約束編

 がたがたと、山道を馬車が走る。空は曇っていて、どことなく道も森も薄暗い。
 従者は二人で、一人は薄暗さに怯えている。一人は気にした様子もなく、鼻歌交じりに馬を操っている。
 どこかで、動物の鳴き声が――やんだ。

 黒い影が、森の中を音もなく進んでいた。足早に進む影の先に走る馬車があった。
 そして影が止まった。山の斜面を覆い尽くすのは、黒い、黒いマントに身を包んだもの達だった。暗闇にまぎれながらも、しかし、体格の良さは隠しきれない。
 男ばかり――数は三十。一番高い所で馬車の様子をうかがっていた男が手をあげた。
 それが、合図だった。

 がたんと、馬車が大きく揺れた。中にいた二人の女性が目をむく。何事かと一人が動いて、もう一人に止められた。
 正しくは、紺色のたっぷりとしたドレスを翻した女性に、その侍女らしき質素なエプロンドレスを着た女性が懇願していた。
 外では、懇願と抵抗と怯えと脅しが入り混じっていた。
 だけど、抵抗もむなしい。脅すように金属がぶつかり合って耳障りな音がする。
 囲まれてしまい、馬は落ち着きを失う。
 馬車を囲む山賊たちが去った後、残されたのは馬のなくなった馬車と、馬を操っていた男二人と、一人の侍女。

 夕焼けが、城壁を赤く染めている。夕食の食材を求める婦人と、岐路につく人でごった返すエルディスの城下町。
 それもまた、日常の光景だった。


「王子妃様がさらわれたーー!!!」
 唯一日常を逸脱して騒がしい場所といえば、ここ、エルディス城内だけだ。
「……なんだいったい」
 意味不明なことをいう兵士に呼び出しをくらい、意味がわからないままやってきたカイルは心底あきれていた。
「王子様! わたくしの首をおとりください!」
「いえ私を!」
「わたしが!」
 目の前に転がり込むようにひざまずく三人の男女。カイルは静かに眉根を寄せた。
「だから、なんなんだ」
「王子様。それが、王子妃様が山賊にさらわれまして……今のところ身代金の……王子様?」
 その場にいた侍女と従者達が青ざめる中、カイルの表情の変化に誰もが言葉を失った。
 ……笑っている……
 かすかに口元を上げているだけであったはずの王子の笑い声が、だんだん大きくなる。
 ひとしきり笑って、カイルはレランを振り返った。
「どう思う?」
「山賊が哀れでなりませんが」
 国一番の哀れなレランに同情される山賊たち。
「王子様!!」
 あの時、王子妃のすぐ傍にいた侍女が体を震わせている。本気で怒っている。
「いや、お前を侮辱しているのではないし、心配していないわけでもない」
「そういうことを言っている場合ではありません! 王子妃様に何かあったら!!」
 食い下がる侍女を手で制して、カイルは問いかける。
「何か言っていなかったか?」
「……ぇ?」
 突然の言葉に、侍女は言葉を失う。しばらくして、思い出してはいけないものを思い出したかのように、小さくなって小さい声で言う。
「“最近運動不足だったし、ちょうどいいわ”と」
 満足のいく答えをもらったかのように、カイルが笑う。再び、後ろに向かって問いかける。
「どう思う?」
「山賊が哀れでなりません」
 おそらく、訓練に混じって剣を振るう王子妃の姿を見たことのある兵士達も、同じ意見だろう。
 それこそ、山賊が哀れだと。
「まぁ明日当たり帰ってくるだろう」
 逆に返り討ちにして。
「王子様!?」
「馬の準備だけしておけ、だが、余計な世話だと思うがな」
「隊を編制しなくてもしないのですか!?」
「そこまでしなくても、あれの剣の腕を知っているだろう? 山賊を相手にしたからといって、そう簡単にやられはしない」
「身ごもっておいででもですか」
 突然乱入した声の主のいる場所を、誰もが振り返った。しかし、その言葉を誰よりも重く理解したのは一人だけだった。
「侍女長……?」
 一人の侍女が、ほうけたように呼ぶもの。カイルがくぐって来た扉をくぐって、エルディス城の侍女長が現れる。
 すっと足を運んで、誰よりも王子の近く、正面に立った侍女長は、静かに礼を取って、次の言葉を言う。
「最近体調が優れないようでしたので、医師に診察を……結果はこれからお伝えするところでした」
 そこで言葉を切って、侍女長は息を吐く。そして――
「三ヶ月目に入る頃です」
 三ヶ月前と言えば、シャフィアラから連れ帰った頃と重なる。
「……」
 カイルは沈黙した。その場にいた誰もが、何も言えない。
 そして、沈黙は短かった。マントが翻る。
「馬をまわせ」
 動き出したカイルの行動は、早かった。


「いい馬だったが、どこの馬だ?」
「さぁ?」
「で、この娘は……ずいぶん静かだな。名は?」
「誘拐するなら、住んでいる場所と家系の名前くらい調べておかないと、身代金の要求に困るんじゃないの?」
 暗に、それを知っていれば自分がここにいることはないと言っている。幸か不幸か、カイルの名はなぜか巷に広がっている。
「ずいぶん、生意気な娘だな」
「どっからきたの? この国じゃ山賊もはやってないけど」
 盗賊とか海賊とかもね。
 さて、山賊に攫われたエルディスの王子妃――リールは現在山賊の頭に喧嘩を売っていた。
 エルディスではカルバート王が街道、町の警備の強化を図っているので、エルディスから山賊だの盗賊だのなんだのは生まれにくい。
 が、他の国は別だ。いろんなものが流れてきていると、対処にまわされていたカイルが心底嘆いていた。
 どうせ暇なんだから働けば? と一言で済ました。
「っていうか、絶滅寸前よね」
 はっきりいうと、なぜか怒りだした。なんか、これでも名が通るものだったらしい。何か言っているが、聞き流した。
「まぁいい。小娘。自分の立場を身をもってわからせてやらないと、理解できないのか?」
 リールの視線をあわせようと、男があごを掴んで持ち上げる。だが、リールは睨み返しただけで恐れもしなかった。
「安い挑発に乗るのね」
「このっ」
 いらだちを募らせているのは、何も頭だけではない。
「何が目的なのか知らないけど、」
 そう言ったリールはドレスのスカートの下から短剣を引き抜く。おとなしい娘だと思われたのか、腕を拘束されることはなかった。ざわりと、周りの空気が揺れた。
「言ったでしょう? 最近運動不足なんだって」
 リールの手を離れた短剣が、頭のほおをかすめた。
 山賊はリールによっていらだたせられたが、その原因のリールも自身の体調不良にいらだっていた。


「で、」
「はい」
「どこにいる」
「報告があったのは、南と東の山でした」
 盗賊団を盗伐したと思えば、今度は山賊だという。リャン国が不安定であり、流れものが多く来ているという話は聞いている。
 それが、単純に移住ならまだいい。だが、それだけとは限らない。
「あの日、通っていたのは北の山だろう」
「はい」
 リャンと並んで、不安要素をあげるとすればセンシレイド国だ。だいたい、この二つは仲が悪い。
 仲が悪いなら悪いで、その国どうして争ってほしい。


「隊長!!?」
 夜も更けたエルディス場内で、のそのそ起き上がって岐路に着こうとしていたセイジュは、かなりいらだった声に何事かと振り返る、ひまがなかった。
「どぎゃぁ!? なんだよ?」
 ばっしゃーんと容赦なくひっかけられた、大量の水。花壇にまくには足りない。しかも夜だ。意味がない。
「なんだよではありません!」
 というか眼は覚めましたか!?
「しっしぬっ!?」
 セイジュの隊の副隊長も、この時ばかりは自分の上官に容赦なかった。胸倉を掴んで揺さぶっている。そして、ぴたりと止めた。
「ぇえ一度死んできてください。ぜひ王子に首を切ってもらうといいです」
 パッと手を離すと、セイジュは落ちた。
「げほっいったいなんだよ。突然」
「まったく、今度という今度は無視する場合じゃないです!」
「なんなんだよ。仕事してるだろう!?」
「どの口が言いますか!?」
「た、隊長、副隊長」
 話がちっとも本題に入らない上に脱線していることを、隊員たちは知らせようと頑張っていた。
 しばらくして、ようやくセイジュは自分の隊の副隊長の怒りの意味を知った。
「は? 王子妃がさらわれた? 災難だね~」
 王子妃が、ではない。災難なのは、王子妃、ではない。
「いや、災難というより、自殺行為か。あっはっはっは~」
「死んできてください」
「ギャー!?」
「副隊長……」
 ここまでしますかと、兵士が引いている。
「笑っている場合ではないのですよ!?」
 しかし、彼の思う本題はそこではなかった。


「小娘!」
 変わって、ここは盗賊のねぐら。粗末な小屋に押し込められたのは、盗賊はもちろん、リールも同じだった。
 取り出した二本目の短剣は、横にいた男の肩に突き刺す。崩れ落ちた瞬間に腰元の剣を拾って、男を蹴り飛ばす。
 そこまで、盗賊たちは何が起こったのかわからずぽかんとしていた。
 彼らが動き出したのは、剣を構えたリールが笑った。次の瞬間だった。
 呆然とほほを押さえていた頭の表情が変わる。リールをにらむ目が、獰猛に変わる。
 磨かれた剣が銀の光を帯びて跳ね返る。剣と剣の合わさる音が耳に響く。近く、遠い距離を詰めようと男たちが動く。
 狭い地形を生かそうとリールは男たちを追い払う。
「せまいわっ!?」
 が、限度がある。
「調子にのるなよ!?」
 頭が突進してくる。それを見てとったリールはげっとうめいた。その次の瞬間、人影が窓を突き破って空に踊った。
 それからが、長かった。


「で?」
 主のいらだちが徐々にましていくことを、レランはひしひしと感じていた。隠す気がないのだろうが。
「はい」
「まだ見つからないのか?」
「……」
 例え脳がないと思われようと何をしようと、黙っていたほうが賢明な時もある。
「まぁいい。そうそう、何かあるわけじゃないだろう。本人はいたって元気なのだから」
 そう言い聞かせるように、王子はため息をついた。今までになく、長く深い。
 城を出てから走らせたままの馬を休めるように足を止めて、木の下に座り込んでしまった。
 そして、溜息をつく。思案する時間が、長いように思えた。


 月明かり照らす中、振りかざす剣が光る。その光は地を伝い、黒くなった剣を使うなというように光をもたらす。
 使えなくなった剣は捨てて、新しい武器を男から奪う。足を切って、腹部を狙って、あとは後部に衝撃を与えて、男たちを次々に切り捨てる。
 大変な状況にあるというのに、リールの口元は笑っていた。とても楽しそうに。
「――はっ!」
 またひとり、鈍い音と共に男が倒れた。鮮血が舞う。月明かりが、その色を暗く光らせる。
 腕、腹、足、同じように自身も傷つかないと言う保障は、ない。赤い、赤い血が大地を染め上げて、血のにおいが立ち込める。
「やっ!」
 血にぬれた剣を捨てて、次の剣を拾った。そして、突き刺す。ぴぴっと、頬に飛び散ったものをぬぐう暇は、ない。

 ――さん

「次!」
「調子にのるなぁ!?」
 剣を振りかざす男から逃げるように位置を変える。背後から襲ってくるものに剣を突き刺してから正面の男に向き直る。
 振り下ろされた剣が振り上げられる前に、動いた。

 ――あ、さん

「このアマっ」
「遅いわよ!」
 血が滴る剣を投げ矢のように使って、次の武器を奪う。その繰り返し。数ばかり多いけど、その程度? と、挑発するように笑う。
 さらに、男たちは怒り狂う。
 ちょこまかと、頭の剣からは逃げて、下っ端を昏倒させる。
 囲むように左右から、二人の男が剣を振るってきた。
キン!!
 瞬間中に体を浮かせたリールは、着地する前にその二人を蹴り飛ばした。
 すたんと、地に足をついた瞬間に、再び剣をふった。

 ――おかあさん

「!!?」
 呼ばれたような気がして、突然リールの動きが止まった。その間も、男たちは襲い掛かり続けている。
 止まっていたのは一瞬で、おそらく、誰も不審に思わなかっただろう。
 振り上げた足で男を攻撃して、真横にきた男の横っ面を思いっきり叩く。
 剣を振り払って、血を舞わせて。しばらく、リールの動きは止まらない。
 そして、唐突に止まった。あれだけいた男たちが、今は地面に転がっている。時折、ひくひくと痙攣している。死んではいないようだ。
「うらぁっ!」
 隣から向かってきた男の剣をはじき返して、足を振り上げる。吹っ飛んだ男は、後ろの男にぶつかり、何人か一緒に坂を転がり落ちていく。
 足もとに転がる、うめいた男たちには目もくれず、リールは立ち尽くした。その手が、そっと、腹部に触れる。
 剣が手から離れて落ちる。月の光を反射して、輝く。
「まさか――」
 腹部に当てた手が、重なった。


 ようやく目星をつけて、馬を走らせる。北の山にはもう使われていない孤児院があったはずだから、ねぐらにするには丁度よいのではないか、とレランが言った。
 薄暗い山の中を馬で走らせるも、満月だけは輝かしい。まるで、笑われているようだとふと思う。
 何もしてやれない。
 望まれていないのだから、当然だとも思うが、舌打ちをしている。
 舌打ちをしたい気分だというものでも、実際に隠す気はない。
 やがて、斜面の上、丘のようになった場所に、孤児院の屋根が見えてきた。


「遅い」
 一言、だった。
 切り株に座って、月の光を背に受けていた。一瞬、その姿に見ほれて動けなかった。――周りの惨状は無視した。
 ただひたすらまっすぐ歩いたので、なにかふみ心地の悪い物を何度も踏んでいたが、気に留めもしなかった。
 睨んでいた目が、いぶかしむ様にゆれた。ただ、その瞳から視線をそらす事はない。
 羽織っていたマントを外して、包み込むようにその肩にまわした。
 きょとんと、その顔がほうけた。その身に血を浴びながら、月光を背に佇んでいながら。
「なに?」
 疑問に思いながらも、拒絶することはない。自身の前で重ね合わせるように手を出したリールが問う。
「いや、冷やすとよくないと……聞いたことがあるのだが……」
 あとは、口を閉じてしまった。リールは一瞬睨みつけるように視線を送ったあと。次に驚いていた。そして、意外そうに言う。
「……気づいたの?」
「侍女長が教えてくれた」
 そうだ。忘れていた。何があってもいいように専門書を読んだ自分がいたはずなのに、いざ目の前にいる妻に何をしていいのかわからない。
 その言葉に納得したのか、リールは「ぁあ」と言葉を漏らした。
 様子に、これまで思い悩んできたものが止められない。
「ぅわっ」
 横向きに抱き上げて、手元に収める。月の光に消えてしまわないように、名の下に集わないように。
「どうしたの?」
 自分の行動を疑問に思ったのか、不思議そうに問いかけてくる。そういえば会うのは久しぶりだ。
 自分は忙しかったし、リールは視察を兼ねて他の領土に行っていた。
「……産んで、くれるのか?」
 そう、思ったのだ。侍女長に話を聞いた時から。誰よりも死を望んでいた、リールが。
 その顔が、驚いたように、目を見開いて絶句していた。何度か瞬いたあと、静かに笑った。
「呼ばれたの」
「呼ば、れた?」
 なんのことだかわからない。そうとう意味がわからないと言う顔をしていたのか、くすくすとリールが笑う。
「この馬鹿」
 細い……細い腕が首に回される。血に染まった服も、腕の細さも、その手が何をしてきたのか、すべては知らない。
 ただ、この目の前、今腕の中にいることが現実。
 耳元に、小さな囁きが聞こえた。自分で考えられるすべてを、与えてきたつもりだった。
 だからこそ。
「ちょっ……くるし」
 うめくような声にはっとわれにかえる。もてるすべての力を込めていたことを自覚してあわてて手を離す。
 地に下ろした瞬間、ほっと息をつくその姿を見て、何度もその身と赤子は大丈夫なのかと問いかけると。あわてすぎじゃないとあきれられた。


 一方その頃レランは、主と、不本意ながらその妻である小娘の再会を邪魔することのないように離れた場所の木の影にいた。
 そう、おそらく、彼の仕事はこれから岐路につく王子と、王子妃を護衛すればそれでよかった。はず。はずなのだが……
「ったっくよ~人使いあれぇよなぁ」
「……」
 聞きなれすぎて、むしろ口を塞ぎたい声を無視したいができずに剣を引き抜いた。
「だいたい、どこに行ったのか追うだけでも大変なのに、夜だぜ? ないない」
 はぁとため息をつき、首をふる。しばらくすると、ぐしゃぐしゃと頭をかき乱し始めた。
「だいたい、俺が王子がどこにいったのかわかるわけないじゃねーかよ。生きた発見器じゃあるまいし」
「何をしている」
 その生きた発見器と自分で称したものの声が聞こえて、セイジュは凍りついた。ぎしぎしと音が鳴りそうな様子で振り返る。
 レランはため息をついた。よもや、同じ城内で働くものが邪魔になろうとは、今宵誰が想像しただろう?


 遠くに、同じく聞きなれた叫び声がこだまして耳に入る。
「……」
 幸福感に浸っている所に、無粋すぎると目を開けた。すると相手も同じように目を開けていたので、至近距離でその目を見つけようとしてそらされた。
「なぜそらす」
「なんとなく」
 唇を離して問いかければ、しれっと言ってのける。
「夜は冷える。もう帰るぞ」
「いいけど」
 あっさりとその身を抱き上げて、馬のところまで進む。馬の背に乗せて、その後ろにまたがる。
 横向きと言うあまりない状況で馬に乗るリールの体を支えて、とどめる。この腕が牢のようだと苦笑する。いつの間に、とも思う。
 飛び立って、戻って、消えて、帰って、その繰り返し。
 なんだと見上げてくる視線に口付けを返して、馬を走らせた。
 城の中で狂喜乱舞する様子が、そろそろありありと浮かんできた。


「ぎゃーーー!!?」
 同情の余地なし、と言う言葉は、この場合のためにあるものだと頭の中で納得する。振り上げた剣先から、脱兎のごとく逃げる影。
「なぜ逃げる?」
「逃げるなと!!?」
 倒れた木のうしろから、声がする。そっちか、と、レランは標的を確認した。



「あなた!! あーーなーーたぁ!!!」
 いつもは、廊下を走るなと率先して言うはずの王妃が、夜の城内をドレス姿で大またに走っていた。
「フレア、いったい何事かね」
「いったい何事ではありませんわ!!」
「じゃぁ、何事かね」
 国王は、ことの詳細を聞いていたのだが、この場合妻のしゃべりに任せたままにするほうが得策だと、長い月日の中で学んでいた。
「私(わたくし)の玩具(おもちゃ)が!!」
「孫といってやりなさい」
 そうきたかと、国王はため息をついた。



 とくん、とくんと、聞こえる音に身を任せる。ただ静かに鼓動する音。なんど、聞いてきたのだろう。
 なんど、この身を預けて、そして――
「どうした?」
 ちょっと意識がはずれるだけで、問いかけてくる。このすばやさ。
「なんでも」
 そっと、手を伸ばして腹部に当てた。
 聞こえたあの声は、そう。本当なのだ。うそでも、間違いでもない。私を、呼ぶ声。
 “また”ね。まだだから。
 ふっと、ぬくもりが加わった。腹部に当てていた手に重なる手。見上げると本人はいたって平然と、前を向いているつもりらしい。
 笑ってしまう。


 最後の断末魔を聞き遂げてから、ふとわれに返る。嫌な予感に駆られた、というのが正しい。
 足元でひくひくと手を伸ばす男を無視して、足早に戻る。その場所。
 誰も、いなかった。
 いや、いたのは、うめき声を上げるまでに回復した山賊たち。
「ぅらぁぁああ!」
 立ち上がって剣を突きつけてくる男の剣を弾き飛ばして、顔面を殴り飛ばして昏倒させた。
「うへっ容赦ねぇなぁ」
 この男のほうが、しぶとい。
 ゆらりと、自分でも何かを背負っているのは自覚して振り返るとひぃっという悲鳴が聞こえた。
 遠くで、こちらを伺っていた山賊の一人が気絶した。
「一人も残さず縛り上げろ」
「はいいぃ!!」


 王子の命を受けて手伝いに来た自分ともう一人の隊の者と山賊を引っ立てて城に戻る頃には、朝になっていた。



 何かの気配を感じて目覚めて、首を右に回して見るとそこにいたのは王妃だった。
 ベッドの端にひじを着いてこっちを見ている。絨毯の上に直接座っているのだが、今回は誰も何も言わない。いえない。
「よく眠れて? リール?」
 笑顔が何かを含んでいるようで警戒した。
「何を身構えているの? ほらほら、おきたおきた。朝食が遅くなってしまうでしょう」
「な」
「ほら、だってあなた。子がいるのよ。侍女長がおしえてくれたわ~もう。もっと早く教えてと頂戴。びっくりしたじゃない」
「カ」
「そうそう。カイルなら今山賊を引っ立ててきたレランの元に言ってるわ。とっても、不機嫌な顔して」
「だ」
「だから私があとを任せてもらっているの。光栄でしょう?」
 にこにこと、王妃は笑顔だ。口を開くたびに先回りされてしまったリールは、一度深呼吸した。そして言う。
「王妃様が待っているのは玩具の間違いでしょう」
「まぁリール。否定はしないけどそれだけじゃないわ」
「……」
 何を言っても無駄かと、リールは遠い目をしていた。


