「放して!」
「……」
「放して!!」
つかまれたままの腕を必死にふって、リールは叫んだ。
「――お前」
「放しっ! ――何?」
相手は視察から帰ってきた第一王子らしい。言葉を返さないからか腕にかかる力が強められて、痛くて痛くてしかたなかったが声を返した。
「……力を弱めろ」
「……」
涙目で振り返ったリールをみて、第一王子―セイネル・グラウジラル・シャフィアラは兵士に言った。
「――さっき、なんと言った。」
「? ……ジオラスに会わせて」
一瞬考えたリールは、用件を言った。完結に。いくら兵士に言おうと侍女に言おうと堂々巡りの言葉は、彼に言えば伝わる気がした。
「それを返してやれ」
「は? なぜです?」
怪訝そうにリールの持っていた道具をつかんでいた兵士が問い返す。
「……」
何かを決心したらしいセイネルは、転がっている薬草と毒草の包みを広い、道具の包みを兵士から取り上げた。
「「「王子?」」」
二人の兵士と、侍女が言う。
「つかまっていろ」
三人の言葉を無視して、リールに包みを持たせた。リール自身も驚いている暇もなく、いきなり抱き上げられた。
「はっ? あのっ」
言葉を聞かず、セイネルは走り出した。
「おっ王子ーー!?」
叫び声は風に消えた。
「いいんですか?」
さすがに、びっくりしたらしくリールは少し黙っていた。が、気になったので聞いてみた。
「“ジオラス”の知り合いなんだろう」
「?」
「それだけで十分だ」
弟のことを、母親にも父親にも呼ばれなくなった名で、今はもう兄である自分しか呼ばなくなった名で呼んでいる。それだけで。
「それに、あのわからずや共を説得するのは面倒だ」
「……同感」
なんとなく、破天荒な感じがとても似ていた。
「フォトス!?」
「王子!!」
気絶した王子を前に、人々は最悪を考え出していた。
(――冗談ではない)
せっかく、昔の失敗を肩代わりさせて、今再びゆるぎない信頼を得だしていたというのに、なんだこの状況は。
息が止まった王子を、必死にゆさぶる王を見て、自分の息子に視線を向けた。息子は、わからないというように首をふる。
(――どうする)
気付け薬をたき上げながらも、焦りが浮かぶ。早急な対処が必要だった。
「ジオラス!」
開いていた扉から、高い声が聞こえた。
「……リロディル……お前か!!」
そうだ、あの塔の鍵を王子は持っている。
(……なっ)
部屋の中にいる人など、リールには見えもしない。ベッドに横たわり息をしているか定かではないジオラスの身体は、途切れ途切れに痙攣していた。肌の色が白くなっている。ジオラスの肌は自黒。――いや、シャフィアラの民は毒素の影響で肌の色が本来より黒くなってしまう。それを考えれば、すぐにわかる。何が、起こっているか。
(あの種……)
まさか、口にしていたなんて……。リールは唇を噛んだ。――よりによって、だ。
大地の毒を中和するための種は、人の身体であっても同じ働きをする。体温の高いひとでは、その効果はすぐに現れてもおかしくない。
「……あれは……」
今のシャフィアラの民に必要な毒が、中和されているのである。――だったら。
(いくつかを戻さないと)
広い大地を範囲にする種に逆らう必要がある。
頭の中で考えながらも、リールはベッドに近づいた。
「何か言え! リロディル!」
「……この娘……」
部屋に入って驚いたのは、ベッドで痙攣を繰り返す弟、声を荒げて叫ぶエアリアス家当主に、考えている父親。――知り合いなのか?セイネルはエアリアス家のものだろうと思った少女を見た。迷わず歩き出したあたり、もう何か対処法がわかっているように思う。
「ジオ――っだ!」
「何をしている! お前のせいだろう! 王子はあの塔に出入りできるのだから!」
「言っておきますが、私が望んだわけじゃありません」
近づこうとして、殴られた。
「――邪魔をしないで小父上」
「なっ!? 何様だと思って……」
「今はしゃべってる暇はないの! 何もできないならでかい図体(ずうたい)さらさないで!」
「このっ! ――ひっ」
短く悲鳴を上げた小父上。なぜ悲鳴を上げたのか、見てもいなかった。
「……あの時の小うるさい娘か。セイネル、何をしておる?」
「足止めですが?」
思い出して納得している国王は、自分のもうひとりの息子に、すべての期待をかけている息子の不可解な行動を問い詰めた。
「なぜだ」
「こちらの方には、どうにもならないようなので」
「……」
「父上、様子を見るのもひとつの対処法かと」
「何かあったらどうする」
「すでに、こちらの当主様では何もできていなかったようですが?」
「そうだが、しかし、あのような小娘に任す必要も……」
がっしゃん!