「で?」
 王子は相変わらず、不機嫌だった。
「たすけて~」
 なぜか山賊と一緒に引っ立てられているセイジュも縛られていた。
「牢に入れてきます」
 最初にセイジュを引きずっていく、レラン。
「ぎゃーー!?」
「騒がしい」
「たいちょ~」
 セイジュの隊の副隊長ががっくりと頭を落とした。
「大変そうですね。手伝いましょう」
 くすくす楽しそうに笑いながら、オークルが通りかかる。
「助かる」
 レランはあっさり頷いた。
「おまえらっ!? 王子と一緒にやさしさも置いてきたのか!?」
「本人に聞こえる前で言わなくてもいいでしょうに」
 オークルがため息をついた横で、
「同感だな」
 すかさずカイルが突っ込んだ。
「ぎゃーー!?」
「楽しそうよね」
「リール、何をしている」
 あきれた声に、カイルが声をかける。心なしか、あわてているように思える。
「あれ。どうにかして」
 心配しているのか睨んでいるのか傍目からはわからないカイルの視線に臆することなく、リールは自分の背の向こうを指した。
「リーールーー!?」
 カイルがさくっとリールをレランの背の後ろに隠した瞬間、王妃の目がこちらを見つめた。
「エルカベイル! リールは!?」
「母上がしつこいので逃げたのでは?」
「どこに!!?」
「知りません」
「まぁあなた、知らないの。知らないというの?」
 ずかずかと王妃が近づいてくる。はぁとため息をついたカイルが歩を進めるとと、王妃の足が止まった。
「だいたい、すぐに母上に見つかりそうな場所にいるわけがないでしょう」
「そうなのよね。でもあの子が逃げるところなんて、あなたの近く以外に思い浮かばないわ」
「ですから、逃げたのでしょう」
「もう! 話すことが山ほどあるのに!!」
 ぁあもうと声を荒げて、王妃は王子妃を探すべく城の中に戻っていった。
「ったく」
 邪魔ばっかりだとカイルが髪をぐしゃりと握った、その後ろに。
「ぁあ、リール。やはりここか。元気なのはいいことだが、ほどほどにな」
「ご心配をおかけしました」
 なぜかレランの背後を取るように現れたエルディス国王。
「まぁそこまで心配してはいなかったが。元気そうでなによりだ。そうだ、湯治にでも出かけるか」
 いい提案だと言いたげに、にこにこと笑顔の国王にリールが言う。
「陛下と二人で?」
「よくわかっているじゃないか」
「父上」
 リールが次に口を開く前に振り返ったカイルの声がほとんど呪いのようだった。
「なんだ、父親を呪うな。なぁリール」
「そうですね。父親が呪われないといいですね」
「……嫌味か」
「そう聞こえるのか」
「そう聞こえるみたいですね。陛下――は?」
 にっこりと会話していたのだが、というか背後から突然国王が現れたのには驚いたが――じゃなくて。
「父上」
「まったく、いつまでやってるんだ。朝食もまだだろう」
 国王は抱き上げたリールをカイルに手渡してから、またあとでなとリールに声をかけてから城に戻っていった。
 しばらく、リールがカイルを見上げて、カイルはリールを見下ろしていた。それから、カイルは縛られて転がされているものに背を向けた。
 さっきまで壁にしていたレランに言う。
「連れて行け」
「はい」と返事が二つ。それと、
「おれもーーー!!?」
 いまだに縛られたままのセイジュ。
 話は振り出しに戻った。



「聞こえた?」
「はい?」
 突然、抱きついてきた王の体を支えると、ささやかれるように、まるで、言葉にするのももったいないというようにかすかな声で王が言う。
「声は、届くんだ」
「タイム王?」
 その知識以上に持て余る体で、精一杯生きる。
「声は届くんだ!!」
 嬉しそうに笑う。その表情に安堵して笑う。
 結局、なんの話だか王は教えてくれなかった。王は、その時が着たら、おしえてもらえるよという意味深な言葉を残したまま嬉しそうに空に手を伸ばしていた。



 騒がしい毎日から一変したような、余計騒がしくなったようなよくわからない数日間。

 ふっと目が覚めた。横向きで眠る自分の目に、一番に映ったのは――
「でっ!?」
 目の前をちらつく青銀の髪を引っ張った。
「放せ」
 さすがに、痛いらしい。
 手を離すと、真横に横向きにひじを立てている。少しだけ頭が上にあるので、楽しそうにこちらを見下ろしている。
「……何してんの」
 目が覚めて、隣に誰もいないことがいつもの事である。
「他に言う事はないのか?」
 見るからにがっかりしたカイル。
「ないわね」
 即答すると、がくっと頭を落とした。じゃまねーとぼんやり思っていると、突然動いた。
 ほとんどのしかかるように、上にかぶさってくる。さっきより距離が近くて、首筋に息がかかった。
「――重い」
「あのなぁ」
 頭が首に落ちて、さっきまで息がかかっていた首に髪がさらりと流れていく。
「わかったわよ」
 首を持ち上げるように両手でほおをつかんで視線をあわせる。すべるように手を動かして、そのまま首のうしろに回した。
 引き寄せたのが先か――引き寄せられたのが先か――もうどうでもいい。


いまだに部屋の中でぬかるみのような時間をすごしている二人がいる中、また別の場所ではレランが朝から指示を飛ばしていた。
「ヴェリー!」
「はい」
「朝の予定だが」
 黒いマントを翻して、レランがさっそうと歩き去る。名を呼ばれた服隊長は、間をあけず返事をする。朝一でこの二人が会話する姿は、ほぼ毎日のように見られる姿だ。
「隊長!」
「なんだ」
「こちらの……」
 そこに兵士が飛び込んでくるのも、
「レラン様!」
「どうした」
「書類の事なのですが……」
 朝からはじまる王子の書類の準備の相手と……
「レラン様!?」
「なんだ」
「王子妃様なのですが……」
「私に聞くのか?」
 時折、なぜか侍女がやってくる。それは本当に王子妃のことで必要なのか、それともレランに近づきたいのか、真意にレランが気がつくことはない。
 だけど、きっと彼女は話しかける内容を選び間違えている。しかし、そのレランの声がいらだちを含んでいても、気がつくものはそうそういない。
 その隣でいらだちを感じ取った副隊長が苦笑していた。
 侍女の言葉にいくつか返して、レランは歩き出した。話が中断してしまったヴェリーと共に兵士の訓練所に向かう。
「……隊長?」
 と、ヴェリーが立ち止まる。彼は、自分の隊の隊長の進む場所をさっして疑問を抱いた。
「なんだ」
 レランは、立ち止まって振り返った。
「本日は、王子の起床の迎えには」
 ひやりと、温度が下がったような気がする。
「……隊長?」
 ヴェリーのほほを、冷や汗が流れた。


「で、あんた。何してんの?」
「ぁあ忘れていた」
 乱れた息を少しだけ整えて、また聞く。本題をすっぱりと放置していたカイルは頭を上げた。さっぱり忘れやがって……リールは少しだけほほを引きつらせた。
 それを知ってか――知らずか。カイルはとても楽しそうに、嬉しそうな顔をして言う。
「しばらく朝の見回りを短縮――もしくは代理で済ませることにした」
「かわいそうね。そのせいで迷惑をこうむった彼らが」
 一気に言い切ると、冷ややかな視線を感じる。少しだけ嫌な予感に視線を合わせると、耳に噛み付かれるように囁かれる。
「……誰のことだ?」
「ふっ」
 まるで抗議と抵抗を奪うかのようにカイルの手が動き回る。足が動いたのは、反射的だった。
ドスッ
「がっ」
 しばらく、寝台に寝転んだままの二人の影は動かなかった。


「王子か」
「は、はい」
 低すぎる声に、しかし、質問した手前ヴェリーは答えた。
「それなら一人行かせている。働くのに丁度いいだろうな」


 その言葉通り、王子のもとに行かされたサボり魔は……

「……」
「セイジュ様? どうされたのですか、ばかみたいにつったって」
 王子様、王子妃様の部屋の前に。
「いや、レランに王子を起こしに行くように脅されたんだが……」
「ですが?」
「王子は、朝の見回りをオークルに行かせているんだろう?」
 立派な身代わりを立てて、ここぞとばかりに妃と共にいる。表向きに見れば、ほほえましいかもしれないが。
「邪魔したら殺される……」
「でも起こさないと職間怠慢ですね」
「……あのさ、君は俺の味方じゃないの?」
「私は通りすがりの侍女ですわ。嫌ですわ、勘違いなさらないでください」
 輝かしい笑顔で、侍女は部屋の前を通り過ぎて去っていく。セイジュは、中途半端に手を上げたまま固まった。
(誰か助けろーー)
 残念ながら、味方はまず作らなければならなかった。


 羽ばたく鳥を捕まえるのは大変だと、最近強く感じる。
 いつかまた飛ぶ事を邪魔したくないから、その羽を傷つけたくない。だが籠に捕らえようとする自分の手が、傷を作るのだ。
 閉じ込めたい――傷つけたくない――
「ちょっ」
 いつまで触れ合っていても、あきない。いつまででもと、望む。いつでも。
 だが“名”に縛られ、依存し、利用して生きているうちはそうは行かない。この地位に産まれて困ることも嫌な事もあれど、生きながらえさせてくれたのだから。
 生きる事を続けさせてくれる。存在しているだけで死ぬという事はない。
「リール」
 だが、安穏に生きる日々に意味を生み出すとすれば、それはきっと。
「リール」
「何?」
 うっとうしそうに見上げてくる顔、額にかかる髪を払った。


 なんど、呼ばれたのだろう。今まで。なんども、何度も。何回も。そう呼ばれることを欲した。願った。
 私を意味する名がいくつあっても、私が私と認める名は決まっている。
(そんなに呼ばなくても、目の前にいるでしょう)
 はぁとため息をついた。いったい、何度繰り返されるのだろう。これから。何回、繰り返せるのだろう。
 意味がないことなどない。それに意味を持たせられるかどうか、それを意味あることに変えられるか。
 意味がなくても、いい。
 ただこの場にあることを感じ取れるから。
 呼び声に答えて、そして呼ぼう。
「カ、」

コンコンコン

 名を呼ぼうと口を開いた瞬間に挟まる音。一変して、変わる表情。機嫌。そんなに呼ばれることを期待していたのかとあきれた。
「――誰だ」
 邪魔するなと聞こえる。
「ぁ~王子?」
 えらくやる気のないと思えば、やる気のない奴かと思い直す。
「あまり邪魔したくないのですが……自分の身が危ないので。ただそろそろ時間だと、思いますが」
 確かに、のんびりしすぎだ。私は別に普通より遅くなったくらいだが、これまでのカイルを考えたら信じられないくらい遅刻している。
「気のせいだ」
「まじっすかー」
 やる気のない声が、天を仰いでいるように思う。もぞもぞと動き出すと、抑えられた。
「何をしている」
「おなかすいた」
「……」
「いや、関係ないし」
 あれは。びしっと、扉の先を指す。
「そうだな」
 はぁとため息をついて、カイルが起き上がった。

「おーじぃ~?」
「なんだ」
「どべぅっ!?」
 こそっと名を呼んだ瞬間、バンと扉が開かれて飛びのいた。
「……何を逃げる」
 ゆらりと、視線だけ動かして自分を睨むその姿。。
「生命本能です」
 いやぁ~危なかったな~……いや、危機は去ってないのか?

「正しい反応じゃない」
「リール、お前はまた……」
 薄着で部屋を出て行くリール。向かう先はわかる、が。
「もう少し着て行け」
 あわててマントをかけた。まだ着るのかとリールの顔が嫌そうに歪む。
「どうせ脱ぐんだけど」
 お風呂行くから。
「お前、もう少し考えろ」
「誰もいないでしょうに」
「誰にも会わないと思っているのか」
 この広い城の廊下で。
「なんか、いろいろよね」
 まぁそうだろうな。だが、だいたい会うな。というよりも、
「だいたい侍女がいるだろう、呼んで」
「邪魔だから、やだ」
「そういう問題じゃない」
「あーうるさい」
 無視して、リールはさくさくと進みはじめた。
「ぉいっ」
 あとから付いていくと、俺もっすかね~という苦笑した声が聞こえた。

「リールぅぅぅーーー!」
 来た、といううめきを残して、リールが足早に角を曲がってその姿を消す。
「リール!?」
 ばたばたと廊下を走ってきた王妃は、息荒く息子につめよった。
「さぁ」
 さっきまで隣にいたことも忘れて、カイルはそ知らぬふりをする。
「エルカベイル! あなた朝も遅いし! まったくもう、リールにはやってもらう事が山ほどあるのよ!! ほどほどにして頂戴!」
「そうですね」
 おそらく、どちらかを選ぶとすれば答えは決まっていると思うが。
「まったく!」
 憤慨して、王妃はまた歩き去る。その姿完全に見えなくなってからカイルはリールのあとを追った。


「やぁやぁやぁリーディール!! さっそくだが産まれるのは男の子かそれとも女の子か? それによって産着もずいぶん変わってくるのだが。もちろんリーディール、お前のことだ、わかっているだろう」
「わかるか!」
 湯浴みを済ませて遅い朝食を取り終わり、お茶を飲み干していたリールはバンとカップをテーブルに叩きつけた。
「おやおやリーディール、気性を荒げるのはやめなさい。妊婦に必要なのは、おだやかな~な心優しい気持ちで……お主には欠片しかないものだったか。無理を言っているのは百も承知だが」
「うるさい」
 はぁと、リールはため息をついた。
「リール! ここにいたのね!!」
 さらに、その部屋に王妃がやってきた。がくっと、リールはテーブルに頭を落とした。
 その隙に、カイルは部屋を抜け出して執務に向かった。


 その知らせは、しずかに、風のように、広まっていった。誰もが口にする祝福と、暖かい言葉。
 ただ静かに、穏やかな時と、暖かさを。


「それで、こちらに逃げてらしたのですか?」
「だって、やってられないでしょう。やれ採寸だ、瞑想だ、食事だ、刺繍だなんて」
 言葉のわりに幼い声に、投げやりな声が言葉を返す。芝の上に投げ出された足が、彼女の姿勢がとても安らぐものだと知っている。
 おそらく、誰も咎めはしないだろう。
 一定の距離をあけていた彼は、ようやく、そっと近づいてきた。まるで壊れ物を扱うかのように、先ほどから距離をとったままだったので、根気強く説得した。
「こちらにいらっしゃるのは久しぶりだと、伺ってますが」
「タキストに」
「はい、でもなぜか彼はあなたがくると言ってから消えてしまったのですが」
「……まぁいいわ」
 何を思ったのか、リールはそれ以上言わなかった。彼もまた、王のお付であるのだ。そこら辺はしっかりしているのだろうし。
「燻り出すわ」
「……お手柔らかにお願いします」
 彼が逃げたのは、きっとこの方のこういう所なのかなとループは考える。



「ねぇ、リールはシャフィアラに帰るのかしら?」
 嫌々ながら母親のお茶の相手をしていたカイルは、飲んでいたお茶を噴き出した。
「……は?」
 ぼたぼたとお茶を滴らせたまま、あわてて布を持っていた侍女の手から手拭を受け取りながら、カイルは呆然としていた。
「あら? 何を動転しているのカイル? で、あの子。どこで出産するの?」
「ぁあ、そういう意味ですか」
 いろいろなものを取り繕いながら、カイルが声を絞り出す。
「まったく、本人に聞きたかったのに!」
 で、いないから執務中の俺の所に乗り込んできて執務を邪魔した挙句お茶につき合わせているわけですか。
「どこに逃がしたのよ! まさかシャフィアラにもう連れて行ったの!?」
「そんなことしませんよ」
「そうよね。望んでも返してもらえなそうよね」
 母親の言葉が意味深すぎた。
「それでどこに行ったの?」
「……」
「エルカベイル、あなた本当に知らないの?」


「それで、えっと、リールさん?」
「なんですかループ王」
「僕は構いませんけど、大丈夫なんですか?」
 なんか、一人できたみたいですけど。馬で。
「平気よ」
「ならかまいませんけど」
 森の奥まで進んで、セレアの泉に足を浸す。この下にはクォーツがあるはずだった。
 手折ってきたメルトネンシスを遊ばせる。あの時、セイファート王がいたのだ。
 その様子を、何かを考え込むように見つめていたループが口を開いた。
「――知っています。記憶として」
「そんな事を聞くために来た訳じゃないわよ」
「はい。でも」
「?」
 途切れた声に、首だけ回してうしろを振り返る。うつむいたループ王は、手を強く握り締めていた。
「どうかしたの?」
「僕達は」
「本来であれば、人の歴史と聖魔獣の歴史は重なる事はない。それは王の代替わりが行われる瞬間だけ。なんて時に、産まれたのかしら」
 自分の存在を否定するような言葉を遮って、リールは言った。
「だけど、だからここに私がいるの」
 助けて、くれたの。あの昔に。一緒にいてくれた。支えてくれた。そして、消えてしまった。
「悲しい、寂しい。でもそれは、楽しくて嬉しかった事を否定するために使ってはいけないのよ」
 手を伸ばして、その手を取った。
「ごめんなさい。私は――あなた達を否定してしまった。苦しめているわ」
「いいえ。いいのです。わかるんです。前王の心は」
「そんな事忘れて、私に怒ればいいのに」
「そんな事できません」
「だから、嫌なのよ」
 それを、まるで利用したみたいで。
 口から突いて出た言葉は、戻らない。
「あのっ、会ってもらいたい親子がいるのですが」
 暗い空気を振り払おうと、ループが話題を変える。まだ産まれて間もない王に、気を使わせているとリールは心の中でため息をついた。
 例え、歴代の王の記憶があろうと、彼らが生まれてから生きた時間は短い。
 子供と、同じなのに。――って、
「親子? 会う?」
「ぇえ、きっと、喜んでもらえます」
 ちょっと待ってて下さいと言って、ループがぱたぱたと走り去る。お付の仕事だろうにと思いながら、それを見送る。
「で?」
 じろりと、距離のある木の裏を睨みつける。
「隠れてる気?」
「うるさい……」
「なんで逃げ腰なのよ。っていうか逃げるならもっと遠くに逃げなさいよ」
「セイファート王が……」
「いや、いないし」
 ずばっと、つっこんだ。
「……娘」
「何よ」
 はぁとため息をついてよってくる獣が、人型になった。どこか懐かしいと感じる切り裂き魔に、笑える。
「王は、知っていた」
「何を――どこまで、かしら」
「お前と、レピドライトの王のことだ」
「そう」
 ぼんやりと、遠くを見つめる。あの頃、あの時。すべてを、いやなんであっても、利用しなければならなかった。
 なぜそうせねばならないのか、なぜか、と疑問に問う事はしない。
 ただ自分のためにすべてを――

 ――ん……?