リールは、たかれていた気付け薬を投げ捨てた。
その代わりに、ジオラスの枕元に皿を置き、いくつかの薬を混ぜ合わせながら入れた。さらに葉をくわえて、火をつけた。まわりがその行動に驚き、言葉を失う中。
燃え上がりながらもきつい香りが部屋に漂う。
「……かほっ! けほっ!!」
少したつと、一度びくっと大きく震えたあとジオラスがむせこんだ。――どうやら、直接煙を吸い込ませたようだ。
「フォトス!?」
「――陛下」
駆け寄ろうとする国王を、エアリアス家当主の首もとに剣を突きつけたままのセイネルが声をかける。
「リー……ディ?」
首だけを回して、自分の周りに人垣ができていることの半分も理解しきれないうち。ジオラスが声をかけてきた。
「――あとで殴るから」
「……僕は……」
「言い訳は聞かない」
「……」
話しながらも手は動いているリール。鉢に薬草を入れ叩き潰し、次に、
「――!?」
何してんだ、リロディク? そしてその鉢に入った毒草にリンザインは青ざめた。
「何を入れている!」
「小父上、私が何をしているかご存知でしょう? それに、小父上だって使っているでしょう?」
何を今更。
「そうではない! それは普通使わない!」
「誰のせいで私がこっちの道に詳しいと思っているのですか!!」
悠長に会話している場合ではないリールは、奥深くにあった思いを言った。後悔はしてなくとも、誰かのせいにしたいという思いは強い。
「ななな……」
あまりの言いように、小父上は黙り込んだ。それ以上言葉をつむぐのを、阻止されたとも言う。
(ぁあもう!)
どうして、自分の手はこんなにももどかしく動くのだろう。もっと早く、手早く。
「――間違った!」
盛大に独り言を言うように、リールはあわてた。
「おちつけ」
「わかっ……」
もっともな言葉にいらだって振り返ってみれば、小父上の首もとに剣を突きつけた第一王子?らしき人。
「……ふぅ」
息を吸って、吐いて。頭に上っていた自分と小父上のいざこざは、今は必要ない。
集中して――
大丈夫だよ。
長く時間がたっても、夜は明け切れなかった。ゆっくりと寝息をもらすフォトスを前に、リールは息をついた。
「……これで、あとは……こっちが、朝で。夜」
薄緑色の液体の瓶と、桃色の液体。
「スプーン一杯を水で薄めて――って、誰か聞いてる?」
「ああ」
「よろしく」
そう言って、リールは立ち上がった。
「王子?」
「フォトス様」
人々が安堵の息をついている隣を、歩き塔に帰ることは、できない。
がっ!!
「――何?」
両腕を左右からつかまれて、身動きが取れない。
「来てもらおうか、エアリアス家の娘よ」
「……」
選択し、あったの?
謁見の間で玉座に座り、国王はひざをつくように座らされた私に怒鳴りつけた。
「――娘。いったい息子に何をした!」
「何も」
「ふざけるな! あの塔でお前は何をした!」
「――だから、私は申し上げました」
怒り狂う国王に、呼び出されたリロディルクははっきりと言った。
「何?」
「何かあってからでは遅いのです陛下。なのに、あの塔の鍵を渡すと言われました」
思い当たる節があるのか、一瞬考え込んだ国王は、次に驚く事を言った。
「その娘を――殺せ!!」
「お言葉ですが、私は反対いたしました。しかし、お作りになったのは陛下です」
塔の、合鍵。
「黙れ! 息子を死の淵に追いやったその罪、死を持って償え!」
「陛下」
セイネルが声をかける。しかし、国王は聞きもしなかった。
「――私を、処刑なさいますか?」
「っ」
淡々とした言葉に、国王は息をのんだ。自分が死ぬ方法を問いかける少女の目が、あの処刑台で殺された夫婦に似ていた。
「……“エアリアス・リーグラレル・リロディルク”――お前の名を剥奪する――二度と、名乗ることは許さない、許されない。消え去れ。二度とこの国に帰ることは無い。お前の、存在はこの国にない」
「それは……陛下!!」
後ろで、横で、それだけはおやめくださいと声がする。島を囲む、荒れ狂う波と渦。――沈んだ船は、数え切れない。
「運がよければ、あの波を越えられようよ」
この場で殺さないだけで、何も変わりやしないではないか。
黙って、部屋を後にした少女の背。玉座に座る王の回りの人々は、見送るしかなかった。
与えられたのは、小さな一人乗りの舟に、二つの櫂(かい)がついていた。持ち物はジオラスを治療したときに持っていた荷物すべて。
「――乗れ」
どこか辛そうに命令する兵士に押されて、舟に乗り込んだ。暗いながらも、東の地平線は明るく、日が昇る気配がする。
ぼんやりとした頭で、櫂を漕(こ)いで進む。ちゃぷちゃぷと水の音がして、静かだった。聞こえるのは波が打ち寄せ、離れる音。人の声もしない。
無心で櫂を漕ぎ続け、そして、陸地を離れようやく顔を上げたとき、リールはそのまま眠りに落ちた。
『これは………これ? あれ、違う……む?』
目の前に広がった薬草と毒草をいくつもいくつも仕分けする。レピドライトが住む島には、他の島ではできにくくなったものがよく自生している。エアリアス家の書庫からかっぱらった本と草を見比べて、これから必要なものを選りすぐる。
ここはとても静かで、流れるものが違った。だから、堪えきれなくなった時はよく、ここに来ていた。レピドライトとはあまり親しくなく、話をすることもほとんどなかった。――だけど、少年の姿をした王とだけは話をする。
今は、不在らしい。いつも同じ場所にいるので、そこに行くのが当然になっていた。
『休憩……』
持参した菓子を取り出した。果物を入れたケーキ作りは、リールの得意分野だった。
『おいしー……?』
羽根の音がして、振り仰いだ空。何もない。
『あれ?』
『何食べてるの?』
『ぎゃ!』
背後から声をかけないでほしい……。
『……食べる?』
『……うん』
考え込んだ少年の姿をした王は、答えた。
それから、毎日毎日通ったこの島――いつしか、お付のシーンが頭を抱えて悩みながら菓子を買うはめに――
―――がばぁ!!!
「はっはっはぁっ……」
水の音は規則正しく、陸地は遠のいた。思わずわらってしまえるあの日を、振り払い思い直す。
もう、帰れない。
*
「……リール」
「ラーリ様?」
「お前に、“仕事”をしてもらう」
『お主に、力を与えよう。その代わり――……その時が来たら、我の手足となって働け――』
*
――“その時”を故意に遅らせていたのは、ラーリ様であったように思う――
遠い思いは過去の事。過去があって今がいる。今私がここにいる。――そうよね。
あの時が、一番いいとも言わない。だけど、だけど――
そして、もう五年経つ頃なのだろうか。
森の中に声が響く。そう、すべては過程の推測の話。だけど、もしかしたら、
「もしかしたら、今のこの結末もすべて、リインガルドのシナリオの中なのかも」
失敗も、成功も。子孫が権力におぼれ堕落する事も、私のように真実を知って行動に移せる者がいることも。
「踊らされているわね」
本当に本当は、この本の通りに、なってほしかったか。それとも、どこかで止めてほしかったのか。その時がくれば、誰もそんな事はできないと思っていたのか。
――今となってはわからない。すべて。だけど、そう。
「だけど、今目の前がすべて」
他に、何を誤魔化そうか?