 はっとして、あの場所で成し遂げようとしていた言葉を四散させる。
「娘?」
「いつも……止めるのね」
 その言葉は、特定の誰かに、向けたものではなかった。
 伸ばした手を腹部に当てる。微笑んだのが、自分でもわかった。
 重ねた手が暖かいのは、きっと――
「娘……まさか」
 タキストが、慌てふためくように一歩足を引いた。
「聞いてないのね」
「会いたくもない」
「だからなんで出てきたのよ」
「それはセイファート王が……」
「が?」
「それは……」


『黙っておくのがいいだろうな』
『王……』
『お前が、それを言うとは思えない』
『……王』


 思い出すのは、四散する前の王との会話。あまりに一瞬の出来事で、あっという間だった。王とすごした日々は短すぎたのに、ただ散漫と人間に怒りを向けていた日々よりも長く感じる。

「?」
 固まってしまったタキストを覗き込んで、リールは疑問を感じたままだった。

「すみません遅くなってしまって!」
 そこにパタパタと走ってくる姿。ループ王だ。
「ぁあ、いいえ別に」
 そんなに待ってないです。話し相手も――いない。
(逃げるのだけは早いわよね。相変わらず)
 それで自分に濡れ衣がかかったのだ。――あ、思い出していらつく。
「本当にすみません。彼らを」
 荒い息を整えながら、ループは自分のうしろを振り返った。
「ふきゃ!」
「ぅわっ!?」
 瞬間、目の前が真っ白く染まった。突然目の前に降ってきたのが、ルチルクォーツの子獣でも大きいほうだということまで、考える事ができた。
バッシャーン!
 音が、間をあかずふたつ聞こえた。
「……」
 しばらく、時が止まったかのようにあたりは静寂に包まれた。
 ループと、子獣の母親は、全身の毛を逆立てて固まってしまった。頭に浮かんだ一言は、「まずい、殺される」だろうか。
「っ!? リリリリリール!? さん!?」
 慌てふためいて水辺を覗き込むループと、呆然と固まったままの母親が岸の上にいた。それと、森の端からそっと覗く、気配。ぴょこっと、耳が見える。
「ぷはっ!?」
「リリリールさん!?」
「――ぁあ」
 ぽたぽたところがぼたぼたと髪から水を滴らせて、リールはループのいる岸辺を振り返った。
「で、この子は」
 その手が、よいしょと子獣を抱えあげる。その子獣が心なしどころか見るからに震えているのは、寒いからではないだろう。
「元気そうね」
「くー」
「怒ってないから」
 なんでそうどいつもこいつも私がいつもそんなに怒っているように見えるわけ?
 子獣を岸にあげて、自分も水から上がる。天候はよいとはいえ、寒い。
「ぁあ、まったく」
 着ていた服の上着を脱いで、絞り上げる。おろおろと子獣が慌てふためき、その母親も。それと――?
「なにあれ?」
 ぴょこっと、耳が動いた。それに顔も。一匹? いや――
「申し訳ありません!!」
「うわっ!?」
 突然人型となった母親――女性の声に驚く。あの時、まっすぐに向かってきた母親だと思うと、喜ばしい。
「気にしないで」
「そういうわけには、とにかく乾かしていただかないと」
「あれは?」
 話を遮って、森の端を示す。すると頭が消える。
「え? ――あれは、」
 母親の顔が、みるみる険しくなる。何事かと思うと、動いた。
「あなた! 子供達をお願いしたはずですのに!!」
「いや、それがなぁ……」
 現れたのは、同じく人型のルチルクォーツだ。親子か。あなた! と怒る母親にうなだれる父親といった所らしい。
 それと――
「キュー!」「ぴゃー!」「みょ~?」
 三匹の子獣が現れた。
「ちっさ」
「ぴやっ!?」
 一匹を抱えあげると耳をぴくぴくと動かした。それに、
「きゅー!」「みゃー!」
 二匹も足元から上ろうとがんばってくる。いやいや、危ないから。
「くー!」
 一番でかい子獣がぼくもーという感じで飛びついてきた。ぐらりと揺れた。危ないと反射的に思うが、自分でも意外に思うくらい反応が鈍かった。
 緩やかに、景色が動く。自分が、倒れる――
 突然背後から支えられて、上半身を起こしまたまま足元だけ崩れたような格好になる。何かを察したまま振り返ると、目が逸らされた。
 気まずくはないのだが、微妙な沈黙が降りる。
「タキスト」
 身の毛を逆立てて焦ったループ王が、ほっとしたように、声をかける。お付は基本的には王の傍にいるはずなのだから。
「きゃー!? 何をしているの!?」
 今の今まで言い争っていた母親が父親そっちのけで助けに来てくれた。その間に再びタキストは消えていた。
「すみません、ごめんなさい。あなた達。ほら」
「くー」
 一番大きい子獣が、擦り寄ってきた。子供は、言語を介すのはまだ先になるはずだ。
 掌を押すように鼻を押し付けてくる。滑らせて頭を撫でながら、言う。
「覚えているから」
 あの時、消え行く命だったもの。セイファート王が言っていた。

『生まれたばかりや歳のいかない子獣が、次々と息絶えている。このまま行けば確実に我らは滅びる。先(せん)の戦いで、ルチルクォーツ(われら)の数は半減した』

 だけど、今。
「ぐきゃっ!?」
 三匹の子獣がいっしょーと言いたげに大きい子獣を潰す。
「こらっ!?」
 母親は大変そうだ。一匹一匹引き剥がしている。
 わかっている。こうやって命が繋がれていく。新しい王の力で。
 だけど、どこかで考えていた。彼らが行き絶えても、ラーリ様が生き残る方法を。
「っ!? ぇ!? あの!!?」
 突然、母親とループ王が慌てふためく。ぁあ、泣いているなとどこかで自覚する。
「どうしました!? なにか気に入らない事でもっ!!?」
「いいえ」
 ねぇラーリ様。とてもうれしいの。けどあなたがいないことが――悲しい。
「ごめんなさい。別に、無礼だとかそういうことじゃないから」
 ごしごしと涙を拭いて、立ち上がった。
「ありがとう」
 静かに、微笑んだ自分がいた。



 あきらかに休みが増えている。暇な時間が。ぼけっとしている時間でも出没するので、邪魔だと言う……言わないが、仕事あるはずでしょう。
 なのでお義父様に問い詰めてみた。すると何を言い出すのか老後の人生設計について相談された。
 そんなの、自分で考えてよ。

 なんでもカクウがきているとかで、挨拶された。元気そうねというと、なんとも嫌そうな顔をした。
 王子にいじめられるので助けてください~って、なんで私がと言い切ると。そうですよねとかなり真剣に納得された。
 どういう意味よ? ぇえ?

 時々、やっぱりループ王の所に遊びに行く。黙って行ったり、一緒だったり。いろいろ。
 ひとりで行くよりは、一緒に来たほうがループ王も安心するみたいで。また来て下さい。二人で。と、別れ際に強調するようになった。
 タキストは相変わらずで、あの子獣たちは見る見る大きくなっていく。
 クレイス湖は変わらず水面(みなも)を湛えていて、足を浸すと心地よい。
 ループ王は行為でクォーツを持って帰るかと言ってくれたが、断った。それは、ひとつあればそれでいい。


 おだやかさと、ままならなさと、変化していく。
 ある日、気に入らない事があったから、きれた。いらいらして、仕方ない。
 ……すると真剣に謝ってきた上で、馬上にいる。ゆっくりと進む馬――ソワール。
 穏やかな風が首筋を通り抜ける。左右の景色が変わる。
 眠い。

 目が覚めた時は座っていた。どうやら目的地なのか。さわさわと枝葉が頭の上で揺れている。木陰を通り抜ける風も手伝って、心地よい。
 前に回された腕と、背にあたる暖かさ。ゆっくりと後ろを振り返って――顔が近づいてきた。
「リール」
 呼ばれているのは私。けれどひどく曖昧で。現実を認識するには時間がかかる。私を、思い出すには。
 道のりは長く果てしなく。まだこれから先に、続いている。
 どこを、歩いていくのだろう。
「リール。何を考えている」
 ゆっくりと触れ合うように口付けを受けていたが、ほとんど上の空だった。かなり機嫌が悪そうだ。
「んっ」
 現実に意識を引き戻すかのようにかき回される。かき乱されて――また寝ていた。

「……おい」
 はぁとため息をついて、力のぬけた体を抱きしめた。
 それが普段の姿と言うならば、そうだとは言えない。だがどこが違うのかと聞かれれば――
 こてと、寝にくいのかその頭が落ちてくる。苦笑して支え、ぼんやりと鳥の声に耳を傾けた。
 考えても考えても考えても――少しだけ、考えるのをやめた。
 これから来るであろう物を、歓迎するために。


「あなた!? リールをどこに隠したの!?」
「……隠してないが」
「カイルもいないのよ! まったくあの子! あなた! カイルはあなたが育てたんでしょう!?」
「いや、お前が産んだはずだろう」


「うひょう!?」
 鼻歌を歌いつつ廊下を歩いていて、背後から飛来したものに体をねじって避ける。
 さらに遠くまで進んで、壁に突き刺さったものの深いこと。
(あたらなくてよかったー)
 太陽がまぶしいと言うように、手の甲で額をぬぐっている。
 セイジュの思考回路は幼児なみだった。
「そのようだな」
 その背後から、低い低い静かな声。
 びきしと固まったセイジュは、かたこととしか動けない人形のように首を何度か動かした。
 うしろを、見るために。
「ぎゃーーー!!?」
 レランの手に短剣は余っていた。

「う~んなんだか見慣れてきたなー」
「久しぶりでしょう」
「いや、別に懐かしい光景でもないと思うよ」
 ないないと手を振る。その間も、耐えることなく断末魔。
「助けなくていいの?」
「見慣れてますから」
 さくっと、オークルはカクウの言葉に答えた。
「っていうか王子いないしー」
「最近は、時間をきっちりと守っておりますから」
「時間外労働に属するって?」
「はい」
「それって、僕の仕事はどうなっちゃうの?」
「相応の報酬を貰っていて何を言いますか」
「そうだけどさー」
 はっとして、二人は横に避ける。オークルは左に、カクウは右に。その生まれた間を、短剣が通り抜けて行った。
「……」
「なんていうか、平和だよね」
 おそらく、一人を除いて。
「死ぬーーー!?」
 よく通る声に、答える声はなかった。


「アズラル様」
「なんだ? イーザス」
「ここのところ注文品の納品が遅れて……」
「アズラル様!」
 どがんと、扉が開いた。両手が塞がった双子の姉妹。セナとユアが現れる。
「新しい布を分捕ってまいりましたわ!」
 姉の言う事は非情だ。
「「とってもやわらかいんです」」
「よ!」
「わ!」
 イーザスは、避けた。まぁいいかと首をふる。どちらにしても、彼の主が納品に遅れようと気にはしないだろう。
 それでも一応、声だけはかけておかなければと義務感にかられるイーザスだった。
 目の前では、すでに赤子一人では着きれないほどの洋服が出来上がっていた。
 ……まだ性別もわからないというのに……
 ため息をつきそうになる反面、同じように楽しみにしているのも事実だと、イーザスは窓の外を仰いだ。


「遊びに行くの!」
 唐突だった。
「……なんのこと?」
 冷や汗が流れているような錯覚は、現実だ。
「リディに会うの!」
「……ザインを説得してきなさい」
 ローゼリアは、止めなかった。

「遊びに行くの!」
「……ローゼリア!!」
 ザインは、叫び声をあげた。今の一言にこめられた思いとしては、なんで止めないんだ!? だろうか。
「遊びに行くの~!」
「いやいや、あのなぁ」
「行くの~!」
「……」
 がっくりと、リンザインは頭を落とす。
「あのな、アンダーニーファ」
「ウィア!」
「あのな、ウィア」
「うん!」
 輝かしい笑顔で、アンダーニーファが答える。
 ……。
 再び、リンザインは頭を抱えた。
「行くの!!」
 答えてくれないのに不満を覚えたのか、力強い口調でウィアが断言する。ほっておけば、おそらく、一人ででかけるだろう。
「……はぁ」
「ザインも行くの~!」
「わかった」
「ほんとっ!?」
 うれしそうに、うれしそうに笑う。どこかで、昔の表情と重なる。
 そうか、今は、笑って、いるのか――と。昔は、笑っていたとか。今も、笑っているだろうと。
「リディ驚くの!」
「そうだな」
 だけど、たぶんもっと驚くだろうよ。ウィア。


「嫌な予感がする」
「はぁっ!?」
 突然目を見開いたかと思えば不吉な事を言ってのける。いきなり何を言い出すのかと慌てふためくと、呆れた視線で見上げてくる。
「たいした事じゃないわ」
「何をばかな」
 そういいながら抱えあげる。城に帰って医者に――
「だから! そうじゃなくて!」
 何か言っている言葉も耳に入らず――唇が塞がれた。
「……」
 抱えあげた腕に力を入れて、引き寄せる力に手をかした。
 時間にして数秒。静かに離れようとするものを追いかけた。もがき始めたので押さえつけた。
「だっ!?」
 思い切り髪を後ろにひかれた。
「ぬけるだろう」
 やんわりとその手をはずす。
「人の話を聞け」
「聞いてるだろう」
「どこが」
 おい、ため息をつきたいのはこっちだ。
「――ぁ」
「なんだ!?」
「うるさい」
 そこまで嫌そうに冷ややかに視線を送るな。
 リールの手が、膨らみを持つ腹部に触れる。ゆっくりと撫でていたかと思えば、顔を上げた。
「動いた?」
「俺に聞くな」
 疑問に答えながら、リールは信じられないと言うようにお腹に手を当てている。その手に手を重ねてみても、何も。
 しばらくそのまま、そして笑う。
「戻るか」
「いや」
「……」
 そこは、いつものやり取りだった。困らせる気か、本気か。まさか。
 抱き上げて、視線を高く上げる。森の中は静かで、鳥の声と、日差ししかない。傍で草を食むソワールも距離をおいて、向こう。
 何を見ているのかと問われるのは、無粋だった。
 ほとんど同時だった。再び唇が重ねるように距離をつめたのは―


「ねぇ! ねぇ!」
「聞こえている。……ドリーム」
「赤ちゃん!」
「………」
 また唐突な言葉に、ノルラド王は頭を抱えた。この黒龍の王という娘が、朱の瞳を輝かせて、黒い髪が揺れるくらい力強く、言うのだ。
 しかも、要点だけすぎるので、話の流れがつかめない。
「見れない!!」
 自分には娘はいないし、女の姉妹もいない。しかし、人型でこの城の中に入り浸る小娘の姿に、城内の人々は最初こそ目を丸くしていたが、いまでは茶菓子が出てくる。
 あの時、護衛をしていた一人が壁際で笑いをかみ殺していた。
「いったい、なんの話だ」
 いつもあわてて、もといあきらめてやってくるこの娘のお付の様子を見ていて、子の娘の扱い方を学んだ。
 王となって、まさか、獣王という存在と関わると重いもしなかった。オブシディアンは、神殿の地下に追いやったのだから。
 そこにあるものは、手の内にあるものだと、操れるものだと思っていた。
 それがどうだ。精神体から体を得た娘は、暇を見てはこの城の中に現れる。
「リールの赤ちゃん!」
「……」
 子供は、子供に興味を持つのか?


***


 ずいぶん前から、同じ影が廊下をうろうろと行ったり来たりしている。
 それとすれ違った人たちは、ほほえましげにそれを眺めつつ静かにすれ違う。
 彼の目に、彼らは映らないから。
 そして壁を背に立ち尽くす影のひとつは、先ほどから一歩も動いていない。
 もうひとつの影は、こそっと逃げ出そうとした時に睨まれて動きを止めた――その格好のままだった。
 光景が怪しすぎる……

「なにをしている、落ち着きのない」
 そこに、もう二つの人影。
「……父上」
「うっとうしいからおとなしくしていろ」
 これが、二十数年前に自分が言われた言葉だと、カルバート王が言うはずもない。
 しぶしぶと言った感じで準備されていた椅子にカイルが座る。
 本当なら違う部屋で待っていればいいものの――ここの家系は廊下で待つことばかりだ。
 陛下もあまり変わらなかったでしょうと、国王の後ろにいる護衛は言葉を飲み込んだ。
「しかし、長いな」
 静かに、父と子が大きな扉に視線を向ける。扉で閉ざされてから、はなれた時間がとても長い。
「……」
「陛下、あまり不安をあおるようなことを申し上げては……」
 さすがに、リヴァロが声をあげた。

 そして、凍りつくような沈黙は唐突に破られた。

「王子様!」
 扉が開くと同時にカイルは部屋の中に入った。廊下に出てきた医師の一人が、あるべき姿が見当たらず目を白黒させていた。
 そんな様子を、国王とその護衛がほほえましく見守っていた。
 そして、
「どこに行く?」
「いや、俺の仕事はもう終わったはず……」
 首根っこをつかまれた大きな大人は、冷や汗をかいていた。

「リール!?」
 静かにとたしなめる侍女の姿も目に入らず、カイルはただ直進した。二つ扉を潜って、その先。白い寝台に横たわる影と、その隣に――
 騒がしいと、目を閉じていたリールが目をあける。それでも、迷惑そうではなかった。
 だるそうに手を伸ばして、目の前にいるカイルを引き寄せるリール。その後ろから、「王子様ですよ」と伝える侍女の言葉は、二人には聞こえていない。
 引き寄せたカイルの耳元に、リールが何かささやいた。
 そしてリールから離れたカイルは、盛大に不機嫌そうな顔をしつつも、さっと身を翻して部屋を出て行った。


「男か」
「はい陛下!」
 興奮の冷め切らない侍女の話を聞いて、静かに国王は返事を返した。どこか、安堵していた。
 どちらでもよいと、思っているが。心無いものに非難される姿は見たくない。
 ――まぁ、おとなしく非難されるような娘ではないが。
「おめでとうございます」
 うれしく思ったのが伝わっているのだろう。リヴァロの声もいつもより明るい。
 と、なぜか扉が開いた。
「どうした?」
 出てきたカイルはなぜか不機嫌で、視線をめぐらせて国王とその護衛の後ろで剣を振り下ろそうとしている影と、その剣を必死で素手の両手で受け止めている影に目を向けた。
「レラン」
「はい」
 彼は、何事もなかったかのように剣を背に戻して主の言葉に答えた。
「ちょっとこい」
「はい」
 二度目の返事は、かすかに疑問が飛んでいた。そして、主のそれはもう不機嫌そうな顔と口調に、よからぬものを感じ取っていた。
「リーーールーーぅぅぅうう!!?」
 と、廊下の端からこちらまで届く声が聞こえてきた。数日前から城を空けていた王妃は、知らせを聞いて飛んで帰ってきたのだろう。
 ちっと舌打ちして、カイルはレランを部屋の中に押し込んで母親を迎えた。
「カイル!? リールは!!?」
「少し疲れているので休ませています。母上はその怒声と勢いを落ち着けてから会ってください」
 そう言って、あっさりと扉を閉じた。
 鼻先で扉を閉じられた王妃は、自分の夫に向かって行き当り散らした。
 なぜか、その被害をセイジュがこうむっていた。


「王子?」
 廊下に続く扉が閉じられ、部屋の中にいるレランは珍しく狼狽していた。
「いいからこい」
「はい」
 有無を言わさなかった。

 しぶしぶと言った感じで足を運ぶ主の後ろを進むレランが、続きの扉を潜って、足を止めた。
 白い寝台に上半身を起こして、背にクッションを当てたリールの手に、布に包まれた赤子がいた。
 何より目を引いたのは、その母親の表情――

 そして――


「リール! いつまで待たせる気なの!?」
「静かにしてください。せっかく寝たのに」
「まぁ~かわいいわぁ~私に似て」
 どこが? と、リールとカイルと国王は心の中でつっこんだ。
 差し出された赤子を抱き上げて、フレアイラが無邪気に喜ぶ。その姿だけなら、ほほえましく見えるものだ。
「本当にかわいいわぁ~」
「そうだな」
 王妃の横に立って、国王もその顔を覗き込んだ。
「疲れてないか?」
 それから、王はリールに視線を向けた。リールは、静かに笑って手を伸ばした。
「アイラ」
 その様子に、国王が王妃に声をかける。名残惜しそうに赤子をリールの腕まで運ぶ王妃。眠る赤子が手に戻った時、リールは名を呼んだ。
「ライド」
 瞬間、王妃の表情が凍りついた。
「なんですって?」
「ライドレンドです」
 ゆっくりと、リールは笑った。
「どういうこと!?」
 突然、喜びを逆転させたような王妃の怒りが飛んだ。
 大きな声に赤子――ライドレンドが泣く。それをあやしながら、リールはフレアイラに向き直った。
「この子の名前です」
 はっきりと、譲らないと。
「名は、王家のしきたりに従って付けられるものよ」
「そうですか、それで?」
「どういうことなの!?」
「どうもこうも、ないですけど」
「カイル!? あなた!?」
 振り返った王妃の形相に、父と息子は曖昧に笑った。
「そうだな……」
 国王は、少し考え込んだ。
「仮に違う名を付けたら……どうする?」
「ご自由に、私は呼びません」
「……だろうな」
「あなた!!」
「アイラ、まぁいいじゃないか」
「よくありません!!」
 王妃の怒りは、異常だった。
「そうだな……」
 少しだけ国王が難しい顔をしていた。それは、なぜ王妃が怒っているのかよくわかっているから。
 しかし、だからこそ――
「フレアイラ」
「知りません!」
 唐突に、王妃は動いた。叫ぶような声とともに、軋みそうな音を立てて閉じられた扉――
 部屋の中では、泣き出した赤ん坊をあやすリールの声しか聞こえない。カイルとカルバートは、フレアイラの去った扉を見つめた。
「ぁあ、よしよし」
 ひとまず泣き止んでうとうとと目を閉じ始めるライドレンドにリールは微笑んだ。
「……あまり、怒らないでくれるか?」
「はい?」
 なんの事かとリールは首を傾げた。だって、あれが普通で――
「アイラも、昔同じ事を言った」
「……俺か?」
 しばらく考えていたカイルが、呟いた。
「そうだ。残念な事に、叶わなかったがな」
「どうして」
「アイラは、――いや、私にも責任があるな。王家のしきたりから出る事ができなかった」
 あの時、王座を退いた父と母がいた。もしあの時、自分に、それを覆せるだけの心が、あれば。
「ライドレンドか、いい名だな」
 何かを考えるかのように黙った王が最後にそう言って、部屋をあとにした。

「だって」
 扉が閉じて、足音が遠ざかったのを確認して、リールはカイルに言った。
「……」
「怒らない怒らない」
 表には出していないが、カイルは何かを納得していない。だがそれを気に止めることなく、リールはライドレンドをゆりかごに移した。
「――おやすみ」
 疲れたのか、先にそれだけ言って目を閉じる。寝息が聞こえてきて、カイルは二つの寝顔を見て、静かに笑った。
 それはとてもとても、嬉しそうな――


 城下は、再びお祭り騒ぎだった。
 中でももちろん、人一倍お祭り騒ぎというか年中頭の中がお祭りのようなこの男――
「やぁやぁやぁリーディール! 今度テラスに立つのだろう!? 三人でおそろいと言うのが一番いいと思うんだがねぇ。色はもちろん青で、もちろんリーディールのだけは濃淡が濃くなっていくものにしていこうと思っている。男物は遠めに見ても一緒だ。しかしリーディール、お前の分は遠めにはっきりと目立つものにして。さらにいい宣伝にもなる。正直お金はこれ以上儲かっても仕方ないが、それを全部次に詰め込めるかと思うと爽快だろう!?」
「……帰れ」
 馬鹿でかい花束を持って部屋の中に突撃してくる男を、リールはゆりかごを揺らしながら迎えた。
「ぉお!? これが問題の子か! やはり両親には似るべきではないな」
「どういう意味かしら?」
 リールの顔に、青筋が浮かんでいた。
「ありのままを言ったまでだ」
「リーディール様! おめでとうございます!」
「アズラル様の言葉なんて本気にしちゃだめです!」
 怪しい目つきで赤子を見つめていたアズラルは、双子に吹っ飛ばされた。
「わぁかわいい子~」
「本当~」
「きゃぁっ目をあけたわ!」
「今はこーんなにかわいくても、気がつけばあの黒い王子のように真っ黒になるんだぞ~」
「だからアズラル様はお子様がいないのですね」
「相手もね!」
「お前達……」
「さぁアズラル様! リーディール様が疲れてしまいますわ」
「そうです。そうです」
「なっおいっ!?」
 ずるずると、双子はその細腕からは想像もできない強さで、口調だけは丁寧に言葉を交わす存在を引きずって扉の外に放り出した。
「こら!」
 しかし、双子は非情にもその鼻先で扉を閉じた。離れていく距離を、遠ざかる楽しげな会話から想像する。
「本当にかわいいわぁ~」
「リーディール様! お名前をうかがっても?」
「くぉら双子ども~!」
 珍しく、アズラルの怒声が響いた。扉をこじ開けて入ってくる。その勢いと大声に驚いたライドレンドが、泣いた。
「「アーズーラールさまぁ!」」
 双子が、切れた。
「よしよし、大丈夫よライド」
「ライド様ですか?」
「ライドレンドよ」
「素敵な名前ですね!」
「――そう?」
 リールは疑問を感じたのか首を一瞬傾げた。だがそれは小さいもので、誰も気がつかなかった。


 お祭り騒ぎの中、負けないくらい騒がしい団体がいた。
「あっちー!」
「だーー!? 勝手に行くなウィア!?」
「これおいしいわ~」
「ローゼリア!!? 何を勝手に買う!?」
「のどかわいたー」
「はいシャス」
「ラッキー」
「ウィアもーー! ウィアもー!」
「はいどうぞ」
「お前達!? やる気あるのか!?」
「おちついて、ザイン」
「おちつけー」
「そうだよー」
「うるさい」
 目を離すとさくっとどこかに行ってしまう三人に目を光らせて、リンザインはお疲れだ。
 だいたい、アンダーニーファは小さすぎて見失ってしまいそうだ。ぴょこぴょことツインテールが揺れるのが目印だけに、人ごみにまぎれるときつい。
 ローゼリアリマもかなり、誰の影響か自由人なので、気になる露店にふらりと入っていく。たいていは抜け目なく必要なものを購入している。
 シャジャスティはまだ、自力でどうにかなりそうだが。
「だって、ザイン。この人ごみよ?」
「動けないしねー」
「進めないのー!」
 確かにその通りだった。すれ違う人々からもれる言葉は、人が多すぎてお祝いを届けるにもいっぱいいっぱいだとか。入るまで何時間待ちだとか。
「でも俺らは特別待遇だろ?」
 そうであるべきだと言うシャジャスティの言葉に、リンザインとローゼリアリマは考え込んだ。
 だとしても、向こうで果たして、リロディルクに話は届くのだろうか。いくら言ったところで、この状況では信じてもらえそうにない。
 正等法で入っておかないと、問題になりそうだ。
「ま、なんとかなるだろ」
「ま、なんとかなるわよ」
 意外に、エアリアス家の長兄と次女は楽観的だった。楽観的に、ものを考えられた。
 それくらい、今の生活は、楽しかった。
 それは、希望と誰かが言う。希望を持って、叶えるだけの意思を。


「リディ!」
「ウィア……」
 リディに会うの! と、アンダーニーファが楽しげに、輝かしい笑顔で宣言する。その様子を見ているのに、相手をするのにはもう疲れたと言うように、リンザインがうめく。頭に乗せた手、あちゃーと困り顔。
 振り返ったアンダーニーファの、むっとした顔。
「まぁまぁ、落ち着いてザイン。ウィア、かわいい顔がだいなしよ」
 ローゼリアリマが、よしよしとなだめるも、
「リディ~!」
 止まらない。
「……わかったわ」
 城門の前まで来て、その人の多さに辟易する。もともと、ローゼリアリマは人ごみが苦手だ。
「ずいぶん向こうまでいっぱいだよ。割り込めないね」
 様子を見てきたシャジャスティがお手上げだと言うように両手をあげる。
「どうしたものかしら……」
「リディ!!」
「静かにしろ、ウィア」
「リディーー!」
 何を思ったか、だーっとウィアが走り出した。
「ウィア!?」
 そして三人は、予想外な光景を目にする。


「来客?」
「リディー!!」
 どがんと、飛び込まれた。
「ウィア」
 すっぽりと抱き寄せて、扉の方向に目を走らせる。疲れたようなザインと、目を輝かせるローゼと、物珍しげに……あれは何かを盗って帰ろうと考えをめぐらせているシャスだ。
「リディ!」
「元気ね、ウィア」
 と、目を覚ましたのかライドが泣いた。よいしょっと抱き上げると、ウィアが目を丸くした。
「赤ちゃん!」
「そうよ」
「だっこ!」
「ん~」
 必死で、手を伸ばしてくる。しゃがみこんでその手に預ける。右手はこっち、左手はこっちね。
「赤ちゃん!」
「あー!」
 驚いたのか、ライドが泣き止まない。しかしウィアもめげない。だが泣き止まない。
「あかちゃんーー」
 同時に泣き出した。
「ウィア」
 ローゼがライドを抱き上げて、あやす。その間に、ウィアが飛び込んできた。
「うわーん!」
「よしよし……」
 っていうか騒がし……
「この子、リーディルの?」
 ローゼがにこにこと笑うライドと、私と、それともう一人をそれぞれ見た。
「ライドレンドよ」
「ライド、レンド」
 ザインが、静かに繰り返した。ローゼは、ふふっと、笑った。
「おめでとう、リーディル」
「ありがとう」
 やり取りの間に、ウィアが顔を上げる。
「赤ちゃんー」
「そうよ。ウィア。あなたおばさんよ?」
「……やぁー」
 しばらくして意味がわかったのか、ウィアがほおをふくらませる。様子がおかしくて、笑った。一緒に、ローゼも笑った。
「それにしてもよく入ってこれたわね」
「ウィアのおかげだ」
 さすがに驚いたがなとザインが言う。
「でも、全部無視して門の中に突っ込んで行った時は冷や汗が出たわ」
 危ないったら、もう、行動が読めないもの。ローゼが心配したと言う。
「槍の下潜るっていう荒業に出るのは、リーの影響だよ」
「シャス? 何か持って帰ろうなんて、考えない事ね」
「……」
「門番が入れてくれたのね」
「はいったの~!」
 それは、前に王妃に遊ばれ倒されたおかげなのか?
 視界の端で、客室の準備をレランに言いつけるカイルの姿を捉えながら、考える。
「でもひどいわリーディル。教えてくれてもいいのに」
 なんにも準備できていないと、ローゼが残念そうに、悔しそうに、する。
「来るなんて思わなかったもの」
 言うつもりがなかったわけじゃない。ただ、たぶん。怖かったのだ。そう、ひとつだけ――
「ひどいわ」
「ごめんなさい。ローゼ」
 静かに謝ると、ローゼは首をふる。でも、やっぱり少しだけ、恨めしいようだ。
「しかし、小さいね」
 タイミングを見計らったかのように、シャスがライドのほおをつつく。面白いのか、何度も。
「あー!」
 ライドがうめく。びくっと、シャスは手を引っ込めた。
「触るなって」
「嫌われたのー!」
 ローゼの冷ややかな言葉に、ウィアの止(とど)め。おいこらと、シャスがウィアを睨みつける。部屋の中を走って逃げるウィア、追いかけるシャス。
「部屋の準備が出来たぞ」
 戻ってきたレランの報告を告げるカイルの言葉に、ウィアが反応する。
「お部屋見たいー!」
「はいはい」
 ローゼがライドを私に手渡す。それから、ローゼとシャスとウィアが、レランの後ろに並ぶ。同時に、大臣に呼ばれたカイルも部屋を出る。
 うとうとと目を瞑るライドをゆりかごにおろして、私は腰を下ろした。
 閉じられた扉の内側に、ザイン。
 しばらく、ゆりかごを揺らす。完全に寝入ったライドの額にキスをして、顔を上げた。
「……大丈夫なのか?」
「わからない」
 ザインは、心配してくれている。その心遣いに、しかし確信のある言葉は出てこなかった。
「わからない」
 二度、繰り返す。
「まぁ、お前は特殊だからな。だから――」
 気遣う言葉を、静かに視線を送って制した。誰よりもよく、わかっている。心配も、一縷の望みも。願いと、願いも。
「話したのか?」
「まさか」
「そうか」
「こんなに、生きる予定じゃなかったのに」
「……幸せにな」
 後悔とは言わない言葉が口をついていた。そこに響いたザインの言葉に、驚いて反応が遅れる。
 次に言葉を発しようとした時、もうザインは部屋を出ようとしていて、ひらひらと手をふっていた。


 それから、騒ぎを聞きつけた王妃とウィアのやり取りに、国王とザインのやり取りに、なんだかもういろいろ。
 お祝いだと届く品も多く、人々がうれしそうに城下が活気付いている。
 アズラルも迷惑なぐらい産着を持ってきた。セナが言うには女の子用も同じくらいあるらしい。なのでユアが、絶対女の子も産んでくださいねと言う。
 言っておくけど、次も同じくらい作ったら困るわよと釘を刺すと。二人は目を見合わせてそそくさと立ち去ろうと動く。
 ちょっと待ちなさいと、止めるのに必死だ。
 夕食はこれがまた騒がしい。なんの騒ぎだろうか……
 珍しくお義父様も一緒で、しかも止めない。ウィアとシャスが一番悪い。誰よ、シャスにお酒出したの!?

 ローゼとウィアの質問攻めから開放されて、部屋に戻った時はもう寝台に倒れこんだ。
 話し込んでいる時に授乳を済ませていたライドは、今は静かに眠っている。
 寝台の真横のゆりかごに手を伸ばして、その頬に触れようとして、手を止めた。
 足音を立てずに、部屋の中に向かってくる気配。
「まだおきていたのか」
 驚いたように、カイルが言う。
「ウィアも、ローゼも、楽しかったみたいよ」
 だからこそ、いろいろと話をしてくれた。見てきたもの、楽しい事、明日の予定。
「よかったな」
 羽織っていた上着を長椅子の背にかけて、部屋の中のろうそくを消しながらカイルが寝台に向かってくる。
 中途半端に伸ばしていた手を取られる。唇が押し当てられて、むずがゆい。
 その手を離してくれたかと思えば、今度はライドに視線を向ける。心地よさそうに眠る息子に満足したのか私を見た。それからのしかかってくる。
「……」
 部屋の中は薄暗く。影となって表情がよく見えない。でも、わかる。
「大丈夫か?」
「……なにが?」
 一瞬の間が、すべてを物語っていた。あわさった、視線を先にそらしたのは、自分で――
 何も後ろ暗い事がないわけじゃ、ないので。
短く、ため息をつかれた。その手がほほに触れる。くすぐったい。
そう思いながらその手に手を添えた。
「無理をするな」
 誤魔化してるのは、百も承知だ。
 だからこそ、言わない。
 だけど言わなかった事を、後悔するかもしれない。後悔するのだ。いつも、言いたい事が多すぎて、言えないことが多すぎて。
 不安、で――
 不安?
「おかしいわね」
 自分で思ったことに自分で答えてしまう。心外そうにカイルがまゆをひそめるのを、違うと言って抑える。
 やはり、ため息をつかれた。
 言わない事は絶対に言わない。言わせない。そう、それでいいと言ったのだ。だから必要以上に、干渉しない。
 だが、時折、もどかしいのだろう。
 そんな時ほど、私は何も言わないと知っているから。
 だからため息をつくのか。と、抱き寄せられた。どこか、不安な事を悟られたのかと一瞬、あわてる。
 逃げ出せないくらい強く囲われて、顔を埋めた。伸ばした手で服の端を握り締める。
 驚くくらい安心して、暖かくて、ゆっくりと眠りに落ちていった。

 数時間後、泣き出した息子に叩き起こされた。


 ライドはまだまだ幼くて、抱き上げて散歩する時間も限られる。それに文句をいうつもりも、なかったのに。
「ローゼ?」
 自分の甥っ子を抱きしめて、ローゼが笑う。その隣でウィアがぴょこぴょこはねる。
「どういうこと?」
 何を言われたのか、よくわからない。
「だから、ライドは私」
「ウィアも!」
「私たちが見ているから、リーディルは外に行ってきて」
「あのねぇ」
「でないと干からびちゃうの!」
「カビが生えるんだろ」
「どっちも同じよ」
 冷ややかに話を聞き流しながら、ザインに視線を向ける。……なんだってぇえ?
「誰の悪影響だろうな」
 リンザインは、かなり遠い目をしていた。


 しかし、やっぱりというか。私でも手を焼く赤子の世話はあの面々には無理だったみたいだ。
 だーとなくローゼとウィアをあやしながら、ライドを眠らせた。
 気の済むまで騒いで、笑って。笑う。
 心を占める負の感情がいつしか、遠ざかる。
 誰が想像したのだろう。すがっていた名を捨てて、失ったものは多かった。けれど、幸せだと――



 青い髪に金の目をした赤子は、すくすくと育っていた。
 それにあわせて――

「次の会議と、それから」
 護衛と共に前にもまして多忙さを極める執務をこなしていたエルディスの王子が執務室の扉を潜って、口をつぐんだ。
 部屋の中央に置かれた長椅子に沈むように寝そべる、人影。その隣にはゆりかご。
 疲れているのか、疲労の色が濃く現れている顔で王子妃は眠っていた。
 カイルも、レランも、その姿を見て余計な物音を一切立てないように口を閉じ、足音を消した。
 リールは、おそらく多少の事では目覚めないほど眠り込んでいた。
 と、突然。
「あーー!」
 これまで眠っていたライドレンドが、突然泣き出した。
 びくりと、あわてるように動きの止まるカイルとレラン。彼らが動きを止めてしまったのに比べて、リールの行動は早かった。
 がばりと起き上がり、子を抱き上げる。あやしながら、言う。
「ライド?」
 それでも疲れているのか、言葉が弱い。
 よいしょと、赤子を抱き上げて、リールが首を傾げる。それから何かを察したのか、あやす間に上半身をはだけ始めた。
 無言で、レランは背を向けて、カイルは足を進めた。
 お腹をすかしていたライドレンドは、一心に授乳を受けていたが、そのリールは眠そうだ。かくりと、頭が動く。
「おい?」
「……ん?」
 ライドレンドが飲みやすいようにその頭を支えながら、リールがだるそうに振り替える。
「ぁあ」
「珍しいな」
「うるさいのよ」
 侍女とか、乳母とか、っていうか王妃とか。
 それよりも、夜に泣き出す子供の相手をしていたいのに、外野がうるさすぎる。
 と、話をしながらもリールは今にも寝てしまいそうに傾いていく。
「大丈夫か?」
「……ねむい」
 と、扉が叩かれた。もちろん扉の隣にいたレランが開き、用件を伺う。ちらりと見えた兵士が心なしか、いや確実に青ざめていた。
 彼の用件はカイルを呼び出すもので、青ざめてしまったのは執務室にいたリールに気がついたからだろう。
 何かを怖れるようにあわてて去った兵士を残して、レランが話を伝える。
 それはそれは嫌そうに、カイルはリールの額に唇を落として、再び部屋を出た。そして訪れる、沈黙。
 ライドがゆっくりと腹を満たしていく。
 その執務室の中央にいる王子妃と赤子。そして定位置に戻りきれないレランが、妙に浮いていた。
「……こっちきたら?」
 何かを察したように静かにリールが声をかけた。レランが、定位置に戻りきれないほど気にかかる。それ。
 背を向けていたレランが揺れた。
 しばらくして、動き出す。長椅子に腰掛けたままのリールは、首だけ動かした。その動きを、追う。
 ライドレンドは、必死にその乳を飲んでいた。
 レランが、その様子を覗き込む。
 誰もが、最初にこうであった姿。
 小さい手、小さい姿、必死に、生きて――
「あー」
 口を離したライドレンドの背をリールが数回叩く。そして胸に抱き、レランに手渡した。
 反射的に受け取って、レランは途方にくれた。
「違う」
 支え方が違うと、リールが手を伸ばす。首と背、その体を抱えなおさせて、相変わらずそれように作られた服の前の紐を結びなおしている。
 言われるまま、というか動かされるままに腕を動かして、抱えなおす。
 すると落ち着いたのか、うとうとと赤子が眠りにつく。
 その様子を眺めていたレランが、気がつくと、リールも長椅子に突っ伏して寝ていた。
「……おい」
 しばらく、途方にくれていた。


 先ほど二人で歩いていた廊下を、今度は一人で歩く。かなり足早に。用事を告げた兵士を青ざめさせつつ、用事を済ませ。そして帰りにすれ違う兵士を青ざめさせ。
 基本は機嫌がいいだけに、手に負えなかったりする。
 息も切らすことなく戻ってきたカイルが、部屋に入り、固まった。
 途方にくれていたレランが、本気で助けを求めるように振り返った。
「……いや、おろせばいいだろう」
 カイルは、伸ばした指でゆりかごを示した。
 そしてカイルはレランをさくっと無視し、リールをゆすった。
「リール、」
「んー」
 うっとうしそうにその腕を払ったリール。しかもそのまま向きを変えたかと思うと、すぐに寝息が聞こえ始めた。
「……」
 はぁと、カイルはため息をついた。仕方ないと言うように抱き上げて、続きの間に連れて行く。
 そのうしろから、ゆりかごを引きずったレランが続いた。もちろん、ライドレンドは抱えあげたままだった。

 それから、執務室に主が戻った。


 近い話声にふと目が覚めた。
 が、だるいというか、中途半端に目が覚めてしまった残念な感じがする。
 首を回すと、ゆりかごの中にライドレンドがいた。
 ほっと、息をつく。それから、部屋の外からもれる声に耳を傾けた。

「何を言い出すかと思えば」
「ま、頃合だろう」
「……」
「わかっている。だが、そうなる事は確実だ」
 いくら引き伸ばそうと、いつか、という言葉は、今と同じだ。

「……?」
 さっぱり話が見えない。まぁいいかと扉を離れる。と、
「あー!」
 ぁあ、とがっくりと頭を落とす。
「どうしたの? ライド」
 愛しくないといえば、嘘だ。だがどこかで――
 疲れているのか、危険な思考に囚われる。簡単だ。あの島で、やろうとしたことよりも、もっと。
 例えば、この抱き上げた手の力を、抜いてしまえば――
「リール? ここにいたのか」
「王?」
 はっと、顔を上げる。閉ざされていた扉が開いて、空気が混じる。ほっと、息をついた。
「ずいぶん疲れた顔をして。大丈夫か? あの息子が不甲斐ないから苦労をかけて」
「父上」
 わざとらしい嘆き、王ははぁとため息までついてやれやれと手を振っている。後ろから聞こえてきた、抗議するような声を無視して。
「そうだろう。こんな所に押し込んで。気も滅入ると言うものだ」
「それは――」
「だいたい、ずっと城に引きこもったままじゃないか。らしくない。アイラなどさっさとまいて外に出なさい」
「……そうですか」
 逃亡を手引きする国王なんて、いいのか?
「ほらほら~ライドレンド~おじいちゃんですよ~」
 すっと、カルバートはライドレンドを抱き上げた。リールが反射的に伸ばした手を彷徨わせる。
「だれがおじいちゃんだ」
「うるさいぞ息子よ。だいたい、お前が不甲斐ないせいだろう」
 そう言って、国王は再び孫に微笑みかける。
「見た目はカイルそっくりだな。困ったものだな」
「どういう意味ですか」
「うるさいぞ息子よ」
「そう思いますよね」
 同意したリールにあわてたのか、カイルが言う。
「赤ん坊だ」
 確かに、しかし。
「だからこそねぇ」
「リール」
 攻め立てるように、睨みつけられた。
「ぉお、大変だぞリール」
 国王は楽しそうに笑っている。一緒に笑った。いつの間にか、ライドレンドも笑っていた。
「まだ、海にも行っていないだろう」
 はっと、視線を上げた。そこには、穏やかに笑う国王が、いた。