日の出が見える空に背を向けて、リールは歩き出した。
「……朝か」
貸し与えられた部屋で、カイルは眠れなかったらしく不機嫌だった。
昨日、リールがなぜこの島から追い出されたか聞いたのはいい。だが、こちらが疑問を口にする間もなくあの男は仕事があるからと席をたった。何の仕事だと聞けば、リーディールに服を作ると言った。
「……」
「――王子?」
「おきている」
「……」
部屋に入ったレランは、黙った。―――朝の王子は機嫌がいいことなどほとんどなかった。少なくともエルディスでは。
カココン!
「……出ろ」
「……」
がちゃ
部屋の扉を開けて、身体を廊下に出す。閉じた扉の先で、王子がベッドを降りるのが見えた。
「おはようございます!」
「おはよう」
こちらは、たぶんセナだったと思いながらレランは答えた。
「朝食もまた皆様で、用意はあと半刻もすればできますので」
「伝えておく」
「いやですわね。貴方も同じお客様ですのに」
「……」
「――?」
つもなら自分じゃ開けもしないカーテン。律儀にいつも開けていくレラン。
開かれてゆれる窓の外――青空。
一羽の鳥が飛び去った。
「リーディール」
「何よ」
「こっちはどうだ?」
「もうどっちでもよくない?」
「何を言うか! 色合いは問題だぞ!」
「どーでもいいから」
青と水色で悩まなくてもいいと思うし。
「何を言う。青は嫌いじゃないだろうに」
「……」
何、今の言い方。
館の主と一緒に現れた、リールは盛大に不機嫌だった。
「……」
どうやら、本当に新しい服を作り上げたらしい。
前の服より単純で、動きやすさを考えたようだった。
会話の少ない食堂の中では、ただ皿が空になる。当然のごとく、数あって尽きない料理。
入り口は、広く、雨の泥濘(ぬかるみ)は微塵も残っていない。纏(まとわ)わりつくものもない風。
出発の朝。
「……リーディール様」
「何ユア?」
「また、いらっしゃいますよね?」
「ユア!!」
セナが声を荒げた。
「そうなるとも、そうならないとも言えるわね」
「「え?」」
「また、ね。ユア、セナ。――アズラルによろしく」
にっこりと、最後の言葉を強調した。
「「任せてください」」
二人の声も、負けないくらい怪しかった。
見上げた館の部屋の窓。カーテンの端に人影が見える。
「……」
そして、歩き出した。
「で、どうやって行く気だ?」
「……ぁあ!? さっき鳥を見なかった?」
「見たな」
「今頃は大慌てで準備しているかもしれないし、」
「すでに、終えているかもしれない」
「そういう事」
「……」
何がだ何が。
「――ぁあそうそう」
「?」
膨れ上がっていた荷物が邪魔なのか、歩きながらリールは包みを取り出した。
「なんでも、久しぶりに男ものの服の創作意欲がわいたんだと」
「……」
渡された包み。中身は……
「二人分」
交互に指差して。
「……」
「いらなきゃ、捨ててかまわないわよ」
「……」
さらに無言で、レランに押し付けた。
「――ウィディア様?」
“リアス”と呼ばれるのも、あの長い名前で呼ばれるのも好きじゃない。だから言ったんだけど……律儀よね。いちいち。
「早かったわね」
「それはもう! あれからずっと、いつでも出港できるようにしておりました!!」
「……」
律儀よね。
「俺の勝ちか」
「いつあんたと賭けをしたわけ?」
「さっきだろ」
「……」
確かに、“すでに終えている”とか言ってたけどね。
三人は船に乗り込んで、また同じ部屋に入った。さっそく読み終わった本をレランが棚に戻し、読んでいなかった本をカイルは取った。
今度は、のんびりギミックと話をしてこようかな――
「行き先は?」
「ニクロケイル」
海の先の陸地を眺めて。
→聖魔獣編