 馬車に乗り込む間際に渡されたのは白い花の花束で、ふわりと優しい香りが漂った。
 かごの中で眠るライドは、時々小さく声を立てる。
 それを興味深そうに眺める、カイルの姿。腕にかかる重さが、半分になる。
 圧し掛かっていた。
 奇妙な気分だった。うれしい、かなしい、違う、わからない。
 でもまさか、自分が。
 母と父もこうだったのだろうか。私が、産まれて――
 彼らは、地位が低かったのだ。あの島の、あの薬師の、一族の中で。
 この髪と瞳の色が、父と母の支えとなったのだろうか。
 話でしか知らない祖母は、喜んだのだろう。
 違う、そうじゃない。
 ただ喜んでくれたんだ。それが例え、黒髪で黒目の子でも、同じように。ただ、そうであっただけ。
 だから両親は、悲しんでいた。いずれ負うであろう責務を。
 できることなら、関わらないでほしいと。私を遠ざけたのだ。すべてから。
 だけど私は、あの地位にいて何もできなかった。安穏とした生活がすべてで、今にして思えば、あれだけの事がどれだけ、大変な事だったのかよくわかる。
 そして、あの日。
 地位を持っていたのだ。いずれ当主となるだけの地位を。なのに、私は知らなかった。知らされなかった。
 利用する方法も、誰かを蹴落とす方法も。
 それが、父と母(ふたり)が望んだ姿だったから。
 だけど、だけど。本当は――私は、血に汚れても助けたかった。
「この子は」
「なんだ?」
 慎重に進む馬車の中で抱き上げたわが子の寝顔が、とても穏やかで。今なら、両親が望んだ理由がわかる。
 例え、自身の命と引き換えても――
 だけど、ねぇ。
 そんな事をしても、子供(わたし)はうれしくないよ。
 私は、両親(ふたり)に生きてほしかったの。
「……リール」
 向かい側に座っていたカイルがこちら側に、隣に腰を下ろす。
 ライドレンドを抱き上げたまま、支えられた。抱きしめられた。こらえきれず、嗚咽が漏れる。
 そうだ。どこかで心が軋むような音を立てていた。なぜかは、よくわからなくて、ただ、苦しくて。
 名について文句を言おうと、時折心配しているのか嫌がらせなのかわからない行動をとろうと、嬉しそうに、心待ちにしていたと祝福する王妃。
 ただ静かに、いつも遠くで見ているという印象をつけようとしつつ失敗していて、やっぱり楽しそうに、嬉しそうに声をかける国王。
 そこにいるのは、私の父と母でないという事実がただ、受け入れられない。
 喜んでくれるはずだから。嬉しそうに、楽しそうに。
 本当は、誰よりも、誰よりも一番、喜ばせたい二人なのに――


 海は穏やかで、白い花が吸い込まれてゆく。
 私の鳴き声に目を覚ましたライドが腕の中で笑う。小さい手を伸ばして、楽しそうに。
 このあと浜辺に下りて、海を見よう。そう思いながら、足が動かない。
 波の音が、変わらない。あの頃から。なにも。
 青い海が嫌いだった。父と母の血を吸っても青い海が嫌いだった。だけど――
 ライドの青銀の髪を撫でて、受け継いだもととなった人物に目を向ける。
「なんだ?」
 手を伸ばしても、その昔よく引っ張るのに便利な、後ろで結ばれていた髪はもうない。ざっくり切ったおかげか、短いほうが気楽でいいと伸ばす気はないらしい。代わりに私が伸ばし始めた髪はもう、肩口など軽く越えている。
『何を言う。青は嫌いじゃないだろうに』
 そう言ったのは、アズラルだ。
「嫌いよ」
「ぇえ!?」
「うそよ」
 ぎゅっとライドを抱きしめて。その髪に口付けをする。するとなぜか不機嫌になるのだが。いつも呆れてしまう。
 青い海、青い空。見つめてくる瞳は金色で、赤子と同じ色をした瞳がこっちを見てくれる。
 不満そうに、何を嫉妬しているのかと、ため息をつく。
 そっと身を寄せて、そっと口を寄せて、耳元に囁いた。

 大好きよ。



 泣いて主張する赤子の抱き方が違うと文句を言い、泣き声で何を求めているのかわかるようになった頃、それは起きた。

「は? 戴冠式? 誰の?」
「…………」
 はっきり聞き返すと、心外だというようにその顔がゆがんだ。
「別に認めていない」
「あっそう」


「はっはっはリーディール! 次は戴冠式か! どれだけ派手にしても問題ないということだな!!」
「あるから」
「ないという」
「うるさい」
「きゃー! リーディール様!」
「笑いましたわ!」
「微笑みましたわ!」
「「将来有望ですわ~」」
「ああそう」
 双子が、ゆりかごをのぞいてうっとりと見つめている。最近、ずっとこれだ。
 なんだろう。これ。
「ライドレンドの分も任せておけ。私に間違いはない!」
「きゃ~! 目を開けましたわ~」
「きゃ~こっち見た~」
「そこだけ別にする気はないけど」
 っていうかあんた達、はしゃぎすぎよ。

「ぁあリール、仮縫いは終わったのか?」
「まだ構想中ですけど」
「そうか。あの男の頭はずいぶん詰まっているんだな」
「そうみたいですね」
 ライドレンドを抱き上げて城中散歩する。それは日課。一度無断で森に行ったらすがりつかれた。乳母と城中の侍女に。
 だからしかたない。
 夢でも見ているのか、むにむにと小さく声を上げるライドを腕に抱き、廊下を進む。左には国王。
 王位の継承。
 いつかとは思った。ただ、今だとは。……いつでも、同じか。
「意外だったか?」
 何を思ったのか聞いてくる。どちらかというと、ドッキリ作戦が成功したというような、楽しそうな声音で。
「意外よ」
 ふいに、腕の中のライドが、重みを増したように思う。あれもこれもと天秤の秤には乗せられない。
 こぼれて、落ちてしまいそうで。
「脅すつもりじゃなかったんだぞ? それに、大半はカイルに押しつければいいのだから」
「そのつもりよ」
 言われなくても。
 互いに共犯者の笑みを交わして、歩を進めた。

 数日後にアズラルが持ってきたのは、何を思ったのか緑色の服だった。
 淡い緑は、柔らかかった。
「……」
「手触りがいいだろう」
「そうね」
 胸元に刺繍。袖口にのぞくレースに向かうように広がって長い袖。
 足が絡むのではないかと思うほど長いスカート。それでも布地が多いからかふわりと広がる。
「これに王は真緑で完璧だ!」
「それってどうなのよ」
 声に、出た。
「完璧だ!」
「殴っていい?」
「痛いだろう」
「当たり前よ!」
 ぐーだし。
「リーディール様!」
「ライドレンド王子もおそろいですの!」
「ふっ……男物などつまらんが、赤子ならば別……」
「かわいいわね」
「そーなんです!」
「刺繍頑張っちゃいました!」
「レースも編んじゃいました!」
「相変わらず、器用よね」
 そこら辺だけ。
 わいわい話す女三人、おいてけぼりアズラル。だがめげない。なぜなら、彼の目には映っていないから。
「……ふっ……これこそ私の力作第二万三ぜん」
「あー!」
「ちょっと! あんたが騒ぐからライドが起きちゃったじゃないのよ!」
「……すまん」


「王子妃様、王子妃様」
「はい?」
 二度呼ばれて、いったい何事だと振り返る。そう呼ばれて、そうあるように望まれている。
 だけど、本当はあれもこれもいらない。ひとつでいい。
 用件を確認した兵士を見送って、息をついた。
 私の根本を、支えるものは――
「リール?」
 壁を支えにしようかと思った所だった。
 背後から抱きしめられたので顔を上げて右手を伸ばした。こちらを見る金の目が私を心配していた。
「もう一度」
「リール」
 満足して、身を寄せて目を閉じた。
「少しだけ」
「いつまででも」
 そう言ったカイルの手が、ライドレンドの頬に伸びる。眠る赤子は、かわいいもので――


「ぉぃっ……おいっ」
「なんだ」
「あれなんだよ。いいのかよ」
「ほぉ?」
 こっそりひっそりばっちり丸見えで、セイジュがレランに問いかける。
 レランは、あえてそらしていたものに視線を向けた。
「言いたいことがあるなら伝えに行けばいいだろう。私は止めないぞ」
「俺に死線を越えてこいと!?」
「戻ってこなくていいぞ」
「一方通行!?」
「そうだ」
 あらまぁと、微笑む侍女、道を変える兵士、青ざめる大臣。
 見ていない。
 あの小娘にも、慣れというものは存在していて。慣らしたのはほかならぬ王子で。
「でもよー昼間ああやっていちゃついてるから夜」
 話を始めようとしたセイジュの真横を鋭い何かが通り過ぎて、一転に集中した力が石の支柱にひびを作った。
「……」
 かくかくかくと、セイジュは首を振った。
「あら、いたの?」
 その手に光る短剣が、なぜか増えている。いち、に……ご?
「的になりに来たんだろう」
 邪魔をしないように。だが支えるように手を添えて、背後から抱きしめたままのカイル。
「そうなの」
 続く言葉を知っていたセイジュは、しかし、レランの足払いを食らった。
「なら、問題ないわね」
「ぎゃーーー!」
 久しぶりに断末魔が響いたと、うわさになったとか。


「ねぇ~」
「なんだ。言っておくが、出かけないからな」
「ぶー」
「なんだそんなに不満そうな顔をして」
「べー」
 少しだけ、リンザインがいらだつ。
「ウィア? どこに行ったの?」
「ここだアリマ」
「まあ、いた。何しがみついてるの」
 リンザインの邪魔をするかのように、足にしがみつくアンダーニーファ。
「ぶー」
「かわいい顔がだいなしよ」
「つまんないー」
「ザインで遊んでもつまらないわよ」
「おい」
「ぷー。ザインのバーカーぁ」
「てめぇ」
 さらに、リンザインがいらだつ。
「もうザイン。相手にしないのよ。子供を」
 一瞬、間が開いた。そして言う。
「ひどいのー」
「案外ひどいよな」
「え?」
 意味がわからないとローゼリアリマが問い返す。しょぼーんと、アンダーニーファは逆にリンザインの足に力を込めてしがみつく。
「ザイン兄、客が来てるけど……なになになに? どしたん?」
 ひょこっと顔を出したシャジャスティが、むしろ楽しげだ。
「いや。とにかくアンダーニーファ。まかり間違っても駄目だ」
「え? 俺も行きたいんだけど」
 どいつもこいつも……リンザインは低くうめいた。
「とりあえず保留だ。いいな!」
 やった。これでまたリーに会えるわよと。ローゼリアリマが笑った。



 月日などあっという間で。悩み病んでいた事が嘘のように次々と変わる。
 だけどその時の一生をかけている。一瞬に一生がかかっていた。
 些細な事だと、思うかもしれない。言われるかもしれない。だけど、それは続く生の流れの途中。

 いらいらした。ひどく不安定で、そして体の不調も混じって奴当たった。
 相手も少なからず始めての試みに、気が立っていたのだろう。
 飛び出した。

「ぁあ、リール。何を突進しているんだ?」
「お父様?」
 それはどういう意味ですか? っていうか国王(あんた)のせいだけど? と、冷ややかな視線を送った。
 今日は、戴冠式だ。
「そんなにカリカリしないでもいいじゃないか……」
「します」
「やめなさい。妊婦がそんなにカリカリするのも止めなさい」
「は?」

「ご懐妊です」
「……」
 言葉に口を閉ざしたら、ライドが泣き出した。
 よいしょっと抱き上げる。
「どういうこと?」
 医師に鋭い視線を向けると、いいよどんだ。


 城のバルコニーに立つと、眼下に人が見える。
 あの日無駄にたっぷりと布地を用意していたから文句を言ったが、意思は変わらない。
 そして今言う事が、母親の、する事じゃないだろうと。それは腕に抱えた命だと思っていたのだが、もう一人いると思わなかった。
 そして、だからといって剣を手放した訳じゃない。だけどもしかしたら、役目は変わっていて。
 抱き上げたライドが軽く、重く。愛しいと。
「――」
 息を、飲んだ。
「リール?」
 いらだった事が嘘のように、全面的に謝罪する相手。私が、間違えても同じことがおきるはずだ。
 もう、溢れている。
 私という枠を超えて、満ち溢れている。
「そうね」
 愛しいのね。
 まだ布で仕切られた先、空気をふるわせる祝福の声。
 手を伸ばすライドを揺らして、あやす。先をいくカイルが待っている。
「なんでもない」
 なんでもなくない?

 バルコニーに立ってカイルが言うことを聞いていた。一段と大きくなる歓声に、驚いたライドをあやして、隣に聞こえるように言う。
 なんでもなく、ないのよ。
「は?」
「二度は言わないのよ。ねぇライド。あなた、お兄ちゃんになるのよ」
 ふふと、暖かいライドの頬に唇を寄せた。
 この小さな命は、まだ、生きるのに必死で。わからないだろうけど。
 でもいつか、支えてあげて、支え合って。
 ひとりじゃないから。一人じゃないと。
 あの島の、あの家の、みんなのように。そういえば……元気よね。絶対。心配するだけ無駄ね。
「って?」
 一瞬動いたような気がするまま、足が宙に浮く。響き渡る奇声。あわててライドを抱え直しながら見渡す。
 あわてたようなセナやユアやレランとかそのほか――が、近づいてくる。あれは医師もいる。
「王!?」
 そうだ、王なんだ。
 ライドを落としたらどーするのと厳しい視線を向けて、片手をその首に回す。
 引き寄せた。
 今までで一番、歓声が高くなったように思う。でももう、耳に入らない。
 あなたに祝福を。ふれるような軽いものでも。
 だけど、最初で最後よ?

 往来で、聴衆の前だと、思い出したあとで自己嫌悪に陥った。


「リール」
「うるさい」
「リール」
「うるさい」
「りー」
「うるさいわね! 着替える途中でさんざんアズラルにからかわれてるのよ!? ほかに何がいいたいのよ!」
 ばんとテーブルを叩く。あわあわと侍女が右往左往する。ぇえ? 妊婦に必要なのは穏やかな気持ちだと? 上等じゃない。
「自分から」
「あーもう!」
「照れるな」
「うるさーい!」
 あれから所構わずからかってくるので、家出した。
 しかし、失敗した。


「ぷー」
「えっと……ウィア?」
「ぷぷー」
「……」
 頬を膨らませてそっぽを向くアンダーニーファに、周囲は苦笑いを返す。
 当事者らしいリールは、うーんと頭を抱えた。
「ウィア?」
「ぷー!」
「なんなの」
 さっぱり意味がわからないとリールがローゼリアリマを振り返った。
「それはーたぶんー」
 かくかく、しかじか。
「つまり、」
 あの大歓声の中、人混みに埋もれないようにリンザインの頭によじ登ったウィアを、見つけろと?
「ぺー」
「ウィ、ア」
 怒るわよ?
「手ぇふったもんー!」
 怒りを感じ取ったのか、ぴーと、泣き出した。
「リディのばかぁ~」
「だからどーしろと」
 リールはアリマを振り返り、シャスに目を向け、ザインの胸ぐらをつかんだ。
「……何が言いたい」
「察して」
「妊婦は妊婦らしくおとなしくしろだっ!?」
「なんだって?」
 リールの拳と、リンザインの頭の上に湯気が見える。
「……赤ちゃん?」
 と、ウィアが反応を示した。
「ここにいるわよ」
 その手を取って、リールがおなかに当てた。まだ、それとわかりそうなものは
 何も、なかったけれど。
「赤ちゃん!」
「ぇえ、そうよ」
「だっこ!」
「ライドは……」
 と、首を回すとさらに部屋の中に入ってくる姿。
「あー!」
 しかも泣いている。
「何してんの」
「………すまん」
 昼間王になったカイルが、うなだれた。
「あかちゃんー!」
「ここもって、そっちもってゆらして」
「ねんねこなのー!」
 ライドレンドを腕に抱いたウィアはご機嫌だ。
「私も」
 次に予約と、アリマが笑う。
「へーでかくなった?」
 珍しげにのぞき込むシャス。
「……」
 リンザインは疲れたように息を漏らした。


 その真横で、新国王夫妻が肩を並べる。
「………」
「疲れた」
「ああそう」
 後ろから羽交い締めされたリールが気のない返事に冷たく言葉を返した。
「………」
「………」
 しばらく、動かない。
「疲れたぞ」
「だから、な――」
 言葉が、途絶えた。
「!?」
 衝撃に固まったのはリンザインと、ローゼリアロマか。
「みえないー!」
 シャジャスティはすかさず、アンダーニーファの視界を奪う。
「だっ」
 そして、鈍いうめき声がもれた。
 所構わず重なった唇が触れ合った時間は、しかし一瞬で。
 にっこりと笑顔の背景が怖い王妃と、待て、話せばわかるとあわてる王の会話
 を、遠目に護衛が耳にしていても。……見てもいなかった。
「王!?」
 そこへ兵士が走り込んでくる。
「なんだ」
 いったいなんだ。言っておくが問題らしきものはすべてもみ消して……もとい押し付けてきたぞ。オークルに。
「前王様と前王妃様が!」
「……どうした」
 いやな予感がするとカイルが言う。その通りじゃないのとリールは返した。
「蒸発しました!」
「おい」
 誰だ、夜に晩餐をして周辺領主をもてなそうとか言ったのは!?
「蒸発?」
 単語を拾ったのかウィアが首を傾げる。
「それをまた集めて冷やして水にもどすとどうなる?」
 シャジャスティが問いかける。
「蒸留水!」
「よくできました。違うけど」
 ばっさりとリールが言う。がーんと、アンダーニーファがショックを受けた。
「うわわーん!」
 大声に驚いたライドレンドも一緒に、泣いた。
 だから幼児が二人か!?


「ここまで見事だと、何も言えないな」
「あなたっ……ちょっと、早すぎ……ますわ!」
「そうか?」
 ひとりでひとしきり緑を楽しんでいたカルハードは、息も切れ切れなフレアイラの声に答えた。
 互いに軽装に身を包んで。二人が進む先は。
「こ、こんにちは」
「きゃーーー!」
 きーんと、高い声にループがダメージを食らう。それを見たカルバードがやれやれと首を振る。
「フレア、叫ぶのは止めなさい。迷惑だから」
「かわいいわこの子!」
「いくら自分の息子がかわいげがないからといって窒息させそうな勢いで抱きしめるのは止めなさい。相手に迷惑だから。それにその方は」
「ぷはっこんにちは! ループです!」
 その名を聞いたフレアイラがループの両肩をつかんでがばりと引きはがしてしばし固まる。
「獣王?」
「まぁ、そうですね」
 獣王と呼ぶのは人だから。と、ループは言葉を飲み込んだ。
「かわいいわ!」
「だからすぐそばで大声で叫ぶのは止めなさいフレア」



「王妃様!」
「――っと、」
 呼び声に足を止めた。ぁあ私かと思うまでの間が、微妙だ。そんなことよりも――
「誰が王妃よ」
「王妃様?」
 つぶやきは小さく、聞かせなかった。
「何?」
「はい、」
 話を聞きながら、どこか、人事だった。
 用件がすんだ侍女が一礼して離れていく。それをぼんやりと見送って考える。
「誰が王妃よ」
「不満か?」
 言葉が返された。振り返らずに、言う。
「不満ね」
 もう、驚きもしない。……だから往来でひっつくな。
「探したぞ」
「今度は何よ」
 振り返れば、なんとも言いたげな、言いたくなさげな。
「……いや」
「中途半端ね」
 閉じた口のはし、頬を引っ張った。
「痛いだろう」
 やんわりと手を離すように捕まれて――
「放して」
 ぐぐぐと、捕まれたままの腕に力を入れた。
「リール」
「なに」
 顔を上げると、伸びた髪をすくわれた。片手は捕まれたまま、片側の髪に口づけが落ちる。
「愛してる」
「………」

「なんで殴るんだ」
 すたすたと早足で進む王妃の後ろから、頬を押さえた王が続く。夕食の晩餐に、その顔で出るのかと侍女が悲鳴を上げそうだ。
「時と場所を考えて」
 もっともな意見を、リールは持ち出した。
 一瞬考えたらしい王は、不気味に笑った。しかしその表情を、王妃が見ることなく。
 二人は、空いた客室に消えた。


「王がいない?」
「王妃もいない?」
 あわてたような報告を廊下で受け、繰り返したレランの後ろから、事実を正確に繰り返した声。セイジュがひょっこり現れた。
「ほうっておけ――晩餐までには戻るだろう」
 探すだけ無駄だ。探して死体が積みあがるようじゃ意味がない。
「しかし」
「王が、その意思で行動に出たのなら、なおのこと」
「たーいへんだねぇー」
「ああ、すまん」
 レランは、ふっと笑った。
「こいつが探しに行ってくれるそうだ」
「でぇ!?」
「こいつ一人消えたところで被害など微々たるもの。むしろない」
「なーーーにぃーー!?」
ずがん
 と、なぜか扉が蹴り開けられた。現れたのは王妃で――続くのは王で。
「リール。リール待て」
「いや」
「リール」
「だからと」
「場所は考えただろう」
「時と、場所を考えて」
 “時”を強調したリール。カイルは一瞬、考えた。そして――
「問題ないだろう?」
「兵士を脅すな」
 ふと目があったらしい兵士に、お前、なんでここにいる? 邪魔だ――邪魔しないよな? だから去れと暗に言っている。
「問題ないだろう?」
「鳥頭に同意を求めるな」
「問題ないだろう?」
「側近を困らせるな」
 そこの二人は論外とリール。
「鳥頭……」
「ごめん間違えた。雑巾だったわね」
「なお悪い!?」
 セイジュは膝を抱えていじけた。
「訂正したんだけど?」
 失礼ねとリール。
「そうだな」
「さわらないで」
 伸びてきた手をバシッと叩き落とす。
「……」
「何よ文句あるの」
「不満だ」
「あっそう」
「リーディール様ーーーぁぁぁあああ!」
「いーーたぁぁぁぁああ!」
「来た」
「きゃー! リーディール様!」
「着替えるんですわよ!」
「そうなの」
「締め付けがなくて足下はブーツですわ!」
「準備いいわね」
「アズラル様にしては珍しいと思ったらそんな理由でしたのね!」
 すうと、双子が息を吸った。
「「女の子ですわ!」」
「あの男……」
 なんで人が知る前に先回りするんだ。っていうか教えなさいよ。
「気がついてた?」
 どういうことだ、とカイルが目を細める。そんな様子は全く気にせず。リールは双子に連れさらわれた。

 そして、騒がしさは一瞬にして静まり、静寂。――ツンドラ地帯。
 風が、吹き付け、周りのものが凍り付く。はずだったのだが……
「おいっおいなんかさみいんだけど」
「そうか」
「そうか。じゃっねーよ! 兵士凍り付いてんじゃねーか!」
「そうだな」
「どーすんだよ! 誰が働くんだよ」
「お前だろう」
「ひぃ!?」
 背後に近づく寒々しい風におびえるセイジュ。
 賢明にもレランは、黙した。
「お前が、働くんだよな?」
 凍り付きそうな笑顔で言い放つ王。
「おたすけーー!?」
 まぬけな男の叫び声が響いたそな。


「だから、なんなの」
「なんなの? とは?」
「機嫌悪いんだけど」
「なるほど、機嫌の悪い恋人のご機嫌とりの方法を別の男に聞くんだなリーディール。この場合、男心を理解するという意味で間違ってないが致命的なミスを犯している」
「なんなのよそれは」
「それを察してしかるべきが恋人のっ」
「リーディール様。王様嫉妬しちゃいますよ?」
「そうですよ。怒りますよ」
「これに?」
 リールが指さした先に、不完全燃焼で焦げる物体。一番いいところで先に答えを言われてしまった男が一人。
「怒ってどーすんのよ」
「怒るって言うかー」
「なんと言うか」
「?」
「「悔しいんじゃないですか?」」
 双子の言葉に、あほじゃないのと口を閉じた。


「で? えーと?」
「何よ」
「僕に王に殺されてこいと?」
「近かったから」
「……あのですね。一応確認しますけど、妊婦ですよね?」
「二回目だし」
「たくましく育ちますよね」
「当たり前でしょう」
 私の子よ?
「ですよねー」
 はぁとカクウがため息をついた。
「さぁ戻りましょう。このままここにいると、きっと」
 どがんと蹴破られる扉。
「リーグラレル!」
「シャドナスタ王?」
 なんでいるんですか?

「リーグラレル。今からでも遅くない。まだ間に合うというよりも今しかない。後宮に住」
「お断りします」
 さくっと言い切るとライドレンドが泣き出した。あらまぁと抱き上げて、あやす。
「……」
 と、シャドナスタ王が口をつぐんだ。
「罪作りな人ですよねー」
「は?」
 カクウの場違いとも言えるのんきな声に問い返す。
「そんなに幸せそうに微笑みかけなくたって、いいじゃないですか」
 ……本当?

 シャドナスタ王に帰ってくれ、頼むから帰ってくれと懇願されたのでゲートに少しだけ挨拶をして馬車に揺られる。
 眠い。



 大変なことになっていた。
「なんなんだこの役立たず! もういい、自分で行く」
「王。ですからあの小娘が出かけていったのですよ?」
「それがどうした」
「自業自得です」
「……」
「それに本気で逃げたあの小娘が向かった先が知れません。もう少し情報が集まるまでは」
「必要ないでしょ」
 誰を捜す気? と問いかける。
「リール?」
 なにそのまぬけな顔。と、言おうとした途中で――ぼすっと、身が埋まった。
「無事で」
「苦しい」
 空気が、なんとも言えず凍り付いた。しかし、そこはさくっと何かを察して有り余ったと、レランがサクサクと部屋の人口を減らしている。
 あっという間に、二人……三人。
 止まらない口づけに抗議するように、ライドレンドが泣いた。


「あ~のですね」
「なんだ」
「いや~報告に来たはずなんですけどー」
「帰れ」
「えーそれはあれですよね。今回の報告の義務はもうなくなったってことですよね」
「安心しろ、手取りから引いておく」
「いじめっ子ですか……」
 そうですよねー王子ー王だしー
 どこか遠い目をして、カクウが呟いている。
「いい加減で放しなさい」
 カイルの腕の中にいたリールが、抗議した。一歩引いて、ライドレンドをあやす。母親の顔を見たライドが、落ち着いたのか笑う。
 そして、何を思ったのかライドをカクウに手渡した。見知らぬ人間の顔を見たライドレンドと、カクウが目を丸くした。
「リール、いきなり消えるな」
 それを最後まで見ないで、カイルがリールの肩をがしっとつかんで言う。
「帰ってきたわよ」
「そういう問題じゃない」
「あきらめなさいよ」
「――冗談だろう?」
 ひやりと、背筋を通り抜ける何か。でも負けない。
「だって、もう一人いるのよ」
「だから勝手に出かけるな……」
 カイルが、疲れたようにうめいた。
「言ったら止めるじゃない」
「当たり前だろう」
「だから言わない」
「あのなぁ。だからそういう問題じゃ」
「ぁ」
「なんだ!?」
「呼ばれた?」
 ゆっくりとお腹に手を当てるその姿。
「……」
 カイルが、がっくりと肩を落とした。楽しそうにリールが笑う。
「呼んだのよ?」
 お腹を撫でる手に手を引き寄せて――笑った。疲れたようにカイルが頭を上げる。
「頼むから、ハラハラさせないでくれ……」
 いいじゃない。あんたをハラハラさせられるのは私だけよ?


 二度目だというのを多用して、自由に振舞っていた。今度は女の子だと気合を入れるアズラルとセナとユアに呆れて、もう何も言わない。
 思いのほか、喜んでいるのは前王妃―フレアイラ(お義母さん)で、妙な気分だ。
 膨らんできた重みに、目を向ける。――ただ、静かで。
 静かに、本当に静かだった。
 目が覚めたのは真夜中であることが不思議だった。隣で寝る影は疲れ果てているのか寝息が規則正しい。
 そっと起き上がって窓を開ける。開かれたバルコニーの下には松明の灯が揺れていた。
 日々が穏やかすぎて、忘れられない。
 ふいに吹いた風の流れにむせる。のどを鳴らして、咳き込む。ほっとした時、腕を引かれた。
「冷やすなと言われただろう!」
「起きたの?」
 しまった、あんなにぐっすり寝ていたのに邪魔をした。
「そんな事はどうでもいい!」
 寝台まで運ばれて、掛布をかけられる。そして厳重に窓をしめて、戻ってくる。
「まったく」
「だから二回目……」
「わかっている!」
 わかってないから……
 呆れていると、腕が伸びてきた。拒まずにいると引き寄せられる。しかし、やはり疲れていたのかすぐに眠りに入る。寝息が混じって、夜に音が混じる。
「………」
 冴えてしまった目でぼんやり前を見る。手を伸ばして前髪を掻き分けて、その閉じた瞳の下を思い浮かべる。
 ライドに受け継がれたのがその瞳である事が、とても嬉しかった。
(だから、今度も――お願い)
 願わくば、この子も。同じ色を受け継ぎますように。

 長雨の続く天気の中、ぽっかりと開いた晴れの日。そんな日に生まれた女の子は、金の髪と青い目をしていて、まるでカルバートとフレアイラを混ぜたようだった。
「私に似ていてかわいいわ! しかも女の子!!」
 同じ金色の髪を嬉しく思った王妃は、ライドが産まれた時にもまして興奮していた。
「リール、この子の名は?」
 問いかけたカルバードの問いに、リールは視線を送ることで答えた。
 壁際で頭を抱えたカイルが、途方にくれていた。


「ティクレイヤだ」
「そう。ならティクスね」
「……」
 そうきたかと、カイルが喘いだ。いいじゃないと答えて、そっと頬をつつく。幸せな夢でも見ているのか、寝ているティクスは笑っている。
 ――二人目。信じられない。
 反対側の乳母車で、ライドが眠っていた。助けて、あげてね。二人で、助け合ってね。
「……なに」
「いや」
 背中から抱きしめられて、その手に手を重ねた。視線の先は二人に向かっていて、きっと、思うことは一緒だ。
「大きくなるのね」
「そうだな」
 信じられない。


「わぁ、小さいんですね」
「そうよ」
 二人目とはいえ、というか二人になったのだから、その分疲れる。合間にうとうとと眠りかけていると、声が聞こえてきた。
 そこにいたのはいや、人の事いえないだろうと思う、獣王(ループ)。
「一人で来たの?」
「いいえ、タキストが……あれ?」
 おそらく後ろにいたのだろう。影も形も見えないが、その辺にいると思う。
「いいわよ」
 なんか、警戒されてるのよね。いい加減もういいと思うけど。
「すみません」
「なんで謝るのよ」
「ごめんなさい」
 堂々巡りか?
「出てきて大丈夫なの?」
「はい。それはみんなで新しく決めました」
 決まりごとを作るのは四獣王。守るのも、改変するも。すべて。元に戻りつつある世界では、きっと、守るべきだというものは、いらない。
「元気そうでよかったわ」
「ありがとうございます」
「そうだ。お菓子があるんだけど――」
「王に毒でも盛るつもりか!!?」
 突然現れたタキストがしっかとループを引き寄せた。それを見て、ふふと、微笑んで言う。
「じゃぁ変わりに食べるといいわ」
 あの薬草入りクッキー、まだあるんだから。

 確実に胃を悪くしたであろうお付をつれて、たびたびすみませんと謝りながら獣王が森へ帰る。
 なれない気配に緊張したのか、同時に泣き出したライドとティクスをあやす。
「大丈夫、怖くないわよ。驚いたのよね?」
 ね? と、続ける。
 ゆっくりとゆりかごを揺らしながら、歌う。その歌は自分でもなつかしく。暖かく。小さい手に伸ばした指を握られて、微笑む。
 こんなに幸せで、いいのだろうか。この手を赤く染めた事は、ついこの前のことなのに。
「不思議ね」
 どこから、定められたのだろう。
 きっと、どこかにおいてきたあきらめの悪さを、引き継いだのがカイルなのだから。
「本当に、諦めが悪いのね」
「ほめ言葉だろう?」
「よく言う」
 入ってきた影に声をかけて、すぐに返ってくる言葉。よくもまぁ言えるものだ。
「ループ王が来たと聞いたが、遅かったか」
「遅すぎ」
「そうか」
 のしかかるような重さに安心する。
「忙しそうね」
「そうでもない」
「そう?」
 その目を見ると、笑っていた。
「いつ飛び立っていくのかはらはらしていた頃に比べれば、はるかにましだ」
「へぇ」
 曖昧に笑うと、抱きしめていた腕に力がこもる。
「リール」
「何」
「……ここまでしたのに、どこか不安なんだ」
「は? 今更何言い出す気?」
「いや……」
 言いよどんだのは、一瞬。だが。

「ぎぃやぁぁぁああああーーーー!!!!?」

 ごっと、鈍い音がした。すべてをぶち壊すには、あまりにも丁度いい叫び声だ。
「あいつら」
「元気よね」
「リーディールさまぁ~!」
「セナ、何泣いてるの」
「ライドレンドさまのお洋服がぁ~」
「ティクレリアさまお洋服も~」
「だから、着きる前に成長するから!」
「「問題ありません!」」
「言い切るな!」
 途端に騒がしく、部屋の中が活気付く。
 なにか言いかかったカイルが伸ばした手は、力なく落ちた。
「あいつら……」
 きっと、今日の彼らは徹夜だ。



 過ぎてしまえば月日などあっという間で、振り返るにはあまりにあっけない時間だ。
 もっと長生きする聖魔獣と比べれば一瞬でも、その中で生きる自分達にとっては大切な時間だ。
 ただひたすら、復讐という目的を失くして、少しは計画的に生きてみようかと思った矢先に振り回されて。
 王妃だの、子供だの。なんだの。
 家族を持つことが信じられなくて産んだ息子、母親になった事になれないまま産んだ娘。
 そして、それになれたてきた時に気がついた。三人目の命に。青銀と金の瞳を受け継いだ息子、金の髪に青い目の娘。
 祈るように願ったのに、生まれた二人目の息子はオレンジ色の髪に金の目をしていた。
 誰よりもそれを恐れていたのに、その子につけた名前は――


 てててと、駆ける姿を視界にとらえた。無視するでもなく、近づくでもなく目的地に向かう。
 どうやら、近づいてくる。
 なんだ、くるのかと思った、その時。
ずべっ がん!
「……」
 何もすっころんで顔面をぶつけなくてもいいだろうと、思う。しかも何もない所で。
 しばらく、沈黙。背後にいたもろもろが、息を飲んだ。
「……うー」
「立て」
 そっちは、地面。こっちは石の廊下。見上げた視線。赤く火照った額。
 そんなに、辛辣に見えたのだろうか。泣きそうだ。
「泣くな」
 少しだけ焦って、長く重苦しいマントを、払いのけた。
 小さい手、姿。必死に走ったかと思えば、こうやって転んだり。
 すがりつくような視線に、しかし手は出さない。
「立て」
 静かにそう言った。思っていたより意識を集中させていたのか、気がつかなかった。
「ライド? どうしたの?」
 ひょいと抱え上げる、その姿。
「……リール」
 ん? とこちらを振り返る。その腕に抱かれたライドレンドが、すがりつくように泣き始める。
 その背を叩きながら、不思議そうにこちらを見る。そして、
「あんた?」
「違う。転んだんだ」
「そうなの?」
 あー! と、まだ泣きながら、それでも必死に頷いている。
 その手が、肩口の服を握りしめていた。
「甘やかしすぎじゃないか」
 そういうと、かなり驚いたのか、目を丸くしてぽかんとしていた。一瞬、その腕のライドを取り落としそうになるくらい。
「何を驚いている」
「驚くわよ」
 リールはライドを抱えなおした。
「甘やかしすぎ、ねぇ……」
 思い当たるのか、語尾が弱い。そうだと、頷くとさまよわせていた瞳がこっちを見た。
「いいじゃない」
「おい」
 ふっと笑って、その身が先に進んでいく。追いかけるように隣につくと、こっちを見上げた。
「なんでついてくるのよ」
「こっちが執務室だ」


 王が大臣と視察に行って戻ったというので、その姿を探す。執務室に戻ってくるだろうが――ん?
「どうされ」
 立ち尽くす大臣を見つけて声をかけようと――いた。
「大臣、王は……」
 ぁあ、いた。また何か言い合っている。たいていは小娘がいいように言って、王はあきれたように、いさめるように。あきらめたように、楽しそうに同意する。
 今回は、あきらめたらしい。
 遠目に、小娘にしがみつくライドレンド王子。時々、あの二人は教育方針がずれる。
 どちらかといえば厳しいようで厳しいのが王で、厳しいようで甘いのが小娘だ。
 あれだけ甘いのには、驚いた。
 前王の甘やかしに、負けていないのだから。
 と、そんな場合ではない。足を進めて追いつくよりも早く、もう一つ、影が近づいていた。


「おちついた? ライド」
「……うん」
 ぽんぽんと背をあやして、足を進める。カイルはあきらめたのか、何も言わない。
 ため息をついていたが。無視した。
「王妃様」
 と、廊下の角から別の影が近づく。すでに気がついていた。鳴き声。
「リィン」
 まったくと、いうか。
 ライドを渡そうにも、嫌々と首を振る。しがみつく手を離すのが心苦しくとも。言って聞かせるしかない。
「ライド」
「……」
 泣き声がいよいよ大きくなるリィンティドに、ライドレンドの視線が向かう。
 握りしめていた手が、ぱっと離れた。
「ありがとう」
 ゆっくりとおろして、リィンを受け取る。また何が気にいらないのか。一生懸命泣くその姿。
 ゆっくりとあやしていると、カイルがのぞき込んできた。親子の視線が赤子に向かう。残されたライドレンドは、リールの服の端を握って、その目に涙をためてうつむいていた。と、


 どんどんどん増えていく。あれは一家がそろうのではないかと思い。すると、その背後から近づく影に目を向ける。
「あれは」


「おかーさま!」
 ずがんと、突進した。
「ティクス?」
 にっこりと、微笑んだのになぜか悲しげだ。誰の笑顔が黒いって? でもめげない。
「だっこ!」
「……」
 そう来たか。
 いつの間にか、リィンも泣きやんだ。
「だっこぉ!」
 利発な長女は、兄を差し置いて自分の主張を通すのが得意だ。え? 誰に似たって?
「だっふぇ!?」
 驚いたような声に、驚く前に、驚いた。
 一瞬にして視線が変わった娘は、嬉しそうにはしゃぐ。
「……あなた」
「いくぞ」
 その、ものともせずに、その身を方に担ぎ上げて進む。後ろ姿。ふっと笑って、手を伸ばした。
「ライド」
 呼ぶと嬉しそうに、顔を上げる。遠巻きに見つめて、うらやむことが多くなった長男は、だけど、物わかりとあきらめはよくて。
 左手にリィンを抱えて、右手をつないだ。
 先を歩くカイルが、足を止めて振り返っている。その頭の上でティクスが「はやくぅー!」と呼んでいる。
 追いついた。
 体を正面に向けたカイルの手が、ライドの右手に触れた。――つながれて、一瞬、暖かさにライドが顔を上げて。カイルはそっぽを向いたままで。
 つないだライドの両手に、力が入って。ここにいるよと、握り替えした。
「おやつー!」
 楽しげに笑うティクレイヤの声が、よく響きわたる。
 ふと視線を向けて、視線を交わした。


「あれは……」
 いつもと同じように、後ろをついて行く途中だった。気がついたのは、偶然だったのだろうか。
 その時が、来たのだろうか。
 いつも、後ろにいた。その、あの空間の空き。違和感。違和感であり、定位置のような。あの距離。
 間をつなぐ手は、つながっている。
 その距離を、埋めるように。


 騒がしく、明るい声に城中の人々がその姿を追う。微笑ましいと言うように。祝福するように。

 その、そう、幾年も幾年も縮まる事のなかった。あの距離。
 ――そうだったのか。
 レランは、はじめて二人の後姿を、安心して見守った。
 思考は同じなのに、行動がどこかかみ合わない二人。
 間のあく距離。


「ねぇお母さま!」
「なぁに? ティクス」
「お父さん!」
「……ライド」
「静かに、リィンが起きるわ」
「「しー」」
 小さな二人が、唇に手を当てながら呟く。
 それを見た夫婦が視線を交わす。
 国王一家が外に向かって足を進めていた。後ろで、長年空いていた間の意味を解き明かして、口元が笑う護衛と共に。

 そう、祝福されていた。だから気がつかなかった。思いつきもしなかった。
 それが、最後の姿だと――




 異変に気がついたのは、いつだったのだろう。
 それが異変だと思わず、通り過ぎてしまった。思えば、あれほどはっきりしていたのに。
 ふとした拍子に失われてしまうものだと、知っていたはずなのに。


「王」
 移動中にも関わらず矢継ぎ早に話しかけてくる大臣の言葉に答える。執務室から移動する間でも忙しい。
 まったく、これには自分の仕事を押し付けてきた父親の気持ちが理解できなくもない。
「……?」
 と、広間まできて気がつく。二階の階段から降りてくる影は見覚えがあり。誰よりも早くその存在に気がついたと自信がある。
 後ろに侍女を控える事になれることを嫌がっていたリールは、やっぱり移動中もいる侍女の姿にうんざりしつつ、歩いていた。
 こんな時間に城内をうろついている事は珍しいと少しだけ目を見張る。
 受け答えの反応が鈍くなった事をいぶかしんだ大臣達もその姿を見、口を閉ざした。
 しかし、上はまだ気がついていない。そう思った。
 ――おかしいじゃないか。その時にそう感じているべきだった。
 突然、のこと。
 信じられるだろうか。
 確かに、階段は危険だ。しかし、長い裾ならまだしも動きやすさを重視した格好のリールが、階段を踏み外すなど。
「リール!」
 先に、動いていた。他の事など視界に入らない。
 転がりつつも必死にしがみつくものを求める腕が無残にぶつかってはねる。転がり落ちてくる頭が強打されないか、その身に傷がつかないか。
 受け止めた衝撃に体が後ろに倒れる。その身を支えても自分の身は支えきれない。落ちるかと思い衝撃を覚悟した時、動きは止まった。
「――レラン」
「申し訳ありません」
 謝罪は、なんのためだ。
「リール!」
 そんな事より、腕の中で動かないリールを揺さぶる。
「王、揺らしてはいけません」
「っ。――ああ」
 怒鳴りつけたくなる衝動をなんとか抑えて、その体を抱えあげる。その、軽さ。どういうことだと顔を覗き込めば、その顔はどこか、青ざめていた。

 何かを忘れている。そんな気がする。
 そんな気を思い始めたのは、いつの事だったか。
 変わらず笑う姿に違和感を忘れ。子に微笑む姿に安心し。傍に寄り添うたびに繋ぎとめようと必死で、気がつけばこれ以上何もできない。
 知っていたじゃないか。
 孤高の島(シャフィアラ)の民である事を――

 人払いをして、その手を握り締めていた。暖かいといえば暖かいし、冷たいといえば冷たい。
 いや、震えているのは自分だ。
 思えば、真っ先に自分の身を犠牲にして生きていたのだろう。
 その身に起こりうることがあると、なぜ想像しなかったのだろう。
「リール」
 答えてくれ。
「リール」


 深く、深く沈んでいた。
 これ以上先はないと思えるほど深く沈んだ時、真っ白な世界が広がっていた。広がる世界はどこまで続いているのかわからないほど真っ白で、もしかしたら思っているほど広くはないのかもしれない。
 ふと、振り返った時、目の前に扉を見つけた。
「これ……」
 自分の声が遠くから聞こえてくるように響く。そこに、世界を揺さぶるように声が響いた。
『リール!』

 はっと目を覚ました時、手を握られていた。祈るように手を握り、傍らに座る影に視線を向ける。
「……カイル」
 ばっと、顔が上げられ、目が合う。ゆっくり微笑むのと、腕を引かれ抱きしめられたのはどちらが早かったといえば、決まっている。
 だらりと下がった腕が重く、その背に回す事ができない。変ね、どうしてかしらとぼんやり考える。
「リール」
 くぐもった声が聞こえてきて、どれほどその声に助けられたのか数え切れない。
「……そうなのか」
 確信を認められないという声に、答えられない。ごまかした所で、意味がない。


 ある日を境に、母はほとんど部屋から出てこなくなった。大人達は曖昧に言い訳をするだけで、泣き止まないリィンティトをあやすのに必死だった。
 会うことを制限されているわけじゃないのに、どこか遠ざかる足の運び。
 自分の中の母親という存在は常に大きく、安心するものだから、ぼんやり窓の外を眺める姿は受け入れられない。
 逆に、ティクレイヤは入り浸っていた。あの、無邪気さが羨ましい。


 海が見たいと言い出したので、抱き上げて廊下を歩いていた。何かを察したように立ち尽くしている息子と娘の姿に、リールが笑う。
「ライド、どうしたの?」
「母上」
「聞いているわよ。あなたがどれほど優秀か。でもたまには、休んでもいいのよ?」
 そう言って笑う。
「母上」
「なぁに?」
「どこへ――」
「お母様!」
「ティクス。あなた、また違う服を着ているのね」
「お母様に言われたくない!」
「――そうね。私のせいじゃないんだけどね」
「アズラルがはりきっているの」
「迷惑なのよね。でも本当、似合うわ」
 それは、昔リールが来ていた服でもある。
「お母様とおそろいにしてもらったの!」
「……物好きね」
 困った娘ね、と笑う。
「ごめんなさいライド、ぇえと、なにか言いかけていたわね」
「いえ……」
「ねぇ、おろして」
 カイルにそう言って、床に足をつく。久しぶりに抱きしめた体は、小さいけれど、生きていた。顔を覗き込めば、どこか面影がラーリ様に似ていた。
 その手が、背中の服を握り締めてくれた。
 ずしっと重みを感じた。後ろからティクスがしがみついていた。
 本当にこの活発な娘は、誰にも負けない。
 静かに体を離して、立ち上がる。セナが抱きしめるリィンの頬に口付けをしてそっと離れる。
 ――さよなら。


「お前達は残れ」
 ついてくるなと言われ、仕方なく残った。王に抱かれた小娘が笑う。そして、すれ違う。
 ……なにか、違和感。
 ばっと振り返った時、もう馬は走り出していた。
「どーしたよ?」
「……いや……」
「さーて俺は寝るか~」
「その前に死ね」
「ぎゃーーー!!!?」


 ついてこようとする護衛を置いて、なおいる警護をまいて、馬を走らせる速度を落とした。
「リール」
「……ん?」
 閉じていたまぶたが開いて、ほっとする。
「急ぐが」
「いいわよ。別に急いでないから」
「そうか」
 走らせていた馬を歩かせて、道を進む。ゆっくりと会話を続けていた。内容はたわいない事ばかりで、意味がない。
「……」
 徐々に様子が変わっていくのを、少しずつ感じていた。
 だんだんと、閉じたまぶたを開くのが重くなっているようだ。
「リール」
「――おろして」
 馬を止めて、木の下にしゃがみこんだ。膝の上に乗せた存在が軽い。伸ばされた腕が頬に触れるので、その手に唇を寄せた。
「……ライドと、ティクスと、リィンを――」
「ああ」
「あんたが育てないでよ」
「……おい」
「だって――ひねくれそうじゃない?」
 かなり引きつった顔をしていた事は自覚している。
「その顔、不機嫌なレランにそっくりよ」
「レランが真似したんだ」
「かわいそうよね」
「……」
「冗談よ」
「どっちが」
 そういうと、曖昧に笑っていた。

 ――半分はね。

「……抱きしめてあげて」
 それは、母親の言葉だった。そして、薄れる気配を必死でつかもうとその体を引き寄せる。
「リール」
「……ん~?」
「………」
 話しかけてみたが、何も言えない。
 いつも問いかけてみたかった。――後悔していないのかと。


 声をかけたまま止まってしまったカイルに、もう片方の手を伸ばす。その首に腕を回して、声にならない声で、囁いた。
 ――わかってる――
 それから、顔を見て微笑むと、安心したのか笑う。なんだか久しぶりに、どきどきした。
 こんなに誰かを愛せるなんて、思いもしなかった。伸ばした手をつかまれたこと、うれしかった。
 私の手にカイルの手が重なって、顔が近づいた。

 握っていた手が下に落ちて、閉じていた目を開きながら顔を離せば――



 数日後、王は一人で帰ってきた。
 そしてすぐさま、中身のない棺の葬儀が行われた。突然ことに城中騒然となり、そして誰も、何も言えなかった。
 まるで何もかも知っているとシャフィアラの被服師は姿を消し。その侍女と共にしばらく帰ってはこなかった。
 葬列に王子と王女は参加しなかった。王がさせなかった。
 その代わりか、見知った姿を見つけた。あれは、あの四人の姿は――そう思った時、まるで幻のように獣王の姿が掻き消えた。目を凝らしても、再び、その姿は見ることができなかった。

 王は始終無表情で、残念に思った自分を呪った。
 ――前にも、同じことを思わなかったか?


 必要な前置きを終えて、城の廊下を歩いていた。本当に必要な事だったのか、と問われれば、そいつの首をはねそうだ。
 どれほど、無力なのだろうか。
 いっそ、共に。と、叫びたかった。しかし、違うのだ。生きる場所も、時間も、存在する理由も、すべて。
 すべて捨てて、共に生きようとしたはずだったのに。道は、違ってしまったのか。

 閉じ込めるように押し込めた部屋に入ると、気遣うような侍女長の視線とぶつかった。そんなに、ひどいか?
 笑い飛ばして、続きの部屋に進んだ。
「お父様! お母様は?」
 ぱっと、立ち上がった娘が問いかけてくる。このすばやさ。どこか、似ているな。
「そろっているな」
 ライドレンド、ティクレイヤ、そして、レランの腕の中でリィンティトが眠っていた。この次男がすべてを知る時は、きっと。
「――父上」
 長男は、すべてを見透かすような目をしていた。ぁあ、ごまかしはきかないのだと、思い直す。
「もう、いない」

 ――どうしてだ?

「いない?」
「そうだ」

「会うことはない」
 ――なぜ、なんだろうな。

「お母様は?」
 目を見開いて、震えていた。かすれる声に、言う。

「死んだ」
 ――俺の、せいなのか?

 部屋の中は沈黙した。
 ふっとよぎった考えが恐ろしく、ただ、自分で自分を傷つけることしかできない。

「……やだ」
 と、目を見張った。
「やだよぉ」
 否定的な言葉を忘れてしまったように、従うばかりだった長男の言葉。
 はじめて、理解した。
 独りじゃないと。
 まだ人の“死”を理解しきれないライドレンドとティクレイヤは困っていた。ただ“会えない”ことを悲しんでいた。
「あいたいよぉ」
「ああ」
「お母さん」「お母さまぁ」

 ――母親、か。まさか、な……

「ぅわぁ~ん!」
「! ぁあー!」
 ティクレイヤの泣き声に、リィンティトも泣き出した。
「……ははっ」
 よろけるように、壁に背をつく。顔に当てた手、笑い出したいのか、泣き出したいのか。甘える体を叱咤して、立ち上がる。
 無表情で絶える息子と、泣きじゃくる娘を引き寄せた。

「――すまない」
 小さい小さいと、ずっと思っていた。だが、違う。

「……お父さま、泣いてるの……?」



 まるで、太陽を失くした世界のように城の中は静まり返っていた。しかし、それでも照らす太陽の光は変わらず、反射していた。
 喪にふす侍女と兵士を見送って、王の部屋の扉を開いた。
 広い寝台と、ゆりかご。重なり合って眠る親子の姿。まるで、隙間を埋めようとするように、繋がりが厚い。
 剣の腕を磨き、誰よりも忠誠を誓っていたのに、自分の力の及ぶ範囲など、定まっていたのだ。
 口惜しい。
 と、王が目を覚ました。しばらく、周囲の状況が理解できないと目の焦点が合わなかったが、こちらと目があってから、静かに笑いをこらえていた。
 くつくつと、かすれる声に、少しだけ冷や汗を流す。
 三人の子供の眠りの邪魔をしないように寝台からおりた王が、口を開く。
「こんな時でも、目覚めるものだな」
「――それが、望みなのでしょう」
 あの、小娘の。
「そうかもしれないな」
 寝台を振り返った王に背を向けて、続きの部屋に向かう。時間は、あるのだから。


 折り重なって眠っていたためか、どこか心地よかった。不安を埋める安心感とは違う、どこか支えられているという実感。
 驚くほどレピドライト王に似てきたライドレンド。昔、それこそ幸せに育ったリールを見ているかのようなティクレイヤ。そして、その色が引き継がれる事を一番恐れていたリィンティト。

 ――。
「リール」
 聞こえて、いるか?
「リール。お前にはもう会えないけれど――」
 この子達が、生きているから。

「約束は守ろう」

 それからも、エルカベイルの統治は続いた。
 王妃の不在は心に傷を残したが、二人の王子と、一人の王女の姿がその隙間を埋めていた。
 しかし、あの葬式の棺が空である事は、王とその側近にしか知らされていなかった。


 自分に時間があることを、普段どれほど意識して生きているだろうか。
 逆に、残りわずかだと知って生きる心中は、どのようなものだろうか。

 彩(いろどり)を失った世界は灰色で、色を失ったように淡々とすごしていた。時折、そっとライドが運んできた花々を眺め、石を剛速球でセイジュに投げつけるティクスの姿を見てみぬ振りをし、そして――
 何よりも驚いたのは、いつも抱かれていたリィンが廊下を這っていたことか。
 いや、子供が動き回るのは先の二人で知っていたが、まさか廊下をそのまま這うなど想像もつかなかった。
 驚いて立ち尽くしていると、おもしろいものでも見つけたように突進してくる。足にしがみつかれて……押したり、頭突きをしたり。
 ――何がしたいんだいったい……
 しまいには泣き出した。なんなんだいったい……
 抱き上げて視線を合わすと、少しだけ泣き止んだ。ほっと息をつくと笑った。つられて、微笑みかけていた。


 王が、突然馬を走らせてやってきた場所は、あまりにも死に場所でぴったりで、かつてないほど狼狽した。
「心配するな、後を追ったりしない」
 そういって、また一歩進む。王は、崖っぷちに立ち尽くしていた。海を眺めて、下を凝視して。
 ――ここから――
「………」
 ただ、少しだけ距離を取って立ち止まった。
 風の音、波の音。
 それならば、自分は必要ないのだ。

 ゆっくりと、レランは背を向けて森の中に消えた。
 カイルは、見下ろしていた視線を上げて空を見渡した。――泣いていた。

『私は――長く生きられない――のよ』

 どうして、忘れていたのだろうか。
 あの時、囁かれた言葉に、意味はあったのに。
「――リール、お前に――」



「行くぞ」
 馬を繋いである場所に現れた王はいつもの通りで、そう“あの頃”のようで。ゆっくりと、その場の雰囲気を壊さないように王都へ向かう。エルファンへ向かう。
 この、締め付けられるような感じはなんなのだろう。
 あれほど寄り添った二人の糸はそれでも、絡むことはなかったのだろうか。どこまでも平行線で、まるで役目を終えたと消えた小娘。
 ――なぜだ。



***


「お母様なら、絶対にいいって言ってくれるもん!」
「ティクス!」
「――あ……」
 鋭いライドレンド王子の声に、ティクレリヤ王女がはっと口を押さえる。みるみる、その瞳に涙がたまる。
 どうしたものかと、冷や汗が流れる。よもや、自分の娘に剣を向けたりはしないだろうが――
「ふ……ははっははは!」
 突然、王が笑い出す。誰もが、緊張に身を震わせた。リィンティト王子は、ひしっとライドレンド王子にしがみついていた。
「――だろうな」
 ひとしきり、自分だけ楽しそうに笑っていた王は言う。
「だが、次にこう言うぞ」
 立ち上がった王が、剣を引き抜いた。太陽の光に反射して、輝いている。
「――私に、剣で勝てたらね――」
 瞬間、その姿に重なったもの。レランには、リールの姿と声が、見え、また聞こえた。
「「「?」」」
 優しいだけじゃないと知る父親の変貌についていけない子供三人は意味がわからず呆然としていたが、次の王の言葉は聞こえたようだ。
「三人とも着替えて、中庭に来い」
 身を翻した王もまた、謁見室をあとにした。
 王子と王女をオークルに任せて、王のあとを追う。
「――よろしいのですか」
 すべてを背負う背に、問いかける。
「そのための試験だ」
 王は、自室の壁際にある剣を手に取った。
「再び、この剣で自分の子供と交えようとはな」
「あなたとあの小娘の子供です」
「どういう意味だ?」
「とっぴな事を言い出されても、ある程度は免疫があるということです」
 王は、再び楽しそうに笑った。


「――まだまだだな」
「――っ」
 うめくように、ライドレンドが声を漏らした。ティクレイヤの意識はすでになく。リィンティトは戦意を失っていた。
「まぁ。だからこそ、だな」
「父上……」
「さぁ、何をぼけっとしている。でかけるぞ」
「どこにですか」
 これ以上振り回す気かと、ライドレンドの声が力を失っていた。
「いいから来い。――墓参りだ」


「――ここは?」
 何もない崖っぷち。あるのは、視線の先に広がる海。
 似合いもしない白い花を、父が盛大に崖の下に広げた。風に乗って、落ちていく。
「リールの墓だ」
 父親の言う事の中で、一番意味がわからない一言だった。
「海に行けば会える」
 そんな言葉で、誤魔化そうとしたわけじゃない。


「いってきまーす!」
「いってらっしゃい」
「ぁあ、気が重い……」
「ちょっとカクウ! 遅いわよ!?」
「はいはい。ティクレイヤ王女……」


「父上、早く出発したいのですが」
「もう一人連れてくる事もできないのか?」
「……」
「ぁあ、王~いったいなんですか~」
「お前、話を聞いていないのか!?」
「ぎゃぁ!!? なんだよいきなり!!?」


 兄と姉はさっさと他国に旅立ってしまった。国を出て世界を見たいと言い出しただけに、姉の行動はすばやい。
 半分脅しのような笑顔で計画に参加したのだが、実際にどこに向かえばいいのだろう。
 答えは、ひとつだけだ。しかし、そこは――
「リィンティト王子」
「はい!」
「王が呼んでます」
「――はい」


「どうした? まぁ言い出したのはティクスのようだから、困惑するのも無理ないだろう」
 この父親に隠し事など、無駄だった。おろおろしていたのが馬鹿みたいで泣けてくる。
「急がなくても、いつでもいいぞ」
「父上」
「なんだ?」
「どこでも、いいのですか?」
「どういう意味だ?」
 意を決っしてその場所を告げると、父は驚いたように目を見開いた。そこまで驚かせたことに、自分も驚いてしまって、断られた時ように用意していた言葉が消えるように頭が真っ白になった。
 長い沈黙に、背筋が冷えていく。誰も、何も言わない。あとでオークルに、忙しい王の時間をどれだけさく気ですかと小言が漏れそうな気がした時、声が聞こえた。
「そうだな、それもそうだ」

 そして――

「陛下! 王子!」
「久しぶりの船旅だが、頼んだぞ」
「任せてください!」
「海路は、渦は問題ないのか」
「それが王妃様が言ったとおり、徐々に消えています!」
 と、高らかに宣言した船長の動きが止まる。
「――そうか」
 言葉は静か過ぎて、波の音が聞こえてきた。
「さすが、だな」
 遠くを見ている父親の目には何が映っているのだろう。噂に聞く四獣王か、今は亡き母か。
 ループ王は、こっそり遊びに行くと嬉しそうに迎えてくれる。よくわからないけど、彼のお付きにいつも警戒されている。
 理由を問うと、あの娘の子――と。
 人づてに聞いた話に、母が懸け橋だったと言われた。利用されたとも。
 どちらでも構わなかった。笑う肖像画の母を見て、ただ、会いたいと思った。それは父がこっそり描かせたもので、忍び込んでいつも眺めている背中越しに、母の姿を見ていた。
「何をぼうっとしている」
「ぅわあ!?」
 突然小突かれて足が後ろに引く。さっきの遠い目はどこに消えたのか、平然と前を向くその姿。
「なんでもないです!」
「そうか」
 といいながら髪を掻き回される。
「やめてください」
 止まらない。
「やーめーてください!」
 がしっと、抱きしめられた。
「お父さん?」
「――小さいな」
 怒った。
「冗談だ、ほら、出港するぞ」
「言われなくても!」
 下ろされた橋を渡って船に乗り込む。振り返ると父はレランと何か話していた。
 なんでレランなのだろう。てっきり、彼は一番上の兄のライドレンドと行くものだと思っていた。
 挨拶を済ませたレランが船に乗り込んできて、跳ね橋が畳まれる。覗き込んで、お父さんと目があった。
 ――微笑んで、いた。
 息を飲んでいるまに、どんどんどんどん船は遠ざかっていく。
 何かにせかされるように、声を張り上げた。
「いってきます!」
 お父さんが驚いたように――見える。声が聞こえたからだろうか。その手が、振られた。全力で振りかえす。
 ずっ、と、体を支えていた左手がすべった。
「リィンティト王子!」
 後ろからレランに捕まれて驚いた。
「――あれ?」
「振りすぎです」
「ごめんなさい」
 もう父は、豆粒より小さい。そして、ゆれた。広い広い海の上、船に揺られている。
(お母さん)
 もっと、知りたかった。


「ライドレンドはアストリッド、ティクレイヤがニクロケイル、リィンティトはシャフィアラ」
 遠い過去の日を思い浮かべる。孤独な島、たゆたう水、暑い砂漠、すべて、傍らにいた存在。
『ちょっと! 遅いわよ!』
 はっとして、目の前を見た。振り返っても変わらない。
「変わったものだな」
 そうでもないと、笑うだろうか。



「暑い」
 入口に入ったとはいえ、まだまだ底は深い。階段というには大きすぎる石段をひとつずつ下る。冷えた風と熱い空気が混じって生温い。
「あついですねーぁあやだやだ、暑いし、砂まみれだし、何より熱いし」
「少し黙れ暑苦しい」
「ライドレンド王子、自分で言ったことでしょう」
「お前の存在の方が暑苦しい」
「その口の悪さは遺伝ですか? そうですか」
「なんだその諦めた態度は」
「なにか正してほしかったんですか? 無理ですから」
「何を正す必要がある」
「ぇえ知ってますよ。そういって平気で人を虐げる存在を」
「趣味じゃないのか? 母上が言っていたぞ」
「それこそ信じないで下さい」
「お前を信じるくらいなら少しくらい正しさが欠落していても問題ない」
「王子ーどこで教育方針を見失ったんですか~」
「お前はいまだに父上のことを王子と呼ぶのか?」
「時々」
「怒られないのか?」
「本人に聞こえなければいいんですよ」
「なるほど」
「そうですよ~あっはっはー」
「帰ったら父上に報告することがひとつ増えた」
「ぎゃーーー!?」
『騒がしいのね!』
「でーたぁぁーー」
『失礼ね!』
「オブシディアン王?」
『ドリーム! 聞いてないの?』
「伺ってます」
『さっきっからもう、石段下りながらうるさいわよ。声が響くんだから』
「申し訳ありません」
 頭に響いて来る声に答える。
『ねぇ早くして!』
「急ぐぞ」
「はいはい」



「静かですね」
「そうだな」
「どうぞ、少し休まれてはいかがですか」
「……そんな時間か?」
 お茶と一緒に用意されたサンドイッチに、どうやら昼の時間を越えていることをさとる。
「そう――ですね食べる人も減ったので料理長が泣きますよ」
「そうだな」
「それにしても一度に三人も出して、よかったのですか?」
「さぁな」
 ただ、きっとそうなっただろうと思うだけだ。ペンを置いて窓の外を見る。最初の記憶は、城の中で、次が、城の外で、町で、エルディスで。
 そして、一変する。
 景色を彩るのは空でも、建物でもない。ただそこにいるひとりの人で。一度として同じ景色はなかった。
 くるくると移り変わる早さは自然にも負けず、一瞬のことだった。
 その中心にいたひとりが、二人になって、三人になって、四人に増えた時はもう笑いを通り越して呆れていた。
 まぁそう言っては怒られたが。思えばいつも自分のせいにされていた気がするんだが、なぜだ?
「オークル」
「どうしました王」
「夕食は食堂で食べると料理長に伝えておいてくれ」
「喜びますよ」
「そうだな」
 久しぶりだな。


「ねぇ。遅いわよ」
「あなたの荷物が多いんですよティクレイヤ様」
「あなたがそう呼んだら私が私だってばれちゃうじゃない。だーかーら! リアエル? レイヤ?」
「レイヤ様?」
「む……やっぱり、ティクスにする」
「ティクス様?」
「だ、か、ら。あなたが“様”なんて呼んだら、私がいい所の出だってばれるでしょ!」
 当たり前だ、四大大国エルディスの第一王女なのだから。
「ティクス嬢?」
「普通に呼んでよ!」
「無理ですよ。第一、王にそんな呼び方をしたとばれた時、どうしてくれるんですか?」
「勝手に呼んだって言う」
「………。あなたは私に王に殺されろと?」
「う~~ん? そうなのかしら?」
「はぁ、まったく。あなたは確かに王とリールさんの血を引いていますね。確実に」
「ねぇ! なんでお母様はそうやって名で呼ぶのよ!」
「それは、あの方はまた違った意味で敬意を払う方ですから」
 だって、様なんてつけて呼べば止めろと言う。エルカベイル王はそれが気に入らないらしい。しかし、王妃であるリールさんの命令(?)に逆らったら逆らったで王に睨まれる。
 ……どうしろというのだ、いったい。
「? なによそれ」
「あの王と結婚した人ですよ。僕からしてみれば尊敬に値しますよ」
「ふぅん。お父様って、そんなに嫌な奴なのね」
「ぇえ、嫌な奴ですよ」
 王。実の娘になんて言われようなんですか?
「ふぅん。伝えとくわ」
「――それは、やめていただけませんか?」
 やはり、あの王とリールさんの子だ……。
「気が向いたらね」


 巡り巡れ世界。流れ渡れ世界を。きっと心は、続いていくのだから。
 空も海も繋がって、いつまでも見守っているのだから。


「だぁれあなた? 私知ってる!」
「は?」
「だってリディだもん!」
「はぁ?」
 意味がわからない……かろうじて年上だろうと思われる女性は、楽しそうに笑っていた。
「アロマー! あーろーまーぁぁぁ!」
「ウィア! 騒がしいわ……よ?」
「リディなの!」
 続いて出てきた女性が、私と目をあわせて息をのんだ。
「リーの……ライドレンド王子……?」
 それは違うと思いながらも、そのほかに思いつかないと怪訝な女性の言葉に、答える。
「兄です」
「うそぉ」
 驚いて声もない女性は、そして泣き出した。
「!?」
「えっぇえ!?」
 最初に大騒ぎした女がとても驚いている。
「アロマ?! なんで!?」
 こちらが聞きたい……
「アロマ!? アロマごめんなさい! 今度からちゃんとお勉強の時間は守るからー!」
 それも違う気がする。
「ウィア、ごまかしてたのね」
「あ~え?」
 え? じゃねぇ。
「さぁお客様に部屋を用意して来て!」
「はいー!」
 逃げるように一人が走り去る。そして――
「驚かせてごめんなさい。私はローゼリアリマ。アロマでかまいません。お久しぶりです。レランさん。それにあなたは」
「リィンティドです」
「よろしく、リィン」
 それは、どこかなつかしく――何かを思い出させるほど暖かかった。

「きゃーーーぁぁぁ!」
 遠くで、どこか楽しそうな悲鳴が聞こえた。
「ウィア……」
 がっくりと額に手を当てるアロマさん。
「あの子はウィエア・アンダーニーファ。ウィアよ」
 泣き顔を笑い顔に変えて、ローゼリアリマが笑った。

 ねぇリー、私達ができることなら、なんだってするわ。



***


 いなくなった影を探して、さ迷っていた。
 もう、見つからないと知っていた。
 ただ、別の場所が開けていた。信じられないが、代わりというには無理がありすぎて。
 しかし、忘れられるかといえば、そんな事はない。
 輝いていたのだ。
 灰色の世界の一部を、彩るほどには。


「父上」
 長男は見れば見るほど自分に似ているため、いじめやすかった。自分も父親にされた仕打ちを考えれば、納得がいく。
 最近は面倒ごとを誰かに押し付ける手腕を身につけていた。


「お父様!」
 型破りな母の噂を拾い集めた長女は、あまりに奔放で相手をするのは大変そうだった。だが放っておいた。
 なにかあってもなくてもセイジュが被害をこうむるだけだ。


「……」
 年子の二人とは五年以上歳の離れた末っ子は、どうやら反抗期だ。すれ違っても挨拶もしない。
「いででででっ! 縮む!!」
 頭を上から押さえつけると、嫌がる。
「ごめんなさい!」
 それでも抑え続けていると反泣きで謝ってくる。


 繋ぎとめたつもりだったのに、支えられているのは自分ではないか。
 結局、どこにも、繋ぎとめる事などできはしなかったのだ。


「将来が楽しみですな」
「――は?」
「ライドレンド王子ですよ。あなたに似て政務の腕も確かです」
 確かに、行き届いた教育以上の成果を為している。
「そうだな」
 ライドレンドといえば、リールにはよくなついているが、自分に対してはどこか一線を引かれたような態度が常だった。
 確かに、昔から厳しく接していたかもしれない。しかし、あの気質は。
「そこら辺は、リールを引き継いだのだろうな」
「は? 王ではなく?」
 大臣は意味がわからないと首を傾げた。
「俺には真似できないさ」
 あの、ただひとつを追い求め、すべてを引き換えたにする行動を。
 壁際で、レランの気配が何か言いたそうに揺らいでいた気がする。


「――剣を?」
「はい!」
 特に祖母に甘やかされてきた長女は、剣を求めた。言い出すだろうと想定していたが、いざ求められると不思議な気分だ。覚えてどうする気だろうか。
「身を守るためか、意味なく人を殺すためか」と問うと、軽率な事を言ってごめんなさいと泣き出した。
 あとで、ご息女になぜあそこまで厳しく問うたのですか? と、大臣に責められた。
 そんなつもりじゃなかったのだが……
 リールの剣の腕に助けられた事もある。しかし、その腕は本当に必要だったのだろうか。本当はもっと、ただの町娘として笑う生もあったのではないだろうか。
 ――愚問か。
 すべてを含めて、あのリールに出会ったのだから。なにかひとつでも違えば、道は違ったのだから。
 それから、レランの稽古の厳しさにぼろぼろになりながらも、ティクレイヤは一度も不満を言わなかった。


 優秀で将来を期待された兄と、自分主張をほぼ通す行動力を持つ姉、の下にいる末って子はどちらかといえば凡庸だった。
 何も求められていないといえば、簡単だった。
 長男の、次の国王となるべく期待。王女の、最終的に求められる政治的地位。過度な期待が悪となって降り注ぐ事もない。
 くわえて、特に秀でたものはなかった。
 才能がないわけではないが、どれも人並みで。華やかな上二人にいつも押しのけられているようだった。
 だからと言って、ひいきしたつもりはない。


「王、手紙が届きましたよ」
「ああ」
 数ヶ月前、旅に出たいと三人が謁見室で言い出した。どう考えてもそれはティクレイヤの希望で、ライドレンドはどちらかというと自分を外で試してみたいと考えていたようだし、リィンティトはほぼ巻き込まれていた。
 定期的に送られてくる三通の手紙。
 薄っぺらい一通目はほぼ真っ白だ。――セイジュにまともな報告を求めても無駄だ。
 やけに分厚い二通目の半分は愚痴だ。――カクウの愚痴は長すぎる。
 時々で厚みを変える三通目は、他と違っていた。――レランから見たリィンティトの変化は目覚しく、あの島の事を考える。
 あの島に住む。かつて世界に名をはせた一族を。


 あのあと、まるで計ったかのようにやってきたリンザインは、すべてを知っているような顔をしていた。
 そういえば、あの家の中で見た“大人”は、自滅した当主だけだった。のだ。
 リールが行った作り変えは、それ以前のものには効果がないのだと。解毒の時間よりも取り込むほうが早いのだと。
 そこに、当の本人も、含まれていたのだと。
 憤りに相手に八つ当たりをしそうになった時、それはおきた。
 急にむせこんだと思えば口元に当てた指の間から滲んだ赤黒い液体。落ち着いて考えれば、どこかやせ細ったその体。
 いっそすがすがしいと、リンザインは自分で言っていた。
 もう、あの島で過去の薬師は求められないのだと。解毒の進んだ島にエアリアスは必要ないと。
『二重の意味で復讐を遂げた。だから、過去の残像は消えなくては』
 消えゆくように城を後にしたリンザインは、やはりどこかで――


「リィンティト王子の様子はいかがですか?」
「あ、ああ」
 オークルも、やはりリィンの様子が一番気になるらしい。
 母親の存在を覚えていないリィンが向かったのはシャフィアラ、今、細々と薬草から薬を作って売る二人の女性の家。ローゼリアリマと、ウィエア・アンダーニーファの元。
 シャジャスティは外へ、他国の医術を学びにでているらしい。
「薬師になるのだろうな」
 母親の面影を探して。
「わが国の王子は勤勉ですから」
「お前、なにか含んでないか?」
「そう聞こえるのなら自覚があるのでしょう。王」
 楽しみですねと、言われ、頷いていた。他に楽しみがないと、はっきり言えそうだった。


 崖っぷちから眺める海は、広大で。波の叩きつける音が風に混じる。
 世界は広すぎて、ここから見える景色は変わらない。きっと、変わったのは自分だ。
「……きれいだな」
 どんな気持ちで、花を海に放り投げるのだろうか。
「――これは未練だな」
 墓標を立てたと言ったら、笑うだろう。
 刻まれた名前を隠すように、淡い色合いの花を乗せる。何もこんなにいらないだろうと思うほど大きな花束をオークルに渡された時は驚いたが。
 今はその香りが心強い。
「花を愛でる趣味があったとは思えないがな」
 大体、植物の区別が食べられるか食べられないか、毒草か薬草かという選択肢で分けられていたのだから。
「――言われた事の半分もできていないな」
 いつしか、笑っていた。
 うれしくて――悲しくて。


 いつの間にか、鎖につながれていたのは、自分だった。
 鍵をかけていたはずの鎖は、粉々に砕けて、消えてしまった


「かなわないな」



***


 ここから見える景色を彩る三人が旅に出て、それからの事はあまり記憶にない。
 領土の事、民の事、そして国の事。たくさんの重みを感じながら、どこか、淡々としていた。
 定期的な報告の手紙、緑を称える森。そして海。
 時間というものは不思議で。
 どれほど時がたとうとも、あの瞬間が一番、大切だった。


「父上。ただいま戻りました」
 やはりと、言うべきか。約束の日、約束の時間に現れた長男は、決意を新たに挨拶をした。
 その目標は、母(はは)に捧げるのだろう。
 数年ぶりに会った息子の成長を感じながら、立ち上がった。玉座の階段を下りて、息子に向かい合う。
 立ち上がった息子と、目があった。
 その目にいつも宿っていた炎は、変わらない。
「おかえり」
 引き寄せて、抱きしめていた。
「はい」
 驚いて身を堅くした息子は、それでもどこか嬉しそうだった。


「おとーーーさまぁーー!!!」
 あの暴れっぷりはどうにもならないなと、もういさめる気にもならない。
 ライドレンドから離れて、駆け込んできたティクレイヤの体を抱き上げる。
「遅れてごめんなさい!」
「――いや、気にしていない」
 たゆたう金の髪がふわりとゆれ、青い瞳が丸くなった。
 満ち足りた、香り。
「あのねお父様!」
「どうした?」
 話したい事がありすぎて困るの、と、笑う。子供だと思っていたが、ずいぶん変わるものだと思う。
 背にまわされた腕はしっかりと力がこめられていて、本当に抱きつかれている。これは兄とは違うなと思ってふと見ると、ライドレンドが固まっていた。
「……ティクス?」
「なぁにお兄様?」
「いや……」
 変ねと、ティクレイヤが首を傾げた。
「変なお兄様」
 笑った。
「お父様! なんで笑うの!!?」
「いや、きれいになったな」
「――そうかしら?」
「ああ」
「嬉しい!」
 さらにしがみついてくるので、よしよしと頭を撫でていた。と、扉の向こうに見えたかの影。
 すとんと、ティクレイヤを床におろした。
 怪訝そうなティクレイヤが視線を向ける。その先。


 むすっと、機嫌の悪い次男。
「「………」」
 正面に来ても無言だ。なんと機嫌の悪い。これも反抗期か?
 まるで望んでいないのに強制的に城に戻されて不機嫌な、昔の自分と同じだ。
 面白くなって、いつもの通り頭をつかんでぐりぐりと撫で回した。
「だーー! 縮む!」
 ついでにわしゃわしゃと髪をかき回す。

『抱きしめてあげて』そう、リールが言ったのだ。

 小さい体を包むと、いやそうにもがく。
「おかえり」
「……」
 そういうと、ぴたりと動きが止まった。
「……ただいま」
 ふっと、笑って、肩にあごを乗せていた。それから、振り返ってランドレンドとティクレイヤの所まで進む。
 謁見室にいた兵士も、侍女もすべて、退室していた。
 三人とも引き寄せてみると、やっぱりリィンティトがもがき、ティクレイヤは抱きつき、ランドレンドは身を寄せた。
「墓参りに行くか」
 まだ子供だ。だが、もう子供ではない。



 海に面した崖っぷちで、ただ口を閉ざしていた。
「――父上。母上は――」
 ライドレンドが、重く口を開いた。
「死んだら、海になりたいとさ」
 母と、父に、会えたのだろうか。一生さ迷えという呪いの言葉を、知っていたはずじゃないか。
『どこにいても、見守ってあげるから』
 それは、二人の子供のためか、それとも、自分のためか。
 あんなに苦しんでいたのに、望んだ。幸せそうに。
「えいっ!」
 手向けの花を、ティクレイヤが盛大に放り投げた。色とりどりの花々は、崖下に向かって落ちていった。
 驚いて、息子二人と目を見開いた。しかし、その驚き方は、違ったんだ。
「ティクス、いきなり何するんだ!」
 ライドレンドが怒鳴ったため、ティクレイヤがむっとしたように振り返った。
「だって、お母様海にいるんでしょう!」
 こぼれた涙がちって、光に反射した。
「……あいたいよぉ」
「――っ」
 泣き声に、ライドレンドが息を飲んだ。
 一歩、リィンティトが足を進めた。
「姉上はわがままだよ」
「なによっ!」
 リィンティトが抱えていたのは、“見慣れた”小瓶だった。
 弧を描いて遠ざかる小瓶の中身が、光に反射して輝いていた。
「――覚えている事が、思い出せない」
 言葉は、消えていった。
「話しかけてもらった記憶も、微笑まれた顔も、曖昧で」
 はっと、した。色を失ってすべてが灰色だと思い込んだ世界で、この子たちに、どれだけ心を傾けていただろうか。
「リィンティト」
 呼びかけると、悲しそうに笑った。
「名前の由来を、聞いたんだ」
 その名にこめられた、意味を。
 過去に縛るように、未来を生み出すように。
「だから、薬師になるんだ」
「なまいき」
「でっ!? なにすんだよ怪力!!」
「失礼ね!」
 呆気に取られている間に、下二人が言い争う。だんだん内容がくだらない事へと発展していき……髪を引っ張り合っている。
 しばらく、止める気も起きず二人を見ていた。
 長男も呆れているのか、隣で呆然としていた。それを見て、こちらの視線に気がついたのか目があって、同時に噴出した。
 声をあげて笑いあっていると、リィンティトの髪を容赦なくつかんで睨みを聞かせているティクレイヤと目があった。
「ティクス、そろそろ放してあげなさい。かわいそうだから」
「……わかったわお父様」
「二重人格」
「なんか言った!?」
「まぁまぁティクス」
「お兄様は黙ってて!」
「末っ子はいじめやすいんだから、その辺にしておきなさい」
「常々思っていたけれど、私よりお兄様のほうがひどいわ!」
「どういうことだ」
「どっちもどっちだから」
 さすが、末っ子はよくわかっている。
「なんですって!?」
「なんだって?」
「ぎゃーー!」
 一人でもかなわないのに、その上二人にすごまれた末っ子が泣きだした。
 楽しそうだなと傍観する。その世界。――気がついた。
「こんのーー!」
「かいりきーーー!」
 風が吹いて、髪を撫でていく。どこかに引っかかっていたのか、花びらが舞い上がって海に向かって舞っていく。
 その、色。
 花々の色。空の色。森の緑。太陽の光。そして――三人の声。

 世界を、彩るのは。

「……そうか」
 笑っていることを自覚していた。空を見上げて、呼びかけた。

 約束は、守ろう。

「お前達、いつまでじゃれあっている。置いていくぞ?」
「ぇえ!?」
 いち早い反応を示したティクスの手は、ライドの頬を引っ張っていた。
「へっ」
 地面にへばりついて重圧から逃げようとしていたリィンは間抜け顔だ。
「はっ?」
 してやられたと、ライドは何かに気がついた。
「父上!」
「お父様!」
「ぇええ!?」
 慌てて立ち上がる三人に背を向けて、歩き出す。
 今日の夕食の時間はきっと、騒がしくも楽しいものになるだろう。


「………」
 久しぶりに見た衝撃の光景に、もう声をかけるまでもないかと口を閉ざした。
 目覚めなかったとしても、許されるものだと思っていた。
 そして、そうあってもいいのではないかと考える自分の考えが、ずいぶん変化した事を自覚する。
「……」
 しかし、王は目覚めた。
 そして、視線をめぐらせていた。
 四人で眠っていた所で狭さを感じない広さの寝台。この特注品は、あの小娘の希望だった。
 最初は、何を言い出すのだとあきれたものだが。
 王が、静かにティクレイヤ様の腕を避けている。
「目覚めるものだな」
 静かに、頭を下げた。
「――いや、これでいい」
 とても楽しそうな王が、印象的だった。
 その、満ち足りた表情が、とても印象的だった。だから、自分も嬉しかったのだ。無表情ではない王と共にいることが――

終章